第3話 金色買物値切姫
「半値!」
「陽愛ちゃん、開口一番おじちゃんの夕食モヤシ宣言しないでくれよ」
学校が終わり、青色を茜色が侵略した空模様を背に、僕は帰路の途中にある馴染みの商店街で、八百屋のおじさん相手に値切り交渉をしていた。
今日も授業もそぞろに風香くんばかり目で追っていた。
ただでさえ入学も遅く、授業が遅れているのにまったく勉強に身が入っておらず、そろそろヤバいかなと感じているけれど、今の僕の目的が風香くんしかないために、どうしてもおざなりになってしまう。
「陽愛ちゃん聞いてる?」
「ああはい、聞いてますよ。僕にだけ値切ってくれて他のお客さんには倍の値段を払わせるって話でしたっけ?」
「うち潰れちゃうよ! 可愛い顔して相変わらずお母さん譲りの強引な値切り方してくるねぇ」
僕は胸を張ってしたり顔を浮かべるのだけれど、そう言ったおじさんがハッとした顔で申し訳なさそうに顔を伏せた。
きっとお母さんを失くした僕を気遣ってくれたのだろう。
「大丈夫ですよ、幸い僕は別れを覚悟する時間はありましたから」
「……そっか。おじちゃんちょっと心配しちゃったよ」
「心配ついでにレタスまけてくださいな」
「陽愛ちゃんには敵わないねぇ。こっちのクズ野菜も持って行きな」
「わっ、おじさんありがと! もぉ大好き!」
「はいはい、困ったことがあったらすぐに言うんだよ」
「うん! 週末のお休み、また梅干し持ってくるね」
「おう、陽愛ちゃん手製の梅干しは我が家でも大人気だからな。よろしく頼むよ」
野菜を袋に詰めてもらった僕は、八百屋のおじさんに精一杯手を振って別れ、再度帰路を進む。
道中、馴染みの店の人たちに声をかけられたり、おすそ分けを貰ったりと、本当にこの商店街の人たちにはお世話になっている。
お母さんは生前、ここの商店街で買い物だけでなく、時間をかけて話をしたり、ここで買った物の料理をおすそ分けしたりしていた。
僕もそれについて行って可愛がられていたけれど、今思うと、体が強くないことを自覚していたお母さんだったから、何かあった時、僕が生きやすいようにしてくれたのかな。
僕は立ち止り、今日買った物と貰ったものが入った袋をそっと両手で抱き締めると、小さく息を吐いた。
優しさに浸るのはここまで――僕は顔を上げて足を踏み出し、踵で福音を鳴らしてすでに見えている自宅のアパートまで歩みを進める。
しかしふと、僕は足を止めた。
何があると言うわけではない。頬を風が撫でただけだ。
辺りを見渡すと、そこは手作りのペット用品店。
うちはペット禁止だし、これからもここで商品を買う予定はないけれど、ここの店主のお兄さんは手先が器用で、町内会でもその器用さを存分に発揮している人で、僕も何度かお世話になったことがある。
店名はわんにゃん倶楽部、街の夜にやっていそうないかがわしいネーミングと商店街の人たちから評されているけれど、店主のお兄さんは爽やかな人である。
僕は店の外に出ている見切り品ワゴンに目をやり、その中から黒を下地に銀色と金色の肉球マークが付けられた首輪を手に取った。
どうしてこんなものを手に取ってしまったのかと首を傾げていると、僕の肩に触れる手。
「ペットでも飼うの?」
「ぴゃぁっ!」
突然声をかけられ、僕は驚き叫んでしまう。
何とも情けない声だと我ながら恥ずかしくなってきた。
僕は振り返り、声の主を半目で睨む。
「突然声をかけたのは悪かったけれどそんなに叫ぶことないじゃん、お姉さん傷ついちゃう」
「夜恵ちゃん」
そこにいたのは僕の住むアパートのおとなりさん、
独身で彼氏はなしのフリーター、今は無職――様々な職業を転々としている飄々とした人だ。
「ごめんなさい、いきなりでびっくりしたんですよ」
「まああたしは陽愛ちゃんの可愛い声が聞けたから満足だけれどさ。それでペット飼うの? もしかして引っ越しちゃうとか?」
夜恵ちゃんが顔を青くしながら聞いてきた。
こうして頼られるのは悪い気はしないけれど、もう少ししっかりしてほしい。
「引っ越しませんし、ペットも飼わないですよ」
「よかったぁ、陽愛ちゃんいないとあたし餓死するからね~」
「料理くらいまともに作れるようになったらどうです?」
「ヤダ!」
力強い言葉だ。
いや、僕は一体何に感心しているのだろうか。
僕は呆れながら首輪をワゴンに戻そうとすると、店から店主のお兄さんが出てきた。
「おや陽愛ちゃんと夜恵ちゃん、おかえりなさい」
「お? それは今日1日家で寝ていてやっと起きてきたのは良いけれど、少しくらい動くかと散歩をしているあたしへの嫌味かぇ?」
「あまりにも理不尽だ」
「いつものことだから俺はもう慣れちゃったよ」
慣れるほど同じような状況になることがあるのか。
僕はごく潰しを見るような目で夜恵ちゃんに目をやる。
「や~ん、お姉さんドSロリに目覚めちゃう」
「誰がロリですかぁ!」
「陽愛ちゃんはロリでしょ」
「真顔になるなぁ!」
夜恵ちゃんの腰を叩いていると、店主のお兄さんが僕の持っていた首輪に目を向けていた。
「ああごめんなさい。買いもしないのにずっと持っていて」
「いやいや、陽愛ちゃんそれ気に入ったの? よかったら差し上げようか?」
「え、いえそんな、それにうちペット駄目ですし」
「いやぁ、それ本当に売れなくてね。しかもそれ作る前に人間用の物作っていたせいでサイズも動物用じゃないから、誰かに首輪をかけてあげたら?」
店主のお兄さんの視線が明らかに夜恵ちゃんに向いている。
僕がこのダメお姉さんを世話しろと? お断りしたい。
「え~、ついに陽愛ちゃんあたしを飼ってくれるの? 毎日体洗ってあげるよ!」
「いらんです」
「まあチョーカーとしても使えるし、良かったら貰ってよ」
爽やかな笑顔を向ける店主に、僕は根負けした。
「わかりました。使うかはともかく、そこまで言うのならいただきますね」
「うん、これで無駄にならなくて済むよありがとう」
「どういたしまして。あ、いただいたお礼に、今度カップケーキでも作って持って来ますね」
「本当? 得しちゃったな」
喜ぶ店主のお兄さんに再度お礼を言って別れ、僕と夜恵ちゃんは揃ってアパートへと歩みを進める。
「陽愛ちゃん今日の晩御飯なに?」
「……暑くなってきますし、最後のお鍋にでもしようかなって感じです。レタスと鶏肉、お豆腐とさっきもらったがんもと家に残っているしらたき――」
「あっ、うちにうどんあるからシメに使おうよ」
「はいはい、首輪なんてかけなくても胃袋掴んでいる辺り逃げなさそうですよね」
僕がため息交じりに呟くと、夜恵ちゃんが人懐っこい顔で手を差し出してきたから、僕はその手を握り、一緒にアパートへと足を踏み入れるのだった。
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