第16話 嫉妬
かつての部室。そこに現れた雄大と卓也に向けて伸行は笑っていた。その顔は笑っているというのに暗く、まるでこの世の終わりであるかのような顔だった。
「まさか君にバレるとはね。あの日以来、何度後悔しただろう」
「ははっ。バレないと思いましたか」
「いや。同姓が好きだということはバレているだろうと思っていたさ。しかし、大塚君だとは思っていなかったんだろう。相手はちゃんと彼女がいることだし。それなのにバレてしまったことが、運の尽きだったな」
その言葉で、雄大が下卑た笑みを浮かべた理由に気づいた卓也は驚くことになる。そしてそうかと、あの写真の場面に納得した。
脅迫にしては奇妙に映るあの写真は、暢希が困惑している様子だったせいなのだ。ああいう場合、脅された相手は顔を引き攣らせているものであり、困った表情にはならない。だから妙に引っ掛かりを覚えたのだ。しかし、愛の告白をされて困っていたとは、これは想像の埒外だった。
「それよりも藤川さんは」
雄大が確認すると、あっちだと伸行は目線を部室の端に向けた。そこには面白くないという表情を浮かべた理那が、段ボール箱に頬杖を突いて座っていた。彼女は伸行に誘拐された後、積極的に伸行に協力していたのだ。
「まったく。勝手にやっててよね。どうして私が巻き込まれなきゃならないのよ。あの時だって」
「君だってあれには加担しただろ。いや、君が最も積極的にやったはずだ」
不満を垂れる理那に、雄大の声が鋭くなる。何も知らない卓也に向け、自分だけ何もしていないように振舞うのは許さないというわけだ。そんな雄大の怒りにも、理那は軽く肩を竦めただけでどうでもいいという態度だった。
「ふ、藤川さん」
この中では最も話が通じそうだったのにと、卓也は情けない声で呼びかけてしまう。すると、あなたも大塚君と同じくらい人がいいわよねと笑われた。
「えっ」
「大塚君の場合は、それが嫌味に見えるのよね。何でも完璧にこなして、それでいてそれを鼻に掛けない。自分がまだ強気の時はいいのよ。でも、ちょっと失敗した時にはその態度がムカつくのよね。下に見られているっていうか、馬鹿にしているように見えるっていうか。だからこの人たちと一緒にイジメちゃったのよ」
さらりと言われ、もう卓也には頭の中がごちゃごちゃだった。イジメていた。この三人が。何のことだかさっぱり解らない。
「イジメていたとは語弊がある」
「じゃあ何よ。寄って集って自分たちの要求を飲ませるのって、イジメじゃないの。あれが取り引きなわけないでしょ。イジメじゃなければ脅迫ね」
くつくつと笑う理那は、普段の大人しいイメージから大いにかけ離れていた。自分がお人好しだったことは認めるしかなさそうだった。卓也は彼らのいい面しか見ていなかった。そして暢希に対し、自分と同じ感情を持っているだけだと思い込んでいた。
「あいつに、何をしたんですか」
憎むべきは何なのか。解らなくなりそうだったが、真相は聞き出さなければならない。卓也はぐっと腹に力を入れると、三人の顔を順に見た。
「睨まなくても喋ってやるよ。このままだとばれるのは時間の問題だ。それにおかしいと思わないか。この場に米田君がいないことを」
それまで言われるだけだった伸行が、暗い顔のままに言う。あの顔の暗さはいずれ自分たちの悪事がばれると達観したが故だったのだ。
「そう言えば。あいつは大塚に関して無関心のようだったから放置しておいたのに、どこに行った。メールはしたんだよな」
雄大はしまったと部室の中を見渡す。が、どこにも啓輔の姿はなかった。
「こそこそとやっていたが、今の数学部と結託しているようだぞ。それに、この高校には今、名探偵と呼ばれる学生がいるんだ。そいつに頼ったとすれば、もうそろそろ全部が明るみになっているだろうよ」
お前は仕掛けをちゃんと確認しないんだなと、伸行が鼻で笑う。互いの関係に亀裂が入った今、罵り合いしかない。それまでの不満も合わせてここで噴出する。
「ちっ。仕掛けたのは金岡さんの姿を見かけたからだ。その後は見かけていなかったから、気のせいだと思っていたんだが。まさか名探偵気取りの高校生を頼っていただなんて」
「弥生さんが」
意外な名前の登場に、卓也は思わず訊き返す。すると、本当に呑気な奴だなと呆れられた。だから弥生もお前には相談しなかったのだろうとまで言われてしまう。
「それは」
「まあいい。金岡さんが何をしていたとしても、あれだけ話題になれば誰かが調べただろうからな。はっきり言って、もううんざりだったんだ。あいつのせいで、俺たちはずっと秘密を抱えていなければならない。苦しい思いをしなきゃいけない。そんなの、もう終わりにしたいんだよ。自分が大塚のことを認めていたと気づけば気づくほど、苦しくて仕方がないんだ」
ただしお前らは道連れにしてやると、雄大は凶悪な顔になった。必死に自分を押し殺して過ごした三年間。それがもう必要ないとなり、本性が現れる。
「道連れね。だから大塚の論文が本来は物理学のものだったとリークしたのか。あれは巧妙に加工し、純粋な数学の論文に書き換わっていたというのにね」
「ああ。必ず食いつく奴はいると思ったよ。世間で有名になれば、あの自殺の真相もつられて明るみになる。もう、罪に怯える必要はないってね。たとえそれで破滅するとしても、もうバレるかもしれないって怯えなくて済む」
「なるほど。しかも丁度良くこの寒い時期とはね」
憎たらしい奴だと、伸行は雄大を睨み付ける。この二人はどうやら馬が合わないんだなと、今更ながら卓也は気づいた。それは雄大が伸行の性癖を知っているからだけでは説明がつかない、根本的な問題であるらしい。
「意外と広まるのが遅くてね。まさか物理学の中でも解こうと思う奴が少ないとは思わなかったよ。連中は正確な証明を必要としないからな。自然に照らし合わせて使えれば問題ないと思っている。ミレニアム問題になっていても見向きもしないんだから凄いよ」
下手すれば気づかれないところだったと、雄大は溜め息を吐く。しかし予想外に暢希の名前が広まることになり、天才の自殺という世間受けする話題のおかげでネットの世界で広がることとなった。暢希の死の真相をばらそうと思った雄大だったが、これにはいい気分はしなかった。
素人探偵を気取る連中が勝手に書き散らす内容は、どれも真実から程遠く、ほぼ空想でしかなかった。
「暢希はどうして死んだんですか。自殺とされた理由は何ですか」
ようやく自分の問いを聞き入れてくれるらしい。そう気づいた卓也はすかさず質問する。
「おや。まだ気づいていないのか。アルコールによるアナフィラキシーショックだよ」
「なっ」
消毒に使われるレベルのアルコールにすら警戒していた奴が、アルコールのアレルギー反応で死ぬ。一体どうしてだと卓也は目を見張った。
「だから言ったでしょ。自分たちの要求を飲ませようとしたって。で、要求が飲めないなら代わりに酒を飲めって強要したのよ。まさかあんなにすぐに拒絶反応が出るなんて思わなかったわ」
悪びれることもなく理那が言い放った。これには卓也もかっとなる。
「どうしてですか。一滴も飲めないことは、一緒にいたんだから解っていたでしょ」
「そう。触ってかぶれる程度だと思っていたわ」
「――」
べっと舌を出す理那に、卓也は返す言葉がなかった。それが実際に思っていたかは別として、そう言えば卓也がこれ以上追及できないと解ってやっている。それに気づいてしまって何も言えなかったのだ。
「俺は絶対に飲めないからこそ、要求を飲む方を選ぶと思ってたんだ。まさかと、コップを手にした時は思ったよ。浦川先輩もそうでしょ」
呆然とする卓也に向けて、雄大はそんな悪い考えは持っていなかったと主張するが、結果として暢希は飲んではならない酒を飲むことを選んだのだから同じだ。この人たちはこんな状況になっても言い訳するのかと、卓也はショックから立ち直ってイライラしてしまう。だから思わず近くにあった机を蹴飛ばしていた。
「ひっ」
「いい加減にしろ。お前ら、ちゃんとやったことを言え」
力一杯叫んだ声に、理那は小さくなり残り二人は呆然とした。日頃から大人しい卓也であるだけに、その行動には誰よりも迫力があった。
「解った。取り敢えず落ち着いてくれ」
肩で息をしながら睨みつけてくる卓也に、伸行が窘めに入った。さすがに相手が先輩とあっては卓也も理性が先に働く。しかし怒りは収まらなかった。鋭い目でさっさと言えと促す。
「総ての始まりは俺のせいなんだ。俺が、大塚君に友情以上の感情を持ってしまった。そして、我慢できずに告白してしまったことだ」
宥めた伸行が告白を始める。それは暢希と、そして友人である卓也を騙したことへの告解のようだった。
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