第15話 真相
暢希と雄大の関係はどうだったのだろうか。本当に何も語っていなかったのだろうか。
雄大に借りた布団に潜り込んでから、卓也はつらつらとまた思い出を蘇らそうと頑張っていた。あの時、総てを知っていたのは自分だった。そうなると、事件を止めることが出来たのは自分だったのではないか。そんな自責の念も生まれる。
「はあ」
ごろりと横を向くと、こたつが見える。その中で雄大は寝ていた。せめてもの詫びだと言うが、こたつで寝たら喉が渇くだろうにと変な心配をしてしまう。
こう心配できるもの、どうやら本当に雄大は犯人ではないようだと考えているからだ。もしあの誘拐の犯人あらば、理那を放置してここで寝ようとはしないだろう。
ひょっとしたらこっそりと抜け出すかと待ち構えているが、疲れ切っている雄大はいびきを掻いて本格的に眠っている。この調子だと朝まで目を覚ますことはないだろう。ますます犯人の可能性は消えていく。そして喉もカラカラになるなと余計なことも思う。
では、自分は当時のことをどう解釈すべきなのか。卓也の考えはまたそこに立ち返っていた。あの時、総てを知っていたのは自分だけだったとすると、事件を未然に防げたのも自分だけということになる。
「それは」
大泣きした手前、それは格好悪いなと卓也は嫌になる。あれだけ何も気づけなかったと後悔したのは、本当に何も気づいていないからこそ出た言葉となってしまうのだ。すると自分は暢希を見殺しにしたのだろうか。そう考えるのは非常に辛かった。
「自殺ではないはずだ。では、誰が犯人なのだろうか」
身近に殺人者がいる。
どうしてもここでビビってしまうなと、卓也は答えに行きつけない原因がはっきりと解ってしまった。
翌日。落合はしっかりと会社に有給届を出してやって来た。これで心置きなく高校生探偵を取材できると、朝から張り切って廉人に張り付いている。
「でも有給ってことは、ちゃんと取材だと認められていないってことですよね。取材だったらわざわざ有給取る必要ないんだし」
「うっ。それはあの大谷先生との約束があるからさ。事情を話せないおかげで取材と言い切れなかったんだよ」
痛いところを突くなと、落合はぶすっと顔を膨らませる。しかし、おっさんがやっても心を動かされるものは何一つない。
「まあまあ。何らかの記事が出来れば手当ぐらいは出るんだろ」
いつまでもわいわいと騒いでいる二人に、呆れる玲明ではなく英嗣がそう訊ねた。
「ええ、まあ。それに何もなくても、使っていない有給の消化が出来ましたからね。ま、給料には響かないってわけです」
にかっと笑う落合は、損はしないと笑顔だ。が、それならば遠慮なく調査を手伝わせられるなと英嗣に返され、その先の言葉が出ない。
「ううっ。みんな酷いですね。で、今日は何を調べるんですか。誘拐事件が二つも起こっているですよね。それもこっちは現在進行形ですよ。放置していていいんですか」
落合としては暢希の死よりもこちらが気になるところだ。どれだけ天才だったかも、残念ながら、一般的な知識しか持っていない落合には、理解できない内容ばかりで手が付けられない。
「大丈夫でしょうよ。どうやら犯人はOBの中にいるってところまで予測が付いているんです。誘拐された人たちが危険になることはないと考えて問題ありません。というわけで、大塚さんのことが片付いてからで大丈夫ですよ」
すぐに解決できそうな方に行きたいだけだろと、廉人はその怠慢を指摘する。すると、落合は現在が大事なだけですよと唇を尖らせた。
「それに、大塚さんの死に関して重要な人が、今から来ますからね。そちらに期待してくださいよ」
「おっ、重要人物ですか。それって誰です」
「彼女だよ」
では話を戻してと落合が訊くと、英嗣がすっと入り口を指差した。そこには所在なさげに立つ弥生の姿があった。
「おっ、美人ですね」
「大塚君の彼女だった金岡さんですよ。もとはと言えば、彼女が大塚君の新たな論文を大谷先生のところに持ち込んだことが発端です。この中で最も大塚君の死の真相を知りたい人ですよ」
廉人がそう説明すると、落合のやる気が目に見えて上がるのが解った。
「大塚さんの彼女でその死の真相を知りたいってことは、まだまだ未練があるってことですよね。ということは今、彼氏なしの可能性大」
後釜に座る気満々の落合に、廉人はそういう発想もあるのかと呆れるよりない。しかも相手はまだ暢希に未練があると解っていて、そんなことを考えるのか。廉人からすればビックリな発想だった。
「おはようございます」
「おはよう。悪いね、講義もあるだろうに」
「いえ。今日一日くらいならば大丈夫です。出席確認される講義も今日はありませんでしたから」
英嗣の気遣いに、弥生はそう言って笑う。以前に会った時よりも明るく感じるのは朝だからだろうか。それとも、多くの人が暢希の自殺を疑ってくれているからだろうか。
「そうか。では、早速ここまでで理解できていること、そして疑問点の整理に入ろうか」
「宜しくお願いします」
弥生は席に座ると、深々と頭を下げる。この三年間、ずっと解らずにもやもやしていた暢希の死の真相。それがようやく明らかになるかもしれないのだ。自然と気持ちが高揚し、同時に廉人の頭脳を心から頼りにしていた。
「その前に確認したいんですが、部活のメンバーは当然、大塚君がアルコールに対してアレルギーがあることは知っていたはずですよね」
「どうでしょう。暢希君はいつも寺内君に頼んで、色んな誘いを断っていましたから。あの、死因って、暢希君の死因はアルコールだったんですか。そんなこと、おばさんはちっとも言っていなかったんですけど」
「言い難かったんじゃないかな。まさかとの思いもあっただろうけど、十分不自然な死に方だったのに、アルコールと言われてもって感じだったのかもしれない。しかし、医師の診断書にはアルコールのアレルギーによるアナフィラキシーによる、内臓出血とはっきり記されているんだ。彼の死が自殺ではないことは確かだが、死因が不明というわけではない」
これだよと、英嗣は落合からそのコピーを受け取ると、弥生へと手渡した。
「でも、死体はとても綺麗で、とてもじゃないけど、アルコールでのアレルギー症状が出ていたようには見せませでした」
ショックを受ける弥生に、まさにそこが問題なんですと廉人も真剣な顔になる。
「そう、死体が綺麗だったからこそ、この事件はますます不可思議になるんです。はっきりと症状が見て取れる状態だったのならば、今まで未解決にはなりません。自殺か他殺か、その疑問が出てくるのは、死体が不自然なまでに綺麗だったということの帰結、というわけですね。
では、それは何故か。もちろん、犯人が大塚さんの死体が発見される朝までに、ちゃんと処置したからなんです。恐らく吐き下したものはちゃんと処理し、氷なんかで顔や体を冷やしたんでしょう。見た目の異常が目立つものでなければ誤魔化せる。そう犯人は考えていたんですよ。
しかし、その沈黙に耐えられなくなったのでしょう。論文を注目させるという形で、大塚さんの死に疑問の目が向くようにした。それで、大塚さんが死んだのは何時でしたっけ。三年前ではなく季節です」
ここからは基本の確認だと、廉人はまだ驚きから立ち直れていない弥生に訊く。もちろんそれは診断書にも記されていたが、冷静に物事を考えてもらうためにあえて質問したのだ。しかし、弥生はまだ戸惑ったままだ。
「ちょうど今頃ですね。じゃあ、卒業生のみんなが嫌でも大塚さんのことを意識したのも、時期が重なったせいだったんですね」
弥生の目から、ぽるぽろと涙が零れていた。真実を知りたいと願ったが、まさか暢希が苦しんで死んだかもしれないという事実が出てくるとは思ってもみなかったのだ。
その後しばらく、教室には静かに泣く弥生の声だけが響いていた。
「取引しませんか」
いつの間にか眠ってしまったらしい。卓也が目を覚ました時、そんな不穏な声がしたので驚いた。その声はもちろん雄大のものだ。
「大丈夫ですよ。昨日一晩で信頼してくれたようで、まだ寝ていますから」
続いて言われた言葉に、卓也は布団の中で身体を固くする。今、起きているとばれるのは拙い状況のようだ。それにようやく雄大が本性を現したのだ。ここはじっくりと聞き耳を立てるべきだ。一体何が起こっているのか。それを知る絶好の機会なのだ。
「取引ね。そのために寺井君を誘拐したのか」
「だって、あなたの目的は本当は寺井だったんでしょ。藤川さんがやって来たのは災難でしたね。せっかく協力してくれそうな奴がいて、そいつを誘拐して味方にしようとしていたのに、とんでもない奴が来ちゃったんだ」
総て解っているぞと雄大は相手を脅す。理那の名前が出たことで誰が相手か、卓也には解った。伸行だ。どちらも犯人なのかと、卓也は胸を締め付けられる。
「この際だからはっきりしておきましょうよ。あれは事故ですか。それとも殺人ですか。あなたの中ではどっちになっているんですか」
「――」
危うく、どういうことだと叫ぶところだった。事故か殺人か。そんな問いを設定できるのはもちろん暢希のことしかない。しかもその選択肢の中には、世間一般で信じられている自殺が含まれていないのだ。これはますますきな臭い。
「解っていますよ。しかしね、俺はそこまでやる必要はなかったと思っています。ただちょっと嫌がらせをしたかった程度でしたからね」
雄大の声は昨日とは異なって何だか楽しそうだ。あれだけ暢希のことを評価し、尊敬していたのに。卓也は裏切られて呆然とする。どう感情を処理すればいいのか、解らなくなる。
「しかも、あんなペンを使って本格的に誘拐を演じるなんて、一体誰が思いついたんですか。浦川先輩のアイデアではないですよね」
さらに話は進み、理那の誘拐事件のことに及んでいた。やはり理那を誘拐したのは伸行だったのだ。しかしなぜか。それにこの雄大の変わりようは何なのか。
「ああ。藤川さんが盗んでいたものですか。あの頃の彼女、荒れていましたからね。大塚の死に関する主犯格といっていい。なるほどね。それで今回の誘拐に対しても積極的にアイデアを出したってことですか。論文を話題にした人間を引きずり出すために」
雄大はどんどん大胆に言葉を重ねていく。それは暢希の死に関わることのはずだ。卓也はもうどうしていいか解らなくなっていた。ただ必死に起きていることがばれないように息を潜める。
「だとしても、どうして。まあいい、会って話しましょう。どうやら寺井君に総て聞かれていたようですから」
しかし自然と流れた涙は嗚咽となり、電話していた雄大に聞かれてしまった。卓也が驚いて顔を上げると、布団を捲って雄大がにやりと笑っている。いつもは人の好さそうな彼が、今は凶悪に見えて仕方がない。
「どこへ」
「高校だよ。かつての部室さ」
「それって」
「総ての真相を聞くならば、やっぱりあそこがいいだろ」
今や卓也の知る雄大はいない。そこには暗い過去を背負う、得体の知れない男がいるだけだ。そしてそれは部室に行くことでより大きな印象となるだろう。それだけではない、他の奴ら、伸行や益友だってそう見えるに違いない。しかし、聞きたい気持ちが大きかった。こいつらが一体、どうやって暢希を死に至らしめたのか。復讐心ではなく、単純に許せない気持ちに突き動かされていた。
「ついて行くよ。だから手を放してくれ」
しかし、誘拐された時のように無理やり運ばれては困る。最初の図書館からの誘拐でも、普段の優しそうな見た目からは想像できないほど荒い扱いをされたのだ。これ以上打ち身やかすり傷を作るのは避けたい。
「そうしてくれると助かるよ」
「ふん。それより、あんたたちは大塚に何をしたんだ」
まだ濡れていた頬を乱暴に袖で拭くと、卓也は雄大を睨み付けた。するとわざとらしく肩を竦める。
「それを今から部室で話してやろうっていうんだろ。まったく、浦川先輩が余計なことさえしなければ、何の問題もなかったんだ。こっちだって何かしようなんて思いつきもしない。もちろん、大塚が死ぬこともなかっただろう」
「それって」
あの脅迫写真のことかと、卓也は怒りを忘れて驚いてしまう。そういえばあの写真は何だったのか。それも気になるところだ。
「あの人の性癖だよ。知らないのか。まあ、あんなことがあれば自重するよな」
これは面白い展開になるなと、雄大は今度は下卑た笑いを浮かべる。この人、裏の顔はとんでもないんじゃないか、卓也はその笑顔で背筋が凍った。
「さあ、行こうか。久々に全員が部室に揃うんだ。そんな顔するなよ」
顔の色を失くす卓也に、雄大はいつものように優しい笑顔に戻ってそう声を掛けるのだった。
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