通り過ぎたあとで

猫太朗

通り過ぎたあとで




「お前のこと好きなんだけど」

支倉陽一(はせくらよういち)は人生で初めて明確に他者から恋愛感情を向けられた。

しかして、相手は男性であった。

北見誠司(きたみせいじ)は大学の同級生だ。

同じ専攻で同じ授業を受けることが多く、自然とつるむようになった。

互いに友人は多くなく、比較的寡黙な性格。

似通った気質のためか良好な関係を築けてきた。

二人は学校終わりによく遊んだ。

貧乏な学生故、派手な遊びは出来ないが、どこに行くか、なにをするかは問題ではない。

感性や趣味が近いため、話しはじめるといつまでも話し続けられる。

知り合って二年目、その日は陽一の住む狭いアパートで映画を観ながら安酒を飲んでいた。

とうに深夜だが明日はお互い予定も無いので、時間を気にせずだらけていた。

映画は90年代のアクション物。派手な展開も無く中盤に差し掛かっている。はっきり言って駄作だ。

だが、気の合う友人とこうして無為に時間を浪費するのは如何にもモラトリアムらしくて、陽一は悪くない気分だった。

そんな折である。

誠司から先の告白が飛び出た。

「…え?」

ぼんやりとしていたために、一瞬なんのことかと思った。

好き?

映画の話をしているのか?

いや、間違いなく誠司は「お前」と言った。

つまり自分のことを指した言葉だ。

「え?」

陽一は同じリアクションを繰り返してしまう。

「…だからさ、お前のことが好きなんだよ」

誠司はテレビから視線を外さずにぶっきらぼうな声色でそう言った。

陽一はしばし黙る。

誠司もなにも言わない。

部屋には映画から流れる銃撃音だけが響いた。

「…それはさ、友達としてってこと?」

陽一は沈黙に耐え切れず口を開く。

誠司は軽く溜息を吐いた。

「いや、この場合の好きはそうじゃないだろ。わかるだろ…なんとなく」

なんとなく、そうだとは陽一もわかっていた。

だが咄嗟にそちらの可能性に賭けた。

要するに逃げである。

「はあ…そう…」

間の抜けた声が出た。

再び二人はしばらく黙る。

「…この映画、つまんねーな」

誠司が呟くように言う。

陽一はもはや映画の筋を追えていなかった。

「…あのさ」

陽一の声に誠司がゆっくりと振り返る。

「さっきの、その、それは…いつから?」

「…あぁ、割と最近、好きだなって気づいた」

「へぇ…」

ごく抽象的な表現での会話。

まるで他人事のように喋ったが、当事者は自分である。

「…昔から、恋愛対象は男なの?」

その問いに誠司は眉を顰めて頭を掻いた。

繊細な部分に踏み込み過ぎたかと、陽一は内心焦った。

「いや、正直わからん…ていうか、今まで人に恋愛感情持ったことなかったかも…」

「…」

陽一は以前ネットで見た知識を思い出す。

性別問わず他者に恋愛感情を抱かない、アロマンティックというセクシャリティがあることを。

誠司もそれではないかと、また憶測に回避しようとした。

それを言い出そうとすると、それよりも先に誠司が口を開いた。

「ずっと俺Aロマ…恋愛感情を持たないんだと思ってたんだけど、お前とこうやって遊んでる内に、なんか、こう…今までと違う感情が湧いてきたんだよ。…上手く言えないけど、多分これが恋愛ってやつかもしれない。…よくわかんないけどさ」

誠司はそう言うと、視線をテレビに移した。

陽一は新たな可能性がまたもあっさり否定されたので、やや困惑に近いものを覚えた。

どうやら本当に、誠司は自分を好きらしい。

そこからまた沈黙。

二人は黙ったままテレビを凝視した。

映画は佳境に入るが、やはり特に盛り上がりはしなかった。

「あのさ…」

陽一が口を開く。

「…正直、なんて言えばいいのかよくわかんないけど…俺、どうしたらいいかな?」

そんなことを問いかけてしまう。

誠司は膝を抱える形で映画から視線を逸さなかった。

画面の中で、名もない軍人が身体を裂かれて死んだ。

「…別にどうもしやしないよ。お前は別に男好きじゃないだろ。付き合えとかやらせろなんて言わないよ」

「…」

「黙っとこうかと思ったけど、どうにも自分の中に押し込めてんのが気持ち悪くなって…それで言っちまった。…キモいかな?」

「そんなことはっ…ないよ…」

陽一は意図せず声量が大きくなった。

「いいって、気を遣わなくても」

「そんなつもりはないけど…」

「でも、ちょっと引いただろ?」

「引く…ってんじゃないけど、ちょっと驚いたよ」

「…だよな」

テレビに男と女がアップで映り、くどいほどキスをする。

そのままエンドロールが流れはじめた。

陳腐なラストだ。

「…帰るわ」

誠司は立ち上がった。

「…電車もう無いんじゃないの?泊まってけば…」

「こんな空気で泊まれるかよ」

確かにその通りである。お互いに気不味過ぎる。

そそくさと、誠司は手早く帰り支度を済ませた。

その様子を、陽一は何も言えずに見るしかなかった。

「…じゃ、また学校で」

「…」

若者らしい散らかった部屋を、物を跨ぎながら玄関へと進む誠司。

「…あのさ!」

陽一は意を決したように声を発する。

誠司は立ち止まって陽一を見た。

「…俺、北見のその気持ちには、多分答えられないけど…でもこれからも友達ではいたいよ」

「…マジか」

誠司は意外そうな顔をした。

「正直、さっきのリアクション見た時はもう終わったなって思ったけど…お前、良い奴な。知ってたけど」

その言葉に陽一はホッと笑みを溢す。

誠司も笑った。

「そりゃないよ、北見と仲悪くなったら俺他に友達いないもん」

「それは俺もだわ。コミュ力終わってるから新しい友達作るの今更無理だし」

「だよな…これからも頼むわ」

「あぁ…変なこと言って悪かった」

誠司は玄関にしゃがみ込み、靴紐を結ぶ。

「支倉」

誠司は陽一に背を向けたまま声を発する。

「…ありがとう」

そう言うと、誠司はドアを開けて出て行った。

「…またな」

陽一はそう言葉をかけたが、誠司の耳に届いたかはわからない。




「…好きなんです」

支倉陽一は人生二度目の告白をされた。

相手はバイト先のドラックストアの後輩。

専門学生のまだあどけなさが残る女性である。

シフトが重なることが多く、仕事が暇な時などに世間話をよくしていたが、まさかそんな気持ちを向けられるとは思わなかった。

「あのさ…俺のなにが良かったわけ?取り柄とか無いし、顔だって良くないし…」

これまで陽一は女性との交際経験が無い。

中学生の時の初恋は相手に想いを告げる事も無く終わった。

浮いた話など一度も無いまま成人になった。

自分はモテないということに疑いも抱かなくなったこの段になって、その告白は青天の霹靂であった。

すると彼女はほんのりと頬を紅潮させながら言った。

「支倉さん…優しいから…」

恥じらいながらはにかむ彼女の愛らしさに、陽一はあっさりとその気になった。

二人はその日のうちに交際関係を結んだ。




「俺、彼女出来たんだよね」

チェーン店の喫茶店のカウンター席。陽一と誠司は並んでコーヒーを飲んでいた。

陽一と誠司は例の件以降もそれまでと変わりなく友達付き合いを続けた。

誠司の想いを知ったにも関わらず、特段変わらない関係性に安心しきっていたのと、初めての恋人に舞い上がっていたために、陽一は不用意に口を滑らせた。

「…誰それ?」

誠司が問う。

「同じバ先の子。俺もびっくりしたよ」

「…あぁ、そう」

かちゃり、と音を立てて誠司はカップを置いた。

その時に陽一はようやく自分の発言がデリカシーに欠けていたのでは無いかと思った。

「あの…ごめん…」

「なにが?」

「なにって…」

陽一は言葉を濁した。

その様子に誠司は笑った。

「気にしてるのかよ?いいんだって、お前だって恋人選り好む権利くらいあるだろ。そこは男とか女とか、関係ない」

「…」

店内に人が増えてきた。

カウンターもテーブルも人で埋まりはじめる。

「そろそろ行くか」

「…あぁ」




性別を抜きにして、単純な仲の良さで言えば陽一は彼女よりも誠司との方が仲が良いし、よく知っている。

しかし自分は恋人に女性である彼女を選んだ。

仮に誠司が女性だったならば、自分は誠司と恋人になることを選んだのでは無いか。

恋とは、愛とはー

陽一はらしくないことに頭を悩ませた。




恋人が出来てから、陽一は頻繁に彼女と出かけるようになった。

同性の友人とはまず行くことの無い場所、食べない食事に新鮮な感動を覚えて、それを共有する彼女のことがより一層愛おしくなる。

交際が始まってから数ヶ月経ち、夜二人で繁華街を歩く内に、自然と辿り着いたホテル。

自分には一生縁が無いかもしれないと半ば諦めていた行為。


陽一はその日童貞を捨てた。




彼女と出かけることが増えれば、その分誠司と共にいる時間は減り、彼からの誘いを断りがちになった。

大学では顔を合わせる度に、陽一は些か気不味さを覚えるようになる。

講義を聴いている最中、少し離れた席に座る誠司が視界に入る。

決して嫌いになったわけではない。変わらず友情は感じている。

しかし、少しずつ陽一の中で誠司よりも彼女に比重が傾きつつあった。

それに加えて、やはり頭に過ぎるのは、誠司の陽一に対しての想いである。

陽一は正直なところそれらに頭を悩ませるのが面倒になっていた。

自分と根本的なルールが違う誠司。

その齟齬を意識すると延々と葛藤してしまう。

気づけば彼との関係はかつてのものとは明らかに違うものになっていた。

誠司。

なぜ、あんなことを言ったんだ。

あれがなければ俺はここまでお前で悩みはしなかっただろう。

誠司。

なんで俺とお前は、ただの友達でいられなかったのだろうなー

その時、陽一のスマートフォンが俄かに振動して、画面が光った。

待ち受けに表示された通知は、誠司だった。

「今日、お前の家行ってもいいか?」




学校が終わった後、コンビニで酒を買ってから二人は陽一のアパートに向かった。

二人きりになるのは久しぶりだった。

「今日は、どうした?」

「別にどうもしやしないよ。最近付き合い悪いからたまには俺のことも構え」

誠司は冗談めかして笑った。


サブスクから適当に選んだ映画をつける。

二人は黙ってテレビを眺めた。

幸い映画はこの前のものより上等で、陽一は内心で喋らない理由を得て安堵を覚えた。

以前のように誠司と軽口を叩くのが躊躇われる。

なにを言っていいのか、いちいち考える必要がある。

陽一は変わってしまった関係性が苦痛だった。

苦痛を感じている自分自身がまた、嫌だった。

「なぁ、支倉」

唐突に誠司が口を開く。

「…なに」

「彼女とは順調か?」

「…まあ、ぼちぼち」

「普段なにして遊ぶの?」

「…飯食ったり、カラオケ行ったり」

「俺と変わらねえじゃん」

「…そうだね」

テレビの中で、派手な爆発が起こった。

「…もう、ヤった?」

誠司が静かに問うた。

陽一は俄かに緊張を覚えた。

「…なにを?」

「はぐらかすなよ…いや、これはセンシティブなことだよな。別に言いたくなきゃいいよ」

「…」

中盤の山場。

人が次々に、撃たれて、死んでいく。

「…したよ、この前」

陽一の言葉に、誠司は振り返る。

その表情から、陽一は感情を読み取れなかった。

「…支倉」

陽一の名を呟く誠司。

答えようと、口を開きかけた陽一に、突然誠司が覆い被さった。

「…っ!」

誠司は陽一の唇に、己の唇を重ねた。

咄嗟に陽一は、誠司を押し退ける。

二人は顔を見合わせて、沈黙した。

誠司は驚いたような顔をしていた。

陽一に拒絶されたことへの反応ではなく、自分の行動が信じられないというような顔だった。

「…ごめん」

誠司が小さく溢す。

立ち上がると、自分の荷物を掴んだ。

「ごめん、支倉」

逃げるように、誠司は部屋から飛び出した。




それ以降、誠司は学校に来なくなった。

連絡をしても返事は無い。

彼の家を訪ねようかとも思ったが、どうにも踏ん切りが着かず、行くことはなかった。

彼はどうしているか、気がかりではあったが、日々の学校生活、バイト、それからついに始まった就職活動に忙殺され、誠司は陽一の中で風化していった。




彼女とは別れた。

就職活動を機にバイトをやめてから、顔を合わせる頻度が減った。

たまに会っても、以前のような楽しい会話が出来ない。

些細な食い違いがきっかけの口論から、今まで互いに秘めてきた不満が噴出し、致命的に関係は険悪になった。

彼女は涙を流して、自分はかける言葉も見つからない。

その日以降、会うことも無く、連絡も取らなくなった。

明確に別れの言葉が出たわけではないが、自然と二人は終わった。




大学を卒業後、陽一は福祉業界の専門誌を発行する小さな出版社に就職した。

特に興味のある仕事だったわけではないが、そこそこ待遇が良く、給料も悪くない。

目標も取り柄も無い自分にはちょうどいい職場だと思った。

就職してからは日々仕事を覚えるのに必死だった。

だが、悪くない充実を感じていた。

その頃にはもう、別れた彼女のことも、そして誠司のことも、陽一は忘れていた。




それから5年経った。

ある日の休日、酒井祐美(さかいゆみ)は陽一の住む部屋でテレビを見ていた。

「ねぇ、陽ちゃんさ。身近に同性愛者っていた?」

「なに、急に?」

祐美はテレビを指差す。

ニュース番組の特集でLGBTについて取り上げていた。

「私、正直近くにそういう人いなかったから今のままの認識だとマズいかなって」

「…多分近くにもいるよ。昔より認知されるようになったとしても、やっぱり偏見や差別はまだまだあるだろうから、そう簡単に誰でも自分の内面なんて明かせないさ」

「そうだよね〜…」

祐美はテレビを眺めながら返答した。

祐美と陽一は3年前から付き合っている。

会社の同期で、飲み会などで会話した時に気が合い、しばらくしてからそのような関係になった。

お互いにそろそろそんな時期だろうという意識もあって、この前両親への挨拶を済ませた。

今年中に結婚する予定だ。

「もしさ、私たちにこの先子供産まれて、その子がそうだったらどうする?」

「…どうもこうも、親としては出来る限り理解したいと思うよ」

「やっぱり今のうちからそういうことも改めて考えていかなきゃだね」

「あぁ…そうだね…」




仕事帰り、なんとなく真っ直ぐ帰りたくなかった陽一は本屋に入って適当に物色していた。

もうじき自分と祐美は結婚する。

着々と予定を立てて、準備をしている。

なんだか現実味が無い。

自分が結婚。

祐美と。

祐美のことは勿論愛しているし、この先も一緒にいたいと思える相手だからこそ結婚という決断をした。

しかし、やはりその決断は大きく、そこを踏み越えたらもう戻れないというある種の取り返しのつかなさ。それに陽一はどこか恐れに近いものを感じていた。

今の暮らしに不満は無い。

生活には困ってはいないし、愛する人と新たな人生のステージへと進む。

順風満帆と言っていい。

それなのに、陽一は時折学生時代に戻りたいと望む時があるのだ。

明日のことを考えなくても気楽にやっていられた暢気な日々。

それから、そんなくだらないことを繰り返していた時期に起きた後悔を、取り戻したかった。

思い返される、誠司のこと。

忘れてしまいたかったが、自分の大学生活の半分は誠司と共にあった。

その誠司との別れは実に苦いものであった。

もう一度誠司に会いたかった。

会ってどうするか、それはわからないが、でももう一度彼と、しっかり話したかった。




気づかないうちに出ていた好きな漫画家の新刊。

それだけ持って陽一はレジに向かう。

店員からポイントカードを持っているか、やけに丁寧な言葉で聞かれて、陽一は財布の中を探してみた。

すると、ゆったりとした歩調で店から出ていく黒い服の男が視界の端に見えた。

ハッとした。

その男の横顔が、北見誠司にあまりにも似ていたからだ。

「…いいです」

「はい?」

店員は要領を得ず、問い返す。

「ポイントカード大丈夫です。会計お願いします」

陽一は冷静を装って早口で答えた。

本を受け取ると、陽一は足速に店を出た。




陽一は半ば駆けるように人混みを避けながら歩いた。

さっきの男、似ていた。

似ていたなんてものじゃない。

あれは、北見誠司だ。

久しぶりに脚を激しく動かしている。

普段の運動不足が如実に身体に現れて、陽一は息を切らした。

すると、遠くに黒い背中が見えた。

陽一はとうとう走り出した。

男の背が徐々に近づく。

「北見…」

声が漏れた。

「北見っ!」

その言葉に、男が振り返った。

学生の頃より少し髪が長くなり、少し痩せていた。

やはりその男は北見誠司であった。

「…支倉?…なんで」

誠司の顔に戸惑いが見て取れた。

「たまたま…すれ違ったからさ…つい…」

陽一は息を荒げて、なんとか言葉を絞り出す。

誠司は彼の様子を見て微笑した。

「…久しぶりだな」

「…うん、久しぶり」




二人は並んで歩き出した。

「…あれから、どうした?」

陽一が問う。

誠司は少し間を置いて、答えた。

「大学は中退してさ、それからはバイトしながら、まあ適当に…」

どことなくぼかした回答である。

あまり語りたくないのだろうと察して、陽一はそれ以上は問わなかった。

「お前は?」

今度は誠司が陽一に問うた。

「…今は、出版社で働いてる」

「へぇ…」

それから二人はしばらく黙る。

あまりにも、久しぶりに会い。

あまりにも、久しぶりの会話だった。

「お前…彼女とはどうした?」

誠司が問う。

陽一は彼女という言葉に祐美を想像したが、誠司の言う彼女とは大学時代のあの娘だろうと思い直した。

「卒業する前に別れたよ…今は…違う人と付き合ってる」

「…そうか」

会話は、どうにも弾まなかった。

気づくと、二人は駅の近くまで歩いていた。

「俺、あそこから帰るんだ」

誠司が駅を指差した。

「あぁ…」

誠司が微かに笑みを浮かべる。

「…じゃあ」

陽一から離れて、誠司が歩き出した。

「……………北見!」

陽一の声に、誠司が振り向く。

「あの…………………あの時は、ごめん!」

誠司に会った時、なにを言えば良いか。

ずっと悩んできた陽一の口をついて出たのは、謝罪だった。

「……………なんで、謝まんだよ」

誠司は立ち止まって笑う。

「その……………俺はお前に対して不誠実だったと思う、だから…ごめん!」

誠司は、若干俯くような姿勢を取り、ポケットに両手を入れた。

「…お前は………やっぱり優しいよな」

陽一は誠司へと歩み出した。

「北見…」

その時誠司は、片手を陽一の前へと差し出した。

陽一を静止させるように。

「悪いけど、支倉………もう何も言わないでくれ」

「………」

「それから………今日は偶然だったけど、お前とはもう会わない」

「………」

「大学の時は、お前がいてくれて…本当に楽しかったよ……………じゃあな」

誠司は背を向けて、歩み出した。

やがて、人混みの中に溶け、見えなくなった。




「今日随分遅いけど、ご飯いらないの?」

祐美からの電話だった。

「うん…連絡出来なくてごめん」

「そう…作っちゃったから明日の朝にでも食べて」

「うん、ありがとう」

電話が切れる。

小さな公園のベンチに座って、陽一はチカチカと切れかけた電灯を眺めた。

コンビニで買った安酒の缶を開けて、口を着ける。

度数ばかり高くて、苦い味。

久しぶりに飲んだ。

昔はこればかり飲んで、よくふざけた話をしていたものだ。

「…」

不意に、目頭が熱くなった。

終わった、いや、とうに青春は終わっていたことに、陽一は今更胸が痛くなった。

涙を流しながら、酒を飲み込む。

この酒を飲み交わし、喜びを共にする者は、もう自分にはいないのだ。


空になった缶を握りつぶして、陽一は暗闇にそれを放った。




(了)

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