金銭
三鹿ショート
金銭
交通事故に遭ったことで身体の自由を奪われたというような事態に陥ったわけではない。
たとえそのような目に遭ったとしても、それは自分だけの問題であり、世界的に見れば私がどうなろうとも大きな騒ぎになることはない。
同時に、他者がどれほど傷つこうとも、私には影響が無いということでもある。
だが、この状況は、この惑星で生活する人間全てに突きつけられた問題だった。
***
ある日、私の脳内に何者かの声が響いてきた。
幻聴を覚えるほどに、精神的に追い詰められているのだろうかと考えたが、周囲の人間もまた私と同じように困惑した様子を見せていることから、どうやら私だけが感じているわけではないようだった。
壊れた機械のように同じ言葉を繰り返すために、記憶しようという意志が無くとも、その内容を憶えてしまう。
いわく、自身が有する金銭の全てを差し出すことで、生命活動が保障されるということだった。
馬鹿馬鹿しい内容である上に、そもそも何者に差し出せば良いのかということも不明である。
しかし、多くの人間に対して同時に声を届けているということを考えると、阿呆の発言だと断じてはならないという恐れも抱いていた。
そのようなことを考えていると、私の近くに立っていた男性が、天に向かって叫んだ。
それは、己の金銭を奪われるということに対する不満だった。
まるで強盗のようだと男性が声を発した瞬間、男性の肉体は一瞬にして潰れてしまった。
頭上に鉄の塊が落下してきたかのように、先ほどまで立っていた男性の姿は消え、地面には赤々とした液体が広がっていった。
数秒後、人々は一斉に叫び声をあげた。
その場から逃げ出そうとするが、声は頭の中で響き続けるために、何処へ向かおうとも無駄なのだろう。
つまり、自分の安全を確保するためには、金銭を差し出さなければならないということだった。
だが、姿を見ることができない相手に対して、どのように金銭を差し出せば良いのだろうか。
試しにその疑問を頭の中の声に対して投げかけると、答えが返ってきた。
いわく、自身の金銭を一つの箇所に集め、そのまま指定された時間まで待てば良いということだった。
ゆえに、私は自宅へと戻り、全ての金銭を浴槽に投げ入れた。
指定された時間までは余裕があったために、私は金銭を失ってからの今後について考えることにした。
***
何時の間にか、私は眠っていたらしい。
室内が暗いことを考えると、どうやら夜まで眠り続けていたようだ。
立ち上がろうとしたところで、浴室の扉の向こう側で、光のようなものが見えた。
明かりを点けた記憶は無いために、何者かが侵入したということなのだろう。
私は扉の傍に立ち、扉が開けられた瞬間に相手に飛びかかることを決めた。
やがて扉が開けられたために、私は叫び声をあげながら飛びかかった。
顔面を何度も殴ったことで気を失ったのか、相手が抵抗を示すことはなかった。
荒い呼吸を繰り返しながら、私は相手の手足を拘束した。
このような状況のために、火事場泥棒が流行っているのだろうか。
***
目が覚めた女性は、私が睨み付けていることに気が付くと、謝罪の言葉を吐いた。
その様子は、心から申し訳が無いと考えているようなものだったために、私は彼女の態度に疑問を抱いた。
何故このような行為に及んだのかと問うたところ、
「差し出す金銭が多いほどに、生命活動が保障される可能性が高くなると聞いたのです」
それは、初耳だった。
全ての金銭を差し出すことで、必ず生命活動が保障されるのかと彼女が問うたところ、その事実を聞かされたということだった。
つまり、私のような人間が全ての金銭を差し出したところで、生命活動を保障される可能性は高が知れるということである。
だからこそ、彼女は少しでも多くの金銭を集めるために、盗みに入ったということなのだろう。
知らない方が良かったことは間違いないが、知ったからには行動を変化させなければならない。
このことを知っている人間がどれほど存在しているのかは不明だが、私のように何も知らずに時間が過ぎることを待っている人間の方が多いことだろう。
ゆえに、私は彼女の拘束を解くと、共に裕福な人間のところへ盗みに入ろうと誘った。
己に危害が加えられないということを知ると、彼女は勢いよく首肯を返した。
***
それから我々は、多くの裕福な人間を襲っては、金銭を増やしていった。
これだけの金銭を有していれば、今後は働く必要は無いのだが、全ては失われてしまうために、甘い考えは捨てなければならないだろう。
私と彼女は、それぞれの眼前に集めた金銭を置き、時間を待った。
やがて、声が聞こえてきた。
全てを貰っていくと告げた後、目の前に存在していた金銭が、一瞬にして消えた。
どのような方法を使ったのかは不明だが、超常的な存在には逆らうものではないと、改めて悟った。
全ての金銭を失った今、これからはどのように生きるべきかと考えていると、彼女が札束を差し出してきた。
全ての金銭を差し出したはずではなかったのかと問うと、彼女は口元を緩めた。
「実を言えば、あなたに語った内容は、虚言だったのです。金銭を差し出せば、誰の生命も保障されるのですが、その後の人生を考えると、隠し持っていた方が良いと考えたのです」
「しかし、厳密に言えば、きみは全ての金銭を差し出してはいないではないか」
「わざわざ一つの箇所に集めさせるということから、目にすることができる範囲のものだけが対象なのではないかと考えたのです。これは賭けでしたが、どうやら私が勝利したようですね」
金銭を集める協力をしてくれた謝礼だと差し出された札束を受け取ると、彼女は姿を消した。
私は、超常的な存在よりも恐ろしい存在を目にしたような気がした。
金銭 三鹿ショート @mijikashort
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