第6話 舅の好敵手と

 風呂に入っている間に凌が買い物に出、色々と買い足してきたらしい。

「……」

 本音を言うと、ここで腰を据えるのではなく、自分がいない間に色々と話をしたうえで、辞してほしかったのだが、どうも二人きりでは切り出せない話らしい。

 話の端々をつないで、何となく彼らの事情を察してはいるのだが、エンが切り出すのもおかしな話だ。

 だから、夕食は後回しにして、明日の準備に動き回り、ひと段落してようやく二人の様子を見たら、酒を飲みかわしていた。

 焼酎の一升瓶が二本、空になっている。

 それでもまだ、二人ともぎこちなく一言二言、会話を交わすのみで、どちらも表情が硬い。

「……どうしろと」

 水月がこもった部屋の扉をつい睨み、吐き捨ててしまう。

 本当に、どう治めろと言うのか。

 酒の席では、どんなに辛気臭い理由での集まりでも、少しは場がほぐれるものだが、今の方が通夜の夜よりも辛気臭く、暗い。

 そう心の中で断じたエンは、ふと思い当たった。

 水月は先程、けじめをつけろと言った。

 それがとっかかりになるならば、覚悟を決めるしかない。

 まあ、あの告白は食事や酒を不味くする話なのだが、エン本人は後ろめたさが少しは消えるだろうから、二人の心境など気にする必要はないだろう。

 今のままの空気で、夕食を取らなければならないのだけは、勘弁だ。

 エンは殆ど投げやり気分で、水月が買ってきた弁当を持って、二人の間に座った。

 立ち合い、仲介と言うからには、間に居座る方がしっくりくるだろうと言う考えからだ。

 ようやくやって来た優男に顔を向け、二人は露骨に安どの表情を浮かべた。

「明日も仕事なんだよな? すまないな、呼び出されるままにやってきてしまって」

 凌が柔らかい声で軽く謝る。

 それを受けてエンも首を振り、返した。

「それはお互い様でしょう。明日は平日なのですから」

 そして表情を硬くし、居住まいを正す。

「それに、後回しにしていた謝罪を、する機会がいただけたことは、有り難いです」

「? 謝罪?」

 きょとんとする大男の前で、鏡月が身を固くした。

「おい、エン。それは、場違いすぎる」

「ですが、今言わないと、次がいつになるか……」

「唐突に言われたら、何のことか分からんだろう。この人は、あの時の事情を、全く知らない」

 話が見えない凌の横で、エンは目を見開いた。

「知らない? あの子の事を、全く気にかけていないんですか、この人はっ?」

「そ、そうじゃなく……」

「あの子とは、セイ坊の事か? 気にかけていないは、失礼だな。この間……」

 自分の後ろめたさを忘れて、つい怒りが湧いた男に慌て、鏡月が取り繕おうとすると、凌が心外そうに割り込んだ。

 だがそれは、更に慌てた若者に、口をふさがれることで止められてしまう。

 両手で口を渾身の力でふさがれ、一気に呼吸を妨げられた大男は、血相を変えた鏡月の無言の制止の仕草をつぶさに見た。

 頷いてそれに了承したらすぐに解放されたが、ここまでされる理由が分からず、困惑している。

 その一部始終を見たエンは瞬時に、こちらの事情は後回しにすると決めた。

 今の二人の反応に、違和感を感じたためだ。

 もう少し考えてから、後日切り出そう。

 今は、その考える時間の確保のために、この人たちの蟠りを見出し、何とか解決に導くことにしよう。

「……分かりました。場違いな話題はやめて、そちらの話を進めましょう」

 腹をくくったエンは、穏やかに切り出した。

 突然、そう改めて言われ、鏡月が狼狽えた。

「い、いや。それより、お前たちの現状を、教えてくれ。ミズ兄とは、うまくいっているのか?」

「御覧の通りです。意外にも、普通に同棲しています」

「意外か? あいつは、適応力は化け物級だから、それくらいは簡単だろう」

 平然と答えた男に凌が返すと、エンは神妙に首を振った。

「オレの方が、あの人に適応できるか、心配だったんです。それに、普通の化け物の適応力は、皆無に等しいはずですが」

「そんなことはない。本物は、周りの馴染んだ上で、己の好きにできるもんだ。ああ、だから、化け物の中の化け物、という事だな」

 好敵手に対する評価だ。

 褒め言葉、でいいんだろうか。

 自己完結して頷いている大男を見ながら、エンは少し考えてしまった。

 褒め言葉だとしても、自分があの人に言っていい言葉では、なさそうだ。

 だから曖昧に頷いてから、現状への感想を述べる。

「……雅さんの御父上という事で、少し緊張と言うか、後ろめたくて居心地が悪い時期もあったんですが、ここに来るまででそれは、なくなったと言いますか、慣れたと言いますか……」

 とにかく、同棲生活には障りがないと答え、少し考えて続けた。

「律さんからは強く釘を刺されたので、台所には一度も立たせていないんですが、最低限の自分の事は出来る人なので、世の亭主関白気取りの人とは比べ物にならないくらい、生活に支障がないです」

「そうか。しかしあれも、不思議だよな。家では何もせず、連れ合いに何もかもさせるのを、昔の亭主がやっていたと勘違いしている奴ら。そんなの、金があって下女だの侍女だの、召使いだのがいた家での話であって、一般庶民の大黒柱が、そこまで怠け者のはず、ないだろうに。昔の本当の大黒柱達に、謝れと言いたいな」

「いやいや、そういう良心的なとらえ方も、優しすぎる」

 神妙な意見に、鏡月は首を振って鋭い指摘をした。

「昔の家は、子沢山だ。己の欲が爆発して増えた子供たちを、無駄米食らいと称してこき下ろし、労働力としてしか見ない奴もいた。犬畜生並みに子を産むと、己を棚に上げて女を責める奴もな。そういう昔の思考が、子が少なくなった今も続いているんだろう。医学的な分野の発展で、女だけで子が作れるわけじゃないと、全員が知っているはずなんだが」

「……あの、そんな重い話にして盛り上がるつもりで、例に使ったわけじゃないんですが」

 若い世代、特にそういう話を聞かせたくない者がこの場にいないせいで、地口が厳しめになっているようだ。

 困ったように窘めるエンをしげしげと見つめ、凌は頷いた。

「兎に角、何の障りもないなら、良かった」

 軽く言いながらも、心底安堵しているように見え、そんなに険悪になりそうだったのかと苦笑すると、大男は少し考えて切り出した。

「……兄上から、水月を作った経緯を、全て聞いた」

 五本目の一升瓶を湯呑に傾けていた鏡月が、焼酎を残さず注いで床に置く。

「大方は知ってる、本当は、あの、あんたのとこの老害たちを葬ったら、消えるはずだったんだって」

「ああ。共倒れを目論んでの事だったからだと、そう思っていたんだが、どうも違うらしい」

 六本目の一升瓶の蓋を抜きながら、凌は答えた。

「……今の水月の心臓の元は、あいつ本人の利き腕だ」

 一番、呪いが染みついていた部分を、そのまま使ったと兄は言った。

「そのせいか、作り出して少し成長してからようやく、記憶を取り戻した。呪いが覚えていた気配に襲い掛かることで。だがそれは……予定外、だったんだそうだ」

 兄であるクリスは、その呪いの標的である凌と、時が来るまで会わせる気はなかったと言った。

「会うのは、共倒れした後だろうと、楽観視していたと。まさか、呪いを殆ど抜き取られ、しかも共倒れしないとは思わなかったと、驚いていた」

 そう言ってから一度躊躇い、凌は重い声で続けた。

「兄上は……完全に我を失った水月を、オレが完全に消すのを、望んでいたらしい」

「は?」

 目を剝いてその後の言葉が続かない鏡月の代わりに、同じく目を見開いたエンが訊く。

「それは、呪いが消えていなければ、あのご老体たちを殲滅した後、あの人が暴れるだろうと、あなたが再び息の根を止めることで、証拠が隠滅されるだろうと思っていたと、そういう事ですか?」

「記憶が曖昧な水月は、昔のようには動けないだろうと、老害どもを相手にするのも、全力での共倒れが関の山だろうと高をくくっていた。呪いが全身を支配する前に、水月本人の命は尽きて、オレを探し回って襲い掛かるだろうと」

「?」

 話が見えずにいる男に、凌は兄に聞いた説明を繰り返した。

「呪いがついたまま作り上げた心臓は、動いている間はオレとの接触がない限りは、呪いに呑まれることはないように、作り上げたそうだ。本当ならばもう少し練り上げたうえで、多少の荒い動きや感情の起伏でも支障がないほどに、作り上げられる人なんだが、思いのほか形を作り上げるのに手間取ってしまったようで、中途半端に世に出してしまう事になった」

 呪いを引き出すことは元からできないが、そう簡単に心臓が止まる事態にならないように作るのは、朝飯前だったはずだったが、水月の場合はそれが難しかった。

「……使う部位が少なかったうえに、残った部位も利き手以外は、木偶人形にしかならないほどに、綺麗に浄化されてしまっていたらしい」

 呪いが濃いからこそ、僅かに残っていたが、唯一使えた利き手も、殆ど意思が宿っていなかった。

 これは、意志を持つ人間の身体としては、珍しかった。

「ああ……ミズ兄が生まれ育った、武人が主だったその地には死よりも、己の死後の遺体が、他者に使われるのを良しとしない一族が牛耳っていた。自分の意思が、邪念に利用されぬよう、死ぬ際には完全に思考を空にする」

 その方法は、本能に刻まれている。

 だから口では説明できない。

 残して逝く呪いを気にしてしまい、僅かに意思を残してしまったが、水月も本来ならば鏡月の母親同様、本人として蘇ることは、出来ないはずだった。

「……誤算とは言え、再び会えた。これほど嬉しいことはないのに……」

 空になった湯飲みを床に置き、鏡月は大男を見上げた。

「呪いが消えた今は、邪念に操られることには、ならないんだよな?」

「それがな……大本の呪いは、まだ残っているようだ」

 クリスが、呪いをあえて心臓の核に持ってきて、使ったからだ。

「……何でっ?」

「だから、本当の使い捨てのつもりだったから、だろう」

 細部まで入り込んだ呪いは、どちらにしても後に障る。

 それならば、弟に消させることを前提に、作ってしまおうと考えた。

「……」

「だから、今の状態は、完全に想定外で、困っているらしい」

 苦い顔で言った凌は、物足りなそうに湯呑に注いだ焼酎を煽る。

 エンも何となく、その気持ちは分かる。

 一升瓶を、ラッパ飲みして、一気に酔いたい気分になる話題だ。

「心臓の動きを止めるきっかけがはっきりしていれば、それを控えて貰うようにすればいいだけだが、それがどうやら、分からなくなっているらしい」

 少し前までは、あの老害どもがきっかけになると、そう考えられていたから、表面の呪いがなくなっても、障りはないと判断していた。

 だが、思惑に反して、あの程度では全く支障がなかった。

「呪いの大部分が解けて、力も相応に戻っていたし、兄上は、実際にあの連中を相手取ったことがなかったから、一族の者の力量を高く見積もり過ぎていた。その上、あの鬼の混血の刑事も加えると、かなり強力な討伐隊だった」

 動きを止めることなく、掃滅を終えた水月は、そのまま元の生活に収まり、何事もなく過ごしている。

 心臓の元となっている爆弾を、密かに抱え込んだまま。

「兄上の私見では、心臓が止まる要因は、激しい心身の起伏だろうとのことだった。仕事の影響で、随分活発に動いているようだから、身体の激しい起伏は、問題なさそうだ。もしくはまだ、そこまで激しい動きではないという事かもしれないが」

 今度はゆっくりと湯飲みを傾けて中身を空けると、宙でその手を止めてエンを見た。

「心情的なものが、影響するのならば、お前と生活していては、支障がありまくると思うんだが、大丈夫そうだな」

「……それはつまり、怒りで頭に血が上ったら、突然動かなくなるかもしれないという事ですかっ? しかも、そうなったらもう、水月さん本人でなくなってしまうと?」

 思わず声が大きくなってしまった。

 完全に、気安く接してしまっているこれまでの自分の言動を思い出し、血の気が引いた。

 そんな優男を宥める様に、凌は返す。

「それはなさそうだと、言っているだろう? でないと、お前さんがあいつの娘を手にかけようとした時に、無事だった説明がつかない。水月が怒りに呑まれるとしたら、あの時が最大だっただろう?」

 確かにと気を静めたエンは、また妙な違和感を感じたが、何処にそう感じたかの判断まではつかなかった。

 戸惑う男を見ながら、凌はゆっくりと言った。

「何が引き金になるのか、早めに把握したいとも思うが、無理そうだな。そういう事態になった途端、取り返しのつかないことになりそうだ。今更大人しくしておけと注意しても、無駄だろうしな……」

 注意するにしても、その理由を話さなければならない。

 恐らくは、蘇る時に様々な障りの話も、クリスから聞かされているはずの水月が、凌が全てを知っていると聞かされた時、どう反応するか分からない。

「平然とされると言うのが、一番ありそうだが、口封じを考える可能性も、なしではないからな。オレが引き金のままだったら、それでアウトだ」

 注意するつもりで、そのきっかけを作ってしまう事になりかねない。

「お前さんは、随分と複雑な状況になっているようだが、それを押して頼んでおきたい。あいつが、珍しい動きをするようだったら、それとなくフォローして、出来るだけ心身に負担がないように、してやってくれ。……昔の喧嘩仲間としては情けない話だが、あいつを斬り捨てるのは、二度とごめんだ」

 身近な者に頼むしか、できることがないと苦笑する大男に、エンは真面目な顔を作って頷いた。

「どこまでフォローができるかは分かりませんが、全力はつくします」

 真剣な話の途中で言葉を失い、黙り込んでいた鏡月が不意に呟いた。

「……絶対に、無理だ」

「? どうした?」

 突然の、絞り出した呟きを拾った凌は、六本目の焼酎瓶が、空になっているのに気づいた。

「おい、一人で空けたのかっ? あと四本しか、残ってないじゃないかっ」

「あの、なんで十本も購入してきたんですか? まさか、全て一晩で空ける気だったんですか? と言うより、それを一人で持ち込んだんですかっ?」

 目を見張った凌は、エンのつい切り込んだ問いに答えず、顔をほんのりを赤くした若者を見た。

「急にそんなに飲んだら……って、ラッパ飲みしたのかっ。オレですら我慢したのに、お前がそれをするとはっ。どんだけ荒れてるんだっっ」

 若者がぼんやりと何かを呟くのを横目に、大男は六本目の一升瓶を掲げて盛大に嘆いた。

「だって、もう、絶対に無理なんだもん。オレは、もう耐えられない」

 若者は流石に限界が近いようで、ぼんやりと呟いているその語尾が、おかしい。

「あの刀はもう消えたけど、時間が経てばきっと立ち直ると、そう言い聞かせてたのに。また、失うところを見なきゃいかねえのかよっっ。折角、あの刀と共にミズ兄がいてくれて、ともに復讐をしてくれると思い込んで来てたのに、余計なことをしてくれやがってっっ」

 見えない金の瞳が、慌てる二人の男を睨みつけた。

「しかも、又呪いで苦しみ死なせる気かっ? ふざけるなっ。そんな、関係のない奴らの尻拭いのために、何でっ」

 真っすぐな怒りに凌が珍しく怯みつつ、神妙に返す。

「……すまん。オレの尻拭いだ。水月は全く関係がないのに、巻き込まれただけだ。矢張り、オレがあいつを、責任もって地獄に返すのが、一番いいか」

「だからっ」

 いつもののんびり口調がはがれ、鏡月は焦れたように叫んだ。

「何でそっち方向に覚悟を決めるんだよっ。何で、大本の呪いをどうにかする方法を、見つけてくれないんだよっっ」

「落ち着いてくれ、オレは、そんなに器用じゃないんだっ。それこそ、器用な奴を巻き込まない事には……」

「巻き込めばいいだろうっ。オレからも頼んでやるから、土下座してでも了承させろよっ」

 鏡月は大男にしがみつき、次いで胸ぐらをつかんでいた。

 しがみ付くだけで済ませておけば、少しは色のある話にも見えるのだが。

 そんなことを考えながらも、エンは二人に言葉で割り込んだ。

「その辺りの話は後ほど、その器用な者たちを交えて、話しましょう。先に、鏡さんの空元気をどうにかしなければ、そちらには移れないんです」

 先送りだけが増える事態は、ごめんだ。

 だからエンは、強引に話を進めることにした。

 突然、全く別な話題を出された二人は、一瞬呆気にとられたが、鏡月が先に我に返った。

「ふざけるなっ。ミズ兄の命の問題と、オレの事、どっちが大事なんだっ?」

「正直、どちらも、どうでもいいです」

 エンは、穏やかに言い切った。

「オレが気にしているのは、今の所一つだけです」

 穏やかに笑う男の前で、怒り任せに怒鳴った若者は、その言葉で一気に冷えた。

 そんな鏡月を見つめながら、エンは穏やかに続けた。

「それには、答えを出してくれないんですよね? ならば、もうお引き取り願いたいんです、本当は」

「っ」

 声を詰まらせた若者に、エンは確かめるように尋ねた。

「あの仕込み杖の中身が消えたのが悲しいから、それを隠すためにわざとらしく元気を装っているという事で、間違いないですね?」

 また黙り込んだ鏡月に、男は穏やかにも容赦なく続ける。

「ロンから聞いた話と、最近解決した件を絡めて、オレなりに予想はしているんですが、間違っているならば、すぐに訂正願います。あの変わった色の刀は、そこの凌さんとの間にできていたはずの、お子さんですか?」

 歯に布着せぬ問いに、若者だけではなく凌まで絶句した。

「お、おい。な、何を言ってるんだっ?」

 混乱する大男など目も向けず、返事が出来ない鏡月を見つめ続ける。

 否定の仕草もないのを見て取り、一度頷くと再び言った。

「そこの旦那は、血筋を残しにくい家系だと聞いていたんですが、それだと、色々とおかしいですよね? オレも自分の勘を信じ切ってしまっていて、この可能性を考えすらしなかったんですが、もしやセイは、この人の子ではないんですか?」

 それはないと、自分の勘も周囲の者たちの勘も言っている。

 だが、血筋問題の前提が、完全に間違いでないと言われているのならば、疑うしかない。

 鏡月との間に子を儲けた凌が、他の女との間に子を儲けた。

 奇跡でないのならば、全く違う答えが浮かび上がる。

 正真正銘、あの狼と女の間にできた子供であるという、これも奇跡のような答えだ。

 どちらも奇跡ならば、得体が知れている獣の本能が薄れている可能性の方が、あり得る。

 なんせあの夫婦は、蘇った後に娘を儲けることができたのだから、その前にも奇跡的に儲けられていても、おかしくはない。

 今迄、仲間内で堂々巡りしていた疑問を並べたエンに、凌が静かに答えた。

「……セイ坊は、オレの子だ。間違いない。オレは元々、そんな規約は知らない。だから、こういう事態になったんだろう」

「……」

「馬鹿な想像は、やめてくれ。本当に、怒らせたいのか?」

 静かに怒気を孕む大男を前に、エンは微笑んだ。

 そして、最近聞いたある事実を、静かに告げる。

「こんな個人的なこと、他人のオレの口から言うのもどうかと思うんですが……ゼツから聞いた、ライラさんの話です」

 狼夫婦が成人して結婚後の数年、二人の間には子が出来なかった。

 矢張り、蘇り族には子は無理なのかと、そう諦めつつも医者にかかった二人は、ようやく事実を知った。

「……検査の結果、ライラさんの方に、欠陥があったんですよ」

 子宮に、卵子をとどまらせることができない。

 それこそ、蘇りの弊害かと、夫婦は落胆していたが、ゼツの意見は違った。

「昔から、あの女性には子を宿すことは、できなかったのではと、ゼツはそう見ていました」

 実はこれは、随分前から疑問視されてきた問題だった。

「嗅覚が利く獣の知り合いは、ライラさんをセイの母と紹介されるたびに、一様に首をかしげます。あまりに、面影も血の片りんもないと。あなたの血が濃いからだろうと言うのは、ロンの言い分と言うよりも、言い訳です」

 言い訳しなければ、説明がつかないからだ。

 伴侶との子は望めなかった当時、他の男の子を一度で宿そうという執念があったのではと予想できるほど、今度こそは伴侶の子をと願うライラは、根気よく治療を受け、無事に娘を授かった。

「治療を重ねてようやく、子を授かれた人が、たった一度あなたと契っただけで身籠るなんて、おかしくないですか?」

「……執念は、時々恐ろしい結果を生むことがある。その時々に当たったんじゃないのか」

 含みのある問いかけだったが、凌は話の先行きが見えずに慎重に答えた。

 そんな大男から、再び鏡月へと目を向けたエンは、静かに切り出した。

「あなたが長く持っていたあの刀と同じ運命を、あの子にも辿らせてしまったことは、申し訳ないと思っていますし、許されようとも思っていません」

「?」

 困惑していた凌が、怪訝な目をしてこちらを見ているが、それは見ぬふりをして穏やかに続けた。

「失ってしまった命は、もう戻らない。だが、慕っている人は、今でも取り戻せるはずです。さっさと告白して、がんじがらめにして、捕まえてしまってはどうでしょう」

「な、何を言っているんだ? 話が全く見えないんだが……まさか、まだ……」

「もう、駄目だろ、それは。手遅れだ」

 戸惑って口走ろうとする大男の声が、鏡月の湿った声で途切れた。

 ぎょっとして振り返る凌の前で、七本目の一升瓶の栓を乱暴に開け、見えない目でエンを睨む。

「この人は、あんな非道なことをした女を、今でも慕っているんだ。オレが入る隙なんて、何処にもないんだよっっ」

「? ? 何のことだっ?」

 叫ぶ若者に目を剝き、その手にある一升瓶を口に当てようとするのに気づき、慌ててそれを奪う。

「もうやめろっ。これ以上は、歩けなくなるぞっ」

 揉み合うむさ苦しい二人を眺めながら、エンは首を傾げた。

「確かに、あの狼さんは非道なことをしましたが、奥さんの方はそうでもないでしょう? 口車に乗っただけで」

「媚薬使う女が、非道じゃねえとっ?」

 若者が勢いで吐き捨てた言葉に、他の二人が固まった。

「……え? 媚薬って……」

「お前、何でそれを……って、いや、それは、カスミの想像であって、本当に盛られたかは分からないんだっ。誤解するなっ」

 言葉がうまく出なくなったエンに代わり、凌が目を剝いて喚き返すと、鏡月は首を激しく振って言い切った。

「本人が、暴露したんだよっ。しかも、媚薬を売ったと言う証人もいる」

 固まった大男と、肩で呼吸を繰り返す若者から別なものに目を向け、エンはしばし動きを止める。 

 そこには、シュウレイが手土産として持ってきた、小さな紙袋があった。

「……とても、聞きづらいんですが、まさか、その売人は……」

「お前の、腹違いの兄だよっ」

「……セキレイ、が? ライラに媚薬を売ったのかっ?」

 混乱した凌は、不意に思い出した。

 今は新しいコマーシャルになっているが、セキレイの会社のある商品の宣伝で、ライラが登場していた。

 真実味のある経験談として、媚薬の効果を説明していたのを、名役者だと感心してみていたのだが、それはもしや……。

「実体験、だったのかあっ? あの女っ、恥ずかしげもなく、よくもあんな……」

 屈辱と嫌悪が、今更ながらに思い出され、大男が悶絶している様を見て、エンは頷いた。

「慕ってはいないですよ。大丈夫です」

「……何で、そういう率直な感想しか、出てこないんだお前は」

「そりゃあ、あなたの空元気をどうにかするのだけが、オレに与えられた課題だからです。色々と真実が明るみになることで、セキレイさんが危機にさらされようが、狼夫婦が絶命まっしぐらだろうが、関係ありません」

 そこまで殺伐としたところまではいかなさそうだが、例えとしてそう答えた。

 ひたすら、羞恥を思い出して喚いている大男に、優男の穏やかな声が念押しで確認する。

「そこまで非道なことをされているのに、恋い慕っているんですか? 未だに?」

「分からんっっ。酒の勢いだったが、ライラの中に昔の女と似たところがあって、好意を覚えたんだろうと思ってたんだっ。だが、媚薬だとっ? カスミの言っていたように、本当に、狼にだまし討ちにあったのか、オレはっ?」

「昔の、女。ほらな、やっぱり、誰かいたんじゃないかっ」

 喚き続ける大男を指さし、今度は鏡月が叫んだ。

「……もう少し、声を抑えてください。近所迷惑です」

「やっぱり、オレが入る隙は、何処にもないようっっ」

 どうして、収拾がつかないんだろう。

 とうとう泣き言を言い始めた鏡月と、頭を抱えて過去を思い返して悶絶する凌を前に、エンは天井を仰いだ。

 事を治めるどころか、大きくしてしまった気がする。

 気が急いて話を進めようとしたために混乱し、二人はそれぞれ、自分の思いに流されてしまっている。

今夜はもう駄目だと、諦めた。

 潔く、降参しよう。

 後は、二人をよく知る水月に、押し付けてしまおうと、エンは心に決めた。

 そう決意したら気が楽になったのか、それに気づいた。

 ベランダに続くサッシ戸のカーテンに、耳の長い生き物の影が映っていた。

 雨具の影ではなく、明らかに生き物の仕草のそれを見つけ、そっとベランダの方へと膝で進む。

「……あちらの話は、終わったんですか?」

 サッシ戸を開けて声をかけると、ベランダで黄昏ていた兎は振り返り、首を振った。

「検討することで終わった。つまりは先延ばしだ」

「こちらも、そうなりそうですが……」

 何故、兎の男だけベランダにいるのかと言う疑問に、兎はあっさりと答えた。

「濡れ場が始まったんで、逃げてきた」

「濡れ場? 誰と……ああ、成程。それは、ご苦労様です」

 明日の朝は、また大変そうだと思いながらの返しに、兎は首を振った。

「水月にとっては、大変でも何でもない。どうせ疲れるのは、女の方だけだろう」

「疲れるか否かの話ではなく、洗濯物は各自ですると決めているんです。平日に布団のシーツを洗うのは、結構目立ちますので」

 年頃の二人が、各自の洗濯をまとめてやるのも、おかしいだろうと言う理由での取り決めだが、客観的に見てそう納得しただけで、二人ともその辺りに頓着していない。

 だが、意外に真面目な水月は、その取り決めを守ってくれていた。

「平日にその気になった水月の責任だから、お前が気にすることじゃない。それより……どういう状況だ?」

 部屋にいるうちの二人が、それぞれ荒れている様を見やり、兎が短く経緯を訊く。

「実は……」

 これ幸いと経緯を話すと、最小身長の男は天井を仰いでから、凌に声をかけた。

「旦那、その、昔の女とは、誰の事だ?」

「あ? ウノ? お前、向こうにいたんじゃなかったのか。と言うより、随分ご無沙汰だな。死んだと聞いてたんだが?」

「ああ、それは後だ」

 我に返った大男の、矢継ぎ早の問いはあっさりと流し、兎は答えを促す。

「はっきりと、ここでその昔の女とやらの、名を出してみろ」

「そうだよっ。まだ元気な女なのかっ?」

 ずばりと聞かれて、口ごもる凌に管を巻く鏡月の声は、既に泣きそうに響いている。

「そ、それは、言うわけには……」

「何でだよっ。オレに言っては、不都合な人なのかっ?」

「本人に、しかも、今は女じゃない奴に言っても、変態みたいじゃないかっ」

 あれだけ飲んだのだから、少しはそうだとは思っていたが、少しどころか意外に酔っているようだ。

 大男は、完全に本人に告白しているのだが、相手はそうは取らなかった。

「ほ、本人が、この部屋にいるのかっ? じゃあ、そいつにしっかりと告白してやれようっっ」

「だから、無理だって、言ってるだろうっっ」

「……ああ、本当に収拾がつかんな」

「はい」

 原因は、どう考えても飲み過ぎだ。

「何で、十本も焼酎を仕入れてきたんでしょうね」

「酔わんと出来ない話になるという予想は、あったんだろう。これでは告白し合っても、素面に戻ったら双方、覚えていないかもしれんぞ」

 兎の見解と、エンの見解は同じだ。

 エンは溜息を吐いて、静かに尋ねた。

「話の流れから、予想はできたんですが……矢張り、そうなんですか? セイは、この二人の?」

「ああ。経緯が謎過ぎて、そういう結論を下すのが遅くなったが、オレもそういう答えに行きついた」

「そう、ですか。この手の事の鈍さが、二人分遺伝してたんですね」

 道理で、あれだけの色事に関わっておいて、全く無知でいられるはずだ。

 げっそりとして見えるエンを見上げ、兎は全く別なことに気付いて溜息を吐く。

「……褒美にするはずだったんだが、気づいてしまったか?」

 含みのある問いに苦笑し、小柄な男を見下ろす。

「代わりに、教えてください。どうせ、確認はできないんでしょうから。……元気、なんですよね?」

 主語は曖昧に、しかし明らかに誰の事を問うているのか分かる。

 兎はそんなエンの問いに、頷いた。

「……そう、ですか。いつ許しが出るか、分からないので、言伝だけお願いします。……すまなかったと」

「こちらも、お前が気づいたら謝罪を伝えてくれと、そう言われていたんだが。これも、先を越されたな」

 苦笑する兎に力なく笑い返し、エンが答える。

「オレも、同じように信じていたつもりでした。それなのに、あのざまですからね。あいつが反省して謝罪するより、オレの方が反省して改めるべきでしょう」

まずは、我を失うより先に、目の前の女を安全な場所に移し、あの子の生死を確かめに戻るべきだった。

「……それはそうなんだが、お前さん、何であの時、セイ坊が負けたなどと、思い込んでしまったんだ? オレほどあの子を知らなかったなら、兎も角」

「それは……」

 やんわりとした太い声の問いに、反省しきりなエンは答えようとして我に返った。

 尋ねた声が、兎と違う。

 顔を上げると、酔いつぶれた鏡月に膝を貸し、膝枕で眠る若者の頭を撫でながら、胡坐をかいて首をかしげる凌がいた。

 一時期の動揺が去り、冷静になった大男は、まだまだ素面だった。

「ん? それは?」

「いえ。色々と、心配だったことがありまして。それが現実になったんだと、そう思ってしまったんです」

 いくら何でも弟分の弱点を、勝手に教えるわけにはいかないと、何とか誤魔化す。

「蓮が、あの紛い物を取り込むこと自体が、心配だったようなことを言っていたんだが、それが関係あるか?」

「ええ、まあ」

 曖昧に頷く男に、一応納得したように頷いて見せ、やんわりと笑った。

「お前は、あの子が死んだと思ってしまったのか。だから、さっきは謝罪する気だったんだな?」

「はい」

 力なく頷くエンに、凌は太鼓判を押した。

「心配しなくても、あの子は元気だった。邪魔されても口から奴を取り込もうとするほどに」

 それはそれで心配だったが、神妙に聞いている男を見やり、少しだけ空気を固くする。

「お前さんたちが消してしまったものが、本当にあの子本人の最後の欠片だったのならば、その時は、冷静じゃなかっただろう。カスミや水月の子でも、容赦する気はない」

「当然です」

 うなだれる男にきっぱりと言い切り、天井を仰いだ。

「そうやって、あの子の心身を心配してくれる奴が、一人でもいるのは嬉しいが、何事も限度がある。お前さんは、まだ子孫を残すことができる立場なんだから、程々にな。思い込みだけで狂うのは、迷惑だ」

「はい」

 耳が痛すぎる。

 うなだれたまま反省するエンをそのままに、凌は鏡月から取り上げた焼酎瓶を口に当て、そのまま一気に中身を飲み干す。

 そんな二人の会話の間に、人間の姿となった兎は、先程着ていた衣服で身づくろいし床に座ると、まだ未開封の焼酎瓶に手を伸ばした。

「どうでもいいが、そろそろ夕飯食え。この人の相手はしておくから」

「はあ……」

 もう、食欲がなくなっているのだが、エンは何とか答え、冷めきった弁当の蓋を開けた。

 そんな男を前に、大小の男はそれぞれ一升瓶片手に、話を弾ませる。

「なあ、今、話してた事を全てまとめると、とんでもない答えに行きついたんだが、これは、そういう事なのか?」

「ん?」

「鏡月が持っていた仕込み杖の中身がオレの子で、ライラとの間には子が出来ないはずだったという事は……セイ坊は……だが、それだとおかしいだろう? どうやってセイ坊は、鏡月からライラに? 当時二人に、接点はなかっただろう?」

 当然の困惑に、兎はあっさりと答えた。

「だから、あんたが媚薬を使って襲われたときに、入ったんだろう」

「?」

「まず、一度目の子ととられたのがトラウマになって、鏡月はセイ坊を手放したんだ、あんたに」

「……どうやって?」

 恐る恐る尋ねる大男に、面白そうに笑いながら兎は答えた。

「どうやってって、子を作る方法と、一緒だったんじゃないか? そうでないと、あんたの体に移すなど、出来ないだろう」

「ま、待て」

 強い口調で制止をかけられたが、兎の方は言い切っていたからそのまま黙り、頭を抱え込んで考える凌を見守る。

「……水月を死なせた後、オレは三日ほど動けなかった。傷は一晩で治ったんだが、何故か、力が抜けて……まさか、そういう理由で?」

「ああ、生気を抜かれたか。体力が残っている時ならば、相思相愛で気が合う者同士は、双方が満足できるらしいが、重傷人に夜這いは、命取りだもんなあ。動けなくなっただけで済んで、良かったな。と言うより、恐らくはカスミも、手を貸してるな」

 また悶絶しそうな真実だったが、凌は持ち前の精神力で立ち直った。

 そうして、溜息を吐く。

「……オレが、好いた女と一緒になって、子を儲けて幸せになることを、願っていてくれたんだな、こいつは」

 なのに、子供は狼にとられ、瞬く間に不幸のただなかに落とされた。

 それに長い間気づかず、男本人は全く別な人間の子供を、可愛がる始末だ。

 凌は、苦い顔で溜息を吐いた。

「そりゃあ、怒るなというのが、無理か」

「そのことを踏まえた、先の質問だ。あんたが言っている、昔の女と言うのは?」

 兎が意地悪く訊くと、大男は力なく答えた。

「お前が、想像している女だ。本人を前に言えるほど、オレは場慣れしていないんだ、察してくれ」

「いや、さっき告白してただろう? そいつ本人は、分かっていなかったが」

「それで、いいんだろう。何もかも、今更だ。告白して、もしとんでもない誤解をされたら、今度こそ立ち直れない」

 言い切ったその意が分からず、首を傾げた兎に、食事を手早く終えたエンが補足した。

「今の鏡さんは、男性ですからね。未だに思っていると言われれば、引いてしまいますよ。女として想像していると思われるならまだいいですが、今の姿でも妄想できると誤解されたら、大変ですからね」

「ああ、それは……オレも、軽蔑対象だな。そんな執着をされては、ドン引きだ」

 そういう誤解をする子ではないが一応頷いて、ふと思う。

「……あいつは、どういう慕い方なんだろうな」

「え? 誰の事ですか?」

 兎が思い浮かべたのは、元相方の事ではないと、表情で察した男の問いに、小柄な男は首を竦めた。

「さあな」

 曖昧に笑って返し、これからの事に話を移した。

 今夜はここに泊めて貰う事になり、エンの部屋のベットに鏡月を寝かせ、残りの二人の客は、この共有の部屋にごろ寝することにした。

 飲んだ空瓶も食器類も片づけた、広い部屋に長々と伸びた兎は、ふと思い出した。

 もう一つ、心の端に気になっていたことがあったのだ。

「……今度でいいか」

「ん? 何だ?」

「いや、一昨日会った律が、少し気になったんだ。まだそこまで切羽詰まってはいないようだが」

 この問題はどうせ、本人が切羽詰まったら、水月に相談しに来ることだろう。

「切羽詰まるのは、大前提のように聞こえるな」

 凌が同じように長々と寝そべりながら言うと、兎は大きく頷いた。

「十中八九、詰まるだろう、あれは」

 なんせ、先程話題に出た、伴侶云々の問題なのだから。

 切羽詰まらない方がおかしいと、そう言い切れた。

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