第3話 昔馴染みと

 うちの娘婿候補は、老人受けする。

 人にもよるだろうと高をくくっていた水月は、ここに来て早々その考えを改めざるを得なかった。

 ここの保育園の給食を請け負う調理師は、若い頃から料理の道に進み、下積み時代からコツコツと場数を踏んで、努力の末にこの地に流れ着いた。

 一見、落ちぶれて行きついたようにも見えるが、このご老体の出身はこの地の孤児院で、恩返しの意味でその施設の附属である保育園に、奉仕していると聞いた。

 子供たちの成長を願い、栄養と美味しさを重点に置いた料理を出すことを、今では生きがいにしている老人を、エンは三日もかけずに誑し込んだ。

「いや、誑し込んだって……そんなやましい言い方は、傷つきます」

 心底感心してそう言ったのに、当の本人は困ったように反論した。

「料理に関しての教えは、いくつになっても興味深いので、真剣に受けているだけなのに」

「それは、結構なことだ」

 そういう水月は、料理に関する教えを受ける男を調理師に預け、外の警備を怠らない。

 何処から湧いてくるのか、例の児童を狙ってくるものが後を絶たず、こちらも意外に忙しい。

「二度目はないと脅したら、毎回違う奴がやってきている。いつ尽きるやら」

「それだけ大きな群れだという事ですね。いっそのこと、そこを襲撃した方が、早く終わりそうですね」

 勿論、群れだからと皆殺しするわけではない。

 温和に生活している者もいるだろうから、それをより分け、断りを入れて了承してもらう必要があった。

 遺恨を後に残さぬようにするには、気の長い努力がいる。

 エンの意見に頷きつつ、水月はそう指摘する。

 今は領地争いも、やり方によっては酷評される時代だ。

「随分、遠くまで来たもんだと、しみじみ思うな」

「後ろめたさと戦いながら、それでも楽しんでいた時代が、懐かしくなってしまいます」

 意外なところで意見が揃った二人は、外部と相談しながら仕事に励み始めた。

 その一週間後、全く違う火種が降りかかるまでは、比較的平和に過ごしていたのである。


 火種は二つ。

 一つは、エンが原因だ。

「……相談位なら、いつでも受けるとは言ったが、こんなところにまで持ち込まなくても、良くないか?」

 ここに来て、初めての休日にやって来た客の一人にエンは穏やかに、しかし緊張しながらとがめる声を出した。

 緊張しているのは、隣に座る男のせいだ。

 そして、とがめるように言ったのは、単に取り繕いのためだった。

 向かい側に座った客は、二人だ。

 今日の客は、三人の女性と二人の男性で、内女性二人は別な従業員の客で、ここにはいない。

 その付き添いがてらにやって来た大男は、何やら悩みがあるようで、それを水月に持ち掛けにやって来たと聞いた。

 主家の跡継ぎに関しての相談にしては、落ち着きがないように見え、そちらも気になっているのだが……。

 水月の娘である雅が、持参していたメジャーを仕舞ながら、父親の隣の席に腰を落ち着けた。

 先程まで、大男の誉の隣に座った、エンと同じくらいの上背の、薄い髪色の男と向かいに座る男との間の距離を測っていた。

 ここが、保育園の食堂だったら、完全にまずかった。

 エンは内心冷や汗をかきながら、顔を強張らせて座るリョウを見た。

「保育園は、子供に合わせた作りだから、全体的に小さいから。ここなら、ぎりぎりの距離だね。……残念ながら」

 優しく微笑んで言った雅だが、最後が恐ろしい。

 そう思ったのは、エンだけではない。

 その恐ろしさを受けたことがあるリョウ本人も、音を立てて椅子を引いた。

 社宅に近いこの寮だが、一階は広くあけ放たれ、長机と椅子が並べられるようになっている。

 所謂談話室の作りで小さなキッチンもついており、大人数の来客を受けるときも、気楽に使う事が出来た。

 今日はその部屋に、壁に立てかけられた長机と椅子を出し、接客を始めたところだ。

 縦長で向かい合うと遠すぎるので、二台使って距離を作ったのだが、不審がられてもそれをやってよかったと、エンは心底思う。

 流石に雅も、父親に水月に自分の黒い歴史を話すことはないだろうし、リョウも肌でそれを話すのは不味いと感じているのだろう。

 余計なことを言わず、身を縮めて挨拶した。

 そのお陰で、ほまれの方は少し不思議そうだが、気になるほどではないらしく、普通に挨拶をし、水月の方はそんな男女の様子を目で交互に見ながら、小さく鼻を鳴らしただけだった。

「お前がオレに、相談と言うのも、珍しいな」

 水月が誉に声をかけると、大男の姿をした世にも珍しい獣は頷き、躊躇いながら切り出した。

「ウノの生まれ変わりを、見つけた……と思うんですが、その本人が、否定するんです。私には、覚えていなくて否定されているのか、本当に違うのかの判断が、できません」

「……そうか。で?」

「律にも相談したんですが、その判断をつけかねないと言われまして。あなたならば、もしかしたらと」

「オレでも、それは無理だ」

 きっぱりと言い切る男は、内心どうなのか判別が出来ない。

 エンは、内心矢張りかと思っただけだ。

 あれだけ近くにいるのに、この獣が気づかない方が、おかしいと思っていたのだ。

 こういう話は、本人たちの間で、じっくりと話し合ってもらいたいものだと思う。

 エンはどちらかと言うと、リョウの相談の方が気になっているため、その話は聞き流していたのだが。

「だから、そっちはこいつに任す」

 突然、水月がそう続けた。

 雅とは逆隣りに座った男を肘で小突き、こちらを見た舅候補は、目を細めた。

「偏見のない目で見るなら、適任だろう?」

「……オレも、偏った目で見る自信が、あるんですが」

「だか、オレほどじゃないだろう。頼むぞ」

 反論する間もなく頼まれ、返事を躊躇う間に、水月はリョウの方に目を向けていた。

「で、そっちは? 確か、ロンの旦那の所の娘の、婿だったな?」

「は、はい。挨拶が遅れてしまい、すみません」

 真っすぐ見据えられて怯んだリョウだが、逆にそのはずみで、いつもよりも気安い言葉遣いで返してしまう。

 そうして、睨む雅に気付いて震え上がった。

「ここには、何の用だ?」

「立ち合いを頼みたいと、思って来たんですが……」

「なら、こいつじゃなくても、構わないだろう?」

 真っすぐに返され、リョウは少し詰まったが、すぐに言い返した。

「身内の問題なので、出来れば外に漏らしたくないんです」

「……まさか、拗れているのかな? ユメさんもリンさんも仲がいいんだから、旦那さん同士も、譲った方がいいんじゃない?」

 優しい女の声に、リョウは大げさに体を跳ね上げる。

 怪訝な顔をした水月が、その理由を尋ねる前に、消えいりそうな声で男が答えた。

「拗れるも何も、まだ何の話も出来ないんだ。……向こうの親と、こっちの保護者たちのせいで」

「?」

 保護者?

 リョウもその女房も、ついでに話し合いをする相手側も、成人して長いのに、何故?

 不思議そうに首を傾げた父親の両隣で、娘とその婿候補が仲良く声をそろえた。

「ああ、成程」

「? 何だ?」

「いえ。あの保護者たちが出てきたのなら、話し合いは難しいですね」

 あっさりと言い切ったエンは、笑顔で水月を見た。

「ですから、あなたに丸な……いえ、お任せします」

「もう少しとりつくろえ。言い直すのが、遅い」

 わざとらしく途中で言い直した男を睨み、説明を求めると穏やかに言い訳が返った。

「実は、保護者が恐ろしく複雑な人たちで、ロンにすら手こずるオレには、ちょっと荷が重いと思うんです」

 正直な話、半信半疑どころか、完全に疑っていたが、誉の方を押し付けると決めたのだから、余った方がそちらに向かうべきだろうと、水月は頷いた。

 そして、そこで湧いた複雑な感傷で、しんみりとした一日を過ごすことになる。


 リョウは、婿養子と言う立場のため、ユメの苗字を名乗る場が多い。

 英国では名の知れた名医と知られているが、身内や身近な者からは、別なことで名を知られている。

 そのうちの一つが、ユメが身籠るのと同じ時期に、もう一人の女と間違って情を交わし、子をなしてしまった、クズな男としての名、だった。

 一年前、彼の子供たちが、若干の計画のズレはあったものの、無事顔合せ出来た。

 だが、ユメの息子である由良ゆらは、真実を知らぬまま親しくなっている状態なのだと言う。

 ユメからそう相談されたのは、卒業旅行と並行して行われた顔合わせから、一月ほどたったころだったのだが、こちらの和解の方が先ではないかと、伺いをたてられたのだ。

 リョウとしても、そこまで邪見にするほど、不倫関係になってしまった旧姓増谷ますたにリンも、その旦那も嫌っていない。

 だから、すぐにその手はずを整えたのだ。

「……我々がそうでも、あちら側がそうとは限らないと、最大限の保険はいると思いまして、互いの親を立会人として連れてくることで、話がまとまったんですが……」

 その立会人たちが、自分たち以上に問題となってしまい、今回五度目の会合なのに、何も話が進まなくて困っていると、リョウは説明した。

 今回も、そうなりそうだと、リョウ夫妻は諦め顔だ。

 いや、相手側の河原巧かわらたくみ、リン夫妻も同じような顔つきで溜息を吐いている。

 成程な。

 これは確かに、保護者の方が、大問題だ。

 双方の保護者がにらみ合う間に座り、水月は納得していた。

 話し合いの席は、今回三度目の場所だ。

 一番初めと、本日の前の場所が、この山奥の屋敷然とした平屋の一室だった。

 二回目と三回目の話し合いの場は、この家の住民が不在であったため、近くの喫茶店で貸し切り状態で行われたが、この二度の会合よりも更なる修羅場があったと言う。

「今日、話し合いが進まないならば、仕方がないから保護者は何処かに埋めてやると、ここの住民が請け負ってくれたんですが、どういう埋め方をされるかで、その後の話し合いも進まない可能性もあるなと思いまして」

 エンを無謀にもここに呼ぼうとした訳は、これだった。

「あいつに、うちの保護者たちを埋めるとき、いい具合にするように言い含められるとしたら、エンしかいないと思うんですよ」

「……それは、了承できないな」

 向かう道中でリョウの説明を受け、判断が正しかったと、内心安堵する。

 住民が在宅というならば、エンを向かわせるわけにはいかない。

 更なる修羅場が、出来上がりそうだからだ。

 恐らくは雅も、それに近い理由で寮での留守番を申し出たのだろうと気づき、それにも安堵してしまう。

 親として、一緒に出掛けるのを嫌がられたと考えるのは、少し寂しかったのだ。

 会合場所につき、客として招かれたそこに集まった保護者達は、少し考えればそう言えばそういう関係だったなと、納得する人物たちだった。

 真倉まくらユメとリョウの保護者は、言わずと知れた褐色の大男だ。

 娘の母であるコハクは、出歩くのにも限度があり今日も不在だったが、代わりにリョウの後見人が二人いた。

 そのうちの一人は、緋色の髪に翡翠色の瞳の、長身で色白の男。

「……」

 水月が会うのは、数百年ぶりだ。

 相手の方も目を剝き、失礼にも指をさして喚いた。

「お、お前っ。何で生きてんだっ?」

「話せば、長いから、ノーコメントだ」

 短く答え男ヒスイの隣を見ると、同じ色合いの小柄な女が、逆に目をそらした。

「……あんた、事情を知っているなら、代わりに教えてやってくれ」

「い、いいのか? クリスには、一部始終聞いているのに」

 女メルの遠慮がちな問いかけに、水月はある男を思い浮かべて毒づきそうになった。

 一部始終という事は、こちら側の者が知らないことも、メルは知っているという事だ。

 蘇る経緯位ならばと言いかけたが、ヒスイの表情を見てそれは無理かと思い直した。

「……どうせ、そう何度も顔を合わせる間柄じゃない、か。こちら側に漏れないなら、それで構わん」

「わ、分かった」

 そんな話をしているうちに、河原夫妻の方も、保護者とともにやって来た。

 ぞろぞろと応接間にやって来た面々を見て、水月は珍しく素で驚いてしまった。

 廊下側に襖をあけざま、その客の一人が言う。

「……また、性懲りもなく、お前が出張ってんのかよ」

 受けたのは、ヒスイだ。

 目を据わらせて返す。

「ああ? それは、こっちの台詞だ。いい加減、子供たちの話し合いの邪魔は、やめろ」

 それに苦々しい笑いを立てたのは、河原巧の父親だった。

「はっ。あんたがそれを言うか? あんたが出張ってこなきゃ、穏便に話は済んだんだよ。あんたみたく、子にまで己の偏った嫌悪を押し付けるほど、オレたちはガキじゃねえんだよ」

「……どちらも同じに見えるんだけど、そう言っても火に油を注ぐだけなのよ」

 ぽつりと、水月のすぐそばに座ったロンが呟くが、それに返事する余裕がまだない。

 現状の把握に、珍しく時間が必要だった。

 部屋に入りしな第一声を発したのは、カ・セキレイだった。

 まずそれに驚いてしまったのだが、その子が一緒という事に気付き、次々とその係わりを思い出した。

 河原巧は、カ・セキレイの唯一の伴侶が残した、カ・コウヒの息子だ。

 そして、そのコウヒは、ヒスイの実の息子。

 セキレイの伴侶は、息子のれんとともに何者かに連れ去らわれ、身売りしている時にヒスイと出会い、コウヒを授かった。

 つまり、セキレイとヒスイは、時を跨いだ恋敵と言う奴で、顔を合わせたら角を突き合わせてしまうのも、無理はない。

 コウヒはコウヒで、父親が自分を探しもせず、母親の死すらも気にしていなかった事実に、含みを持っている事だろう。

 それに加え、随分長い間、コウヒの兄を、己の息子と勘違いし、何かにつけてちょっかいをかけていたことも、事をややこしくしていた。

 これでは、本来の話し合いの前に、修羅場が出来上がってしまうのは、当然だった。

「……呼ばないようにしても、何故かこういう時だけ勘が働くみたいで、予約なしにやってきちゃうのよ。二度ほど、場所も変えてみたんだけど……」

 事が大きくなっただけだった。

 ロンが疲れたように説明し、溜息を吐いた。

「まあそれは、あの狼の店だったのが、いけなかったんだけど」

 何故か狼の大男にセキレイがかみつき、更なる大騒動になった。

「場所は、選んだ方がいい」

「ええ。そう思って、他を探したのよ。でも……大暴れする前提だと、どうしても限られるのよね」

 悩まし気に首を傾げ、ロンは再び溜息を吐いた。

 結局、またここに場所を戻したのだが、矢張り進まない。

「……せめて、子供たちだけで話せる場を、作ってあげたいんだけど、無理かしら」

 太い声怒鳴り声が行きかう中、水月が頷いた。

「引き離してやれば、本題に入れるんだな。なら、簡単だ」

「え? 本当?」

 あっさりと言われて目を見開いたロンは、この中の男の中で、一番小柄な若い男が膝立ちになり、両手を伸ばしたのを見た。

 次の瞬間、睨み合いながらも言い合っていたセキレイとヒスイの頭が、テーブルに強く打ち付けられる。

 鈍い音ではなく、何かが砕けるような恐ろしい音が、部屋に響いた。

「せ、セキレイっ?」

「親父っっ」

「わっ、ヒスイっっっ」

 ほぼ同時の悲鳴が上がり、それぞれテーブルに突っ伏したままの二人の男に、しがみつくさまを見ながら、ロンが呆れた声を漏らす。

「……力の加減、間違えてない? 叔父様じゃないんだから、木のテーブルに勝てるか五分よ」

「ああ、そうか。丈夫な木を使っているのかと思ったんだが、それで無事だったんじゃなかったのか。弁償も押し付けようと思っていたのに、残念だ」

 ロンの言うようにどうやら、力の加減を間違えたようだ。

 テーブルではなく、男二人の頭蓋骨が砕けてしまった音、だったらしい。

「まあ、何にせよ、これでしばらくは、大人しいだろう。その間に、移動してしまえ」

「は、はあ」

「ち、ちょっと、あんたっ」

 しれっと話を進める水月に、弟に縋っていたシュウレイが文句を投げた。

「セキレイは、体が弱いんだぞっ。死んだらどうする気だよっっ」

「体が弱いと主張する癖に、今までしぶとく生きている時点で、文句言われる筋合いはないな」

 涙目の女にもきっぱりと返し、本題の問題を抱える夫婦たちは、隣に移動させる。

「あちらは、ここの住民たちに任せて、話し合いが終わるまでは、こちらの面倒を見てやろう。数回の会合をぶち壊すほど、何をもめているんだ?」

 訊かなくとも察してはいる。

 だが、その予想を覆す面白い話ならばいいなと言う、儚い望みだ。

「こいつ、クズ中のクズな男なんだよ」

 セキレイが額から血を流しながら起き上がった。

 意外に、頑丈だ。

 と言うより、ここでは怒りと競争心で、病弱設定を忘れているのかも知れない。

「……設定って。そんな心の機微だけで、変えられるものなの?」

「だが、そうとしか思えんだろう。現にヒスイの旦那は、まだ立ち直っていない」

「あらあら」

 これにも設定云々より、確かな理由はある。

 水月の利き手か否かの問題だ。

 同じようにテーブルに叩きつけたつもりだったが、利き手じゃない方でそれをやったセキレイの方が、弱かったのだろう。

 自分の主張を力強くする男に、ヒスイの代わりに反論するのは、その母親だ。

「し、仕方ないだろっ。子が出来たのを知って会いに行った時には、女は死んでたんだ。しかも、遺体すら何処かもわからなくて、半狂乱になったんだぞっ」

 仕事の間に通っていたヒスイが、安全な場所に身請けした女と出来た子供を移そうとしていた、矢先の出来事だった。

「半狂乱になっただけか? 探したのなら、分かったはずだ。誰が子を引き取り、育てているのかくらい。あのくそ親父と同じ一族の情報網なら、尚更」

「万全じゃないんだよっ。その位、察してくれよ……」

 泣きそうな顔になったメルの前で、ヒスイが復活した。

「収集不可能、だ」

 感情がぶつかり合い、部屋中に怒号が響き渡る中、水月は静かに結論を出した。

「これは、あれだな。この連中より上を呼び出して、経緯を外から語ってもらわんことには、どちらも感情優先しすぎて、全く落としどころを見つけられん」

「……上? カスミちゃんと伯父上の事? 逆に混ぜっ返しそうなんだけど」

 それは想像範囲内だが、水月はけろりとして言った。

「ここまで拗れているのを混ぜっ返せば、逆に落ち着くだろう」

 と言うか、これを更に混ぜっ返せるのならば、その手際に立ち会いたいもんだと、半ば本気で思う。

 そんな自分よりも小柄ながら、したたかな男を見つめ、意外そうにロンが言った。

「次も、付き合ってくれるの?」

「そんな暇、ない」

「嘘ばっかり」

 やんわりと笑った大男は、喧騒をちらりと気にしてから続けた。

「終活を始めようと思うくらいなんだから、相当暇なんでしょ?」

 上目遣いでロンを睨む男は、図星を刺されているはずなのに、静かに答えた。

「始めたら、そちらが忙しくなって、暇はないんだ」

「ふうん」

 深い相槌を打った男から天井に目線を移し、水月はつい、しみじみと言った。

「そうか。いい言葉が出来たもんだな。これは、終活になるか」

「あなたほど濃厚なそれを、世の終活を始めた人たちがやっているかは、分からないけどね」

「始めようと思って、始めたわけでもないがな」

 あの時の娘とその思い人の動きが、よほど気に食わなかったのだろう。

 関わったのならば、最後まで面倒を見ると言う、水月らしい考えだ。

「ミヤちゃん、誉ちゃんと一緒に訪ねてきたんじゃ、なかったの?」

「来たが、ここには来辛いらしい」

 矢張り、ここの住民を死んだと思い込み、気を乱したことを悔いているようだと言う男に、ロンは笑って首を振った。

「それだけじゃないと思うわ」

 それ以上の、どんな理由があるかと、怪訝な顔をした水月に、大男は言った。

「だって、セイちゃんも、ミヤちゃんに申し訳ないって、言ってたもの」

 何の含みのない素の謝罪は、何よりも強靭で鋭い凶器となる。

 それを知っているロンは、それだけ言って苦笑した。


 寮に戻ると、本当に独りで留守番していたらしい雅に迎えられた。

「お帰りなさい」

「あ、ああ。ただいま」

 談話室に入りしな声をかけられ、素直に驚いてしまった水月は、無言で首をかしげる娘に咳払いして言う。

「エンと、一緒に行ったと思っていた。あいつは、誉の方に向かったんだろう?」

「留守番を任されたのに?」

 平然と返された。

 何とも不思議だ。

「お前、エンの事を好きなんだよな?」

「はい」

 男の方とは違い、雅の方は躊躇いすらしないで答えた。

「隙があれば、傍にいたいと思うほどでは、ないという事か?」

「そうではなく、いれる時にはいたいけど、べたべたと一緒にいなくても、苦しくはないという事です。生きていることが、分かっているので」

 言われて思い出した。

 今回は、未然に防いだが、エンは前科がある。

 雅の元から去り、生死も定かではない状態に、陥ったことがあるのだ。

「意思の疎通が出来なくても、それだけで、私は大丈夫なんです」

 微笑む雅を見ながら、何とも言えない気持ちになり、先程行ったところで知った、別な事を尋ねてしまった。

「……セイ坊が、申し訳ない事を言ったと、反省していたんだが、何のことだ?」

 本題の方が解決し、保護者ともども追い出した後会った若者の様子を話し、雅に尋ねた。

 正直、何が雅の止めになったのか、セイも分かっていないようだった。

 一語一句違わず、それを聞いた水月も、何処で止めを刺されたのか判断が出来ず、その旨は伝えると請け負ってきただけだ。

「あの子は、自分の驕りのせいで、お前たちを巻き込んだことを、心底反省している旨を、正直に謝罪してきただけだろう? お前自身の後ろめたさも少しは、楽になる言葉だと思ったんだが……」

「その驕りが、何だったと思います?」

 湯沸かしスペースで茶を用意していた雅が、その一式を整えて席に着き、急須の中身を湯呑に注ぎながら言った。

「私たちを信じすぎていた事、なんです。自分の力量を、私たちがちゃんと分って動いてくれると、そう信じていたのが、驕りだって。そう思っているんです」

「……ああ、成程」

 それは、完全に止めだ。

 素で言っている分、質が悪い。

 勿論、そこまでは口に出していなかった。

 一語一句違わず、とセイが前置きして水月に言った先の言葉は、確かだ。

 真剣な反省の奥に、何処がその原点だと言っているのかが滲み出ていたと、雅は言って溜息を吐く。

「あれだけ長くそばにいて、分かっているつもりになっていたのに、あの結果だったんです。こちらが謝るべきなのに、その前に謝罪されてしまって。その上で、言下に含みがあるその言葉です。こういう含みは分かるくせに、どうして肝心な時に、役立たずなんでしょう」

 大人としての反省だが、打ちのめされ過ぎてその後の対策を考え付かない。

 そんな感じの娘をしんみりと眺めながら、水月は湯呑を傾けた。

「……」

 匂いがないと思っていたら、茶の味もしない。

 白湯だ。

「……急須にわざわざ入れた理由は、何だ?」

「雰囲気です。茶葉の場所が、分かりませんでした」

「後で訊いておく」

 淹れ方は知っているのか、と問いたい気持ちになったが、今はやめておく。

 代わりに短く断りを入れて席を立ち、自分の部屋にいったん戻ると、入居前に買いだめしていた、烏賊のあたりめを出してきた。

「……」

「酒を飲みかわすのは、もう少し後だ。我慢しろ」

 今はただ、静かに雅の痛みに寄り添おう。

 似た容姿の年の差がない親子は、その数十分後に戻って来た誉とエンに発見されるまで、

烏賊のあたりめを肴に、黙々と白湯を呑みかわしていた。


 エンが茶葉を探し出し、再び先程と同じ長机に四人で相対する。

 人数が増えたのに、重く静かな空気が落ちている。

 その主な発信源は誉で、まだ事情を半分しか知らない水月と雅も、なんとなく結果を把握していた。

 夕方近い時に、用事が済んだ誉が、わざわざこちらまで戻って来たのは、主を迎えに来たからだ。

 重い空気を破って、水月が請け負った件の報告をしている時、石川志桜里いしかわしおり御蔵密みくらひそかと共に、談話室に顔を出した。

「お迎え、ありがとう。待たせちゃった?」

「いや。こちらも用事を済ませてきた」

 申し訳なさそうな志桜里に答える誉は、やんわりと微笑んで見せたのだが、逆にそれが不安を煽ったらしい。

「え? どうしたの?」

 慌てる主に、立ち上がりながら首を振り、大男は水月を振り返った。

「では、お暇します。失礼しました」

「ああ」

「エンも、苦労を掛けた」

「いえ」

 見送りに出ていた長谷川瑠衣と、密が不思議そうに顔を合わせる前で、軽い挨拶を済ませると、誉は主とその友人を連れて、寮を去って行った。

 部屋に戻っていく瑠衣を見送りながら、一人残った客が控えめに尋ねる。

「完全に、否定されたのかな? 随分と、落ち込んでる」

 同じように見送っていたエンが、小さく唸って元の椅子に座った。

「否定と言うより……何と言いますか」

 言葉を選ぶように天井を仰いでから、男は答えた。

「サギ、だったんです」

「? どの辺りがだ? 確かに、あの兎が死んだという事すら詐欺ではあるが、命と秤にかけた結果だろう?」

「ああ、そうではなく」

 首をかしげて言う舅候補に、小さく唸って言葉を探したエンは、言い切った。

「兎ではなく、アオサギだったんです」

「ん?」

「本当に全くの、別人です」

 困ったように言い、優男は穏やかに報告を始めた。


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