誰ガ為ニ護ルノカ。
~~半年前、格闘訓練にて~~
「さあ、どうした? 立て」
「ぐっ、タケさんッ!」
地面に這いつくばる俺をタケさんは冷たく見下ろし、室内格闘訓練所の中を照らす光がタケさんの影を俺に落とす。タケさんの攻撃を何度も食らった俺は既に立ち上がることすら出来ないほど疲弊していた。
最後の力を振り絞り、俺はタケさんを睨みつけ口を開く。
「……参りました」
絞り出すように口から出たのは降参の言葉だった。
「聞こえなかったのか? 立て」
「--っ、わかりました……よっと」
肘を床につき、震える腕と足で踏ん張り、じっくりと時間をかけて立ち上がる。震える指先で自分の頬に触れると大きく腫れあがっており、口の中が血の味で満たされているのが分かる。
何度も投げられ床に叩きつけられた背中は熱以外のモノを感じない。蹴られるたびに軋んだ足はガクガクと震え笑っていた。膝に手をつき身体を支える手は拳の皮が剥がれて血が滲んでいる。
「珍しいな」
タケさんは頬に薄く付いた血を指で払い、首をコキッと鳴らして腕を組んで俺を見つめてくる。よく見ると瞼の上が切れていた。いくらタケさんが相手とはいえ俺も自衛官の端くれ、ただで一方的にやられる程軟弱ではない。
予想外の粘りを見せた俺にタケさんは少なからず驚いていたようだった。
「珍しいですか? 俺だって毎日タケさんの相手をしてんだから何発かは当てれますって!」
「違う」
俺の答えはタケさんが求めていた答えではなかったらしく、不機嫌そうに俺を睨み付ける。
「お前から試合しましょう、って言うとは思ってなかったんだよ」
「んー、いつも試合してますよね?」
「あれは稽古だ。本気じゃない」
いや、タケさんからしてみれば本気じゃなくとも俺からすれば常に命懸けだ。その言葉を言いたい衝動に駆られたが、後が怖いので口を噤む。
「何かあったのか?」
「……」
俺は黙り込んでしまった。一度、二度、足踏みをして頭を掻く。目を気まずそうに伏せながら俺は意を決してタケさんに打ち明けた。
「好きな子ができたんすよ」
「由紀ちゃんのことか? ……今更だろ?」
返答を聞いたタケさんは興味無さそうに息を吐き、手にはめているグローブを脱ぎ捨て床に座り込む。
「タケさん? なんで俺が由紀の事好きってわかったんですか!?」
「見りゃわかる」
「マジすか」
何という事だ。ここ数年で一番の秘密がバレてしまっているとは。タケさんの洞察力は相変わらず常人離れしている。
「だってお前、あの子の事ずっと目で……。ま、いっか由紀ちゃんがどうしたんだ?」
タケさんは一瞬呆れたような顔を見せたが、俺の驚いた顔を見るとすぐにいつもの厳つい顔に戻っていた。
「由紀って空手の有段者で強いんですよ。でも、やっぱ、俺も男として女を守れるというか、強い漢になりたい、というか……なんというか……えーっと」
「チッ。ハジメ」
ごにょごにょと言いよどむ俺を見て、タケさんは業を煮やしたのか立ち上がり俺の両肩に手を置いてきた。服越しでも分かるゴツイ手の感触。人を十人ぐらい殴り殺してます、と言われたらそうでしょうねと答えざるを得ない威圧感を放っていた。
「はっきり言えよ。要は夫婦喧嘩で負けたくないんだろ?」
「違います」
見当違いなタケさんの言葉に俺は肩を落としそうになるが、万力の如く握るタケさんの指がそうすることを許してくれない。
「じゃあハジメ。お前は何で強くなりたいんだ?」
タケさんは俺の肩から手を放し、腕組みをしていた。大木を思わせるその腕で腕組みされるとただでさえ威圧的な立ち姿がさらに圧力を増す。
俺はタケさんの威圧感負けぬように精一杯胸を張り、真っすぐ睨み返して己の胸の内の言葉を放つ。
「[大切な人を守りたい]……ただ、それだけです。タケさんが前に言ってくれた言葉ですよ」
ーーーーー
「フィロエ、べアルル」
言葉と共にルチアの杖からは炎の球が放たれ正面から向かってきていたゴブリンの身体を焼く。生ものが焼ける嫌な臭いがルチアの後ろで隠れる俺鼻にまで届いてくる。
酷い臭いだ。生き物が焼ける臭いとはここまで不快なのだと思い知らされる。昨日と同じ焦げた臭いに俺は鼻をつまむ。
「ワアテエロ、ベルアデエ」
言葉と共にルチアが振り払った剣からは透明な水の刃が出現し、左右から迫っていたゴブリンたちの身体を上下に分ける。ちょうど心臓に近い場所で切れたのか、切り口からは噴水のように赤黒い血が噴き出し、あたり一面を染め上げる。草の緑と地面の茶色で完成されていた自然の美は黒々と赤い液体で汚されていく。
「ワインデ、エズペルオスイオン」
言葉と共にルチアの両手が差し出され、突風が吹きすさび、離れた位置にいるゴブリンの頭が何かにぶつかったように爆ぜ中身を近くの木にまき散らして近くの大木を汚物で装飾する。続いて数匹のゴブリンの頭を爆発させ、木の飾りつけを増やしていった。
「ルチア、強すぎぃぃ……」
言葉と共に俺の口からは感嘆のため息が出る。
あまりにも凄惨な現場だが、俺は昨日のように吐き気を催すことは無かった。理由としては慣れたというのもあるのだろうが、それよりもルチアが強すぎるという事実が俺の感覚を真っ先に支配していた。
俺の中での強さの基準としてタケさんが絶対の位置に君臨している。俺が知る限りの人類で一番強いといってもいい。
テレビで見たヘビィ級ボクサーよりも、百キロ超えの柔道家よりも、KO量産する総合格闘技の猛者よりもタケさんの方が強いと思っている。
だが、目の前のルチアの強さはタケさんのものとはまた違う強さだった。
(いわゆる魔法ってやつなのか?)
目の前で飛び出す炎の球、刃を形成する水、吹きすさぶ突風。それらはすべてゴブリンに向けられ死骸の山を生み出していく。
どれも現実にはあり得ない。少なくとも俺は日本でこんなものは見た事がない。昨日から何度も目にしているが、冷静になって改めて考えてみると不思議な力だ。
(もしかしたら、俺も使えるのかな?)
この場所に来る前に読んでいたネット小説の主人公は異世界に行くと不思議な力が使えるようになっていた。今の自分はその主人子たちと似た状況ともいえる。
幼いころに憧れていた魔法使いという言葉が脳裏によぎってくる。二十五歳の成熟した精神に好奇心という名の子供心が沸き立つ。
俺は目の前で魔法を放つルチアの動きを真似して、小声で呪文を唱える。
「フィロエ、べアルル」
「ワハテ? ハジメ、デイデ、ヨォウ、スアヨ?」
「……何でもないよ。俺の童心が死んだだけだ」
手から炎の球は出るはずもなく、伸ばした手は何も掴むこともなく下げられた。その行動の意味が分からなかったルチアは、一度振り返り俺に何かを言ったあとすぐに前を向きゴブリンの殲滅を続けた。
(恥ずかしいッッ!)
俺は赤面する顔を手で押さえ必死に隠し、一人悶えていた。いい年こいた大人が魔法を使えると勝手に思いはしゃいだ結果がこれだ。人生で一番恥ずかしい。
「フィロエ、べアルル。ヴォルシアンオ、スペアロ。ワインデ、エズペルオスイオン!」
俺の思いを知ってか知らずかは分からないが、ルチアは次々に魔法を唱え敵を片付けていき、百匹はいたはずのゴブリンは数を減らし今では半分ほどにまで減っていた。
死骸が放つ鉄錆のような臭いと死臭をルチアは風の魔法で地面もろとも吹き飛ばし、大きく息を吐いて一息をついた。
「フゥゥ……ハァ……」
さすがに魔法の連発は体に堪えるのか、額にじっとりと汗をかき髪の毛がおでこに張り付いている。それをルチアは剣を持っていた手で拭うのと同時に、あの声が聞こえてきた。
「ゴブルルルゥゥ……ヴィオド、ヌァガ、ヌァガ、ヴィヨイ……」
黒い色をしたホブゴブリン。奴はまるで拍手をするかのように手を叩き、こちらに近づいてきた。
あまりにも無防備で、あまりにも大胆不敵で、あまりにも自信満々で、自身の背丈ほどの大きな剣をひっさげ俺とルチアに悠然と近づいてくる。
「ハジメ。ベェアッシケ、オフフ!」
「ん? 今なんて……うわっ」
ルチアはホブゴブリンが近づいてくるのを確認すると、背中にへばりつくように隠れていた俺を突き飛ばす。突然のルチアの行動に俺は不意を突かれ、地面へと尻餅をつく。
「な、なにすんだ? るち……ア!?」
俺が抗議の声を出すのとホブゴブリンがルチアに斬りかかるのは、ほぼ同時の事だった。
車同士の正面衝突、そんな言葉では物足りない。そんな言葉では役不足に思えるほどの轟音が俺の耳に届く。
剣と剣が何度もぶつかり合い火花を散らしていく。大剣を軽々振り回すホブゴブリンも恐ろしいが、それを難なく受け止め捌くルチアも恐ろしい。振り下ろされた大剣の一撃を下段からの切り上げによってかち上げ、生じた僅かな隙を見逃さずにルチアはホブゴブリンの胴体に一閃突きを繰り出す。
曇り無き白銀の切っ先がホブゴブリンの剥き出しの胴体へと吸い込まれるように刺しこまれた。はずだった。
剣はホブゴブリンの身体に当たると甲高い金属音を鳴らし、弾かれた。
勝利を確信して笑みすら浮かべていたルチアの顔が一気に青ざめる。
「--ッッ!? ワ、ワハテェェ!?」
「……なんだあれは?」
戸惑いの声を上げ、困惑の表情で慌てるルチアとは対照的に、俺は自分でも信じられないほど冷静だった。恐らくは実際に切り結んでいる当事者の立場とそれをただ眺めている傍観者という立場の違いだろう。
とにかく俺は冷静に、今、何が起きたのかが理解できていた。
(アイツの腹、もっと黒くなったぞ?)
ホブゴブリンのやや黒ずんだ身体はルチアの剣が当たる寸前に、色が濃くなり黒光りする金属のような色に変わっていた。ゴブリンをたやすく真っ二つに出来るルチアの剣を防いだことから想像するに、あれは魔法の一種だろう。さしずめ防御用の魔法か何かだと俺は推測する。
……俺は使えなかったのにホブゴブリンである奴が使えるのは何となく納得いかない気もするが。
「ワ、ワ、ワゥワ!? ワゥワァ!」
完全に虚を突かれたルチアは明らかに動揺しており、太刀筋が乱れている。ホブゴブリンがその隙を見逃すはず無く、嫌な笑みを浮かべてルチアを追撃していく。
ルチアは多少後手に回りつつも何とか防いでいるのだが、反撃しても黒光りする身体によって防がれ逆に重量に勝る大剣の威力に押し込まれていた。
このままではジリ貧だ。まだルチアがやや優勢の状況だが、決め手が無いうえに周りを他のゴブリンに囲まれ、さらには俺という足手まといがいる。
やがて、そう時がかからないうちに俺とルチアは二人してゴブリンどもに蹂躙されてしまう。
そうならないためには、文字通り鉄壁の防御を誇るホブゴブリンを倒さなければならない。
(どうすれば……待てよ……)
思考する俺の頭に、ある手段が閃く。これだ、これがいい……いや、これしか方法は無い。
俺はあることを実行するためにゆっくりと後ろへ下がる。そして……。
「ハジメ!? エハ? ……ハジメェェ…………」
「ゴブルアァァ!? ……ブゥっ、ブゥババババ!」
俺は、俺を守るために戦っているルチアに背を向け逃げ出した。
聞こえてくるのはルチアの戸惑いの声と、嘲るようなゴブリン共の声だけだった。笑われても呆れられても、振り返らず駆け抜けていった。
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