安息から

「ゲホ、ゲホ、ハジメ! スモゥケヨ!」


「ごめんって、でも食後の一服ぐらいさせてくれよ」


「スモゥケヨッ!」


 食事を終えて俺とルチアは装甲車の中で一息ついていたのだが、いつもの習慣でタバコに火をつけるとルチアが嫌な顔で俺を睨み付けて大きく咳き込んだ。涙目で俺の持っているタバコを指差し何度も抗議の声を出し、終いには俺の背中を押して外へ追い出そうとする。

 ルチアはその細腕からは信じられない程力強く俺を押し、半ば投げ出されるような形で外に出される


「わかったよ、外で吸うから許して!」


「ハジメ、ヨォウ、ベァド、スムェロロス! フー、フー」


 鼻をつまみ、俺の煙を押し返そうと口をすぼめて息を吹きかけてくる。カレーの匂いがするルチアの息を顔全体で受け止めた後、俺は装甲車の前側に向けて歩き出す。


「本当に、ここはどこなんだろうな」


 改めて周囲を見渡してもそこは広い森の中。昨日と変わった様子は無い。


「ルチアと話せれば一番簡単なんだけどな〜」


 考えてみれば、彼女は一体何故この森にいるのだろうか。


 彼女と一緒にいた男達は何者だったのか。


 そして何故、命を救ったとはいえ見ず知らずの言葉も通じない他人である自分と一緒にいてくれるのか。


 疑問は尽きることは無く、止め処なく溢れる。俺はすっかり短くなったタバコを揉み消し、携帯灰皿に入れようとした。


「ん?」


 視界の端に何かが見えた。森の緑によって見えにくいが、そこには緑色の生物がこちらを覗いていた。


「……ゴブリン!?」


「ゲギャギャー!」


 醜悪な口と顔が俺を見つけ歪な形になる。咄嗟に身構えた俺だがある事に気付く。

 銃、そして武器となるものを俺は一切身につけていなかったのだ。防弾チョッキや装具すらも身に着けてはいない。 

 タバコを吸うためだけに外に出たので完全に油断をしていた。己の迂闊さとチラつく刃物を見て、背中に冷たいものを感じながら俺は腕を上げファイティングポーズをとる。


(や、やるしかねぇ! 相手は刃物を持っていても倒せる筈だ。タケさんの方がよっぽど怖いっての!)


 呼吸を整え、身体を揺すり、リズムを取って相手を正面に見据える。よく見ると相手は初日に俺を襲ってきたゴブリンによく似ている。あの時無様に逃げた自身の汚名を注ぐ為に俺は勇気を奮い立たせて叫ぶ。


「オラッ! かかってこい、昨日の俺とは一味ちが……」


「フィロエ、ベアルル」


 俺の魂の叫びはすぐ横を通り過ぎた炎の玉によって掻き消された。一直線に飛んでいく炎の玉はゴブリンのすぐ横の木に当たり弾けた。驚いたゴブリンは慌てた様子で俺達に背中を向け走り去ってしまった。

 去り行くその背中を見届け、完全に森の中へ消えてから上げてた腕を下げ息を吐く。

 行く先を失った闘志を苦笑いで誤魔化し、俺を助けてくれた彼女をみる。


「ルチア助かっ……なに食ってんの?」


「モグモグ、モグモグ、ゴクンッ……ワハテ?」


 ルチアは片手に短杖を持ち、もう片方の手でなにやら棒状の物を食べていた。パラパラと食べカスの粉が地面に落ち、ルチアの口元は油のようなものでテカテカ光っていた。


「テハィス、ヴェルヨ、セオ、ヴェルヨ、デェルィシオウス!」


 俺の問いに対しルチアは満面の笑みで親指を立てこちらに向けてくる。違う。サムズアップの意味はたぶん合っているのだが、問いの答えはそれじゃ無い。


「それ、俺のオヤツだよね? 俺の荷物に入ってたオヤツだよね?」


「ハジメ、スゥロロヨォ。ベウテ、ヴェルヨ、デェルィシオウス!」


 ルチアは俺の視線に気付きごめんなさいとばかりに頭を下げるが、手に持つ棒状のスナック菓子を口に運ぶ手は止めていない。


「美味しい?」


「デェルィシオウス!」


「うん、まぁ、うん……美味しいのかな? 良かったよ。いや、良かったよ? それは俺のだけどさ」


 一つが十円程度のスナック菓子を食われた程度で怒る俺では無い。それよりまた助けられてしまった事を感謝すべきだ。いや、安いお菓子だがもう手に入らない可能性が高いお菓子を食べられた場合は怒るべきだろうか。


「フンフ〜ン♪」


 悩む俺を尻目にルチアは懐から二本目のお菓子を出すと袋を開けて食べ始める。


「えっ、二本目?」


「ワハテ?」


「……うん、もう食べていいよ」


 流石にここまでされると俺も呆れてモノが言えなかった。止めようと思ったが既に口の中に入ったモノを出せとは言えず、黙って我慢するしか無かった。……三本目が無い事を神に祈る。


「フフ〜ン♪」


「待って、三本目は食べ過ぎじゃ無いかな?」


「…………スゥロロヨォ」


 俺が無神論者だからだろうか、祈りの声は神に届かず三本目のスナック菓子がルチアの懐から出てきた。ルチア自身も流石に食べすぎだと思ったのだろう。手を掴んで止めると申し訳無さそうに頭を下げ謝罪の意と共にお菓子を俺に渡してきた。

 俺は受け取ったそれの封を開け、一口食べる。味付けはコーンポタージュ味といったところだろうか。子供の頃はよく食べた懐かしい味に舌鼓を打ちながらも頭の中では別の事を考えていた。


(あのゴブリンは何故、一匹で来たんだ?)


 初日も、そして今も単独で来たあのゴブリンの事ばかりを考えていた。昨日のホブゴブリンの部下ならば仲間がいるはずなのに敢えての一匹だ。


(一匹で充分という判断? 戦闘能力は高く無いだろうに?)


 俺が戦った訳では無いので断言出来ないが、あれはそこまで強くは無いだろう。その気になれば素人でも一対一なら戦えるはずだ。俺は戦って無いけども。


「なぁ、ルチア? ゴブリンの規模ってどのくらいなんだ?」


「ガーベルイン? ……ガーベルイン、ハウハ、ガーベルイン?」


 ルチアはゴブリンという単語に反応してくれたが、俺の言葉はやはり通じて無いようで数回ゴブリンの名前を出しただけだった。


「ごめん。言葉が通じると思った俺が悪かった」


 少しでも情報が欲しかったのだが、意思疎通はある程度可能になっていても細かい文言の意味は伝えられないようだ。

 俺は思考で湯立ちそうになる頭を冷ますためにタバコに火をつける。ライターの炎がタバコの先端をチリチリと音を立て焼いていき、うっすらとした白煙を出す。


「ハジメ! スモゥケヨ!」


「……その[スモゥケヨ]が[煙い]ってのは何と無く分かったよ」


 タバコの煙を迷惑そうに手で払うルチアに俺は呟き、同時にある事を思い出す。


「そういや、タケさんも匂いに敏感だったなー」


「タケサン?」


 イントネーションは若干違うがタケさんの名前を呼ぶルチアは戸惑いの顔を俺に見せる。


「あぁ、タケさんは俺の尊敬する先輩でな、陸上戦最強の男なんだよ」


 俺は紫煙を吐き出しながらヤクザの若頭のような風貌の頼れる先輩を思い出す。


 屈強。その言葉が最もよく似合う漢を。


「そうそう、あれは斥候せっこう訓練だったなー。タバコの臭いでバレるかもだから吸うなよって言われてな」


「セッコウ?」


 聞き慣れぬ単語にルチアは瞳を細める。


「ん、斥候ってのは簡単に言う……と?」


 そこで俺はハッとした。そうだ。そういう事だ。そういう事なのだ。気付いてみればそういう事だったのだ。


 何故あのゴブリンは単独でこの装甲車を伺っていたのか。それはあのゴブリンが斥候だからだ。

 斥候とは敵対勢力の戦力などをあらかじめ把握するために行うものであり、通常は一、二名の人数で行われることが多い。


 何故、相手の戦力を把握する必要があるのか。それは決まっている。


 攻め込むためだ。


「ゴブリン達は……いや、あのホブゴブリンはこの装甲車を狙っている?」


 厳密に言えば中にある武器も含まれてるだろう。ゴブリンが銃火器を使えるとは思えないが、ここであのゴブリンの言葉が俺の脳裏に浮かんでくる。


「ジェイガン、バヂィウゥゥ、シャウズウ」


 そう、こんな感じの言葉だった。俺の耳に昨日と全く同じ声が聞こえた。


 (待てよ。今のは……どこから聞こえた?)


「ーーツッ! ハジメェ!!」


「ルチア!?」


 ルチアの声に振り返ると同時に俺目掛けて何かが飛んで来ていた。剣にも、斧にも見えるそれは真っ直ぐ俺の胸目掛けて飛んで来ていた。俺はただ避けもせず、その光景を茫然と見てしまっていた。


「はぁ?」


「フンッ!」


 目の前で火花と高い金属音が同時に広がる。いつの間にかルチアは俺のすぐ横に立っており剣を構えている。俺の足元には今しがたルチアによって叩き落とされた小さな手斧が地面に深々と突き刺さっていていた。


「こ、これ、は?」


「ハジメ、ベハインデ、ムーア」


 状況が上手く飲み込めない俺の耳にルチアの声だけが聞こえた。突然の出来事に身体が上手く動かず、しどろもどろしているとルチアの声がさらに大きく響く。


「ハウルルヨ、ウペ! ハジメ、ハウルルヨ! ベハインデ、ムーア!」


「わ、分かったよ!」


 急かすように声を荒げ、手招きで俺を呼ぶルチアの側へ移動する。移動しながらも足元に突き刺さっている手斧を引き抜く。


 武器を何一つ持ってない今、気休めかもしれないが何かに使えるかもしれない。俺は斧を構えて前方を見る。そして、自分の目を疑いたくなるような光景に唖然とする。驚きのあまりに口を閉じれず、だらしなく開ききった口から絞り出すように吐き出せたのはたった一言のみ。



「嘘……だろ……っ?」



 俺の視界を埋め尽くさんとばかりにそれらのモノはいた。


 緑色の身体に偽装のためだろうか、葉っぱやツタを巻きつけているモノ。ギラついた目と歯でこちらを見据えるモノ。手に持つ武器を威嚇の為に狂ったような打ち鳴らすモノ。


 総勢、百はゆうに超えているだろう。ゴブリン達は装甲車をぐるりと囲んで汚い叫び声を上げていた。


 その中でひときわ目立つ一匹のモノ。


 背の高い黒いホブゴブリンは、腕組みをしてまるで人間のように笑い俺を見つめていた。

 悪意に塗れ、人にしか出すことが出来ないはずの悪い笑顔で。


 俺を、俺だけを見つめていた。

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