携行食の味

 深い森の中俺とルチアは歩き続ける。草地をかき分け、垂れる木の枝をへし折り、地面に僅かに残る人が歩いた痕跡を探しながら俺たちは突き進む。目指す場所はあの場所だ。


「ハジメェ……セオ、ハウンガロョ……」


 後ろでルチアはお腹を押さえ腹の虫をぐーぐー鳴らしていている。俺が振り向く度にルチアは俺に向けて唇を尖らせてくる。その仕草が子供っぽさと色っぽさ感じさせ男の劣情を誘うので俺は少し前かがみに歩く。


 墓前への黙祷が終わり、野宿をした場所に戻るとルチアのお腹の音がより大きく響いていた。干し肉を野獣の如く一心不乱に噛り付くルチアを見て俺はある提案をした。


(どうせ食うなら美味い飯。アレがまだある筈だ)


 言葉が通じないので身振り手振りで苦心しながらも俺はルチアに説明し、納得したのかしてるのかは分からないが、ルチアは俺の後をトコトコと歩いて付いて来てくれた。

 道無き道をさらに進み、身体中からじんわりと汗を流し戦闘用ブーツに付着する土がやや重みを感じ始めたときに目的の物は姿を現した。


 開けた場所にポツリと立つ金属の大きな箱。近くで見たときは著名な色彩だったのだが、遠目から見ると塗られた迷彩色が周りの木々に溶け込んでいて迷彩の偽装効果を最大限に発揮していた。

 陸上自衛隊が所持している人員輸送装甲車。一般的な名称としてはクーガーと呼ばれることが多い。


 しかし、この装甲車に慣れ親しんでいる俺を含めた自衛官達は皆こう呼んでいる。


「WAPC。通称ダブルだ」


「ダァブリュウエイピイシイ?」


「なんか、ルチアの言葉もう少しで聞き取れそうな気がする」


「ワハテ?」


「あ、ごめん。やっぱりチンプンカンプンだわ」


「チンプンカンプン?」


 コテンと首を傾けるルチア。俺はその姿に苦笑いで返し、装甲車の後部ドアへ向かう。

 昨日と変わらぬたたずまい。慣れ親しんだ無骨な見た目は俺が自衛官として訓練していた時と全く同じであった。取手に手を掛けギリリっという鉄が軋んだ音を立て開く。


「ドアを開けたら皆がいる〜。って事は無いんだよなぁ……」


 雑然と隅っこに纏められた弾薬類とその他の荷物。暗い車内には人影などある筈も無く、俺が出た時と全く変わっていない。誰もいない事は分かっていながらも俺は落胆のため息を吐かずにはいられなかった。


「ワハテ?」


「ん、どうしたルチア?」


 二度目の大きなため息を吐くと、外でお腹を鳴らしていたルチアが疑問の声を出す。しゃがんで地面を舐めるように見ていて、何かを拾い上げ俺の目の前に持ってきた。


 金色に輝く人の小指大の大きさの円柱。先端は尖っており鋭い。

 曳光弾。自衛隊標準装備である89小銃の弾薬である。なぜこんなところに落ちているのだろうか。


(あ、そうか。昨日の化け物の時のあれだ。故障排除した時のだ)


 初めて遭遇した未知の生物相手に焦り戸惑い、日頃の訓練の成果が全く発揮出来なかったあの時。

 安全装置がかかっている事を忘れ、綺麗に整備したばかりなのに故障したと勝手に思い無駄な行動をしてしまった。弾づまりだと勘違いして故障排除を行ったことにより、まだ撃っていない実弾が地面に落ちていたのだ。


「イアテ?」


 薬莢を指でつまみ、クンクンと鼻を鳴らしてルチアは興味深い様子で薬莢を見つめる。今にも口に運びそうで俺は少し焦り、両腕で胸の前にバツを作りさらに言葉で釘を刺す。


「食べちゃダメだぞ?」


「……アムっ」


「食べちゃダメって言ったじゃん!?」


 俺の制止の言葉はルチアに届かなかったのか、ルチアは一口で薬莢を口に含みコロコロと舌で転がす。当然、銃弾が美味しいわけは無くルチアは複雑な顔で俺を見る。


「ペッしなさい! ルチア、ペッして!」


「ウ〜〜、ベッ!」


「違う! 唾じゃなくて弾を出して!」


「ペェッ!」


 ルチアは俺の足元ヘ土が混じった大量の唾液を吐き捨て、そののちに口から弾丸を取り出した。それを懐から出した布に包むと自身の手荷物の中にしまう。

 何事も無かったかのように澄まし顔で俺を見つめるルチアに俺は苦笑いしかできなかった。


「まぁ、いいや。それあげるけど食べ物じゃないからな? ドングリっぽいけど違うからね?」


「ワハテ?」


「この中にそれより少し美味しいものがあるからさ、大人しく待っててくれ」


「ワハテ?」


「もういいや」


 ルチアとの意思の疎通は一旦諦め、装甲車の中へと入る。奥の方にあるダンボール箱の中にある目的の物を取り出す。


「発煙筒邪魔だな。ええっと、あとは水があればいけるな」


 恐らく西野が適当に入れたであろう発煙筒を邪魔なのでポケットに入れ、自分が持ってきていた飲み水とあるモノを取り出す。モノを両手に抱え装甲車の外へ出るとルチアが装甲車のドアの部分を触って何か呟いていた。


「シオフフィン、オフ、イロオン……」


「ルチア、ご飯だぞ?」


 言ってる事は相変わらず分からなかったので俺はルチアの言葉を無視して、持っていたものをルチアの前に出す。


「ワハテ?」


「これはな、携行食ってやつだ。簡単に言うとレトルトの保存食だ」


「レトルトノ?」


「まぁ、見てな。えっと、加熱材を使って水をいれてっと」


 レトルトパックに詰められたご飯を耐熱性の袋に入れる。さらにそこへ水を入れると発熱する加熱材を入れ水を注ぎ、袋の口を少し開けて地面に置く。するとあっという間に袋は熱を発してもうもうと白い蒸気が立ち上がる。水が沸騰する音が鳴り、発せられた熱が俺の汗を噴きださせる。


「ワゥワ……オハ、ワゥワ!」


 目の前の蒸気にルチアは目を丸くして驚いていた。

 簡単な化学反応を用いて発熱させる仕組みらしいが、俺は勉強が得意ではないのでよく知らない。俺が知っているのはこうすることで野営中でも温かい飯が食えるということだけだ。貴重な水をここで使ってしまうのは思うところがあるが、ルチアには助けてもらった恩があるので固いことは言いっこなしだ。


「凄いだろ? ヒートパックって言うんだ。熱いから触るなよ? ……フリじゃないぞ?」


「ワゥワ……」


「ダメっ! ダメだってば! 火傷しちゃうからダメだよ!」


 ルチアが発熱しているヒートパックを掴もうと手を伸ばしたので、俺は反射的にルチアの力強く手を叩き落として注意する。パシッといういい音を立てて打ち落とされたルチアの手はほんのりと赤くなっていた。


「ペァインフゥルッ!」


 痛そうに涙目で手をさすりルチアは睨み付けてくる。その目に耐えきれなくて俺は伏し目がちにルチアを見て頭を下げる。


「ごめん、でも危ないからさ」


「……ヨォウ、ハアテェ……」


 ルチアはポツリと呟くと俺に背中を向けてそっぽを向いてしまう。ねている子供のような膨れっ面が幼げな顔立ちに似合っていて俺は思わず笑いそうになってしまった。


 そうこうしているうちにヒートパックの蒸気が無くなり、音も静まりさっきまで熱かった熱が少し収まる。俺は手袋をつけ袋の中に手を突っ込み入れていた食事を引っ張り出す。

 レトルトの包装から湯気が立ち上り蓋の役目をしているビニールには水滴がびっしりと付いていて如何にも熱そうだ。


「よし。これを開けて、これをこうして、これを掛けて、っと出来上がり!」


「ワハテ?」


 レトルトパックのご飯を開けて、先ずは中の米を半分に折りたたむ。すると空いたスペースが出来上がる。そこへ一緒に温めていたレトルトパックの主菜を盛り付ける。

 白い米に茶色い液体が掛けられ食欲をそそる香辛料の香りが鼻腔を刺激し口内を唾液で満たしていく。今回のメニューはみんな大好きで、もはや日本の国民食とも言える代物だ。


「これはな、カレーっていうんだぞ?」


「カレェェ?」


「んー、とりあえず食ってみてごらん?」


 俺はルチアにカレーを渡し、付属しているプラスチックのスプーンも渡す。受け取ったルチアは最初こそ恐る恐るという持ち方だったが、一口目を口に運ぶと表情を輝かせ。かき込むようにカレーを流し込む。


「美味いだろ? それクソ不味い携行食の中で唯一美味しいやつなんだぜ?」


「セオ、セオ、デェルィシオウス!」


 返事もそこそこにルチアはよっぽどお腹が減っていたのか、一心不乱に食べ続ける。見ている俺もあまりの食いっぷりの良さに腹が減ってきて自分の分のカレーに手を付ける。

 一口食べると、カレーの香辛料の中に混じった保存料たっぷりの風味が口に広がる。美味いとは言っても他の携行食に比べるとの話なのだが、今日のこのカレーは間違いなく美味しい。


「はは、なんだかな。いつもより美味く感じるぜ」


 見知らぬ場所で食べる慣れ親しんだ味は知らず知らずのうちに俺の瞳から一筋の汗を流していた。


「ハジメ? ワハテ、ハァペペエンエデ?」


 俺が泣いてしまっているのに気づいたルチアは心配そうに顔を覗き込んでくる。俺はルチアに背を向け、泣いているの誤魔化すように残ったカレーを口へ流し込んでいく。

 スパイスの効いた味は俺の身体から汗を噴出させ、流れる液体は俺の心から不純物を洗い流してくれていた。


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