守る決意
森林特有の湿り気を感じる空気の中、俺は目が覚めた。朝靄が薄っすらと周囲を満たしており、どこか冷んやりとした空気を深呼吸して俺は自身の意識を覚醒させる。横にあるのは火が消え僅かな温もりを残した焚き火の跡。
そのすぐ近くで静かな寝息を立てて眠っているルチアがいた。俺は無防備な桃色の髪の美女の寝顔を舐め回すようにじっとりと眺めてから欠伸を一つする。
(あぁ……やっぱり夢じゃ無いんだよな……)
真っ先に頭に浮かんだのはそれだった。
昨日の出来事は非現実な事ばかりだ。見知らぬ化け物。その化け物を容易く葬る絶世の美女。首を斬ったはずなのに無傷の化け物。その化け物が放った日本語らしき発音の言葉。どれをとっても現実味が無い。
懐からライターとタバコを取り出し火をつけ一息吸って紫煙を吐き出す。吐き出す煙は朝靄よりも濃い色で俺の味覚と嗅覚を刺激する。
「あー、湿気っていやがるな……不味いぜ」
恐らくは朝靄と昨日の戦闘により掻いた汗が原因だ。胸ポケットに入れていたタバコは完全に湿気っていて、せっかくの風味が全く感じられない。一口目よりも強く吸い込み濃い煙を空に向けて吐き出す。
「ゲホゲホッ……ハジメ……スムゥオケヨ……」
寝ていたはずのルチアが咳き込みながらこちらを睨みつけてくる。どうやら俺が吐き出した紫煙は風に乗ってルチアの元へ行ってしまったようだ。
何度も咳き込むルチアを見てさすがに悪い気がしたので俺は離れた位置で吸おうと小銃を片手に歩きだす。
銃は昨日の出来事もあり俺に敵意は無いと判断したのか、改めて取り上げられるということはなかった。安全装置を確認し弾薬も装填されていることも確認した俺は背負い紐を肩にかけ歩き出す。
「ハジメ? オン、オヴエロ、テハエロエ、シオロペスエ……」
「んー……大丈夫か、って聞いてんのかな?」
俺が歩き出そうとするとルチアが心配そうな声を出す。
昨日の事もある、心配してくれるのはありがたいが俺だって一端の自衛官であり、成人を迎えた大人だ。ルチアは身体つきは鍛えているせいか立派だが、まだ幼さが残る顔つきは成人を迎えてはいなさそうだ。
さすがに年下に心配される程俺は柔では無い。ルチアの心配そうな声に俺は片手を振って答える。
焚き火の温もりから少しだけ離れ、俺は探索がてら周囲を観察する。相変わらず視界に映るのは緑の海。森を覆う朝靄は木々の葉をしっとりと濡らし森に潤いを与えていた。真夏の避暑地のように暑さの中に爽やかな森の香りを楽しめる空間だ。
俺はタバコの煙で森の爽やかさを台無しにしながら探索という名の散歩を続け、ある場所に着いた。
開けたこの場所は周囲とさして変わった様子は無いのだが、俺はこの光景に得体の知れない焦燥感感じ思わず反吐が出そうになる。
(……何だろう? なんか、嫌だなここは)
理由のわからぬ胸騒ぎに俺は不快感を感じてこの場を離れようとした。
「あ、タバコが……」
一陣の風が吹き、手に持つタバコを地面に落としてしまう。火が着いたまま転がり、地面の雑草に引っかかって表面を僅かに焦がすと水の露に触れ消えていく。
「あー、勿体ねぇな。……うん?」
タバコの吸い殻を拾おうと地面に
「何だろ?」
俺はそれがとても気になり、タバコを携帯灰皿にいれてから呑気にそれに近付く。
雑草と土で乱雑に盛られた土に小さな花が置かれていて木の棒が刺さっているモノがそこにあった。
「墓?」
簡素な形だがそれは確かに墓に見える。人が三人分入りそうな大きさで、まだ作り立てに見えた。
「……ハジメ」
名前を呼ばれて振り返るとルチアが真剣な面持ちで俺を見つめていた。俺の目の前まで来るとルチアは自分の右手の人差し指で頭を三回小突き、目の前の墓らしきモノを指す。
何も知らない者からすれば、その動作は何を意味しているのか分からない。
何を知る者の俺からすれば、その動作は何を意味しているのか分かった。
「そうか、これは……いやこの人達は、俺が殺した人達か……」
「ウハオハ、エズァシテルョ……」
目の前の人の命を救う為に、俺が奪った命。
忘れることは許されない事実に俺は全身が冷たくなるのを感じる。
【人の命を守る者は、人の命を奪う者にもなる】
言い逃れの出来ない事実が俺の体温を急速に奪っていく。
「ハジメ」
俺を呼ぶ声と共に肩へ触れるルチアの指先。かすかな温もりが凍てつきかけていた俺の身体に熱を灯し、感じる拍動が俺の心臓を奮わせている。
俺は自分でも気付かないうちに墓前に手を合わせていた。
名も知らない彼らを。
間違いなく非道な行いをした彼らを。
俺は俺が殺した彼らの冥福を祈っていた。
一体どれほどの時間が経ったのだろうか。
朝靄はいつの間にか晴れており、柔らかい朝日が生い茂る木々の葉を通り抜け優しい木漏れ日となり、俺の潤んだ瞳を包み込む。
グ~~……
……静かな森には不釣り合いな音が俺の耳に届く。音の発信源を見てみるとそこには顔が真っ赤に染め上げて俯くルチアがいた。
「ハジメ……デオ、ンオテ、ルオオケ……」
顔を手で覆い隠しそっぽ向いてしゃがみ込んでいるルチアがなんとも庇護欲を昂らせてくれる。思わず俺は前かがみになった。いや、前かがみどころかお辞儀をするような角度まで腰を引いていた。
人の三大欲求とは厄介なもので理性で抑えるのは難しい。しかたなく俺は手に持つ小銃で
「ハジメ?」
「な、なんだルチア!? 何でもないぞ!」
「……?」
(ふぅ……危ない危ない。墓前でナニをおっ勃てているんだ俺は)
何とかうまくごまかし、空いている手でルチアの腕を引っ張る。短い悲鳴を上げ拳が飛んできたが、俺が離さないでいると諦めて為されるがままに引かれていく。
最後に俺は一度振り返り墓前に頭を下げ元居た場所へと歩き出す。
ルチアの体温を指先で感じる。心地よい温もりは俺の心に一つの決意を秘めさせた。
「守りたい人がいる……か」
誰に言うにもなく呟いた言葉は朝の涼しい風に煽られ、誰の耳に届くこともなく朝日に呑まれ消えた行った。
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