危機
「ゴルルル、ゴルラァァアッッッ!」
ホブゴブリンの咆哮が夜の森に轟き響く。
地に倒れふす仲間の死体に目を向け、悲しんでいるのだろうか叫び声にどこか悲哀の感情が聞き取れた。金属の武具を何度も打ち鳴らし、歯をむき出しにし威圧するように俺とルチアを睨みつける。眼光は鋭く、獲物を狙う獅子にも似た眼差しだ。
「ハジメ……」
「ルチア、俺の事は気にするな。これでも戦闘訓練は受けている。実戦は無いけども……」
尻すぼみで自信無さげな俺の言葉にルチアは可哀想なものでも見るかのように憐れみを込めて目を細める。青い瞳は呆れて物も言えぬのか見えなくなるほど細くなり、ため息をひとつ盛大に吐くと正面に向き直り呼吸を整え始めた。
「ゴルル……」
「……ッ」
距離にして十メートル。睨み合う両者。
銃ならば余裕で届く距離だがお互いの獲物は剣であり、制空権はまだ触れていない。
剣の長さを目測で比べてみるとホブゴブリンの剣の方が短く見える。リーチの差で言えばルチアの方が有利になるかもしれないが、短い方が取り回しがよく接近戦には有利となる。
ルチアは女性だが剣捌きについては素人目の俺でも見事だと分かる。
しかし、ホブゴブリンの隆々とした腕を見るに、単純な力比べでは負けてしまうかもしれない。さらに相手は小柄なゴブリンよりも大きく背丈も人間に近い。奴を見たときのルチアの反応も気になる。
何か、嫌な予感が俺の胸を過ぎる。
ジリジリと距離を測る両者。先に動いたのはルチアだった。杖を構え呪文を詠唱しようと口を開く。
「フ……」
しかし、先手を取ったのはホブゴブリンだった。
「ゴブルアァァ!」
「ーーーーツッ!? イセ、ルアヨ!」
雄たけびと共にホブゴブリンがうった先手。それは……
「投げんのかよっ!?」
ホブゴブリンが取ったのは武器を投げつけるという意外なものだった。野球の投球フォームによく似た投げ方は、生物の力で投げたとは思えない速度で向かってくる。
「ンヲワ、ワヨッ! フゥッシケ!」
あり得ない行動にルチアは一瞬焦りを見せたが、即座にその場に伏せる事で攻撃を避ける。
「ア……」
その行動はルチア一人であれば、問題無く、正しい行動と言えた。問題は一人ではなかった事だ。
背後から様子を伺っていた俺は、目の前のルチアが伏せたことにより剣の射線上に立っている。そう、ルチアの頭目掛けて投げられた剣はそのまま俺の頭に一直線に向かっていたのだ。
「ーーーーーッッッッだラァァ!!??」
俺が雄叫びによく似た悲鳴をあげるのと、剣が俺の頭部に当たるのはほぼ同時だった。
鈍い衝撃音と痛みを感じた。
剣が突き刺さり、身体から離れるモノ。闇を照らす焚き火の光が、剣が突き刺さり地面に落ちたモノに影を作る。
「ハ、ハジ……メ?」
ルチアの声が遠くから聞こえる。目の前にいるはずなのに、遠く、俺の足元から聞こえてきた。
「ハジメ! ンヲ、ワヨ……ワケ、ウペ!」
「……」
俺は答えることが出来なかった。答えたくとも、身体に力がうまく入らず動かない。
「ハジメ? ハジメ!? ハジメッ!」
「………………」
まだ、身体は動かない。
「…………」
指先一つも動かない。
「……」
なんか……痛くなってきたような……。うん、頭痛い。
「痛え、いってぇぇぇぇ!?」
俺は遅れてきた頭部からの激痛に思わず叫び声を上げてしまっていた。地面で暴れるように転げまわり、身体中を砂と泥で塗す。
「痛えよ! あれ、俺って生きてるの?」
痛みを感じる頭を手で押さえ、そこでやっと気づいた。
「ヘルメットが無い?」
衝撃で倒れて仰向けになった体勢を起こし、後方を見る。そこには剣が突き刺さり穴が空いているヘルメットが転がっていた。
(あっぶねぇぇ……あご紐付けてたら即死だったな)
俺は眠る前にルチアから貰った干し肉を食べていた。あご紐をきつく締めたままだと口をうまく動かせなかったので外していたのだ。そして敵襲を受けたにも関わらず今の今まで忘れていたりうっかり屋さんな性格がここにきて功を奏してくれた。
「つーか、ケブラー繊維を突き破るってどんな威力だよ! 手榴弾の破片でも平気なんだぞ!?」
大切な頭部を守るためにヘルメットの強度はかなり高い。拳銃弾の直撃ですら平気なのだ。それをあのホブゴブリンは剣を投げただけで突き破っていた。その怪力とも言える力は俺の肝を冷やすには十分過ぎる。
驚く俺を見てホブゴブリンはまたも怪しく口元を歪める。醜悪な面構えから口角を上げてニヤけるその姿はさながら人間の様だった。
「ゴブブァ、ゴブブァ! ゴブブブブバァ!」
ホブゴブリンは空に向けて吠えるように声を上げる。劈く悲鳴が夜風と共に混ざり合って森中余す事なく広がっていくのがわかる。顔を上に向け俺たちのことは全く気にしていないようだ。
……その隙を
「フィロエ、ベアルル」
声とともに手のひらサイズの炎の球が現れホブゴブリンのもとへ飛んでいく。小さいながらも熱量を感じる炎。それはゴブリンに向けて放たれたのと同様にまっすぐ飛んでいき、にやける奴の顔に直撃する。
爆ぜる音と衝撃波、見た目に反して威力はかなり高いようだった。普通の人間、生物ならば致命傷を負うだろう。それでも、それでも俺は目の前の光景を見てもなお、奴を倒せたとは思えなかった。
(あいつ……笑ってた……?)
笑っていた。炎が当たる直前、目の前に迫りくる攻撃に対し回避も、防御も瞬きすらせず。笑っていたのだ。
嫌な予感が胸をよぎる。
俺はそっと後ろに下がり自分の荷物へと走る。防寒用のマントがかけられていた俺の荷物は、夜露でしっとりと濡れていたがそんなことを気にしている暇はない。俺は目当ての物を探り取り出す。
俺の愛銃である89小銃も夜露で濡れているが射撃には影響は無い。
(安全装置はかかってない、そのままで……弾は……よし、入ったまんまだ。装填もされ……)
「ーーッッ!」
俺が日ごろの習慣で銃の部品や動作に不具合がないか確認しているとルチアが驚きの声を上げる。続いて破裂音が鳴り響く。振り向くと夜の暗闇を照らすような赤い光の連続が俺の視界に映りこむ。
そこで俺は驚くものを見てしまった。
「マジかよ……クソゥ!」
俺は目の前の信じられない光景に悪態を吐き、銃を片手にルチアの元へ駆け寄る。
ホブゴブリンはルチアの炎の玉を避けようとはせず、直撃しながら真っ直ぐこちらへ走って来たのだ。一発、また一発と決して小さくはない爆発を受けながらも足を止めることなく迫る。
(このままではルチアが危ない)
そう思った俺は銃を構え、照準をホブゴブリンに向ける。
(今だっ……)
狙い、呼吸を整え、いざ引き金を引かんと指に力が入る。しかし俺は引き金を引くことが出来なかった。
理由は一つだけ。射線上に人影が入ってしまったからだ。
「ッッ!? ルチア、どいてくれ! 撃てないって!」
鉄の照準具から覗く先には醜悪な面構えでは無く、鮮やかな色をした桃色の髪だった。
ルチアはこちらを振り返らずに俺へ左手の親指を上げてくる。ただそれだけなのだが、その姿は雄々しくまた威容にあふれていて、俺の心に一つの感情を響かせる。
(いや、グッドじゃねぇよ! そこいたら流れ弾が当たるかもだろ!)
俺は人に自慢できるほど、89小銃の射撃は上手い。そこには絶対の自信があったのだが一つだけ問題があった。
俺は、人が、味方が前にいる状態で実弾を撃ったことが無いのだ。無論ルチアに当てる気は微塵も無いが、戦闘中の動き次第では万が一もある。言葉が通じれば指示を出したり射撃のタイミングを合わせることも可能だが、あいにく俺たちは互いの名前は分かっているが、お互いの言葉は通じない。
俺の思いを知ってか知らずか、ルチアは前のめりの低い姿勢になり駆け出し、盾を構えたホブゴブリンと真正面からぶつかり合う。
散る火花、金属同士がぶつかり合う独特な高い音、まるで荒れ狂う暴風雨のように速く重い連撃を繰り出すルチア。それを中型の盾一つで捌ききるホブゴブリン。どちらも人間とは思えないほど素早い動きだった。少なくとも片方は言うまでもなく人間では無い。
攻めるルチアに守る化け物。この場合どちらが有利なのかといえばそれは攻めるほうだ。受け手はどうしても後手に回らざるを得ない。嵐のような乱撃を受け止めているホブゴブリンは醜悪な化け物にしては見事な体捌きと言えたが、もはやそれも限界だろう。
「ゴッ、ゴバァ!?」
「ハァ! ……ッアァ!」
ルチアの剣がホブゴブリンの盾を弾き、大きく吹き飛ばす。そのまま無防備になった首元へ白銀の輝きが真一文字に振るわれる。
「や、やったか!?」
思わず俺は大きな声で叫んでしまった。叫ばずにはいられないほど、ルチアの振るった剣は鮮やかにホブゴブリンの首を通って行ったのだ。
キィン。っという甲高い金属音を鳴らしながら。
「……はぁ?」
「ワハテ?」
俺とルチアは同時に戸惑いの声を上げる。次の瞬間首を斬られたはずのホブゴブリンがルチアに体当たりをする。完全に不意を突かれたルチアはまともに受けてしまい、大きく吹き飛ばされ、俺のすぐ近くまで飛んでくる。
「る、ルチア!? 大丈夫かよっ!」
「ウウゥゥ……」
胸を押さえ苦しそうなうめき声を漏らしつつも、ルチアは何とか立ち上がり再び剣を握り締めた。しかし、虚を突かれた一撃は想像以上の威力を誇っていたのか、今にも倒れそうなほど苦しそうだ。
(無茶だろ……)
俺は心の中で呟き、満身創痍なルチアを押しのけ前に出る。その行動に驚いたのか戸惑いの声が後ろから聞こえる。
「ハ、ハジメ? ワ、ワハテ! ベハインデ、ムーエ!」
その声を無視して俺は前で銃を構えてホブゴブリンに狙いを定める。
相変わらず醜悪な面構えだ。下卑た笑みを浮かべているようにも見え俺は生理的な嫌悪感すら覚えた。
「動くな。動くと撃つ!」
この期に及んでこのような事を言う俺はやはり甘いのだろうか。当然、化け物に言葉は通じるはずがなく、一歩距離を詰めてきた。
「ッツ!」
俺は下卑た笑みを浮かべながら歩いてくるその足元へ向け一発だけ撃った。
薬室に装填されていた
「………」
奴は驚かなかった。遅れて聞こえた破裂音にはうるさそうに耳を押さえたのだが、発砲に対してとった行動はそれだけだった。
そして……
「……ジェイガン……バヂィウゥゥ、シャウズウ……」
そう言い残すと奴は俺に背を向け、生き残った手下とともにまだ暗い夜の森に溶け込むように消えて住まった。最後に見せた横顔は何かを悟った人のようにも見えた。
残された俺の胸中にはある一つの疑問が残った。
(…………喋った……のか?)
ホブゴブリンが発した言葉はルチアが話す異世界の言語とは違い、どこか、そう、
それがはたして本当に日本語であったのかは定かではない。もしかしたら突如この場所にいた自分がこの異常事態から現実逃避をしたい故の幻聴かもしれない。
「ウウゥゥ……ハジメ……」
俺の思考は後ろで苦しそうな声を出すルチアの声で中断される。思っていたよりもダメージは大きかったようでルチアの顔が苦悶の表情に歪んでいた。
「とにかく、手当だな」
俺はルチアの肩に手をまわし、ゆっくりと歩きだす。先程と変わらず煌々と燃える焚火の火を目指す。
気が付けばこの森にいて、化け物に襲われた。そしてルチアを助け、少し打ち解けた。
最後に日本語らしき言葉を話す化け物。
たった一日で頭が破裂しそうになるほどの摩訶不思議な出来事に俺の身体は思っていたよりも疲れていたらしく、ルチアの応急手当を終え、症状が落ち着くとぐったりとその場に崩れ落ちてしまった。後のことはよく覚えていない。
長い、異世界生活の一日目がようやく終わりを迎えた。
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