真夜中の襲撃
〜〜三日前、某野営地にて〜〜
「パイセン、タバコ貰ってもいいすか?」
「駄目だ」
「あざーす、ゴチになりやーす」
「あっ!? いや、駄目だって言ったよな? あれ、俺言ったよね?」
俺の言葉などまるっきり無視をし、西野は俺の懐からタバコの箱を取り出して一本しか入っていない中身を吸う。
「あー……湿気ってますね。マズイっすわ」
「死ねっ! この馬鹿!!」
「イッテェ!? イタイっすよパイセン!」
ラスト一本の楽しみにしていたタバコを吸った上に文句を言う。そんな西野に対して俺が行ったのは鉄拳による拳の制裁だ。鍛え抜かれた身体から放つ俺の拳は空っぽの頭に命中し、鈍い音を轟かせる。
西野は痛みに堪えつつもタバコを吸う手を離さない。その根性だけは認める。
「いてて、パイセンは容赦ないっすわー。戦争になったら背後に気をつけてくださいね?」
西野は指でピストルの形を作り、俺に向ける。
俺はその指を掴み曲がらない方向に曲げてやり、西野の悲鳴をさらに大きくしてやった。
「あー、ハジメってばまた後輩いじめてんの?」
俺の背後から女性の声が聞こえる。この声はよく知ってる、振り向かなくとも声の主はわかる。
「由紀、これはイジメじゃないぜ?」
「ふーん。じゃあなに? 教育的指導?」
「由紀先輩! パイセンを止めてくださいよー、この人加減知らずのバカなんだから!」
「……もう片方いっとく?」
そう言い俺は西野の空いてる手を掴み捻りを加えて手首を極める。小手返しと言われる合気道の一種の技だ。ちなみにこれはタケさんに教わった。
「ギャーっす!? 痛い痛い! 折れる折れる!? 日本
悲鳴を上げる西野は今度は冗談抜きで痛がり、俺の事を氏階級で呼ぶ。
「はいはい、ハジメ? もうすぐ三等陸曹に昇任する奴がやる事じゃないよ?」
「ちっ、わかったよ」
由紀の言っている通り、俺はもうすぐ階級が上がる。三等陸曹にもなれば分隊を指揮する分隊長にもなる。使われる側の下っ端から使う側の者になるのだ。
そのためには下の階級の者から慕われる存在にならなければならない。そのためには互いに信頼し合い、情愛を持って接しなければならないのだ。さもなければ、俺の嫌いな東城隊長のように部下から嫌われる者になってしまう。
そう、人を見ずに階級のみを見る人間に。俺はそんなのごめんだ。
俺は西野の手を離し、解放する。西野はタバコを手に咥えたまま手をプラプラと振り、タバコの煙を盛大に吐き出す。
「ふー、……パイセンって由紀先輩に弱いっすねー。なんすか? 惚れた弱みっすか?」
澄まし顔でそんな事を言い出す。俺は指をポキポキと鳴らし、西野に詰め寄る。ただならぬ気配を感じたのか一歩下がった西野に俺は首に腕を回して言ってやった。
「西野。タケさんに教わった技でな、裸絞めって技があるんだけど試してみてもい……」
「良くないっす。すんません。俺が悪かったです。日本三等陸曹、すいませんでした」
西野は俺の手からゆっくりと離れ、崩れた敬礼をして足早やに走り去ってしまう。
残された由紀と俺は互いに顔を見合わせ笑ってしまう。
「ふふ、可愛いね?」
「あれが可愛いだったら地球の全人類が可愛いって事になるぜ?」
「そうね、日本三等陸曹の言う通りかもねー」
手を後ろ手に組み、イタズラっぽい笑みを浮かべて由紀は俺に言う。そんな由紀の肩に俺は手を置きキザっぽい顔を作り口を動かす。
「俺の階級が上になっても今まで通り、はじめって呼んでいいんだぜ? 北村士長?」
「あら? 言われなくてもそうするつもりだけど? 日本三等陸曹殿!」
由紀はそう言いながら俺の鼻をつまみ左右に振る。
冷え性なのか、まだ寒い季節では無いのに由紀の指は冷たかった。
照れ隠しの熱を冷ましてくれる指の感触に、顔が赤面しないように耐えれたのは俺の男としてのちょっとした意地だった。
ーーーーー
「ーーメッ」
誰かが俺を呼んでいる。
「ージメっ!」
暗闇に飲み込まれ、混濁する意識の中でその声は微かに聞こえた。
(誰だろう?)
確かに聞いたことのある声だ。懐かしいようで、新鮮な記憶の中にある声だ。
「ハジメッ!」
突如、鼻に激痛が加わる。
まるで蛇にでも噛み付かれ、そのまま捻りを咥えて食い千切らんとしているようだ。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
あまりの激痛に俺は目をカッと見開き、鼻に食いついているモノを握りしめる。
「痛えんだよ! このや……ろう?」
蛇かなにかだと思い掴んだものは、女性の手だった。白く透き通るような手はとても綺麗で思わず見とれてしまう。
白い手はするりと俺の手をすり抜け、長い指が一つ一つ折畳まれる。やがてそれは一つの握りこぶしを作り、俺の視界から一度離れ距離を取る。
「ペロヴェロテッ!」
勇ましい声とともに俺の視界へ再び戻ってきた。冷たい感触が俺の皮膚を刺激し、細い指の感触が肉を刺激し、振り抜かれた拳は俺の顔面を刺激した。
……目覚めの一発としてはこれほど相応しいものは無いだろう。
「痛いッッ!? えっ、えっ、なに? 俺が何かやったの?」
「ハジメッ! ペロヴェロテ! ワケ、ウぺ!」
まだ暗い森の中で桃色の髪と透き通った白い顔が焚火の炎に照らされ浮かび上がる。どことなく焦りが見えるその表情は何かしらの異常事態が起こっているの匂わせる。手には剣を握りしめ周囲をしきりに見回し警戒をしていた。
「ル、ルチア? なにかあったのか?」
「エンエムーイ……ハジメ、アルエロテ……」
ルチアは相変わらず理解不能な言語で俺に話しかける。いまだに理解できない言語に一瞬首をかしげるが、言わんとしていることは何となくだが分かる。
周囲から感じる視線、草木が擦れる音、何かの生き物が動く音……。
(囲まれて……いる?)
恐らく、否、確実に囲まれている。
この感覚は演習中の偵察訓練で敵陣地に潜入して囲まれた時の感覚と同じものだ。
俺が注意深く周りを伺っていると隣で剣を抜く音がした。見るとルチアの右手には白銀の剣が握られていて揺らめく炎に照らされ紅く白く輝いていた。
「ハジメッ!」
「は? ……うぉう!?」
目の前に剣が突き出されるのと同時に何かが弾ける音がする。金属と金属がぶつかり合う甲高い音を鳴らし、俺の足元の地面に落ちていく。
「これは……矢?」
細長い棒状の木の先端に金属の矢尻がついている。一文字の棒状の身の片方には鳥の羽だろうか、三枚の羽がついている。殺傷能力を追求したデザインの矢は間違い無く俺に目掛けて放たれたものだ。
「ッゥ!? ハジメ!」
さらに二本、三本と矢が俺に向けて放たれる。ルチアは迫り来る矢を剣で弾き落とし、俺の前に立つ。呼吸に乱れた様子はなく、青色の瞳が凛々しく輝いていた。
「ガーベルィン。ワエーケ……ベウテ、ンアギルガァエンテ、ンヲッ! ……ハジメ、スゥロエ?」
「え、ええと……オッケーです?」
ルチアは何かを説明する口調、そして最後に俺の名前を出して同意を求めるような声を出す。言葉こそ分からないが、恐らくは油断するな、とか注意して、というニュアンスだろう。とりあえず俺は了解という意味を込め親指を立てて差し出して置いた。
「……ワハテ?」
俺のサインを見てルチアはコテンと首を傾ける。桃色の髪が流れるように右側へ寄りルチアのおでこが露わになる。
整った可愛げのある顔なのだが少しだけおでこが広い。そんな事をつい考えてしまったが、この緊急事態に考える事ではないとその思考を頭を振って何処かへ飛ばす。
さらにもう一本、今度は矢のように細く短いものではなく、槍のように長いものが飛んで来た。
さすがに弾き落とすのは無理だと判断したのか、ルチアは俺の身体を自分に引き寄せ、そのまま横に飛ぶ。
俺達がいた所にそのまま真っ直ぐに槍が突き刺さり直立する。それは地面へと深々と突き刺さっており、先端に付いていた金属の部分が完全に地面に埋まっていた。どんな力で放てばあれほど突き刺ささるのだろうか。俺は背筋が凍える思いを全身で感じながら槍の発射地点を注視する。
「ゲギャギャー」
「ガゥラァァ!」
「ホアァァァァッ!」
そこから現れたのはある意味、俺の印象に最も残っている者だった。全身緑色の化け物。
そうだ、思い出した。あれだ、小説とかゲームとかアニメとかの序盤に出てくるスライムに並んで雑魚敵の代名詞の化け物。
「ゴブリン……だよな?」
「ガーベルイン? ……ヨォウ、ケハォウ? ガーベルイン?」
「えと……ゴブリンな? 俺たちの世界ではな」
俺の言葉に反応しつつも、ルチアは敵から目を離さない。敵の数は三体、こちらは二人、数の上ではこちらが有利だがあいにく俺は武器を持っていない。俺の荷物はルチアに取り上げられたままであり、丸腰の状態だ。
「ハジメ。ベハインデ、ムーエ」
ルチアは化け物から俺を守るように前に立つ。
情けない事だが、仕方がない。この場に置いて銃を持たない俺よりルチアの方が戦力になる。現にルチアはあの化け物を何匹も斬り殺していた。俺が変に何かをするよりかは足手まといにならないように隠れるのがいい得策だろう。
俺はそう思い、自分より背が低く尚且つ体つきも細いルチアの背後に身を縮こませるように隠れた。
「プッ、ハハハ……アロエ、ヨォウ、ケィデディンゲ?」
ルチアは俺のその姿を見て吐き出すように笑っている。
確かに大の大人。それも屈強な肉体を持つ男がそんな事をしていたら当然だ。はたから見れば若い女子高生の後ろに隠れる二十後半のオッさんだ。そんなのは即通報ものである。おまわりさんこいつです、というヤツだ。
最も、今この場にいるのは警察官では無く自衛官。そして美しき女剣士と醜い化け物だけだ。
誰も通報する奴はいないし、する相手もいない。
剣を構えるルチアを見てゴブリン達は手をこまねいているようだ。手に木の棒や錆びたナイフなどで武装していることも鑑みて、知能は低くないようだ。その証拠に力量差を感じているのかゴブリンは全く近づいてくる気配は無い。
「フィロエ、ベアルル」
そんなゴブリン達に対し、ルチアは木の棒を構えて何か呪文のようなモノを唱える。すると杖の先端から炎の玉が出現し、揺らめく。杖の先端で揺らめく炎はルチアが棒を振ると真っ直ぐに飛んでいき、木の棒を持っていたゴブリンの身体に当たり弾ける。
「ホァァァ!?」
なんとも間抜けな声を出し、持っているトゲ付きの棍棒ごとゴブリンの身体は火に包まれる。汚れた肉の焼ける嫌な臭いと炎の熱が、夜風に乗って俺のところにまでやってくる。不快な気分になり俺が目を瞑り鼻を閉じると次の瞬間、ゴブリンの悲鳴が耳に届く。
「ガゥラァァァ!?」
「は? おぉう……」
俺が目を開けると目の前にルチアはいない。目の前にいたはずのルチアは一瞬でゴブリンに近づき、白銀の輝きでゴブリンの腹部を貫いていた。
「は、速いッ!?」
それしか言葉は出ない。瞬く間に剣でゴブリンを両断し、最後の一体にも剣を向ける。
「ゲ、ゲ、ゲギャー!!」
ゴブリンはルチアに背を向け、さながら脱兎のごとく駆け出す。化け物にしては良い判断だ。仲間が一瞬でやられ敵わないとみて逃げる。兵士としては落第だが生き物としては正解だ。
「ゲェテ、ヨォウ!!」
逃がさんとばかりに追いかけるルチア。速い、武装している女性には思えない。
あっという間に追いつき、いざ剣を振り下ろさんとしたときに[それ]はきた。
【勝利を確信したとき、戦士はただの人になる。死神はそこに潜んでいる】
剣を振り下ろすルチアの横から、突如として影が現れルチアの細身を吹き飛ばす。
「----ッッ!?」
まともに受けたルチアだったが、地面に激突する直前で態勢を立て直し受け身をとる。突如入ってきた横槍に面食らった様子のルチア。……その顔が一瞬青くなる。
「ハオべガーベルイン……ヴァロイアンテセ……」
ゴブリンを成長させ、人間の大きさにしたほどの背丈。ルチアよりもは背が高い。手に持つのは鉄だろうか、金属製の剣と盾をもつ。体表の色は緑ではなく黒ずんでいた。やや人間に近くなった顔立ちだが、その醜悪な顔は化け物よりである。
「緑のがゴブリンだとしたら……さしずめ、ホブゴブリンということかな?」
俺が呟くと、そうだと言わんばかりにホブゴブリンは口を歪めて笑う。
それはあまりにも人間らしい、悪意に満ちている笑みだった。あまりにも……感情的だった。
「ゴルラァァアァァァァッッッ!」
俺はその笑み、その雄叫びに恐怖を感じ、態勢を立て直すために戻ってきたルチアの後ろに隠れてしまった。
「……ハジメェ……」
ホブゴブリンの悪意に満ちた視線とルチアの呆れるような視線が重なり、いたたまれなくなった俺はルチアの背でさらに小さくなってしまっていた。
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