貴方の名前

 パチッ……パチッ……


 新たに焚べられた薪により焚き火の火は音を立て火花を散らす。生木は火の周りが悪く中々火がついてくれなかったが、この森の木は油分が多いのか、一度火がつき始めるとよく燃えてくれた。


「ゲホ、煙いな」


 油分が多い分、発生する煙の量も多いので風下にいるとすぐに煙に巻かれてしまう。その為、俺は風上に回るべく移動するがそこは小さい焚き火の周りだ。煙の当たらないスペースは限られている。

 俺が風上に回ろうとすると、そこにいた先客が嫌な顔を見せてくる。


「……ペロヴェロテ」


「そのペロヴェロテ、ってのはどんな意味なんだ? ……変態?」


 俺の質問に桃色の髪の彼女はそっぽ向いてしまう。そっぽは向いているのだが、チラリとこちらを伺うその目つきは警戒心こそあれど嫌悪感は感じ取れなかった。

 

俺は肩をすくめて彼女から少し離れた位置に座り、ため息を吐く。


(言葉通じないな……)


 恐らく彼女が口にしている言葉はこの世界の言語なのだろう。

 俺が生きてた二十五年間で、一度も聞いたことの無いこの言語は慣れ親しんだ日本語の発音とは全く違う。言語なのだから何か発音の規則性があるはずなのだが、いかんせん彼女が喋っているのは恐らく変態・・意味する単語ばかりだ。

 こうも変態、変態と言われると温厚な俺でも流石にいい気分はしない。例えそれがファーストコンタクトでいきなり抱きついた俺が悪いにしてもだ。いや、やっぱ我慢するべきかもしれない。


「それでも名前ぐらいは聞きたいし、覚えてもらいたいよなー」


 俺は例え言葉が通じなくても自己紹介ぐらいはするべきだと思い、立ち上がって彼女のそばによる。少し緊張する胸を落ち着かせるために何度か深呼吸をし、意を決して声を出す。


「な、なァ! 自己紹介しよ……」


「エァテ、テハイス?」


 裏返った俺の声は、同時に差し出された干し肉のようなものを手に持つ彼女の手で遮られた。

 日本で酒のつまみによく食べていたビーフジャーキーによく似ているそれは、火で炙られうっすらと焦げていた。反対の手にも干し肉があり、それを彼女は口に運び何度も噛り付いていた。


「はい?」


「エァテ」


 食べろ。そう言わんばかりに差し出されたそれを俺は遠慮がちに受け取る。

 塩でも振ってあるのか、少しベタつく。匂いを嗅ぐとほんのりと香辛料のような香りが鼻腔をくすぐる。指で軽く力を込めて摘んだ感じではかなりの硬さを誇っているのがわかる。


(これを食べるのか?)


 訓練では色んなものを食べたことがある。蛇、鶏、蛙、兎。どれもあまり美味くはなかった。

 訓練で支給される携行食も美味くは無く、普通に食べられるか嫌でも食べられるか不味くても食べられるのかという範囲だ。決して美味なものでは無い。

 数分前まで生きてた蛇を焼いて食べる。何の味もしない。

 真冬にカチカチに凍った白米を食べる。割り箸が余裕で折れるそれを無理矢理噛み砕き、胃袋に流し込んだこともある。

 そういった経験があるにもかかわらず、得体の知れないこの干し肉を食べるのには躊躇ってしまう。


「ンオテ、エァテ?」


 桃色の髪を片手で搔き上げる色っぽい仕草をしながら干し肉にかぶりつく。何度も何度も噛み、唾液で柔らかくしてなんとか噛みちぎっている事からこの干し肉は相当の強度を持ち合わせていることがわかる。


「いくらなんでも流石にこれはな……何の生き物なのかわからない肉を食べるほど俺は挑戦者じゃ無いぞ?」


 前述したものはあくまで訓練の一環として用意されたものだから食べれたのだ。悪食では無い俺はそうでなければ、流石に好んで不味いものを食べたりはしない


「ンオテ、エァテ……?」


 物欲しそうに俺が持つ干し肉を見つめる。既に自分の分を完食しているのに大した食欲だ。


「食べたいのかよ?」


 俺が干し肉を持つ手を軽くあげるとそれに合わせて水色の瞳が上は動く。下へ下がると目線も下へ下がる。俺はまるで猫のように動く彼女の顔がなんとも面白く感じていた。


「アゥ、アゥゥ……」


「食いたいのか? あげようか? ……ほら、あげた!!」


 まるで小学生が好きな子を揶揄からかうような口調で持っている干し肉を挙げた。


「ヨォウ、デオインガ??」


 俺のやっている事がわからないのか、青色の瞳はただ干し肉をだけを見つめていた。

 自分がやったネタが滑った事に気付き、俺は頬を赤らめ恥ずかしさを誤魔化すために干し肉に齧り付く。


「ーーーーツッ!?」


「かっっったい!? カッチカチじゃねぇかこれ!」


 貰えると思っていたモノを貰えなかったことが余程ショックだったのか、彼女は声にならない声を出す。だが、俺はそんなことよりも干し肉が余りにも固すぎることに驚いていた。

 煎餅せんべいや保存用の乾パンの固さなど生温い、まるで瓦を齧っているかの様な感触に俺は思わず口から離し、自分の前歯を確認した。


「ーーーーツッ! ーーーーツッ!」


「ちょ、痛い! 痛く無いけど痛いってば!」


 俺が自分の前歯を確認していると、横から女性がポコポコと殴ってくる。まるで愚図ついた子供の様に、若干涙目で拳を飛ばしてくる女性は、俺が両手を上げて降参のポーズを取ると荒い息を吐きながらも止めてくれた。


(食い意地張りすぎだろ。ん、待てよ?)


 俺は自分の荷物の中にある物を入れていた事を思い出す。俺は一先ず干し肉を口に咥え自分の荷物に手をかける。途中でまたポカポカと殴られたがそれを無視して荷物を漁り続ける。


(確かここに……あった!)


 荷物から無理矢理引っ張りだしたものは、俺が三時のおやつ用に持ってきていたスナックタイプのチョコだ。コーンパフにチョコが染み込んだものなので常温でもドロドロに溶けず美味しくいただける。

 俺はそれの袋を開け、珍しそうにこちらを見る女性へ渡す。甘い香りが心地いいのか、目元をトロンと蕩けさせている。


「食べていいぞ? 言っても通じないか。……もう食べてるし」


 俺の言葉はどこぞの空。貰った瞬間こそ少し悩んでいたようだが、甘い香りに勝てなかったようで一つ摘んでは食べ、また一つ摘んでは食べを繰り返していた。


「チョコって言うんだ。これも、通じないだろうけどな」


 俺の呟きを無視して一心不乱に食べている姿を、俺は少し寂しい気持ちでみていた。


「もっと落ち着いて食べろよ。てか、俺にも一つくれよ?」


 その言葉は無視され、そのまま女性は食べ続ける。幸せそうに顔を綻ばせており、桃色の髪が口に入ってしまっているのも気付かないようだ。


「……子供かよ。全く、世話が焼けるぜ」


 俺はそっと女性の口元に手を出し、髪をどかしてあげる。それでも食べる事を止めない姿に呆れを通り越して感嘆の息すら出てくる。


「…………はじめ」


 俺はいつの間にか自分の名前を呟いていた。

 その言葉を聞いた女性の手が止まる。青色の瞳を真っ直ぐこちらに向け、チョコで茶色く汚れた口元をつぐんでこちらを見ていた。


「ひのもとはじめっていうんだ。俺の名前さ。はは……これも通じないんだろ?」


 自嘲するように俺は笑ってしまった。

 自己紹介をしようとしたのは多分、己の寂しさを紛らわす為だったのだろう。返ってくる見込みの無い問いをしてしまった事が無意味に感じ、なんだか笑えてきた。


「ヨォウ、ンアムーエ……ハジメ・・・?」


「……今、なんて言った?」


 半ば自暴自棄のような心境に至っていた俺の耳に聞き慣れた名前が聞こえた。俺の耳がおかしくなっていなければ、彼女は確かにハジメ、と言ってくれた。急激に上がる体温に汗が噴き出す。胸の奥底から登ってくるなにかが心臓の鼓動を早くする。


「ンアムーエ、ハジメ。ヨォウ……ハジメ?」


 真っ白い指で俺を指し、壮大な海を思わせる青い瞳が見つめる。その視線は夜の森と同じ色をしている俺の瞳と視線を重ねていた。


「〜〜〜〜つっっ! そうだよ、ハジメだ! 俺の名前だ!」


 俺は嬉しくなり、拳を握りしめガッツポーズをとる。その姿を半ば呆然とした様子で見ていた彼女は自分の口元を拭い、こほんと一つ咳払いをする。


「ムーヨ、ンアムーエ……ルチア!」


 彼女は自らの胸に手を当てそう答えた。

 この流れから言って今の言葉は彼女の名前だろう。いや、そうとしか思えない。


「ルチア、ルチアでいいんだな!? それが名前でいいんだよな!」


「ーーーッ!?」


 彼女……ルチアは俺がいきなり興奮していることに身の危険を感じたのか、俺から一歩距離を取る。

 だが俺はそんな距離など御構い無しに詰め、ルチアの手を握る。細い指に暖かな体温を感じる。

 目の前のルチアは顔がほんのり紅くなり始めていた。


「ルチア……ーーッッッ! いい名前だッ!」


 何故、ここまで興奮しているのか自分でもわからない。だが、恐らく俺は寂しかったんだろう。

 死んだと思い、気が付けば何処とも知らぬ森の中。そこには気の知れた仲間達はいない。そして襲い来る謎の化け物。正直、よく俺は正気を保って来れたのだと思う。

 そんな折に出会った人。それも絶世の美女と言えるほどの女性だ。でも、言葉が通じない。

 まだ一日も経っていないのに俺の心は疲弊していたのだろう。それほどの苦労があった。

 はたから見ればたった一日、しかし、それでも俺の心は擦り切れていた。



 俺は強い人間じゃない。例え銃という強い武器を持っていても強くなれた訳じゃない。俺自身はそこまで強くはなれない。

 お互いの名前を知った。ただそれだけのことなのだが、確かに俺たちは繋がりを持てたのだ。



 それだけでも、心が救われた。



「ルチア……ルチア! ははは……」


「……ヨォウ……」


 一人はしゃいでる俺に、ルチアは小声で何かを呟いていた。手をつないだまま浮かれている俺の耳にその言葉は聞こえなかったが、ルチアがチョコで汚れた口で放つ言葉は出会ってから俺に対して最も多く言っている言葉だった。


「ペロヴェロテッッッ!」


「グッハァ!?」


 ルチアの細い指が俺の手を離れ、握りこぶしを作り始める。手に力を全力で込めて俺に向けて振りかぶり、放つ。放たれた拳は吸い込まれるように俺の腹部へ命中し、俺はそのまま地面に倒れた。

 この間、一秒も無かった。彼女は優秀な戦士なのだろう。その証拠にこの一撃は、俺の生涯で受けた衝撃の中で間違いなく三本の指に入る衝撃力を備えていたのだ。


「ペロヴェロテ! ペロヴェロテ! ヨォウ、ペロヴェロテッッッ! フゥッシケ!!」


 地面で悶絶する俺にルチアは吐き捨てるように言葉をぶつける。やがて気が済んだのか俺から離れて剣を腰に差すとそっぽ向いて寝転がってしまった。どうやら俺は完全に嫌われてしまったようだ。でも……


「がっ……ふふ、痛てぇ……はは、痛えや」


 苦悶の表情を浮かべながらも俺は満足げに笑い、胸に満たされているものを感じていた。その気持ちを噛みしめるように俺は目を瞑り、一日の探索の疲れからかそのまま寝息を立てて眠ってしまった。

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