第43話 風と雷 (3)

「腕相撲で決着がつかないって言うなら、俺が別の勝負を用意してやるよ」

 草太が部屋を出ていったあと俺はらいふうにそう提案してやった。そうすると2人はテーブルの上に乗る俺に対して体を近づけてくる。

「ほう、それは一体」

「どういう勝負なのだ」

「暑苦しっ! 顔が近いぞ。もう少し離れろ」

 俺がしっしっと尻尾を振ると2人は離れた。ガタイのいい鬼2人が至近距離で密着していると迫力が半端ではない。圧が強くて仕方がなかった。

「よしそれじゃあ勝負の場所に案内してやるよ。ついてこい」

 俺はテーブルから降りて廊下の方へと向かう。閉じていたドアはぴょんと飛んでドアノブに掴まって開ける。

 草太の借りている部屋はワンルームの狭い賃貸だ。部屋を出ると玄関まで細い廊下が続き、その脇に小さいキッチンがある。その横には2つ扉の冷蔵庫。低い音を立てて稼働するそれの横を通り過ぎる。

「よし、お前らにはこれからここの掃除をしてもらうぞ」

 俺は2つの扉の間に立った。鬼の兄弟はそのまったく同じポーズで首を傾げた。

「「掃除?」」

「そうだ。右の扉は洗面所と浴槽。左の扉はトイレに繋がっている。お前らはこれからわかれてそこを掃除するんだ」

「ほう? それでどちらか早いか競うというわけか。面白い」

 雷がニヤリと笑う。自信満々だな。だが俺は事前に決めていたルールを追加で説明する。

「言っておくが妖怪の力は使うなよ」

「なっ!? なぜだ!」

「だってフェアじゃないだろ」

 勝利を確信していた雷は泡を食って聞いてくる。こいつは雷の速度を出せるんだろうからスピード勝負では圧倒的に有利だ。あくまで同じ土台で勝負してもらわなければならない。

 そのことがわかったのか雷はぐぬぬと歯噛みし、逆に風はほくそ笑む。

「うむ流石だ。トラゾー殿はよくわかっておる」

「言っとくがどっちかを贔屓する気はないぞ。なるべく両方が同じ条件で勝負しなければ意味がないってだけだ。

 それとこれは掃除だ。早さだけでなくどれだけ綺麗にできたかも評価するからな。仮に先に終わらせても汚かったらそこはマイナスだ。逆もまた然りだ。その2つを総合的に評価する。時間と丁寧さのバランスを心がけろよ」

 俺が説明し終わると2人がごくりと喉を鳴らす。

「兄者よ。今までにない形式の勝負だな」

「おお。このやり方は始めてだ。しかし負けぬぞ」

「なにをこちらこそ」

 2人はそう言い合いながらそれぞれ扉の前に立った。雷は浴室と洗面台の扉に、風はトイレの扉の前だ。

「よし。準備はいいな? それじゃあ始め!」

 俺が合図すると2人は同時に扉を開けて中へと駆け込んでいった。

 俺は廊下に香箱座りする。俺は普段草太がやっている家事を勝負としてこいつらに競わせるつもりだった。そうした方が平和的だからな。それにこれまでは力比べみたいなことでしか優劣をつけようとしなかったみたいだ。ほぼ力が拮抗しているこいつらでは決着なんて一生つかん。こうやって能力関係ないやり方のほうが勝敗もくっきりわかれるだろう。そうなれば互いに踏ん切りがついて仲直りできるはずだ。

 あとは草太の負担を減らすためという目的もあった。あいつは最近バイトや深秋祭しんしゅうさいとやらの準備が忙しいようで、家事がおざなりになっていた。それをこいつらにやってもらえばあいつも喜ぶだろう。もしかしたら俺を褒めて、うまいおやつをくれるかもしれん。そうなれば俺にも益がある。

 2人の仲直り。草太のためになること。俺の願望。この3つを同時に満たす策を思いつくとは、俺は実に優秀な飼いにゃんこだ。自画自賛しながら俺は床に顎をつけるのだった。


「終わったぞ!」

 最初に出てきたのは雷だった。額に光る汗を腕で拭い、ふうと息を吐く。雷神だけあって通常でも速度が早いようだ。

「どうだ。評価は」

「待てよ。風の方はまだだ。評価するのは両方終わってからだ」

 待ちきれない様子の雷を制してから10分後。ようやく風が出てきた。

「ぬう。兄者の方が早かったか」

「そのようだなあ。弟者よ」

「まだだ。ちゃんと掃除できているか見るぞ」

 速さは雷が上だ。だがどちらがより綺麗に掃除したかはまだわからない。俺はそれを確かめるべくまずは浴室と洗面所から見ることにする。

 洗面台はよく磨かれ水垢を拭き取ってあった。鏡もピカピカになっている。

 浴室の床はよくブラシで擦ったようで汚れは落とされていた。浴槽もちゃんと掃除され一見ちゃんと掃除されているように見える。

「どうだ? トラゾー殿」

「そうだなあ。まずはここだな」

 顔を浴室のドアから顔を出す雷に俺は前足で指す。

「壁の隅、見逃していたみたいだな。カビが残っているぞ」

「ぐう。本当だ。見逃していた」

「あとは洗面台の蛇口の部分。水垢がついているぞ。鏡や洗面台に気を取られすぎたな」

「ぬおお……」

 完璧に掃除したと思っていたのであろう雷は、俺の鋭いチェックに頭を抱えた。俺はその両足の間を抜けて廊下に出てトイレに入った。

 トイレの便器は汚れ1つない。黒ずみもなく窓から差し込む太陽の光で反射して光っている。便座の裏も綺麗になっていた。床にもゴミは落ちていない。

「うん。いいんじゃないのか。こっちはちゃんと掃除されていると思うぞ」

「おお! わかってくれたかトラゾー殿!」

「ああ。早いのは雷。綺麗なのは風。これは引き分けだな」

 俺が公正なジャッジを下すと雷と風はぐぬぬと悔しそうに睨み合う。

「よし! 次は部屋に行くぞ。まだまだ勝負は考えてあるからな」

「「おう!」」

 俺が廊下を戻っていくと2人もそれに続いた。

 

 それからも激しい勝負は続く――


「よし! 次は部屋の掃除だ! さっきと同じで速さと丁寧さを競うぞ!」

「「おう!」」


 勝負は続く――


「よし! 次は洗濯物だ! 取り込んだ服や下着を素早く綺麗に畳めよ!」

「「おう!」」


 勝負は続く――


「よし! そろそろ昼飯の時間だな。冷蔵庫の中身で昼飯を作れ。少し俺が食べてどっちが美味いか確かめる」

「おう!」


 勝負は続く――


「よし! 俺と遊べ! 楽しかったほうが勝ちだ!」

「「おう……?」」


 続く――


「よし! 俺がどれだけもふもふでセクシーか褒めろ!」

「もふ……?」

「セク……?」


「結局決着はつかずじまいか……」

 俺はキャットタワーのベッドの縁に顎を乗せながら言った。色々やったから疲れていた。雷と風も部屋のテーブルを挟んで目頭を揉んだり、肩を叩いている。慣れないことをして疲れたか。さすがの鬼も人間の家事は大変なようだな

「こりゃ明日も続行だな……」

 疲労困憊の今の状況では続行はできそうになかった。それに外ももう暗い中から草太もそろそろ帰ってくる時間だろう。

「まだまだ勝負は考えてあるからな。明日も頑張れよ」

「おう……。明日は負けぬぞ……」

「こちらのセリフよ……」

 俺がベッドの中から見下ろすと2人は疲労の滲んだ声を上げた。だがその顔にはどこか爽やかさを感じる表情が浮かんでいる。全力を出し切ったスポーツマンのようなそれだ。この調子なら決着戦つく前に元の関係に戻ってるかもな。俺は草太が帰ってくるまでベッドの中で体を丸めていた。


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