第41話 風と雷 (2)
僕が雷さんを部屋に連れて帰るとちょうどトラゾーも外から戻ってきたところだった。散歩でも行ってきたのかな。
「トラゾーお帰り。実はちょっと人を連れてきたんだけど……」
「奇遇だな。実は俺も……」
瞬間、僕とトラゾーの思考が止まる。僕はベランダから入ってきた腰布1枚の男の姿を見て。対しトラゾーは部屋の入口に立つ雷さんを見て。僕とトラゾーの視線が絡まる。
ピキーンと僕の脳細胞に閃きが走る。なんとなくだが僕はトラゾーの事情がわかった気がした。トラゾーも口を半開きにして尻尾をビビン!と立てている。どうやらトラゾーも僕と同じようだった。
僕とトラゾーはベッドの上に乗って顔を突き合わせる。
「トラゾー説明してくれる?」
「かくかくしかじかもふもふにゃんにゃんだ」
「僕とまったく同じだ! すごいなあ!」
「飼い主と飼いにゃんこは似るのかもな!」
あっはっは!と笑いあい、首をぐりんと横に向ける。そして二人の様子を見て頭を抱えた。
「……」
「……」
鬼の兄弟は仁王立ちをしながら睨みあっていた。その表情はとても剣呑なもので今にも殴り合いを始めそうな顔つきだった。なにか声をかけようとするが2人の体から立ち上る凄まじい闘気が僕にそれをさせない。2人の鬼の間の空気は今にも弾き飛ばされそうなほど軋み、たわんでいた。
「な、なんでそんな空気に……お互い謝りたいんじゃ……」
「ほとぼりが冷めないうちに再会したから、また感情のボルテージが高まってんだろ。こりゃ冷静な判断は無理だな。俺やお前じゃ止められない」
「あっ! トラゾーずるい」
トラゾーはもう色々諦めたようでベッドのシーツに身を包み、頭だけを出していた。僕も一緒にシーツを被り事態を見守る。
「弟者よ。無事であったか。怪我がないようでなによりだ」
「はっはっ、兄者よ、あんな軟弱な拳では俺の命はとれんなあ」
「ほうそうか? しかし俺もこうして健在だ。お主のひ弱な足では俺は殺せなかったようだなあ」
雷さんと風さんは和やかに煽り合っていた。なんでどっちも相手を怒らせるようなこと言うの……?
乾いた声で笑い合う2人はもう高まった感情を抑えられそうにないようだった。腕組みの構えを解いて戦闘態勢をとる。
「ストーップ!」
僕は勇気を出して声を上げた。琥珀と翡翠の瞳が僕を見る。
「あ、あの! 雷さんと風さんが喧嘩をしているってことはわかりました。でももうちょっと平和的な方法で解決できませんか!」
「平和的、だと?」
雷さんが片眉を上げる。風さんもなにを言っているのだという顔だった。
「そうです。殴り合いとか殺し合いとかそういうのじゃなくて、お互いに何かを競い合ったりとかそういう形での別の方法です」
「……なぜそんな提案をする。お前には関係なかろうに」
風さんが鋭い目つきで聞いてくる。僕はゆっくりと息を吸い込んで口を開く。
「お話を聞く限り兄弟仲は良かったみたいなので……。それで雷さんと風さんが喧嘩し続けるのは悲しいです」
僕の言葉に2人は息を呑んだ。そして顔を見合わせる。先程まで張り詰めていた部屋の空気が一気に弛緩する。
「そうだなあ……。兄弟で血なまぐさいことはいかんか……」
「そのとおりよ、兄者。よく考えればここはそこの男の子と化け猫のすみか。俺たちが本気になればここはなくなってしまうぞ」
「そうだ。そうだな。俺たちの話を聞き、夜露をしのげる場所まで連れてきた相手にそれは不義理だなあ」
いくらか冷静になったらしい2人はうんうんと頷いてから再び僕の方を見やる。
「草太と言ったか。悪かったな。少々頭に血が上りすぎていたようだ」
「すまなかった。鬼は血の気が多く喧嘩早い一族よ。先ほどお前に言ったことを忘れておった……」
風さんと雷さんはバツが悪そうな表情をした。僕はホッとした。なんとか殴り合いの喧嘩は回避できそうだった。トラゾーもよくやったぞと僕の膝を叩く。
「よし。では別の方法でやるとしよう」
「おうよ。ではあれだな」
少し軽くなった口調で2人はテーブルを挟んで座った。一体なにを……? そう思う僕の目の前で2人はテーブルの上で肘を立て手を握り合う。腕相撲だ。
「では行くぞ」
「ああ」
2人はすう――と息を吐き出し……大きく吸った。
「「ふんっ!」」
2人が腕に力を込めると力こぶが盛り上がり凄まじい力を発揮した。傍目から見てもわかる。普通の人間なら腕ごと体が回転してしまうような剛力だ。
雷さんと風さんは体をぷるぷる震わせながら相手の手をテーブルに叩きつけようとする。しかしその力は完全に拮抗しており、腕は最初の位置からまったく動かない。僕の指ほどの太さもある腱が浮き上がり、そこに込められた力の威力を如実に物語る。
永遠に続くかと思われた拮抗状態は突然に終わりを告げた。少しずつ雷さんの腕が傾いていく。徐々にテーブルの天板に近づいていき……バァン!と大きな音を立てて雷さんの手の甲が叩き伏せられた。
「俺の勝ちだなあ! 兄者よ!」
「なにを言っているのだ。今まで勝負してきた分、ようやくお前は勝ち数が1つ追い越しただけなのだぞ。次は俺が勝つ」
「では次だ!」
風さんが勝ち誇れば、雷さんが勝負は終わっていないと言い、腕相撲は続行される。
――バァン! バァン! バァン! バァン! バァン!――
何度も何度も手の甲がテーブルを叩く音が鳴り響く。一連の勝負は同じことの繰り返しだった。2人は交互に勝ちと負けを繰り返す。それがいつまでも続く。決着はつかなそうに思えた。
「草太、こっちだ」
突然名前を呼ばれたので首を向けると廊下に続くドアが少し開いていて、そこからトラゾーが顔を出していた。
「あれじゃああっちでメシ食ったり、寝るなんてできん。こっちに避難だ」
「そうだね……」
僕も同意見だったので、スマートフォンやシーツに枕を廊下に運ぶ。
「僕たちこっちにいるので終わったら声をかけてください」
「わかった。安心せよ。次で終わるからな」
「なにを言うか! ここから逆転するぞ!」
僕が呼びかけると雷さんと風さんはこちらには目をくれず言葉を返した。僕はそっとドアを閉じる。
「確かに競う合う何かとは言ったけど……。2人はお互い謝ろうとしているんだよね……」
「まあその前にある程度の決着をつけたいんだろうよ。仲直りとは別として譲れない部分ってのがやっぱりあるんだろう」
「兄弟同士のじゃれ合いみたいなものかな?」
「……かもな。俺も昔は兄弟と……。いや今そのことは別にいいか……」
トラゾーは遠い目をしたがすぐに頭を振った。……昔のことを思い出していたらしい。
僕は閉じたドアを見つめる。その先に大きな音が何度も響き続けていた。
雷さんと風さんからはもう殺気だったものは感じなかった。いつか勝敗は決するだろうし、仮にそうでなくてもそのうちに両者ともに頭を下げるかもしれない。どちらか一方が1歩踏み出すことを臨んでいるのではなく、互いに半歩歩み寄ろうとしているのだからいつの間にか関係が修復されている可能性もある。
2人の様子を見守るしかないだろう。僕はそう判断して立ち上がった。
「遅くなってごめん。すぐにごはんにしよう」
「ああそうしてくれ。もう腹ペコだ」
トラゾーは廊下にゴロンと転がる。僕が持ってきた皿にカリカリを盛ると、脇目を振らずに食べついた。よほどお腹が空いていたんだろう。
僕はもうなんだか疲れてしまっていたので備蓄していたカップ麺ですませることにする。
コンロに青い炎が灯った。
「雷さん、風さん。終わりましたか……」
次の日の明け方。僕はしょぼしょぼする目を擦りながらドアを開けた。足元のトラゾーも大きくあくびをする。
結局勝負は朝まで続いた。僕たちは馴れない廊下の床で寝ていたこともあって、うまく眠ることができなかった。そこに大きな音が続けば睡眠も不足する。僕もあくびをしながら、隣人から苦情が入らないだろうかと眠気の取れない頭でぼんやり考える。
「……」
「……」
2人は腕を組んで何か考えるようにうつむいていたが僕たちが部屋に入ってくると2人は弾かれたように顔を上げた。
「おう草太とトラゾーか……」
「ちょっとばかし考えておってなあ……」
どうやら勝負がついたようではなかった。その態度を不審に思ったらしいトラゾーが口を開く。
「なんだよ。なにかあるのか?」
「ううむ。いつまでも同じ勝負では少々遊びがないと思ってなあ」
「よく考えれば我らの力は互角。このやり方では決着はつかんのよ」
「昔からやりあっているが1度も終わったことがないのだ」
「そういうことか……」
納得したトラゾーが呟く。ようは同じ勝負ばかり続けていても勝敗が決まらないから別の方法はないか、ということらしい。2人が考え込んでいたのはそのことだろう。
「仕方ねえな。じゃあ俺がなんとかしてやるよ」
するとトラゾーがその場でおっぴろげてそう宣言した。「おお、立派な玉だぞ。兄者」「そうだな。600年生きる化け猫は流石に違う」と雷さんと風さんが妙な感心をする。
「ちょっとトラゾー。そんなこと言ってどうするつもり?」
「ちょっとした考えがあるんだよ。安心してお前は大学行ってこい」
僕がしゃがんで尋ねるとトラゾーは自信気な様子で囁き返した。
「お前もあいつらも納得するやり方だよ。俺に任せとけ」
我に策あり――そう言わんばかりにトラゾーは口角を上げた。
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