第40話 風と雷 (1)

 ガラガラと台車の車輪がアスファルトの地面の上で回る。

 ファミレスの制服を着た僕は台車に乗せたごみを店舗の裏側のごみ捨て場に捨てにきていた。

 生ごみ、プラごみ、燃えるごみ。分別されたごみをそれぞれの場所に出していく。

「これで終わり……」

 すべてのごみ袋を出し終わった僕はその場で伸びをする。これで本日の勤務時間は終わりのはずだった。

「明日はバイトもないから深秋祭しんしゅうさいの準備を手伝わないとな……」

 民俗学科は講義室の1室を借りてお化け屋敷をやることになっていた。妖怪とかお化けの仮装をして客を驚かすのである。民俗学科は深秋祭で毎年これをやるのが恒例となっているらしい。何代か前の先輩たちが気合を入れて驚かせたところ評判となり、伝統になったのだそうだ。そのため気合の入り方も違っており、仮装や驚かせかたもかなりの高レベルだ。河童の仮装をした高橋先輩はまさしく本物の河童に見えた。まあ、深蔓みつるさんの協力があったからなのだが……。

 サークルに入っている学生はそっちの出し物もあるため、あんまり学科の準備には顔を出せない。そのため、僕のようなサークルに入っていない人間が主体になるわけだが……僕は普通にバイトに出ていた。実家から仕送りもされておらず1人で生活費を出している僕の事情を知った友人が気づかってくれたおかげであった。実際、準備とバイトの時間のバランスを考えなければいけなかったため、この心づかいは非常にありがたかった。なのでバイトのない日は必ず深秋祭の準備に顔を出すようにしていた。

「よし。これで今日はおしまいだ」

 僕はごみ捨て場に背を向けた。早く帰らないとトラゾーの機嫌が悪くなる。最近帰宅が遅くなっているためご飯の時間がずれるため、トラゾーは大変ご立腹なのである。

 店内に戻ろうとすると強い突風が僕の体の横を通り抜けていった。思わず目を閉じて立ち止まると夜空をいかづちの閃光が走り、空気を割いて大きな音が轟く。

「うわ……今のすごかったな……」

 僕は夜空を見上げる。そこにはもう雷の影響は見えなかった。

 最近ずっと変な天気が続いていた。雨や嵐でもないのに雷が落ちて、強い風が吹く。そのせいで深秋祭で使用されるステージの設置も遅れていた。本番までに間に合えばいいが……と実行委員がぼやいていたのをちらりと聞いた。


ドシャッ!


 その時。僕の背後で音がした。なにかが落ちてくるような音。僕は振り向く。

 すると崩れたごみ袋の山の中から誰かの足が飛び出しているのが見えた。誰かが落ちてきた!? 僕は慌てて駆け寄る。

 ごみ袋をどけると1人の男が倒れていた。筋骨隆々の赤褐色の体。鋭く尖った金髪の男だ。見る限り外傷はなさそうだ。意識もあるようで食いしばった歯の間からうめき声が漏れている。

 一体どこから落ちてきたんだ。僕は首を反らしキョロキョロ見回す。周りにはファミレスより高い建物はない。僕の職場は屋上に出れないようになっている。まるで空から落下してきたみたいだ。

「あの、大丈夫ですか?」

「おう、俺は無事よ」

 片膝をついた僕が呼びかけると男は上体を起こした。そして首をゴキゴキ鳴らして立ち上がる。怪我1つないのか……。見た目通りの強靭な体だ。

「まったく、あの愚弟め……。兄相手に本気でやりおって……」

「あ、あの、あなたは……?」

 僕がそう言うと男は首だけで振り返った。剛毅な横顔が僕を見る。

 そして気づく。その額から1対の角が生えていることを。まさか……

「鬼?」

「おう、その通りだ。人の男のおのこよ。俺は鬼。名をらいと言う」

 絶句する僕に対して琥珀色の目で鬼は笑った。


「くそう……トラゾー! 覚えていろよ!」

「忘れたくても忘れられるか」

 ボロボロの体で逃げていくマサムネに俺はフンと鼻を鳴らした。

「あいつ、性懲りもなく挑んできやがって……。しつこい奴だ」

 俺ははあと息を吐き出す。あの1件以来マサムネは何度も俺に挑戦してきていた。ほっとくわけにもいかないのでその度に受けて立っていたが、こう何回も向かってくるとうんざりする。

「帰るか。草太ももう帰ってくんだろ……」

 俺は広場から立ち去る。最近あいつは深秋祭とかいう祭りの準備で忙しいようで最近帰ってくるのが遅い。今日はバイトだと言っていたが、時間を伸ばしているようでその時も遅い。メシの時間が遅れるため俺は大変ご立腹であった。


ドサッ!


 その時俺の後ろで音がした。振り返ると広場の真ん中で砂煙が上がり、そこに男が仰向けに倒れていた。

「おいおい、どこから落ちてきたんだよ……」

 俺は面倒ごとの気配を感じながらも男のそばまで行く。

「しっかりしろよ。生きてるか?」

「うむ生きておる」

 俺が呼びかけると男はムクリと立ち上がりその場であぐらを組んだ。赤黒い肌に首から薄布だけを身に着けた男。白い髪に混じって角が生えている。

「お前、鬼か?」

「おう、そうだ。俺はふう。そういうお前は化け猫か」

 翡翠色の瞳が俺を見つめた。


 自らを鬼と名乗る雷という男に遭遇した僕はまずその場を動かないようにと告げて急いで店内に戻った。急いで着替えてタイムカードを押す。「お疲れ様でした!」と言って飛び出していくと店長がなにかあったのかな?という顔で見てきた。だがそれを説明している暇はない。

 僕が戻ると雷さんは言いつけた通りにそこにいた。威風堂々と丸太のように太い両腕を組んで、全裸で……。

「ハックションッ!」

 と豪快にくしゃみをするので僕は持ち出してきたコートを渡した。冷凍室に入る時に使用するものとして職場から貸し出されているものだった。本来の用途とは違うが仕方がない。全身ムキムキの全裸の変態をそのままにしておく訳にはいかない。警察を呼ばれたらそっちの方が問題だし、後々面倒だ。

「ほう。人の子の服か。どれ……」

 ぶしつけに睨め回した《ねめまわした》雷さんはそれを着た。体格が良すぎるせいか前のボタンは今にもはち切れそうだし、袖も裾も丈が足りずピッチピチだ。少しでも動いたらどこか破れてしまいそうだった。……借りてるものだからどこも破損しませんように……。

「男の子よ。腹が減った食い物はないか?」

 この後どうしたものかと思っていると雷さんがそう言うので……僕たちはコンビニへと移動した。ファミレスに入る方法もあったが、知り合いが多くいる場所に妖怪を連れて行くほどの度胸は僕にはなかった。

「ほう。相変わらず人の世は面妖よなあ……。夜は明るく、食い物もあんなに並んで……。そのあたりは遠くから眺めていてもよくわからん……」

 コンビニにつくと雷さんは顎を手でさすりながらそうひとりごちる。鬼からしたら人間の暮らしは奇々怪々なものなのかもしれなかった。あと地味にかなりの長生きで人里に出てきていない人だということもわかった。いや人ではなく鬼なのだが……。

「米だ。米を持ってこい。あと酒もだ」

「未成年だからお酒は買えません!」

「みせいねん……?」

 首を傾げる雷さんをコンビニの前に置いて僕はおにぎりを買ってきた。雷さんは5つぐらいのおにぎりを一口で食べると「もっとだ」と要求してきた。仕方なく追加で買ってくるとそれも一瞬で平らげて……僕は何度もコンビニと雷さんの間を往復することになった。

「うむ。腹3分目と言ったところか。これで良しとしよう」

「はは……。そうですか……」

 さらに場所を変えて公園のベンチ。以前深蔓みつるさんと出会った池のある公園。街灯に照らされるベンチで僕たちは横並びで座っていた。背もたれに体を預ける雷さんとは対象的に僕は暗く沈んでいた。結局この人は30個異常おにぎりを食べた。おかげで僕の財布は風が吹いたら飛んでいきそうなほど軽くなっていた。予想外の出費がかなり辛い。しかもそれでまだ腹には余裕があるらしい。あれだけ食べたのに……。米俵がないとこの人を満腹にするのは無理なんじゃないだろうか。

「それで結局雷さんはあんなところでなにをしていたんですか? なんか空から落ちてきたみたいですけど……」

「そうさな。食い物も恵んでもらった。話さねば不義理であるな」

 気を取り直して僕が尋ねると雷さんは少し悲しげな目で語りだした。

「俺たち鬼は昔からいる古く強い妖怪だ。数は減ったが昔は荒武者、強者つわものとよくことを構えたものよ。

 しかし時が経つにつれ人は俺たちのことを忘れていった。故に俺たちは今も山の奥でひっそり暮らしているのよ」

 そこで雷さんはにいと豪快に口角を釣り上げる。

「とはいえそれでも俺たちのことは確かに人の世に伝わっておる。風神雷神というのがあるだろ?」

「は、はい。知っていますけど……」

 風神雷神図。風袋から風を出し風雨をもたらす風神と太鼓を叩いて雷鳴と稲妻を起こす雷神の姿を描いた絵画。東洋美術には古くからそういう作品があると民俗学の講義で習った。日本にもそれらへの信仰があり、風神と雷神を描いた作品は存在する。有名なのは江戸時代に俵屋宗達が作成した風神雷神図屏風だろう。風神と雷神が向き合っているあれだ。見たことはなくても名前を知っている人は多いだろう。

「まさかあなたが……」

「その片割れ、雷神よ。弟が風神だ」

 頭がくらっときた。もうよほどのことでは驚かないようになっていたが、流石にこれは驚いた、風神雷神。その正体は鬼の兄弟だったとは。事実は小説より奇なりとは言うがそこまでは想像できない。

「それじゃあ弟さんはどうしたんですか? 大概は風神と雷神、2人でセットなんじゃ?」

 日本で風神と雷神を描いた美術作品は殆どが2人で1セットだ。どちらか一方というのは少ない。では風神の方はどこへ? 僕がそう尋ねると再びその瞳に悲しみを宿して雷さんは答えた。

「実はなあ、今俺たち兄弟は……」


「兄貴と喧嘩してる?」

 事情を聞いた俺は、目の前であぐらを組んで頬杖をつく風神こと風に尋ね返した。

「そりゃまたなんでだよ?」

「うむ……我ら兄弟は昔から人の子の稲作を見守ってきたのだ。雷雨は豊穣の証だ」

「ああ、らしいな」

 雷雨と人の農耕は切っても切れない関係だ。稲を含む植物が成長するのに欠かせないものとしてチッ素がある。チッ素は空気中の約80%を占めているが植物はそれを直接取り込むことができない。周りに豊富な栄養源があるのにそれを吸収できないのである。

 だが雷が放電すると空気のチッ素と酸素が結びつくのだ。それが雨に溶けて地上に降ることで植物はそれを直接取り込めるのだ。

 このことから雷は稲にとって豊作をもたらす伴侶のような存在――妻のような存在として稲妻と呼ばれるようになったのだ。もちろんこれがわかったのは科学が発展してからだが、それ以前から人は雷と雨、そして風を豊穣の恵みを与えるものとして敬ってきた。文明が発展していなくても感じ取れるものはあったのだろう。

 俺がなんでこんなことを知っているかと言うと600年生きているからだ。そんだけ生きてると物知りにもなる。

「それがなんで喧嘩なんてしてんだ。仲は良かったんだろ?」

「うむ……雷と風。どちらが稲作において重要か言い合いになってな。それで流れで……」

「何やってんだよ……」

 俺はその理由にげんなりとしてしまう。子供の喧嘩か!

「お互いに引っ込みがつかなくなってな。空の上で殴り合いになったが決着がつかず……」

「あれ、お前らかよ! 雷は光るわ風はうるさいわで満足に昼寝もできなかったんだからな!」

 どうやら連日の異常気象はこいつと兄貴のせいのようだった。無駄に壮大な兄弟喧嘩しやがって。鬼は喧嘩っ早い奴が多いがそれにしたってだぞ。俺は牙を剥いて抗議する。

「すまんかった。つい頭に血が上ってな。しかしそれも殴り殴られを続けるといつの間にか冷静になってな。どうでもいいことでなぜこんな大喧嘩をしているのかと疑問に思った」

「もっと早く気付けよ……。結局仲直りはできたのかよ?」

「いや、その、なあ……」

 俺が最終的な顛末を聞くとそれまで流暢に喋っていた風は口ごもり、ふいと横を向いてしまった。指でかく頬はほんの少しだけ赤くなっている。

「なんというかな……。謝らなければいけないのはわかるのだが、何故か素直に言えなくてな。それで結局いけるとこまでいってしまって……。互いに最高の一撃を見舞って先ほど落ちてきたのだ……」

「……」

 そういうことなのだろう。ようはお互い自分の気持ちに正直になれないのだ。謝罪したいが完全に引っ込みがつかないし、踏ん切りもつかない。冷静になったがゆえの気恥ずかしさもある。それで素直に頭を下げられないのだ。

「おそらく兄者も死んではおらぬと思うが、次に会った時どうすればいいか俺にもわからんのだ……」

 風はそう言葉を切った。こいつらには何としても仲直りしてほしいものだ。そうでないと俺の安眠の妨げになるし、この街に住む者にとって単純に迷惑だ。

「うーん……」

 さてどうしたものかと俺は頭を捻った。


「でも雷さんは風さんに謝りたい気持ちはあるんですよね?」

 話を聞き終わった僕は雷さんに確認を取る。雷さんはゆっくりと頷いた。

「うむ。長く一緒に生きた兄弟よ。このまま喧嘩別れはなんとも居心地が悪い」

「そうですか……」

 僕は考える。ここまで話を聞いてしまったら放っておくことはできそうにない。というかこのまま外を出歩かせるのは危険だ。ばったり風さんに出くわしたらまた喧嘩が始まるかもしれない。上空で繰り広げた規模の喧嘩が。そんなことが街で起きればとんでもないことになる。この一帯は壊滅的被害を受けるだろう。

 仕方ない。僕は結論を出す。

「雷さん、しばらく僕の家に来ませんか?」

 その提案に雷を司る鬼は目を丸くした。


「いいのか? 迷惑ではないか?」

「構わん。俺と一緒に暮らしてる奴は妖怪に理解があってな。力を貸してくれるはずだ」

 草太には事後承諾になるが、話を聞けば納得するだろう。それは俺がなんとかしよう。

「その代わりにだ。お前はしっかり頭を冷やしてどうやって謝るか考えろ。街にいるはずのお前の兄貴は俺が探してきてやるから、その間にな。ほとぼりが冷めればお前の兄貴だって喧嘩しようとは思わんだろ」

「それもそうかもしれん……」

 俺の案に風は目を閉じて熟考する。しばらくしてゆっくりとまぶたを開いた。

「うむ。では少々世話になろう」


「じゃあ僕の家に行きましょうか。そのままじゃ風引いてしまいますし」

「うむ。では案内してもらおうか」

 僕が立ち上がると雷さんもそれに続いた。雷さんは不思議そうな顔で首を傾げる。

「しかし化け猫と人が一緒に暮らしているとは驚いた。その化け猫はどんな奴なのだ?」

 ああそれなら――僕はニヤリと笑う。

「優しくて、でも態度の大きい、ちょっと変わったにゃんこですよ」


「ほれ、そう決まったらさっさと行くぞ。その前に股間を隠せよ。その肩の布でも使え」

「これは風袋なのだが……致し方あるまい」

 俺がマンションへと連れて行く前にそれだけは注意しておく。途中で巡回中のお巡りにでも捕まったらやばいからな。まあ腰布以外なにも身に着けていないだけでももう十分やばいが、それでも念のためだ。

 風袋を腰に巻き付けた風が疑問の表情を浮かべる。

「しかし化け猫と人が一緒に暮らしているとは驚いた。その人間はどんな奴なのだ」

 ああそれなら――俺はニヤリと笑う。

「いつもは頼りないが、いざってときはやってのける、ちょっと変わった飼い主だよ」


 そのすぐ後、飼い主と飼いにゃんこが部屋の中で頭を抱える事になったのは言うまでもない

 


 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る