第38話 カンファレンス (8)

 いつまでも平屋にいるわけにはいかないので、全員で宿泊施設へと移動を開始した。その前にトラゾーが涼風さんの車に乗ってきたというので平屋の裏手の林を抜けてみると……そこには車の運転席に座る涼風さんが眠そうな顔で目を擦っていた。僕とトラゾーに気づくと涼風さんは顔を上げる。

「草太、おはよう……」

「おはようございます。ありがとうございました。トラゾーを送ってきてくれて。早起きも苦手なのに……」

 僕からの着信履歴を見た涼風さんとトラゾーはすぐに異変を察知し、時貞さんと一緒に車でここまで駆けつけてくれたのだった。加えて涼風さんは超がつく低血糖・低血圧。朝に非常に弱い生き物であることを僕は以前の同居生活で知っていた。真夜中に車を飛ばして朝まで徹夜で起きてくれていたことには感謝の気持ちしかなかった。

「大丈夫……。草太が無事ならよかった……。それに今の私、あんまり眠くない……」

 そう言って涼風さんは親指を立てた。車内をよく見てみるとガムやコーヒー、ドリンク剤といった眠気覚まし用の飲食物のゴミが散乱していた。涼風さんの顔をよく見てみると、いつもより血色がよく、目は少し血走っている。心なしか息も荒い。……大丈夫かな。むしろ僕のほうが心配になってしまう。

「今なら私、徹夜して朝まで起きていても大丈夫な気がする……!」

「実際にそれをやってんだよ。今のお前は。俺と時貞はまだやらなきゃいけないことがあるから、お前はもう帰って休め。ありがとな。気をつけて帰れよ」

 妙にハッスルする涼風さんにトラゾーの無情でありながら若干のねぎらいが込められた言葉が突き刺さる。涼風さんは少ししゅんとして「またね……」とさみしそうな顔で帰っていった。なんだか本当に申し訳ない……。無事に帰れることを祈るしかなった。


「……そういうことですからな。今回のことは言いふらさないように。よいですね」

 遅れて宿泊施設に戻り、食堂に戻ると……法乗院さんが合宿の参加者たちになにやら説法をしているところだった。どうやら昨晩体験したことは誰にも話してはいけないと釘を刺しているようだった。教官や上川たち、そして大地もコクコクと頷いていた。まああんなこと、言ったって信じてもらえないだろうし、あれだけ怖いものを見たのだから思い出したくもないだろう。むやみに伝聞されるのは避けられそうだった。

 上川と教官はすっかり正気を取り戻し、普通に受け答えができていた。僕はずっと聞きたいことがあったので筒井教官に話しかける。

「あの、筒井教官、ちょっといいですか」

「はい! なんでしょう!」

 筒井教官は僕を見ると怯えた様子で椅子の上で体をしている震わせた。平然とにゃんこと喋ったりする姿を見て、僕のことを幽霊と同等の恐ろしい何かと認識されたようだった。見れば竹島教官と上川たち3人も同じ様子で僕を見ていた。ひどい……。僕は少し傷つきながら続ける。

「今日って卒業検定がありますけど、それってどうなりますか?」

「「お前、それ今聞くのかよ……」」

 僕の言葉を聞いた大地とトラゾーがドン引きしながら言葉を重ねた。法乗院さん以外のすべての視線が僕に集まり、同じように引いていた。いや言いたいことはわかる。けれどこの後教習所側がどう対応するのかは聞いておかなければならない。

「え、えーっとそうですね。流石にこの状況で合宿を最後まで続けるのは難しいので、皆さんには後日卒業検定を受けられるように取り計ろうと思います」

「僕できたら今日受けたいんですが」

「あっ、そうですか! では天原さんは今日やりましょう!」

「じゃあ準備してきます!」

 どうせなら教習でやったことを忘れないうちに卒業検定を合格しておきたかった僕がそう言うと2人の教官はまるで逃げるように食堂から飛び出していった。

 その反応に僕がぽかんと立ち尽くしていると「こいつ、やばいだろ……」「ありえねーよ、マジで……」「どういう神経してるんだ……」と上川たちがヒソヒソ話しているのが聞こえてきた。

 なんだか僕はとても悲しい気持ちになった。


 卒業検定は無事合格できた。卒業証書も手に入れ、これであとは免許センターで最後の学科試験を受かれば免許を発行してもらえる。

 僕が卒業検定を受けている間、トラゾーは上川たちにどうしても言いたいことがあったらしく、3人に話しかけたらしい。

「よお。俺はトラゾー。お前たちが草太の言っていた奴らだな?

 ……おい、逃げようとするな。別にお前らをとって食おうってわけじゃないんだから。よし、そこ座れ。

 お前たちがどうして危険を犯してまであそこに入ったのかは草太から大体聞いてる。お前たちがどうしてそこまで有名になって人気者になりたいのかは知らん。興味もない。だけどな、お前たちのやり方じゃ、誰からも尊敬なんてされないぞ。

 お前らがやったのは軽犯罪と定められたルールを破って自分含めた周囲を危険に巻き込んだこと。ただそれだけだ。そんなことしたって集まるのは面白おかしく囃し立てる奴か、正常な判断能力ができる奴からの正当な非難だけだ。今回みたいなやり方ではお前らが思っているような感情なんて集まってきやしないんだよ。それで手痛いしっぺ返しも食らっただろ。そのことはきちんと反省しろ。

 それでもお前らがまだ周りから尊敬されたいって思うなら、きちんと心を入れ替えて誰かのためになることをしろ。困っている人間を助けたり、誰かを幸せにするような行動をだ。そうすれば感謝だってされるし、お前らを慕う者だって出てくるよ。お前らを正しく評価する人間が自然と集まってくる。そっちの方がよほどいいだろ? お前らも周囲も気持ちのいい関係になれるはずだ。

 それがわかったら二度とこんなことはするな。この世界には普通の人間じゃどうしようもできない現象があちこちに転がっている。今回は運が良かったから助かっただけだ。次は助けてやれん。自分の身は自分で守れる範囲で行動しろ。わかったな?」

 唇を噛み締めながら静かに頷く3人を見て……自らの行動を悔いて深く反省したように感じたと大地は言っていた。法乗院さんも「説法は拙僧の仕事なのですがなあ。面目が潰されてしまいました」と明るく大笑していた。

 トラゾーが1言言ってくれたなら僕が口出すことはもうなかった。3人がこれから良い方向に変わってくれるのを祈るだけだ。


 午後を過ぎて迎えのバスが到着した。法乗院さんは「まだあそこを調べなければいけませんので」と平屋の方へと歩いていった。その前に教官たちに「この土地のことで少々伺いたいことがありますので後日そちらに訪問いたします」と言っていた。事後調査をしなければいけないのだろう。

「あとは時貞に任せておけばいいだろ。俺は帰る。バスに乗ったほうが楽だしな……」

 トラゾーは僕にバックの中に潜り込んだ。まあ運転手にばれなければいいだろう。僕はバスに乗り込む。

 帰りのバスは行きとは違って終始無言だった。バスの運転手はあまりのテンションの落差に首をひねっていたがなにも言わなかった。

 バスの中でも他の人達の僕への態度はよそよそしいものだった。僕が通路を歩くと、教官や上川は身を捩って僕から少しでも離れようとした。まるで僕がお化けみたいだ。

 そして大地は……僕に話しかけてこなかった。バスの中でも僕から離れた場所に座り、目を合わせてもくれない。もしかしたら僕とこれ以上関わってはいけないと考え、距離を取っているのかもしれなかった。その判断はおかしいものではない。僕も仕方がないと思う。でも友達になった人にそういう態度をとられるとやっぱり辛かった。

 せっかく仲良くなれたのにな……。胸の奥にチクリと針で刺したような痛みが走る。

 教習所に戻ると挨拶もそこそこにみんな立ち去っていった。バスが走り去るとその場に残されたのは僕とバックの中のトラゾー。そして大地だけだった。

「あのさ、大地……」

「わかってる! なにも言うな!」

 僕がそれでも話しかけると大地は大きな声を出す。

「今回のことは誰にも言わない。夢だったんだと思うことにする。幽霊のことも、お坊さんのことも、喋る猫のことも全部だ」

「うん……」

 やっぱりそうなるだろうな……。僕は少し目を伏せる。

「でも……お前と友達になったこと。それだけはは忘れない」

「え……?」

 意外な言葉に僕が視線を戻すと大地と目が合った。大地は真正面から僕を見つめている。

「幽霊騒ぎはお前が起こしたわけじゃないし、むしろお前はそれを解決しようとしていた。喋るにゃんこと一緒に暮らしてたり妖怪に知り合いがいるって聞いたときは驚いたけど……それだけだ。お前がなにか危険な存在ってわけじゃない。関係を切ろうとは思わない。

 だからお前と友達になったことだけはそのままだ。それでいいだろ?」

「……うん!」

 大地のその言葉に感極まった僕は笑顔で頷いた。

 妖怪と関係があっても僕自身は普通の人間だと思っていた。けれど教官や上川たちの反応を見て、普通の人間からしたら僕もおかしな存在に見えるのだと自覚を持ってしまった。だからそのことを理解したうえで友達でいてくれると言ってくれた大地のことをとても嬉しく思ったのだ。

「まあそういうことだ。じゃあな。俺は行くよ」

 微笑みながら向けられたその背中に、僕はどうしても言いたいことがあって声をかける。

「ありがとう! 一緒に行くって言ってくれたとき、すごく心強かった!」

「嫌がらせから助けてもらったときの俺の方がもっと心強かったよ。暇なときがあったら遊びにでも行こう」

 大地は振り返ることなく片手を振って去っていった。

「もういいか?」

 バックの中から顔を出して見守ってくれたトラゾーが僕の顔を見上げる。僕は笑顔で頷いた。

「うん。僕たちも帰ろっか」


「ああ~、疲れたあ〜」

 先に帰っていた涼風さんに1言挨拶をしてから部屋に戻った僕は荷物を床に投げ出し、ベッドに倒れ込んだ。2週間ぶりの我が家に帰ってきた僕は誰にも侵されることのない領域でようやく安心できた。

 ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。体には鉛のような疲れが押し込まれている。重たくなった目頭を抑えると強い眠気が襲ってきた。

「もう明日から大学が始まるのかあ……。しかも1限から……。辛い……。厳しい……」

「まあ今日はもう休んでおけよ。俺も静かにしているから」

 枕に顔をうずめてぐったりしているとトラゾーが床を歩いてテーブルに飛び乗った。「テレビでも見るか」と器用に爪でリモコンのボタンを押した。僕は顔だけを横に動かしテレビの画面を見る。


『――速報です。今朝全国各地で発見された複数の白骨死体を鑑定したところ、20年前の大学生集団失踪事件で消息を絶った行方不明者のものであることが判明したと先ほど警察から発表がなされました――』


「なんだって?」

 僕はベッドから身を起こし、信じられない気持ちで画面を見つめた。

 トラゾーだけはテーブルの上で鋭い目でテレビを見ていた。



 それから世間は大きな騒ぎになった。20年前の未解決事件。その被害者たちが一斉に姿を表したのだ。それも物言わぬ死体となって。当然マスコミは大きく取り上げるし、SNSでも話題になる。すでに張り紙事件がネット上で注目を集めている。それが重なって大きなうねりとなって他の話題を飲み込んでいった。

 それは僕の通う大学にも波及してきていた。マスコミが連日押しかけてコメントを求める。講師陣はその対応に追われ、とても講義を開ける状態ではなく、3日間の休講になっていた。

 あの平屋のことは関係者が誰も口を割らなかったからか、話題には上がっていなかった。当時の事件関係者なら流石に知っているはずだから、そこから情報が漏れないかヒヤヒヤしたが杞憂だったようだ。

 そんな世間の喧騒を見守っているとトラゾーが「おい、今日時貞がこの前のことの報告で話をしにくるってよ。千夏と沙也加も集めろ」と言ってきた。そうして僕の部屋にみんなが集まって法乗院さんが口を開いた。

「まずあの場所に漂っていた霊たちはもういません。みな成仏なされました。」

 法乗院さんはテーブルの前で正座している。千夏先輩と涼風さんの2人でソファーに座っていた。トラゾーはテーブルの真ん中に鎮座している。狭いワンルームにここまで人が集まると足の踏み場もないないため、僕はベッドの上で座っていた。

「じゃあもうあそこや大学で変なことは起こらないんですね?」

「ええ霊障は止むでしょう。そしてあの土地についても話を聞いてきましてな……」

 法乗院さんが教習所の人から聞いたという話は大体こんな内容だった。今から10年以上前、教習所管理の合宿所を作ろうとしたとき、不動産屋から紹介されたのがあの平屋がある土地だった。価格も安く、なにかに使えそうな家屋までついてきたので教習所は即決で購入したらしい。

 そうして建設会社に依頼し宿泊施設と教習コースの設立がスタートした。作業は計画通りにスムーズに進行し、何事もなく終わるかに思えた。しかし日に日に業者の間で奇妙な噂は流れはじめた。あの平屋に幽霊が出ると。

 平屋は業者たちに休憩所として提供されていた。だがそこでは奇妙な現象が続いていた。誰もいないのに気配や話し声がする。いきなり家中の扉が開く。変な足音がする。そういった現象だ。疲れているんだろう。気のせいだ。彼らはそうお互いに言い聞かせて働いていたが、それでも薄気味の悪さは拭えなかったという。

 しかしある晩決定的なことが起こってしまった。泊まりで仕事をしていた作業員が平屋で寝ていると、複数の物音と話し声で目が覚めた。そしてあたりを見回してみると何人もの見知らぬ人間が、寝ている自分たちを取り囲むように何事かを話していたのだという。作業員たちが絶叫すると彼らは消えてしまった。その部屋こそがあの会議室だ。

 複数の作業員がそれを目撃したため、もう奇妙な現象を疑う者はいなくなっていた。作業員たちは予定より早く仕事を終わらせると逃げるように退散していった。これ以上お化けのいる場所で仕事などしたくなかったのであろう。

 そしてその話は教習所の方へと伝わっていた。これから長期間使用する合宿所だ。変な噂がたっても困る。何人かの教官が泊まりこみ、真偽を確かめようとしたところ、同じような現象を体験したのだという。

 教習所は不動産屋に駆け込み、これはどういうことなのかと問いただすと不動産屋は渋々語りだした。

 あの平屋は昔簡易的なロッジとして貸し出されていた。しかしあるサークルが借りてからおかしなことが起こるようになり閉鎖された。怖がった持ち主が土地ごと売りに出したあともそれは続き、何人もの所有者の間を転々としたという。そしてその何人目かの所有者があなた達だと。

 教習所は頭を悩ませた。いくら不動産屋を詐欺だと言っても法律上なにも問題はなく売買の契約はなされてしまっていた。返却しようともすでに合宿所を建ててしまった。その費用を考えると売りに出すわけにもいかない。

 仕方なく鎮静化を図った教習所は霊能師や霊媒師にお祓いをお願いしたのだという。しかしそれらの人物は大半が偽物で、むしろ現象を悪化させてしまった。もうどうにもならない。教習所は苦肉の策としてあの平屋には誰も近づけさせないように徹底させた。おかしな現象が起こるのは平屋だけ。ならそこに入らなければいい。そうやって今までやってきたのだという。

 だが掲示板の張り紙の事件によって、失踪事件をを知る者が合宿に参加し、それによって今回の事件が引き起こされたのだった。

「え? じゃあサークルメンバーは死んだあともずっとどうやったら幽霊を見れるか話をしていたってこと?」

 高橋先輩がぶるりと体を震わせた。法乗院さんは答える。

「そういうことでしょうなあ。死後残った強い念は時折、生前と同じ行動をとることがあるのです。同じ時間、同じ日に、同じことを繰り返す。そういったことを」

「生きていたときに強く心に残った行動をずっとリプレイし続けるんだよ。本人たちはそんなこと気づいちゃいないだろうがな」

 トラゾーが香箱座りで続けた。高橋先輩と涼風さんは顔を見合わせる。

「死んだあとまで生きていた時と同じことをするってなんか嫌ですね……」

「うん……。怖い……」

 2人が身を寄せ合うを見ながら僕は思い出していた。法乗院さんの話の中には窓の前に立っていた謎の存在の言及はなかった。あれは一体なんだったのだろうか?

「窓のところにいたのはなんだったんでしょうか……?」

「え? 草太幽霊以外にもなにか見てるの?」

 喉から出た掠れた声に反応して先輩がこちらを見る。

「はい。全裸で首がキリンみたいに長くて首が180°回転する男です」

「なにそれ、こわ……」

「……それも、お化けや幽霊?」

 僕の説明に先輩が凍りつき、涼風さんが小首をかしげる。三者三様の反応を示す僕たちを法乗院さんとトラゾーは複雑そうな顔で見ていた。

「あー……あれはだな。そういうのではないというか……」

「あれは霊や物の怪。そういったたぐいの存在ではありませぬ。あれは神。長い時間彷徨ってきたまつろわぬ神です」

 まつろわぬ神……。聞き慣れないその言葉を僕は心の中で反芻する。

「あ、それ講義で聞いたことある。神話とかで神々の平定事業に抵抗して、帰順もしない神のことをそう呼ぶんだよね。祀り合わない。だからまつろわぬ神……」

「おお、千夏殿よくご存じですな。おっしゃるとおりです。他の神のように1つの場所を神域とせず、土地をしていた転々とし続ける。そういった神格が確かにいらっしゃるのです」

 先輩と法乗院さん、2人の説明を聞いて僕はなるほどと頷いた。だから法乗院さんも祓ったりはしなかったのだ。まつろわぬとはいえ相手は神格。手を出さずただ去っていくのを見送って終わらせたのだ。

 そう思っていると法乗院さんとトラゾーが僕をじっと見つめているのに気がついた。……なんか嫌な予感がする。

「2人ともどうして僕をそんなに見てるんですか……?」

「……お前さ、俺たちが来るまであの神と見つめ合ってただろ」

 僕が尋ねるとトラゾーがゆっくりと口を開いた。なにか重大な事実を伝えようとしている。そんな気配があった。

「う、うん。なんか目が離せなくて……」

「お前また加護をもらってるぞ」

「え?」

「だからあの神から加護を受け取ってるって言ってるんだ」

「はあ!?」

 僕は素っ頓狂な叫びを上げてベッドの上で飛び上がった。先輩と涼風さんも目を丸くする。

「どういうこと!?」

「あの神格は見鬼の神です。鬼を見る。見鬼の才という言葉があるでしょう? 妖怪や霊といった本来見えぬものを見る力。陰陽師が鍛える才です。あれはそういった目に見えぬものを見る力……それを司る神のようでした」

「目を長時間合わせても気をやらずに正気を保っていたから気に入られたんだよ。お前最近、神や悪霊に会っていたからもともと見えやすくもなっていたのかもな。それで見鬼の力をもらったんだ。良かったな。お前、これからは幽霊とかお化けとか見放題だぞ」

「いや、嬉しくないよ!」

 僕はぐわっと両手でポーズを取る。

「これ以上そういうの僕いらないよ! なんとかならないの!?」

「そうだなあ……。目ん玉ほじくり出すしかないんじゃないか」

「いらないものを捨てる代わりに失うものが多すぎる……!」

「無理ではありませんかなあ。昔、同じ力を持った盲目の法師に会ったことがありますが、目が潰れても気配を感じる力は残るようですよ」

「それじゃあ無理か。ていうかお前も悪いんだぞ。あんなバケモンみたいな見た目の神と視線を合わせ続けるってどんなくそ度胸だ」

「まつろわぬ神はいわば強大な神への反逆者。そういった物怖じしないところが気に入られたのでございましょうなあ」

「そんな……この前お祓いしてくれたじゃないですか!」

「神との出会いはよほどのことがない限り良縁です。悪縁として断ち切ることはできませぬなあ。しかしほとほと草太殿は神と縁のあるお方だ……」

「そうですよ! 僕普通の人間なのに!」

「普通の人間は喋ってるにゃんこと暮らすことを即決なんかしないぞ。そういう意味では最初に会った時からお前は変だ。俺が言うのもなんだけどな」

「そ、そんな……」

 僕はベッドの上に崩れ落ちる。僕は最初から変だったのか……。先輩と涼風さんが哀れみの視線を向けてくる。そのことは見鬼の才がなくてもわかった。

「草太の目のことはおいおい考えるとしてだ。20年前サークルメンバーがおかしくなったのは十中八九あの神を見たからだろう。本来は見えないが周囲の環境や個人の体質、体調で見えてしまうことがある」

「そうして気をやられてしまい、見えないものを見ることに執着してしまったのでしょうなあ。そうしてその念があの場所に留まってしまったと」

「えっ! じゃあ草太がそうなっちゃう可能性もあったってこと!」

「そうだよ。だからくそ度胸だって言ったんだ。盆の時といい変なもんに返事したり目を合わせたりしやがって。どんだけ図太い神経してんだよ」

 先輩の指摘にトラゾーがじろりと僕を見る。実際かなり不注意な部分があるのは事実なのでなにも言えない。

 そんな中涼風さんが小さく手を挙げた。それに気づいたトラゾーが声を上げる。

「どうした沙也加。なにか気になるか?」

「その……私はあまりこういうことに詳しくはないからよくわからないけど……見ただけで人がおかしくなっちゃうような悪い神様を放っておいていいの……?」

 涼風さんは小首を傾げた。それも僕は気になっていた。見た者をおかしくする存在があちこち歩くのをそのままにしておいていいのだろうか?

「いいか、沙也加。本来神ってのは強大な力を持つ存在でしかない。そこには本来善も悪もないんだよ。お前たち人間が尺度を決めてそこに意味を与えているだけだ。だから良いか悪いかを決めること自体不可能なんだよ。人をおかしくしてやろうって悪意でサークルメンバーに危害を加えたわけじゃないんだ。そいつらは本当に運悪く見えてしまっただけのはずだ。それに草太のような奴には加護という形で力を与えている。その行為は悪とは呼べないだろう? ただそこにいるだけで周囲に影響を与える。それが神という存在だ。だから悪いから退治しようなんて考えちゃいけないんだ。こっちから手を出さなきゃ危害を加えることはないからな」

 トラゾーは生徒を諭す教師のような口ぶりで涼風さんに話した。そこには難しい概念を噛み砕いてできるだけわかりやすく伝えようという意思が感じ取れた。

 古来より人は理知の及ばない現象に畏れを抱いていた。天から落ちる雷。すべてを吹き飛ばす突風。燃やし尽くす炎。そういった自然現象への畏れがやがて敬いに変わり、それらを祀るようになった。神と呼ばれる存在として。

 そしてそれらを善神や悪神としてわけるようにもなったが、それは結局のところ人間の振り分けた区分でしかない。自分たちに益をもたらすか害をもたらすか。それだけの理由で分別している。つまりは人間が勝手に良いか悪いかを判別しているだけなのだ。それを考えれば本来神に良いも悪いもないというトラゾーの言葉にも頷ける。

 あのまつろわぬ神もそれと一緒だ。見鬼の才を持った現象。良い感情も悪い感情もそこにはない。ただそこにあるだけの存在。実際よく考えればあの神は姿を表しただけでこちらには危害を加えなかった。いや、そんな感情もなかったのだろう。現象に意思などないのだから当然だ。

 そのことを考えると、実家周辺の山の神も山に魂を導く存在を人々が見出したからこそ生まれたのかもしれない。これについては仮説の域をでないのだが。

「そうですな。神というのは人の善悪の感情では割り切れない存在です。こちらからは手を出さないほうがよろしい。

 それに仮に祓うにしても1つの確固たる神格です。下準備が必要ですし、下手をすれば荒御魂と化し、災いと転じる可能性もあります。危害を加えずそのまま立ち去っていきましたから拙僧もトラゾー殿もそのまま見送ったのです」

 法乗院さんはトラゾーの話を補足した。話を聞いて少し考えていた涼風さんは、ペコリと小さく頭を下げた。

「ごめんなさい……。少し難しくて全部はわからなかったけど……神様はあんまり退治しちゃいけない存在だってことはわかった……。変な質問してごめんなさい……」

「いや謝らなくていい。さっきはああ言ったがそれでも良い神様や悪い神様もいるんだ。人に福を授けたり、逆に呪ったりするのがな。

 ただそういう神は人との交流で変化していった存在ばかりだ。人間の影響を強く受けているんだよ。だがあそこに現れた神はそうじゃなくて、見鬼の才っていう力の塊が歩いているようなそんな存在だったんだ。そこに手を出したらどっちに転じるか俺にもわからん。だから時貞が言ったように見送ったんだ。一応そういう理由があるんだ。

 だから今度神社に行ったときはきちんと礼儀正しく拝んとけ。福を分けてもらえるようにってな」

 そんな様子の涼風さんにトラゾーはフォローも忘れなかった。そうだ。人の生活に寄り添い見守る神も確かにいるはずだ。人間と暮らす化けにゃんこがいるのだから、人々の幸福を願う神だっているだろう。「うん……。わかった……。今度行ったら何回もお賽銭投げる……」「それはやめとけ」と気の抜けた会話を2人がしていると今度は先輩が手を挙げる。

「じゃあ今度は私が質問していいかな。どうして20年経った今になってご遺体が見つかったのかな?」

 僕は最近見たニュースの内容を思い出す。失踪者の遺体が見つかった場所の中には人の往来が多いところもあったらしい。それなのに20年もの間一切人目につかないというのはおかしな話だった。

「そうですよね。死因もはっきりしないらしいですし。それにどうしてあんなにバラバラな場所で見つかったんだろう……」

 僕も疑問を述べた。見つかった遺体群には外傷がなかったらしい。つまり怪我で死んだというわけではないということだ。一緒に見つかった遺留品にも犯罪や事件を仄めかす記述や証拠はなく、警察は死因は栄養失調による衰弱死と結論付けていた。だが先ほども言ったように遺体の中には人里近い場所で見つかったものもある。それなのになにも食べられなかったというのはありえないだろう。

 見つかった場所も問題だった。サークルメンバーの遺体は日本全国あちこちに散らばっていて、1番遠いところだと沖縄まで広がっていた。対してあの平屋からは1体も遺体は発見されていなかった。てっきり僕はあの平屋に全員で向かったと思っていたのだが、どうしてこんなに位置が離れているのだろうか?

 僕と先輩が抱くこれらの疑問はネットやテレビのニュースでも取り上げられ議論の的となっていた。僕たちがトラゾーと法乗院さんを見ると、トラゾーがため息を吐いた。

「そのことは俺たちにも詳しくはわからん。平屋の霊を祓ったら出現したわけだからなんらかの因果関係はあると思うが……」

「もしかしたら神の影響を受けて、自分たちの存在が他人から見えなくなっていたのかもしれませぬな。とはいえこれも憶測です。霊や神の起こした事象をすべて合理的に説明するのは不可能なのですよ」

 2人にもそのことはわからないようだった。もうそれで納得するしかないのだろう。そのうち煮詰まった警察がそれらしい理屈で結論を出すはずだ。世間もそれで満足するはずだった。

「でもさあ、ちょっと可愛そうだよねえ」

 両手を床につき上体を反らしながら先輩がおもむろに言う。

「何がですか?」

「そのおかしくなっちゃった心のカンファレンスのメンバー。幽霊を見ようと思っていたら自分たちが幽霊に……なんてゾッとしないじゃん」

 先輩は天井を見上げる。確かにそうだった。幽霊を見ようとしていた団体が幽霊になるとは皮肉めいている。それに彼らがおかしくなったのは偶然まつろわぬ神を目撃したから。ただの不幸であって、彼ら自身に落ち度はないのだ。そのことがより一層悲壮感をかりたてる。

「そうですね。それにネットとかニュースでも色々言われてますし……」

 マスコミやネットはこれら一連の事件を大きく取り上げ扇動していた。あることないこと言いふらし、根拠のない憶測を並べ、証拠のない中傷を撒き散らす。遺族や元サークルメンバー、現在のカンファレンスサークルのもとにも多くの記者やマスコミが押しかけているらしい。このじっとりとした熱狂はしばらくやみそうになかった。

 八雲教授の話を聞く限り、心のカンファレンスは善良な1サークルでしかなかったはずだ。だがそれを知る者はもう少ない。現在を生きる人々によってその事実は希釈され、上書きされ、塗り替えられ、押し流されて、本来の形は消えてしまうだろう。僕たちが幽霊や神の仕業なんですと声を上げてもその流れは止められない。むしろそれを後押しする材料の1つにしかならないだろう。

 これも人間社会における変遷の1つといえばそれはそうなのだろうが……それを身近で目撃した僕には、今の流れに人間の持つ無知ゆえの邪悪さや露悪的な感情が多く滲み出ている気がしてならなかった。

 当時や過去のことを蒸し返されるサークルメンバー。家族が無惨な姿で帰ってきた遺族。そしてなにより命を落とし、死後まで好き勝手な憶測やデマで尊厳を踏みにじられる失踪者たち。その人たちのことを思うと暗い気持ちになる。同情と憐憫の感情が湧くのを抑えられない。

「……」

「……」

 涼風さんと高橋先輩も同じことを考えていたのだろう。なにも言わずに押し黙り、部屋の中に視線を飛ばしている。トラゾーも閉口し、テーブルの上でじっとしていた。

「人の世は移ろうもの。その大きなうねりの中では人間の感情などちっぽけなものですなあ。

 できるのは死者の冥福を祈ることだけ。死後の魂の安寧を信じることだけです」

 法乗院さんは目を閉じ合掌した。手に持った数珠がじゃらと鳴る。

 涼しい風の吹く、秋の夕暮れ時であった。


 翌日。講義を再開した大学に僕は足を踏み入れた。モヤモヤした気持ちで学生たちが歩くエントランスに入ると、掲示板の前に誰か立っていた。――八雲教授だ。

「おはようございます」

「ああ、天原か」

 僕が隣に立って挨拶をすると教授は掲示板を見ながら返事をした。僕も掲示板を見る。そこにはもうあの張り紙はない。

「なにを見ていたんですか?」

「なにも。ただここに来たかっただけだ」

 左耳に教授のフッという短い笑いが届く。

「忘れないように、しようと思ってな」

「え?」

 僕は隣に立つ八雲教授の横顔を見る。

「以前話した日本における民俗学の成り立ちを覚えているか?」

「えーっと……確か近代化で失われた風習や風俗を後世に残すため、でしたっけ」

「そうだ。今回心のカンファレンスのサークルメンバーの遺体が見つかって、あることないことみんな言っているだろう? ほとんどの人間が心のカンファレンスがどういう団体かを正しく知っていないだろうな」

「そう、ですね……」

 それは僕が思っていることとまったく同じだった。

「だからこそ覚えておかなければいけないと思ったんだ。当時、彼らがどういう活動をしてどんな目的を持っていたのかを。

 人の噂や流れで変わってしまった事柄の、元の姿を覚えて伝えていくのが民俗学を学ぶものとしての務めだ。だからせめて俺ぐらいは彼らの本当の姿を覚えていなければな……。きっとそれが彼らへの供養にもなる……」

 僕はハッとした。確かにそうだ。大きな流れの中では多くの事柄が形や意味を変えていく。そしてそれを忘れずに伝えていくのが民俗学だ。

 たとえどんなにちっぽけな思いでも確かにそれはそこにある。彼らの本当の姿を覚えている人間も存在している。そのことを知ればサークルメンバーの魂も浮かばれるかもしれなかった。

 八雲教授は僕の肩をぽんと叩いた。

「この前は済まなかったな。教授の姿としてはあまりよくなかった。それでももし良かったら、あのときの話、お前も覚えていてくれ」

「はい。忘れないようにします」

 僕の返事に教授は満足したように頷いて「講義に遅れるなよ」と去っていった。

 僕はもう1度掲示板を見つめた。そして小さくそれでいて確かに言葉を伝える。

「怖い思いをたくさんしたけど、僕もあなた達のことを忘れませんから」

 それだけを言って視線を切る。

 僕はもう誰の気配もしない掲示板から立ち去った。

 

 


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