第34話 カンファレンス(4)

 それからの合宿は意外なことに何事もなく進んだ。3人組はあれからちょっかいをかけてはこず、僕と月島さんはスムーズに教習を受けられた。それでもこっちを見て何事か囁きながらにやにや笑ったり、2人で部屋に戻ると会話を一瞬中断したりと、相変わらず態度はあからさまだ。僕に話しかけたりすることもなくなり、それはそれでありがたくはあるので僕の方から会話をすることもない。

 合宿の参加者は3人と2人のグループに分かれた形だった。人間関係としてそれはどうかと思わなくもないが、なるべく周囲の人と仲良くなりたいという気持ちとそれが実際にできるかどうかはまた別の話だ。どうしても波長の合わない人もいる。そういう人とは距離を取った付き合いをするのも人間関係の1つのあり方ではあるのだ。

 それとは逆に月島さんとは結構仲良くなれた。雑談したり、笑顔で会話することも増えた。初日と比べると親密な関係と言えるだろう。身の上話もしてくれるようになって、免許を取ろうとしたのも結婚したお姉さんが妊娠して身重になったから、車で送迎してあげたいというなんとも兄妹思いな理由だった。少し刺々しい言い方をするきらいはあるが、悪い人ではない。僕はそう思う。

 教官たちは参加者の変化には気付いてはいるようがったが、特に介入してくることはなかった。まあ大きな問題を起こさなければそれでいいという考えなのだろう。参加者の関係性にまで口だしする義務もないだろうし。特に気にはしない。

 そんなふうに教習漬けの日を送ること6日目。この日は完全な休息日として予定されていた。1日自由時間で教習もない。門限さえ守れば外出も許可されている。羽根を伸ばしたい気分だったが、明日には修了検定と仮免学科試験がある。それに合格したらいよいよ仮免許が渡され、公道に出て技能教習をすることになるのだ。完全に気を抜くわけにはいかなかった。

 午前中は休んで、午後は学科の勉強をしようと決めて僕は部屋を出た。3人は部屋で大きな声で騒いでいたから居づらかったし、月島さんは食堂で勉強するのだという。なので僕はあてもなく宿泊施設内をぶらつく。

「そういう気持ちなら私にもそう言ってくれたら良かったのに。すごく心配しちゃったよ!」

 その中で僕は高橋先輩に電話をかけていた。教習ばかりの毎日で疲れていた僕は先輩とまだ話ができていなかった。トラゾーに電話する余裕はなんとか確保していたのだが……。スマートフォンから響く先輩の声に僕は申し訳ない感情で謝る。

「本当にすみません……。きちんと話すべきでした……」

「まあそんな怖い目にあったらさ、周りの人の心配しちゃうのはわかるよ。

 でも何も言わないのはだめ! そりゃ私にはなんにもできないけどさ……話を聞くぐらいはできるんだから。そこは先輩としてちゃんとちょっと頼ってほしいな」

「はい。これからはそうします」

 僕がしっかりと返事をすると電話の向こうでうんと先輩が頷く。

「わかってくれたならそれでよし! 別に怒ってるわけじゃないからさ。草太だけ危ない目にあったら嫌だな〜ってだけで。今度からは事前に話してくれたらそれでいいよ。

 それに私が草太を気に入ってるのそういうとこだし。そうやって他人のために色々考えて行動してくれるところ。私はそれ結構いいなって思ってる」

「そうですか? 少なくとも先輩には入学してからずっとお世話になってますし、そのお礼をしたいって思うのは普通じゃ……?」

 大学生になってから今日まで高橋先輩には色々なことで助けてもらっている。講義の内容や、私生活まで本当に様々なことを。熱中症で倒れたときなどがいい例だ。僕は高橋先輩を信頼できる先輩として見ている。そんな存在に少しでも何かを返したいと思うのはごく普通のことではないだろうか。

「あはは! 嬉しいこと言うなあ〜! でも草太がそう思うのが普通なら、私が草太に同じことを思うのも普通ってこと! 三魂祭の資料とか集めてくれたでしょ? ああいうの私すごく嬉しいからさ。後輩として頼りにしてるの。ホントだよ?

 だから私も草太がこれからも立派な先輩だって思ってくれるように頑張るからさ。だからどんどん頼ってきんしゃーい」

「なんですか、その言い方」

 僕は思わず吹き出してしまう。昨日思ったことだが、僕が周りの人を思うように、周りの人も誰かを思っているのだ。そして当然その中には僕の存在もあって……。そういう関係性はお互いがお互いを思う行動から生まれるものだ。それを維持していくためにも、1人で抱え込まず話をすることは大事なのだ。僕はそう考える。

「でも、草太が私のことをそんなに思ってくれていたなんて〜。どうしよう、私困っちゃ〜う」

 いやーんとやけに艶っぽい声が聞こえてくる。両腕で自分の体を抱きしめて身をくねらせる先輩の姿が空に浮かぶ。

「いや、僕先輩に対してそういう考えは一切持ってませんから」

「あ、そう?」

「はい」

「あ~そっかあ……」

 どことなく残念そうな声を出す先輩。ただでさえ八雲教授からは付き合っているのかと勘違いされているのだ。これ以上周囲の誤解を招く発言は控えた方がお互いのためである。

「あはは、まあ私の言いたいことはそれだけだから。頑張って免許取ってきなよ。バイバイ!」

 落ち込んでいたのも一瞬のこと。先輩はすぐに明るい声に戻って電話を切った。ちゃんと謝れてよかった。僕はスマートフォンをズボンのポケットに仕舞う。

「ん……?」

 気がつくと僕は1軒の平屋の近くに立っていた。ここに来た時、物置に使っていると紹介されたあの平屋だ。それが建っている土地の出入り口の前に僕は立っていた。木が生えていない開けた景色の向こうにぽつんと平屋が見え。10歩か20歩で平屋の前まで行けるぐらいの距離だ。電話をしながら歩いているうちにここまで来てしまったらしい。

 木々がざわざわと揺れる。平屋の建っている場所は背の高い木々に囲まれているせいか、昼間だというのに薄暗い。整備された白い砂利も影が差してどこかくすんで見える。

「……」

 僕はその平屋を見る。中には入るなと言われていたが、ここから観察するぐらいなら構わないだろう。

 初日からずっと思っていたのだがこの平屋は少々奇妙だった。建っている場所の陰気さもあるが、この建物の存在が周辺の環境とちぐはぐに思えて仕方ないのだ。

 一見はなんの変哲のもないただの家屋だ。僕の見ている方向の壁には窓が並んでいる。どうやらそれはすべて1つの部屋に取り付けられているようだった。つまり僕が見ている壁は同じ部屋に面しているということになる。かなり広い部屋のはずだった。

 窓から見える部屋の内装は変だった。部屋の中央には長方形を作るように4つの長机が並んでいた。

壁の1つにはホワイトボードが取り付けられている。部屋にあるのはそれだけで物品が保管されている様子はない。その部屋は物置というよりは会議室のように僕は思えた。

 本当に物置として使っているのだろうか? 僕は訝しみながら宿泊施設の方を見る。

 僕たちの泊まっているのは屋根の丸っこい小洒落た洋館だ。それに対し今僕の目の前にあるのはごく普通の日本家屋だ。

 筒井教官の言葉を思い出す。この土地を買い取ってから宿泊施設を建設した。確かにそう言っていたはずだ。それなのにここまでデザインが違うのはなぜだろう。普通は外観を統一するものではないだろうか。

 僕は思考する。もしかしてこの平屋は土地を購入する前から存在していたのではないだろうか? それなら見た目の差異にも一応の説明がつく。

 しかしそれならこの家屋を残しておく理由はなんだろうか? 中の様子からするに物置として使っているようには見えない。ならば教官たちは嘘をついていると言うことになるが、なんのためにそんなことを? そう思考を深めていると、背後から声がした。

「天原さん、何をしてるんですか?」

 突然の呼びかけに驚いて振り向くとそこには筒井教官が立っていた。いつものにこやかな笑みを浮かべているが、その目は笑っていない

「ああ、ちょっと歩いていたらこの近くを通りがかって……」

「中には入っていませんね?」

 筒井教官は僕の言葉を遮ってそれだけを聞いてきた。僕は一瞬口ごもり……それから答える。

「中には入っていません。その、あっちの建物とこの平屋とで全然デザインが違うからそれが気になっちゃって……」

「そうでしたか……」

 僕が頭の後ろをかきながら笑うと筒井教官は息を吐く。その顔に一瞬だけ安堵の表情が浮かんだのを僕は見逃さなかった。

「この平屋は土地を買ったときからあったものです。取り壊すのも費用がかかりますから、物を置く場所として使っているんですよ」

「だから全然見た目が違っているんですね。教えてくれてありがとうございます」

 僕の予想通りだったようだ。この平屋は元々あったものらしい。

「お礼は結構ですよ。それよりもあの中には絶対に入らないでくださいね。色々置いてあって危険ですから……」

 筒井教官は最後にそう言うと宿泊施設の方へと戻っていった。僕も戻るとしよう。腕時計を見ると宿泊施設を出てから1時間経っていた。

 最後にもう1度平屋の方を見る。色々想像してしまったが、結局のところそれは根拠のないものだ。実際のところどうかはわからない。

 また仮になにかあるのだとしてもそれをむやみに嗅ぎ回るのも問題だろう。今の僕がやるべきは運転免許取得のために教習所を卒業することだ。余計なことを考えてはいけない。

 それにトラゾーにも言われた。周囲のことに敏感になりすぎていると。なにか秘密があるのだとして、それが周囲に危険を及ぼすものかは一切不明だ。大学の霊障のようにすでに発生した事象ならともかく、今はなにも起こっていない。なら首を突っ込んではいけない。

 僕は平屋への意識を断ち切り歩きだす。一応トラゾーには報告だけはしておこうと考えながら、敷地内を歩いていった。


「ふざけんな! お前がやったんだろ!」

 そうして部屋に戻ると月島さんの怒号が僕を出迎えた。顔を真っ赤にして上川たちと向かい合っている。3人も険悪な表情で立っている。月島さんに至っては今にも殴りかかりそうな勢いだ。一触即発の空気が部屋に満ちていた。

「ちょっと! 何やってるんですか!」

 僕は慌てて4人の間に割って入る。すると月島さんが腕を振り上げながら叫んだ。

「こいつらが俺の教本をめちゃくちゃにしたんだ!」

 そう言って見せてきた月島さんの教本はページや表紙があちこち破れて見るも無惨な姿になっていた。

「これは……。一体いつからこんな状態に?」

「朝見た時はこんなふうになってなかった。食堂で朝食を食べて勉強しようと思って部屋の荷物の中を見たらこうなってたんだ! やったのはこいつらしかいないだろ!」

 月島さんの言うことが本当なら犯人はこの3人しかいないのは明白だった。僕は朝から外に出て戻ってきたのはついさっきでそんなことをする暇などなかった。教官たちがそんな事するとは思えない。当然自分で自分の教本をわざと破損させる人はいないので月島さんもシロ。そうなると犯人は部屋に残っていたこの3人以外に考えられない。おそらく僕と月島さんが部屋にいない間にやったのだろう。

 僕は上川をキッと睨む。

「3人とも今の話本当ですか?」

「はあ? 知らねえよ、そんなの。そいつが戻ってきたら勝手に騒ぎだしたんだよ」

「そもそも俺たちがやったって証拠があんのかよ? それなのに犯人扱いされてもなあ?」

「自分の管理が悪いんじゃないか。もっと気をつけろよ」

 そう言って3人は下卑な笑みを浮かべる。

 ようするにこれは月島さんへの嫌がらせだ。明日修了検定と仮免学科試験があるから勉強ができないように教本を破いたのだ。初日以降何もしてこなかったから油断していた。きっとタイミングを伺っていたに違いない。

「嘘つくな! お前ら以外に誰がこんな事するんだよ!」

「だから知らねえって言ってんだろ! いつまでも同じこと言ってっとボコボコにすんぞ!」

 興奮する月島さんが僕を押しのけ上川たちと対峙する。上川も脅すようにガンを飛ばす。中山と下田は何も言わずそれを見ている。今にも殴り合いが始まってしまいそうだ。

「月島さん、落ち着いて! 上川さんたちも煽るような言い方はやめてください!」

「は? なんだよお前、さっきからうっぜえな。良い子ちゃん気取りか?」

「つーかお前、バスの中でもノリ悪かったよな。せっかく俺たちが仲良くしてやろうとしてたのによ」

 上川と中山が僕に怒気のこもった視線を向ける。そう思うんだったら相手が嫌がってることに気づいてくれよ!と叫びたくなるが、僕はそれをぐっとこらえてなんとか場を収めようとする。

「そのことは謝りますけど、今は何も関係ないですよね!? とにかく喧嘩はやめてください!」

「俺たちに意見してんじゃねえよ。あ~まじムカつくわ……。下田ボコしちまえ」

「おう」

 急にやる気をなくした上川が後ろに下がると、入れ替わるように下田が前に出た。

「下田はさあこれでも空手の有段者なんだよねえ。今まで俺たちのムカつく奴は全員病院送りにしてんの。お前たちなんか一瞬だよ?」

「今からやめろって言っても止まんねえからな?」

 上川と中山がゲラゲラ笑いながら脅すように言ってくる。下田は指をポキポキ鳴らしながら、嗜虐的な笑みを浮かべた。僕の後ろで月島さんが身を縮こませる。

 こうやって嫌がらせと暴力で自分たちの気に入らない人間を排除してきたのだろう。トラゾーの言う通り典型的な悪ガキだ。成人しているのにガキとはこれいかに。

 だが僕は3人に対して恐怖や怯えの感情は持っていなかった。だってそれ以上に怖い存在を知っているからね! 凶暴化した河童や追いかけてくる幽霊に比べたら目の前の男など可愛いものだ。そもそも僕は喋って空を飛んで、壁をすり抜け、ビームを出し、食い意地の張った態度の大きい化けにゃんこと毎日一緒に暮らしているのである。現実的な対処のできる存在ならあまり怖くはない。

 とはいえ喧嘩したら勝ち目はないし、殴られたら痛いのだ。だから僕は言葉でこの場を諌めることにする。

「別に殴ってもいいですけど、困るのは3人だと思いますよ」

「あ? 何を言ってる?」

 予想外の反応に片眉を上げる下田の顔を見上げる。

「困るのはあなた達だって言っているんです。教本を破いたぐらいなら予備の物と交換ぐらいで済むでしょうけど、喧嘩をしたらそれでは済まないと思います。病院送りになる怪我なんてさせたら教官も対応はするでしょうし、最悪合宿自体が中止になるかも。

 それだけじゃない。傷害事件の被疑者として3人も逮捕されるでしょう。そうなったら大学にだっていられませんよ? それでもやるなら好きにしてください」

 僕がわざと脅すように言うと3人の顔は大きく歪んだ。後先考えず暴力を振るえばどうなるかは流石にわかるらしい。

「……ちっ! 白けさせやがって!」

 やる気をなくした3人は次々と部屋から出ていった。律儀に全員僕に肩をぶつけて部屋をあとにする。

「月島さん、教官のところに行って事情を話して新しい教本と取り替えてもらおう。僕も一緒に行くから」

 上川たちがいなくなったあと、僕は月島さんの腕をつかんで教官の部屋に向かった。

 その腕は震えていた。


「事情はわかったわ。じゃあこれ新しい教本」

 筒井教官が留守だったため竹島教官の部屋に訪れると、彼女はそれだけ言って備え付けのデスクへと戻った。

「あの、それだけですか? あの3人に注意とかは……」

 その簡潔な――もっと言えば冷たい対応に僕は不服を漏らす。竹島教官はじろりと睨みつけてきた。

「ここは小学校や中学校じゃないのよ。生徒同士の諍いは自分たちでどうにかしなさい。そもそもそういう事態を起こさないように心がけて。あなた達ももう子供じゃないんだから、そういうことを考えて行動しなさい」

 竹島教官は鼻を鳴らす。まあ確かに言うとおりではある。大学でだって生徒同士の諍いに教職が止めに入ることはあんまりないし、そもそも僕たちぐらいの年齢なら他人との付き合い方もわかる歳だ。言い争いや喧嘩になる前にそれを回避できるよう言葉を選んで会話する。いつまでも大人が助けてくれるわけではない。

 ただそれを踏まえても竹島教官の言い方にはどこか突き放すような冷徹なものを感じた。一教官にすぎない彼女が生徒の問題を解決する義理も義務もないのは事実だろう。しかしそれでももう少し毅然とした対応を求めてしまうのは僕の我儘だろうか?

 そう思いながらその場に立っていると「何? まだ言いたいことがあるの?」と竹島教官が苛立ちを隠さない声で聞いてきた。

「荷物が荒らされているのは事実なので、せめて僕たちのバックやカバンを別の場所に置かせてもらえませんか? また同じことされたら嫌なので」

「……それぐらいなら構わないわ。ここに荷物を持ってきなさい」

 流石にその要求は飲んでくれた。僕たちは教官の部屋を出る。

「よかった。あと1週間もあそこに荷物を置いておくの怖かったから。早く取りに行こう」

 僕がそう言って肩を叩くとずっと黙っていた月島さんが顔を上げる。

「悪い……。俺のせいで……」

「気にしないで。どっちかというと悪いのあの人たちだと思うし」

 部屋に戻ると、3人組はまだ帰っていなかった。僕たちはこれ幸いにと荷物をまとめる。

「お前、なんで俺のこと助けてくれるんだよ」

 その最中月島さんが、開いたバックの中に視線を落としながら言った。

「お前もあいつらに目をつけられたぞ。また嫌がらせしてくるかもしれないし、俺のことなんかほっとけばよかっただろ。なんで自分まで危なくなるようなことしてまで助けてくれるんだよ」

「……前に理由言わなかったっけ?」

 最近色んな人に似たことを言われるな。そう思いながら僕は返事をする。

「だからそれがわからないんだよ。もし俺がお前の立場だったら絶対に助けない。傍観者になって関わらないようにする。それなのにお前はなんで……」

 月島さんは強い感情を抑えるように体を震わせて手を止める。

「俺とお前は友達でもなんでもないだろ。助ける義理なんてないはずだ。なんでだよ」

 月島さんが顔を上げて僕を見る。窓から差した光が眼鏡に反射し、涙のように光る。

 月島さんの言うことは間違っていない。嫌がらせを受けている人を助けたら自分が標的になるかもしれない。そう考えたら手を出さず無視をするのも1つの手だ。危険が飛び火することはないし、夜を渡る処世術としては有効だろう。

 ではなぜ僕は傍観者に徹さず手を差し伸べたのか……。しばらく考えて答えを出す。

「……ちょっと身の上話になるんだけどいい?」

 月島さんはコクリと頷いた。

「僕最近、日常生活で色々変わったことがあってさ。それこそ世間一般の常識や固定観念、価値観が全部変わっちゃうような出会いがあったんだ」

 僕の頭にキジトラ柄のふてぶてしい顔をしたにゃんこが浮かぶ。

「それで色々自分を見つめ直す事もあって……。

 僕、両親を小さい頃に亡くしていてさ、最近までそのことに少しもやもやした感情を持っていて……それが苦しかった。でもようやくそれが解決して、僕思ったんだ。両親に胸の張れる立派な人間になりたいって」

 あの山の中で僕を助けてくれた2つの光を思い出し、僕は微笑む。

「じゃあそういう人間ってどんな人間かなって考えたら、きっとそれは周りの困っている人や大切な人たちを助けられる人なんじゃないかなって思ったんだ」

 僕は月島さんの瞳を見返す。

「だから僕、目の前で困ってる人をほっておけないんだ。もしそうしなかったらきっと僕は両親や周りの人たちに顔向けできなくなる」

 トラゾーや涼風さん、高橋先輩。色んな人に注意を受けたが、僕の他者を思う気持ち自体は否定されなかった。そのための言動や身の振り方を考えろと言われたが、それだけは悪く言わなかった。僕の気持ちを尊重してくれているのだ。ならば、月島さんのことをどうして放置できるだろうか。

「だからそれが理由。両親に胸を張れる自分でいたい。友人や家族、大切な人を助けられる自分でいたい。だから月島さんをそのままにできない。それだけ! それ以外に理由なんてないよ。

 まあ最近それでから回っちゃって、色んな人に怒られちゃったから、今は全然ダメダメなんだけどね……。あはは」

 なんだかとても恥ずかしいことを言ってしまった。僕は照れ隠しに笑う。真剣に聞いていた月島さんも目を逸らしてフッと笑う。

「お前やっぱり変だよ。そんなこっ恥ずかしいこと言う奴、初めて見た」

「や、やっぱりそうかな……」

 それが普通だよなあ……と僕は少し肩を落とす。そんな僕を見て「でも……」と月島さんは続ける。

「お前のおかげで俺は助かってる。お前がいなかったら嫌になって帰ってたと思う。だからありがとう。最後まで頑張ってさ、一緒に免許取ろうぜ」

 その言葉に僕は笑顔で頷いた。月島さんは自分も恥ずかしくなったのか「さあ早いとこ荷物を動かそうぜ。あいつらが帰ってくる」と作業を再開した。月島さんの顔は少し赤かった。

「じゃあこれで全部かな。行こうか、月島さん」

 まとめた荷物を持って部屋を出ようとすると月島さんが呼び止めてきた。

「……大地でいい」

「え?」

「だから大地でいいって言ってるんだ」

 月島さんは恥ずかしそうにしながら視線をあちこちに動かす。

「他人行儀な呼び方じゃなくていい。下の名前で呼んでいい。その代わり俺もお前のこと名前で呼ぶから……その……草太……」

 僕は一瞬目を丸くして……それから満面の笑みで答えた。

「うん、よろしくね! 大地!」

 こうしてまた友人が1人増えたのだった。

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