第33話 カンファレンス(3)

 時間は過ぎ、9月末。いよいよ秋休みがやってきた。

 その初日、僕は市内の教習所の建物の前に立っていた。駐車場には小型バスが停まり、その周りには僕以外にも数人の人間がいる。

「はい、みなさんおはようございます。私は教官の筒井です」

 そう挨拶をしたのはバスの前に立つ眼鏡をかけた温和そうな男性だった。続いて隣のスーツを着た若い女性が口を開く。

「同じく私は竹島です。これから皆さんには教習所の宿泊施設に泊まって免許取得のために勉強をしてもらいます」

「これから出発しますが、一応全員いるか確かめるために自己紹介してもらいましょうか。じゃあまずは君から」

 時期の関係か僕以外の合宿参加者は4人しかいなかった。筒井教官が僕を見る。

「天原草太と言います。大学1年生です。よろしくお願いします」

 僕は簡潔に名乗る。大学の名前まで出すと張り紙の1件で余計な詮索をされる可能性があったので言わないでおく。

「じゃあ次俺たちね。俺は上川あつし」

「中山たかしで~す」

「下田つよしだ」

「俺たち全員同じ大学の3年生なんでよろしく〜」

 次に3人でまとまっていた参加者が一緒に挨拶する。上川が金髪にロン毛。中山が茶髪にサングラス。下田が体格のいい黒髪。まあなんというか非常にわかりやすい名前の人たちだ。常ににやにやしていて見た目通りのチャラチャラした男たちだった。俗に言うチャラ男と呼ばれる人たちなのだろう。

「……月島大地。大学1年生です。よろしく」

 最後に眼鏡をかけた参加者が短く自己紹介した。僕と同い年か。正直あの3人組はちょっと苦手なタイプだったので同世代がいるのは結構嬉しかった。

「うん、全員いますね。この5名でこれから2週間運転免許の取得のために一緒に勉強してもらいます。立派な運転手になれるように頑張ってくださいね」

 筒井教官がにこやかに笑う。僕たちは「は~い」と気の抜けた返事をする。

「それじゃあバスに乗ってください。宿泊施設はここから数十分なのであまり時間はかかりません」

 竹島教官のその言葉を合図にバスの運転手がドアを開いた。僕たちは荷物を持ってそれぞれ乗り込む。

 小型とはいっても10人ぐらいなら乗れる余裕のあるスペースと座席があった。僕は真ん中あたりの窓際の座席に腰を下ろす。月島さんは僕と通路を挟んで窓側の席に座って頬杖をついて、文庫本を開いていた。その姿は話しかけられることを拒んでいるように見えた。1人が好きなのかな。

 で、3人組は僕の後ろの席にまとまって座った。背もたれを挟んだ僕の背後で大きな声で談笑している。友人同士で騒ぐのは別にいいし、僕もそれは好きなのだが、もう少し声のトーンを落としてくれないだろうか。3人の声が合わせってまるで拡声器を使っているかのような大きさだ。少し耳が痛い。

「宿泊施設についたら部屋に荷物をおろして、すぐに学科の授業です。スケジュールが組まれているので遅刻はしないように。全体に迷惑がかかりますからね」

 運転席の後ろの引率者用の座席に座った竹島教官がこちらを振り返って事前に注意をしてくる。3人組が「は~い」と手を振ると目を少し細めて元の姿勢に戻った。

「ではお願いします」

 筒井教官の言葉で運転手がバスを出発させた。

 

「へえ~、じゃあ草太っちは1人暮らしなんだ」

 それから10分後、案の定僕は背後の3人に絡まれていた。

「いいなあ、女の子連れ込み放題じゃん!」

「うっわ、それお前セクハラ! 訴えられんぞ!」

 背もたれから上川と中山が身を乗り出して仕切りに話しかけてくる。車が動いているのに危ない人たちだ。

「お前らなあ、そういうことを大声で言うんじゃねえよ。草太が困ってるじゃねえかよ、なあ」

 そう言っていつの間にか僕の隣に移動してきた下田が僕の首に腕を回す。僕はなんとも言えず「まあ、はい……」と曖昧に返す。この人かなり筋肉ついているな。首に回された腕は太かった。

「えー? マジで? 俺嫌われちゃった!」

「草太は真面目だねえ。じゃあ話題変えよっと。草太は何をお勉強してるわけ?」

「学科や学部の話ですか? それなら民俗学科ですけど」

「民族学! 俺知ってるわ! ゲルマン民族ってやつ!」

「馬鹿、お前! それは世界史だっつーの!」

 何が面白いのか上川と中山が爆笑する。下田は「馬鹿だねえ、お前ら」と口角を上げる。

 あー、もうそれでいいですよと心の中で言って僕は苦笑いする。

 なんというかこの3人と話していると息苦しかった。相手のことを考えず自分の言いたいことだけ話してくるので僕もなんて返せばいいのかわからず曖昧に返事をするしかない。バイタリティの化身のような高橋先輩ならうまく会話できるのだろうが、僕はそういう人間ではない。

 それと僕を取り囲むようなこの配置。嫌でも逃さないという意思が見え隠れする。体を近づけてくるから物理的な圧迫感も強い。なんでそんなに僕に構うんだろうか。僕は首元を緩める。

「お~い、月島もこっち来いよ。1人で本なんか読んでないでよ」

 上川が月島さんを呼んだ。月島さんは読んでいた本から顔を上げると鋭い視線を向ける。そして冷たい声でこう言い放った。

「嫌です。俺、あんたたちみたいなうるさい人間とは関わりたくないんで」

 僕は片頬を引きつらせた。いや、僕は別にいいのだ。1人の時間を邪魔して申し訳ないとでも言えばいいから。だがこの3人はそうではない。

「は? なんだその態度?」

「人がせっかく話しかけてやってんのによ」

「舐めてんのか?」

 3人は怒りのボルテージを急上昇させた。怒気を発散させるが月島さんはどこ吹く風で手元の本に視線を落としている。

「あ~あ、なんか白けちゃったなあ」

 上川がわざとらしい声を上げ、下田は僕から離れ自分の席に戻っていく。

 解放された僕は前方に視線を向ける。そこには肩を寄せ合って小声で打ち合わせをしている2人の教官の姿が見える。今のやりとり、聞こえていただろうに注意とかしないのか。

 ばれないように後ろの座席を見てみると3人組はなにか話しながらしきりに月島さんに視線を向けている。そこには明確な敵意の感情が読み取れた。

 嫌な予感がする……。まだ教習すら始まっていないのに僕は暗澹あんたんたる気持ちになるのだった。

 

 肩身の狭い思いをしながらバスに揺られていると、やがて宿泊施設に到着する。バスを降りて大きく深呼吸。なんだかかなり長い時間をバスに乗っていた気がする。

 僕たちの目の前には少しおしゃれな2階建ての洋風建築の建物があった。敷地内には教習場も設立されており、それを見ると運転免許を手に入れるためにここで勉強するのだという気持ちになって気が引き締まる。

「ここがみなさんが使用する宿泊施設です。10年以上前にこの土地を買い取り、合宿用の設備を整えました。ここに滞在するのは短い間ですが、無事卒業できるように頑張ってくださいね」

 筒井教官は軽い説明を話し激励してくれる。よし、頑張ろうと僕が思っていると上川がだらけた声を上げる。

「せんせ~い。あっちの建物はなんですか?」

 上川の指差す方を見る。教習場から数m離れた場所に1軒の平屋があった。宿泊施設から遠い場所にぽつんとあるそれは周りを木に囲まれていることもあってかなんだか寂しいイメージを僕に与えた。

「……あれは物置に使っている建物です。ここにいる間は、絶対に入らないようにしてください

 では宿泊施設の中を案内します。ついてきてください」

 筒井教官は一瞬の空白をおいてから答えた。そしてそのまま竹島教官と並んでさっさと歩いていってしまう。その強引な打ち切り方からあの平屋については何も答えないという強い意思を感じた。

 上川は他の2人と目を見合わせ、ニヤニヤと笑っていた。あの建物のことがそんなに気になるのだろうか? 僕は疑問に思いながらも旅行カバンを持ってあとに続く。

「ここがあなた達の泊まる部屋です」

 1階の食堂や共同浴場を見て2階に上がる。教官たちは教習用の教室を紹介したあと、最後に僕たちを宿泊用の部屋まで連れてきた。

 ドアを開くと靴を脱ぐ場所と下駄箱があり、そこを上がると両側の壁に2段ベットがそれぞれ2つずつ並んでいた。洗面所とトイレ、浴室は部屋を上がってすぐにある扉の向こうにある。

「今回は参加人数が少ないのでこの部屋の浴室を使ってください。食事や消灯の時間は事前に渡したパンフレットのモデルスケジュールに従ってください。

 廊下の突き当たりにある部屋にそれぞれ分かれて私たちも滞在しています。なにかあったら呼んでください」

 部屋の中を見てまわる僕たちに竹島教官が事務的に伝えてくる。

「30分後に適性検査をしてから学科教習と技能教習を行います。準備をしてから1階に集まってください」

 そう告げてから2人は去っていった。

「こんな狭いところで男5人で暮らすのかよ」

「そう言うなよ。大して儲かってない教習所の用意する宿なんてこんなもんだろ」

「でもな~、1人ノリの悪いやつがいるしな〜」

 上川、下田、中山は笑いながら月島さんの方を見る。先ほどの当てつけか。あからさまだな。月島さんは無視しているが、僕は眉をひそめてしまう。なんか僕まで嫌な気持ちになってきたな。

 3人組が片側のベットを占領してしまったので必然的に僕たちは逆側ののベットを使うしかない。僕たちはお互いに下側のベットを寝床に決める。

「月島さん、1年生同士よろしくね」

「よろしく……」

 荷物を置いた僕が仲良くなろうと話しかけると……月島さんは短く言葉を返してそっぽを向いてしまった。3人はその様子を気に入らなそうに見ている。これからこの人たちと2週間の共同生活を送るのである。気が重い……。僕は思わず肩を落とす。

 適性検査を行ったあと、記念すべき1回目の学科教習が始まった。

 教室には3人掛けの机がいくつも並んでいた。僕は教室の真ん中あたりに陣取り文房具や教本を広げる。

 月島さんは左側の最前列。3人組はその何列か後ろの机で仲良く肩を並べていた。

 筒井教官の授業を聞いていると、月島さんがしきりに後ろを振り向いているのが見えた。その表情は明らかな不快の色だった。

 どうしたんだろう? そう思って様子をうかがっていると、3人組の1人、上川がノートの一部をちぎって丸めて月島さんに投げた。それが後頭部に当たった月島さんは後ろを振り向き、口を動かす。『やめろ』。その無言の訴えに3人組は忍び笑いを漏らす。

 僕は呆れ果ててしまった。とても成人した人間のやることとは思えない。まあ月島さんの態度に問題がなかったかと言えば嘘になるが、だからといってそんな嫌がらせをするなんて……。僕は信じられない気持ちになる。

 筒井教官はそれを注意しない。上川は教官がホワイトボードの方を向く間にゴミを投げているのだ。なので教官は気づかない。手慣れてるな……。3人がどういう人生を送ってきたのかが薄々察せられてしまって、より呆れの感情が強くなる。それに見ていてあまりいい気持ちではない。やってることが陰湿だ。

 このままでは僕が集中できないし、月島さんがあまりに可愛そうだ。仕方ないので僕は教官がホワイトボードに体を向けた瞬間に立ち上がり、席を移動する。

 場所は月島さんの真後ろ。素早く着席するとぽこんと頭の後ろに丸まった紙が当たる。

「どうしましたか? 急に席を変えて……」

「あそこ日差しが強くて……」

 見ていない間に移動していた僕を筒井教官は驚いた顔で見る。僕が適当に言い訳をすると、少しだけ首を傾げてまた教習を再開する。

 『なんで?』という視線に僕は微笑みだけ返した。後ろからの刺すような視線は無視した。

 その後も教習は続いた。教習用のコースで教習車に乗り技能教習。それが終わったらまた学科教習。そんなことが何度か続いて、ようやく夕食の時間になる。

「なんで、あんなことしたんだよ」

 食堂で宿泊施設の職員が用意してくれたエビフライ入りのカレーライスを食べていると、月島さんが隣りに座った。僕は口の中のものを飲みこんでから、声をひそめて言った。

「だってあんなの見ていて嫌な気持ちにしかならないし、月島さん困っていたでしょ?」

「それで助けてくれたのか? お前さ、そんなことしたら自分が標的になるかもしれないとか考えないのかよ」

 スプーンを動かす手を止める。確かに標的が僕に移り変わる可能性もあるのか。

「その顔何も考えていなかっただろ」

「あーうん。そうだね。でもあのままじゃ月島さんが大変だったし、後悔はしてないよ」

 僕は再びカレーを食べはじめる。仮に僕になにかやってきたとしてもどうせ2週間の仲でしかないのだ。その間我慢していればいいだけだ。僕はそう気楽に考える。周囲のことに敏感になりすぎてはいけない。肩から力を抜いて気楽に。トラゾーの言っていたことだ。

「でもどうせあの3人またなにかやってくるだろうな……。そうだ! ここにいる間はなるべく2人で行動しようよ。そうすればあの人たちも手を出してこないんじゃない」

 僕が間に割って入って毒気を抜かれたのか、最初の教習のあとは何もしてこなかった。とはいえ今日はそうでも明日以降はどうなるかわからない。僕は少し考えて名案を出す。

「いや……流石に四六時中一緒はちょっと……」

「……そうだね。それは僕も嫌だな……」

 名案じゃなかった。「自分で言うのかよ……」とこちらの顔を見てくる月島さんに僕は妥協案を出す。

「それなら学科の時間は近くにいようよ。教習車を運転してる時は流石に何もしてこないだろうし、その時だけ隣にいれば何もしてこないでしょ」

「まあそれぐらいなら……」

 月島さんも渋々といった具合で頷いてくれた。

「じゃあ明日からはそうしよう。僕もう食べ終わったから」

「あっ……」

 僕が立ち上がって食器を持つと月島さんはなにか言いたげな様子を見せた。僕は動きを止める。

「どうしたの?」

 僕が聞くと月島さんは少しの時間口をもごもごさせて……意を決したように口を開く。

「その……ありがとう。正直かなり困っていたから、助けてもらって感謝してる」

 眼鏡の奥の瞳が僕を見上げる。僕は思ってもいなかった言葉にきょとんとして……笑いながら手を振る。

「気にしないで。困った時はお互い様だからさ。明日からも頑張ろうね」

 僕はそれだけ言って月島さんから離れる。

 食器を返却して食堂を出ようとすると、別のテーブルで食事をする3人と目が合った。全員なにか言いたげな顔をしていたが……僕はすぐに視線を切ってその場から立ち去った。

 消灯まではまだ時間がある。僕はその時間を使って、先日の取り決めどおり1日の報告をする。宿泊施設を出た玄関口で僕はスマートフォンを取り出し涼風さんに電話をかける。

 秋も半ばだからかだいぶ涼しくなってきた。時刻は夜8時。暗闇の中からリー、リーと虫の声が聞こえてくる。緩やかに吹く風がどこかの草木を揺らし、葉優しくこすれるが音がする。。

「もしもし、草太……?」

 しばらく自然の音に耳を澄ませていると涼風さんの声が聞こえてきた。僕は閉じていた目を開く。

「こんばんは涼風さん。夜遅くにすみませんトラゾーはいますか。」

「ん、大丈夫……。師匠ならちょうど帰ってきたとこ……。待ってて……。今スピーカーにするから……」

 電話越しに物音が伝わってくる。テーブルにでも置いているのだろう。そう思っていると、周囲の音がクリアになって聞き慣れた声が鼓膜を揺らした。

「草太か。俺も今外から帰ってきたとこでな。タイミングがいいな」

「そうだったんだ。じゃあ僕の方から話していいかな」

「いいぞ。教習はどうだったんだ?」

 僕は今日あったことを話した。主に3人組と月島さんのことだ。

「なんだそのガキ共。やってることが小学生だな」

 話を聞き終わったトラゾーが呆れで飽和した声を上げた。トラゾーも僕と似たような気持ちになったらしい。

「その月島ってやつの態度にも問題はあるかもしれんが、それにしたって大人げないな」

「本当にね。まあ明日からはそういうことも減ると思うけど……」

「そういう奴らは個人に攻撃できても、集団にはそれができないことが多い。少なくともお前が一緒にいる間は何もしてこないだろうよ」

 トラゾーはふんっと鼻を鳴らす。顔も見ていないのに僕の話だけで3人組を好きになれないと判断したようだった。

「他にはなんか気のなることはあったか」

「うーん。特にはないかな。物置に使ってるっていう平屋がちょっと気になるけど、見た感じは普通だし……」

「そうか。まあなにかあったら細かいことでも報告しろ。話ぐらいなら聞いてやれる」

「わかったよ。ありがとう。そっちの方はどう?」

 僕がトラゾー側の状況を尋ねるとすぐに返答してくる。

「こっちは伝えることが山盛りだ。まずは掲示板の霊障だがちょうど今朝に止まったぞ」

「そうなの!?」

 僕は大きな声を出す。20年前と同じだ。

「ああ、お前が朝早くに家を出たあと、時貞と一緒に大学に行ってみたんだが、1枚も貼られてなかった。職員も安心してたぞ」

「そっかあの紙貼られなくなったんだ。……ん? ちょっと待って」

 僕は話の中でどうしても疑問に思ったことが出てきたので尋ねる。

「トラゾーと法乗院さんはどうやって大学に入ったの? 2人の格好だと止められそうだけど」

「ああそのことか。俺たちは周囲の人間から認識されないようにする術が使えるんだよ。見えているのに見えていない。聞こえているのに聞こえていない。そういうふうに認識をすり替える術だ。監視カメラにも映らないようにしたから、不審者として捕まることはない」

 僕は舌を巻く。法乗院さんもそうだが、トラゾーも多芸だ。髭からビームは出るし、空は飛べるし、物体をすり抜けられる。長く生きているといろんなことが身につくんだな……。僕は変な感心をしてしまう。髭からビームだけはなんか気色が違うけれど。

「とはいえ、完全に終わったわけじゃない。このままだと近いうちに同じことが起こる」

「えっ? そうなの?」

「そうだ。元凶が絶たれたわけじゃないからな。霊障ってのは必ず原因がある。だからそれをなんとかしないと1度収まってもまたいつか必ず同じことが起こる」

「それってどうすればいいの? 大学の掲示板をお祓いするとか?」

「それで終われば話は早かったんだがな。ちょいと面倒なことになってる」

 向こう側でトラゾーがため息を吐くのがわかった。

「面倒なこと?」

「ああ。今日実際に現場に行ってわかったんだがな。あの場所に霊とか強い感情とかは確かに感じるんだがそれが遠いんだよ。どこか別の場所で大本の原因があって、それがあの場所ににじみ出てる。俺たちがそれを感じ取っている」

「別の場所に原因って……。そんな事ありえるの?」

「ある。地震が起こると必ずどっかで小さな地震が起こるだろ。余震ってやつだ。それと同じことが霊障にも起きることがある。直接の原因と関係のある場所や人間の周りでそういうことが起こる場合があるんだ」

「……大学の現象は余震で、どこかで本震が起きている……。それってもしかして……」

「十中八九、合宿で使ったっていう場所だろうな。……草太、ちょっと待て。少し体を伸ばす」

 そうしてしばらく無言の時間が続く。僕はスマートフォンを握りしめたまま待つ。やがて思う存分体を伸ばしたようでトラゾーはまた喋りはじめた。

「それで今はその場所を探していてな。2つのルートで探ってる。

 1つ目は掲示板の周りの気配を辿るやり方だ。同じ気配を俺と時貞の力で追っている。余震として起こっているのなら震源地は近くにあるはずだ。霊障が1度収まっているから気配はかなり薄れてしまったが……時間をかければ見つかるはずだ

 2つ目は聞き込みだ。今千夏に頼んでM大学の力でOBたちに話を聞いてるところだ」

「えっ!? ちょっと待って!?」

 衝撃的な言葉が出てきたので僕は驚愕して話を遮ってしまう。

「高橋先輩にも協力してもらってるの!?」

 僕は先日トラゾーに伝えた気持ちを再び思い出す。僕は周囲の人が危険なことに巻き込まれてしまうのはなるべく避けたいのだ。あくまで協力してもらうのはトラゾーや法乗院さんのような特殊な力を持った人たちだけという話になったはずだ。それなのにどうして……。僕は足元が崩れていくような錯覚を味わう。

「……まあそう言うとは思ったよ。ただな、協力を申し出たのはあいつの方からだ」

 僕の反応を予測していたのだろう。トラゾーは冷静に言い放つ。

「え……?」

「あいつどっかからお前の話を聞きつけてきたみたいでな。自分にも協力させろって聞かなくてな。仕方なく力を借りることにした」

「そんな……僕みたいに危険な目に合うかもしれないのにどうして……」

「……それは本人の言葉をそのまま伝えてやる。『自分の知りないところで草太が危ない目にあっている方が辛い』」

 僕は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。動きを止め、その場に立ち尽くす。それは僕が周囲の友人や家族に対して思っていたこととまったく同じ言葉だった。

僕が周りに思っていることを、周りも僕に思っている。どうしてそのことに気づかなかったのだろう。僕は無言でその事を考える。

「……言いたいことは伝わったみたいだな。まあそれが肩を軽くするってことなんだろう。身近な人間と苦難を分け合うことで自分を見つめ直す……。心のカンファレンスの掲げた目的も間違っちゃいないんだろうな。

 今回は俺も傲慢だった。力のないやつにはこういう事件では何もできない。そう思っていた。だけどな、話を聞いて不安を和らげるなんてことは力のあるなし関係ない。誰にだってできることなんだ。それを俺は失念していた。

 そう考えたら俺もその申し出を無下にはできなくてな。危険じゃないって判断した範囲で助けてもらうことにしたんだ」

「そっか……」

 僕はようやく息を吐き出すようにそれだけ言った。

 大切な人や身近な人を危険から遠ざけるというのは必ずしも正しい選択ではないのだろう。危険なことに立ち向かう姿を安全圏から見ることでつのる不安や心配もある。僕は周囲の人を大切に思うあまり、その気持ちを蔑ろにしていたのだ。

 なんの力もなくたって協力すれば必ずできることはあるし、話を聞いて不安や心配を和らげることもだってできる。高橋先輩はそういう気持ちで手を貸してくれているのだ。ならそれを拒む理由はないし、僕は反省しなければいけなかった。

「僕の方から高橋先輩に伝えておくよ。隠していてすみません。周りに相談することを蔑ろにしていましたって」

「そうしろ。俺もおんなじようなことは言ってある。あとなにか危険を感じたらすぐに伝えるように言ってある。安心しろ」

 トラゾーはそう言うと話を再開する。

「反省タイムは終わりにして話をもとに戻す。

 千夏に頼んでM大学の生徒やOBに話を聞いているが、正直こっちは望み薄だ。今さっきこの前話を聞いたOBからもう1度話を聞いてくれたんだが、合宿の場所は各大学の代表しか共有していなかったらしくてな。当時のM大学の代表は今海外にいるらしくて連絡が取れないらしいんだ。あと単純に心のカンファレンスのことはトラウマになっているみたいでな。あんまり話したがらないらしい」

「かなりマスコミや世論に叩かれていたみたいだからね……。無理もないかも」

「まったくだ。これ以上心の傷をえぐるのもこっちとしては望むところじゃないんでな。明日からはほぼ気配を辿る方法1択だ。一応聞き込みも継続してもらうつもりだが……そっちの方からは有力な情報は出てこないだろう。

 こっちからはこんなところだ。まだなんかあるか」

「うん……。僕も特にはないかな」

「そうか。じゃあ初日の報告はこれで終わりだな。沙也加もなにか話したそうにしてるから代わるぞ」

 それを最後にトラゾーの声は聞こえなくなり、代わりに涼風さんの声がスマートフォンから響く。

「草太、聞いてる……?」

「はい、聞こえてます」

「まず……周りの人には自分が何をしているのかちゃんと伝えなきゃだめ……。

 隠すことで安心させられることもあれば、伝えることで安心させられることもあるの……。今度からそれを判断しないとだめ……。ね……?」

「はい……」

 母親が小さな子どもを優しく諭すようなその言葉に僕はその場にしゃがみこんで返事をする。

「協力してもらうとかそれ以前に、これからはちゃんとそういうことを話すようにします……」

「うん……。わかってくれたなら大丈夫……。

 あとはね……、こうやって色んな人が草太を思ってくれているのは、それだけ草太が周りの人のために頑張ってくれてる証拠なんだよ……」

「え……?」

 思いがけない言葉に僕は呆けた声を出してしまう。

「そう……ですか? むしろ僕、迷惑かけてばっかりなような気がします……」

「そんなこと、ないよ……。私のときだって力を貸してくれたでしょ……? それと同じことを草太は色んな人にしてるんだよ……。

 師匠だってそう……。普段はなんにも言わないけど、時々私の部屋で、ご飯を用意してくれたり遊んでくれたりする草太に感謝してる……」

 電話口から「おい! それは言うなって言っただろ! ……ウニャッ!」とトラゾーの声が聞こえた。何らかの手段でトラゾーを黙らせたらしい涼風さんは何事もなかったように続ける。

「私最近気づいたんだけど……。人間って誰かから助けられるとそれと同じことを返そうとする生き物みたい……。草太や師匠に助けられてそう思えるようになった……。きっとそれと同じ気持ちをみんなが持ってる……。

 だから草太もみんなを頼ってね……。きっとみんなが力を貸してくれるから……」

「……はい。そうします」

 僕は力強く頷いた。そう言われてもやっぱり僕は迷惑や心配の方を多くかけている気がするのだが……大変な時は周りに話して、そして頼ろう。そういった恩返しが連なって、やがて無償の厚意を与えあう関係へと昇華され、それまでよりも仲良くなれるのだ。そういう関係を作っていきたいと思った。

「わかってくれたなら大丈夫だね……。

 私もこの時間なら部屋にいるし……仕事中は難しいけど合間になら電話に出れるようにしておくから……」

「本当にありがとうございます……」

 僕は深々と頭を下げた。その様子が伝わったのか、くすりと涼風さんは笑う。

「なにかあったら私も戦う……。最近手から冷たい空気を発射できるようになったから……」

「そ、そうなんですか……? でもどれだけ効果があるかは……」

「大丈夫……。さっき師匠にも使った……。師匠のびてるからきっと妖怪とか幽霊にも効く……」

「そ、そうですか……」

 こちらに向かって親指を立てる涼風さんとその横でぐったりしているトラゾーの姿が脳裏に浮かぶ。確かにそれなら戦力になるかもしれないが……幽霊とかはそういう物理的な攻撃は効かないような気がする……。僕は冷や汗を流す。

 そうして顔を上げると教習用のコースに立っている時計塔が9時を示す。いけない。そろそろ戻らなくては。

「あ、そろそろ消灯の時間だ。ごめんなさい。長話してしまって。ありがとうございました。おやすみなさい」

「うん……また明日ね……」

 そうして電話は切れた。僕はスマートフォンをしまう。

 周りの人に心配をかけないようにするのは難しい。良かれと思った行動が逆に不安にさせてしまうこともある。

 だからこそ言葉を重ねて気持ちを伝えるのは重要なのだ。そしてそれは人間も人ならざるものも変わらないのだろう。僕はそれをよく理解していた。

「時間をしまう見つけて先輩に電話をかけなきゃな……」

 僕は宿泊施設へと戻っていった。



 


 


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