第31話 カンファレンス(1)
さてカンファレンスを開くことになりました。
皆さんにはそれが見えますか?
見える方はこちらまで
■■■■■■
心のカンファレンス
「……なんだこれ?」
そんなことを書かれた紙が。
大学構内の掲示板に貼られていた。
9月も半ば。そろそろ新しい講義の内容にも慣れてきた頃。大学のエントラスの中で僕は立ち尽くしていた。周りには1限目の講義に出席しようとする学生たちが話しながら歩き、通り過ぎていく。
「おはよう、草太! ってどしたの? 変な顔して」
「あっ、高橋先輩」
突然後ろから肩を叩かれて振り向く。そこにいたのはボブカットの活発そうな女性。高橋千夏だ。僕と同じ民族学科の2年生。1つ歳上の先輩だ。僕は入学以来、高橋先輩に気に入られよく行動をともにしていた。
「何やってんの、掲示板の前でボーっとして」
「いや、なんか変な紙が貼ってあるんですよ」
僕はそう言って例の紙を指さす。
大学内には連絡事項やサークルの勧誘の紙、外部組織のチラシなどを貼るための掲示板がいくつか設置されていた。今僕が見ているのは正面玄関のエントラス、学生が1番集まりやすい場所に置いてある掲示板だ。新入生が入学した時はサークルの勧誘でいっぱいになっていたそれは、現在は数枚しか掲示されていなかった。
「どれどれ……」
先輩は顔を近づけてそれを読むと、すぐに眉をひそめた。
「なにこれ? 変な内容」
「ですよね。どこかのサークルの勧誘でしょうか?」
「んん? こんなサークルの名前聞いたことないなあ。それにこちらまでって連絡先も住所も書いてなくて真っ黒じゃん。連絡してほしいのかしてほしくないのかどっちよ?」
先輩の指摘通り、こちらまでと書かれた文章の下には、ボールペンかなにかで乱雑に塗りつぶされた跡があった。おそらくもともと書いてあった文の上から消したのだろう。
「しかもこれはんこ押されてないじゃん。誰だ〜、貼ったの」
「本当ですね……」
先輩は指でペチペチと紙を叩いた。掲示板を使用する際は大学側に許可をとらなければいけない。その際に掲示物にははんこを押される決まりなのだが、この紙にはそれがなかった。
「昨日見た時にはなかったんだよな……。イタズラですかね?」
「かもね。今日私予習したくて早く来ただけだからさ。大学側には私が伝えておくよ。草太は1限からでしょ。そろそろ始まっちゃうよ」
そう言われて腕時計を見るともう少しで講義の開始時刻だった。僕は急いでその場から立ち去る。
「すみません。あとお願いします」
「はいよー。また後でね」
そう軽くやり取りして僕たちは分かれた。
まずい。遅刻する――。頭の中から奇妙な掲示物のことなど消え去っていた。
「またこれ?」
翌日、僕はまたもや掲示板の前に立っていた。その中心にはまたあの紙。
「うわ、しかも増えてる」
僕の隣で高橋先輩がつぶやいた。先輩の言葉通りあの紙は3枚に増えていた。
「昨日事務部には伝えたんですよね?」
「うん、それで剥がしてもらったんだけどね……。また言いに行かなくちゃ」
「今度は僕も行きますよ」
僕たちは2人で事務部に向かった。
その時はそれで良かった。事務の職員はわざわざ僕たちの目の前で紙を剥がしてくれた。「誰がこんなことしてるのかねえ……」と言って職員は戻っていった。
だがその紙は次の日も次の日も、そのまた次の日も貼られ続けた。その度に枚数はどんどん増えていく。
当然そうなれば学生の中でも噂になる。一体誰がやっているのか。なんの為にこんなことをしているのか。多くの学生の話題になった。大学側も大きくなっていく騒ぎに学生たちにあまりその話はしないようにと呼びかける。
しかしその行動をあざ笑うように紙の枚数は増えていった。10分の1。4分の1。半分。掲示板は埋め尽くされていく。
そして僕が紙を見つけてから1週間。とうとう紙は掲示板を埋め尽くした。
「なんかやばいことになってない……?」
「そう、ですね……」
僕と先輩はその光景を見ていた。びっしりと紙の貼られた掲示板の前には人だかりができていた。学生たちは掲示板の前で、写真や動画を撮影したり、周りの友人や同級生と何事か囁きあう。エントランスはちょっとした騒ぎになっていた。
一体これは何なのだろう? たちの悪いイタズラか。もしそうならそれをやった人間は何故そんなことを? 他の学生と同じように僕もいくつもの疑問を覚えていた。
「お前たち、もう止めなさい」
その時よく通る声がエントランスに響いた。その場の学生全員が声をした方を見る。
そこには八雲教授がいた。それだけではなく他の学部と学科の講師、事務の人間など大学側の職員が集まっていた。彼らは人だかりをかき分けて掲示板の紙を剥がしていく
「もう講義が始まる。すぐに向かいなさい! これはただのイタズラだ。単位を失いたくない生徒はすぐにこの場を離れるように!」
八雲教授は大きな声で学生たちに呼びかけた。そう言われてしまっては彼ら彼女らもいつまでもエントランスにいるわけにはいかない。毒気が抜けたように――あるいは白けたように学生たちはそれぞれの講義へと向かう。
「八雲教授!」
「ん? 天原と高橋か」
僕と先輩は人の波に逆らって八雲教授の近くまで行く。教授は僕らの姿を見ると渋面を作った。
「これは俺たちで片付けておくからお前たちもさっさと行け。必修科目を落としたいのか」
「あ、いや実は僕たち……」
「2人が最初に見つけたんだろう。話は聞いている」
出鼻をくじかれた。誰かから聞いていたらしい。
「いいか。これはただのイタズラだ。やった人間もすぐに飽きてやめるだろう。だからお前たちもこれ以上詮索するな。行け!」
教授は僕と先輩の耳元でそう言うと強く背中を押してきた。数歩押し出されて僕は振り向くも先輩が小さな声で囁く。
「草太。行こ。あんな怖い教授見たことないよ……」
「はい……」
僕たちもいそいそとエントラスをあとにする。だけど「やっぱりこれは20年前の……」「冗談はよしてください。なんで今さら……」と職員たちの話し声が聞こえた。20年前? 僕は訝しみながらも廊下を歩いていった。
「っていうことがあったんだけど……」
「ほう。そりゃ手の込んだイタズラだな」
部屋に帰って一連の経緯を話すと、トラゾーはまったく興味なさそうに「それよりメシ出せ」と皿にパンチした。
「トラゾー、もっと真面目に聞いてよ」
「聞いてやったろ。イタズラだよ。イタズラ。どうせお前と同じ大学の奴がSNSかなんかで人気になるためにわざとやったんだろ。それで終わりだ」
実際SNSでは誰かが上げた写真や動画でちょっとした盛り上がりを見せていた。誰の仕業なのか盛んに議論されている。もしトラゾーの言う理由でやったのならその目論見は成功だと言えるだろう。
「う~ん……。本当にそうなのかな……?」
僕が納得できずに腕を組んで唸るとトラゾーははあ……とため息を吐いた。
「お前、幽霊や妖怪が絡んでるんじゃないかって思ってるだろ」
僕はドキリとした。トラゾーの言うことは的を得ていた。お盆の時みたいに人ならざる者が関わっているのではないかと、僕は考えていた。
「あのなあ、この前みたいなのが特別で、そうそう霊障なんかにあうもんか。人生で1度あるかないかだ。あれは。
お前、最近色々おかしなことに巻き込まれて変な方向に敏感になっちまってんだよ。あんまり気にすんな。周りで起こること全部疑ってたら疑心暗鬼になっちまうぞ」
トラゾーはそう言うと「ほら、メシ」と催促。僕は仕方なくカリカリを皿に出す。
トラゾーがカリカリを食べるのを見ながら僕は考える。トラゾーの言うとおりだ。妖怪や霊が存在していることを知って、変なことが起こるとそれらが関わっているかもしれないと思うようになってしまった。普通は人間が元凶のことがほとんどだろう。もしかしたら僕は少しナーバスになっていたのかもしれなかった。
カンファレンス。英語で会議や協議会の意味を持つ。トラゾーが食べ終わり、ソファーの上で寝そべるそのお腹を撫でながら僕はスマートフォンの画面を覗いていた。
心のカンファレンス。適当に作った造語なのだろうか。だが僕はそこに何か込められた思いを感じずにはいられなかった。……だめだ。やっぱり人ならざる者が事態を引き起こしているのではないかと思わずにはいられない。自分でも知らないうちに僕の判断基準はおかしなことになってしまっているようだった。
その時だった。スマートフォンが鳴った。画面には高橋先輩の文字。僕は慌てて電話に出る。
「はい。天原です」
『あ、草太。ごめんね、こんな時間に。今大丈夫?』
「大丈夫ですよ。どうしましたか?」
『いやさ、あの紙のことなんだけど、草太に伝えておいたほうがいいかなってことがあってさ……』
先輩はいつもの活発な声とは違い低い声だった。
『実はさ、あの紙に書いてあった名前のサークルあるっぽいんだよね……』
「そうなんですか!?」
僕の声が大きくなる。今ちょうどそのことを考えていたのだ。タイミングとしてはちょうど良すぎた。
するとトラゾーが服の裾を引っ張ってきた。「なんか気になるから俺にも聞かせろ」と言ってくる。僕は頷く。
「ちょっと待ってください。トラゾーも聞きたいって言ってるのでスピーカーにします」
『いいよー。トラゾーちゃんにも聞いてもらった方がいいかも。なんかかなり変な話なんだよね……』
不安げな声を出す高橋先輩に僕は心配になる。いつも元気百倍の先輩がここまで怯えた様子なのは初めてだった。
僕はスマートフォンをテーブルに置いてスピーカーモードにする。「用意できました」と言うと「オッケー。じゃあ話すね」と先輩は語りだした。
『私の友達に今回のことを色々調べてた子がいてさ。カンファレンスサークルっていう似た名前のサークルを見つけちゃったんだよね。H市のM大学は知ってるよね?』
「はい。よく一緒に講義をしてるところですよね?」
H市のM大学。僕や先輩の通う大学のある市と隣り合った市にある大学だ。同じ学部と学科が多いため、合同講義として一緒にフィールドワークを行うことも多かった。
『そこそこ。そこにさっき言ってたサークルがあるんだって。
先に説明しておくとそのサークルって30年以上続いていてメンバーも多い、結構規模の大きいサークルみたい。他の大学からの参加者もたくさんいて今は100人以上いるんだって。体を動かして元気になろうっていうモットーをもとに色んなスポーツやってるんだってさ』
そんなサークルがあったのか。まったく知らなかった。しかし活動内容がさっき僕が調べた言葉の意味とはかなりかけ離れているような気がする。なぜだろうか?
『それでそのサークルに知り合いがいたから話を聞いてみたんだって。そしたら私たちの間に伝わってる噂に関係しているかもしれないから、OBを紹介してあげるって言われてさっきその人から話を聞いてきたらしいのよ』
『噂、ですか』
僕はゴクリとつばを飲み込む。トラゾーは僕の膝の上でじっと話を聞いていた。
『うん。なんかね、サークルメンバーの間に伝わってる変な噂とそっくりだったんだって。今回の事件。
それでOBの人も色々教えてくれて、20年前までは心のカンファレンスっていうあの紙に書いてある名前だったらしいよ』
僕は手のひらを握りしめた。20年前? それは講師たちが話していたことと一致する。
『最初はM大学と私たちの通ってる大学の学生で結成された小規模なサークルだったらしいよ。活動内容も今とは全然違ってたみたい。でも20年前に変なことがあって名前も活動も大幅に変えたんだって』
「変な事件?」
僕は片眉を上げる。一体何があったのだろうか? 疑問に思う僕に先輩は硬い声で言った。
『それがさ……消えちゃったんだって、人が』
「はあ? 人が消えた?」
トラゾーが素っ頓狂な声を上げた。僕も尋ねる。
「先輩、一体それはどういう……」
『なんかさ、夏に合宿に行ったんだって。それから帰ってきたら私たちの大学側のメンバーだけがおかしくなっちゃって、変なこと言うようになったんだって。それから少ししてその人たち姿を消しちゃったみたい』
「姿を消したって……。大学に来なくなったってことですか?」
『それだけじゃなくて家からも消えたんだって。みんな一斉に。行方不明ってやつ。当時はかなり大きな事件だったらしいよ』
大学生の集団失踪。それは現代でなくてもセンセーショナルな話題になったに違いない。
「それでその人たちは見つかったんですか?」
『警察が大規模な捜索をしたけど誰1人として見つからなかったらしいよ。それで半年ぐらいで捜査も打ち切られて迷宮入り』
「それは……奇妙ですね」
『本当にね……。で、この話にはまだ続きがあってね。合宿やってから1年経ったあと両方の大学に変な紙が貼られはじめたんだって』
「もしかしてそれって……」
『うん……。私たちの見た紙とまったく同じやつ』
僕は全身に鳥肌が立つのを抑えることができなかった。なぜ20年前と同じ紙が貼られているのだ? 僕は不気味さを感じて何も言えなくなる。
対してトラゾーはとても冷静で、スマートフォンに向かって話しかける。
「それ本当なのか? 20年前の現物が残っているわけないだろうし、記憶だって曖昧だろ」
『友達が写真を見せたら顔を真っ青にして「間違いない。あの時のと同じだ」って言ったらしいよ。すごい動揺してて、とても嘘ついたり記憶違いには思えなかったって言ってた』
「そうか……。その時は最終的にどうなったんだ?」
『今回みたいに紙が増えていって、いつの間にかぱったりやんだんだって。その時は誰かのイタズラだったんだろうってすぐに騒ぎは収まったらしいよ。それでそのままの名前だと活動しにくいからサークル名も変えて活動内容も大幅に変更して、今の形になったみたい。
だからそのOBの人もなんで20年経った今になって……ってすごく怯えちゃって話ができそうにないから切り上げてきたんだって。なんか当時のサークルメンバーの中ではその話はタブーになっちゃってるみたいだね……』
「なるほどね……」
何か考え込むトラゾーの重みを膝に感じながら、ようやく落ち着きを取り戻した僕は口を開く。
「あの先輩……。さっきサークルメンバーがおかしなことを言うようになったって言ってましたけど、具体的に何を言ってたんですか?」
僕の質問を聞いた先輩が少しためらう様子が伝わってきた。しばらくしてから先輩の声がスマートフォンから響く。
『見えないものが見えるようになった。幽霊の存在を信じられるようになった。そう言っていたらしいよ。そう言ってサークルに勧誘してくるから、みんな怖がって近寄らなくなったって……』
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