第28話 お祓い
「そうだ。明日俺の知り合いが来てお祓いしてくれるってよ。良かったな」
大学が始まってから数日後。その日は講義が午前中しかなかったので午後からバイトが入っていた。足は完治し万全の状態である。一旦部屋に戻って準備をしていたらトラゾーがソファーの上で寝そべりながらそんなことを言ってきた。僕の予想通り、調子に乗った態度は長く続かず、僕たちの関係は元に戻っていた。
「お祓い? なんでそんなこと……」
「お前最近不幸続きだから、それが気になってな。この前知り合いに霊を払えるやつがいるって言ったろ? そいつが最近この近くに来たらしいから頼んでみたんだよ。そしたら大丈夫だって言うからやってもらうことにした」
確かに最近の僕の周りでは良くないことが立て続けに起こっている。皿を盗まれ凶暴化した河童に襲われたり、熱中症で倒れたり、幽霊に追いかけ回されて怪我をしたりとろくな目にあっていない。そのことを考えるとお祓いしたらどうかと思われるのは当然のことでもあるように思えた。
「どうだ? 飼い主のためを思って行動する飼いにゃんこは? セクシーだろ?」
トラゾーはソファーの上でお腹を上に向けた。モフれ。そして俺を褒めろ。そういった意思表示である。相変わらずセクシーという言葉の使い方はよくわからないけれど。僕はトラゾーのお腹を撫で回す。
「僕のことを考えてくれるのは嬉しいんだけど、もう少し早く言ってほしいな。僕にも予定があるわけだから」
「何言ってんだ。お前明日は夜に何の予定もないだろ。飼い主のスケジュールを把握して、頼んでやってんだよ」
「……それと報告が遅れたことに関係は?」
「……すまん。伝えるのを忘れていた」
まったくもう。僕はお腹を乱暴にモフってから立ち上がる。
「その人ってどんな人なの? やっぱり妖怪?」
「いや、人間だぞ。坊さんだよ、坊さん。もう300年近く生きていてな。修行してたらいつの間にか長生きになってたらしい。全国行脚しながら霊を祓ったり、迷える魂をあの世に送ってたりする。力は確かだぞ」
「そうなんだ……」
300年生きていると言われても僕はもう驚かなくなっていた。慣れって怖い。
「わかったよ。明日の夜だね。じゃあ僕はバイトに行ってくるから留守番よろしくね」
「おう。行ってこい」
乱れた毛並みを整えるためにお腹を舐め回すトラゾーを横目に、一体どんなことされるんだろう……と少し不安に思いながら僕は部屋を出た。
ピンポーン。
次の日の夜。トラゾーと一緒に部屋で待っているとチャイムが鳴った。僕は「はーい」と返事をしながらドアを開ける。
そこにいたのは2mは優に超える身長の袈裟を身にまとった偉丈夫だった。右手に錫杖を、左手には数珠を持っていた。その迫力に僕が立ち尽くしていると、お坊さんは頭の編笠を取った。
「夜分遅くに失礼いたします。
「ああ、どうも。話は聞いています。僕は天原草太と言います。どうぞ上がってください」
僕がそう言って部屋へと招くと法乗院さんは「かたじけない」と言って頭をかがめて玄関をくぐり雪駄を脱いだ。
「おう来たか時貞。随分久しぶりだな」
「おお、トラゾー殿。20年ほどぶりですかな。相変わらず元気そうで」
部屋に入ってきた法乗院さんを見るなりトラゾーは明るく声を上げた。法乗院さんも朗らかに笑う。彼らはかなり気安い関係のようだった。僕は座布団をテーブルの前に敷き、麦茶の入ったグラスを置く。
「どうぞ。何もない部屋ですが」
「心遣い感謝いたします。では失礼して……」
法乗院さんは編笠と錫杖を床に置いてトラゾーの正面に正座した。僕もテーブルの前に座る。
「一応紹介しとくか。こいつが俺の飼い主の草太だ」
「どうも。よろしくお願いします」
僕は法乗院さんに向かってペコリと頭を下げる。
「ではこちらも改めて。法乗院時貞と申します。旅の僧をしながら御霊を仏様のもとへとお送りする身。草太殿のお話はトラゾー殿から聞いております。大変なようでしたな」
「はい……。最近色々あって……。ちょっと疲れてます……」
僕が力なく笑うと法乗院さんは大きく頷く。
「そのようですな。見たところ呪いの
「見ただけでそこまで分かるんですか?」
僕が少し驚くと法乗院さんは剃髪された後頭部に手をやって笑う。
「拙僧はこう見えても300年ほど生きております。長く続けているとそういったことが見えるようになります。例えば今も草太殿の体には山の神のご加護がその身を守っておられる。白く光っておいでです」
「ブッ!」
僕は思わず吹き出した。
「光ってる!? 僕の体光ってるんですか!?」
「ええはい。普通の方々には感じ取ることはできませんが、霊験あらたかな神々しい光です。輝きこそ弱いものの確かにご加護の光を放っておいでです。先ほど玄関口でお会いしたときには神道の者でないにも関わらず拝んでしまいそうになりましたな」
僕は急に恥ずかしくなって顔を伏せた。頬に熱が集まってくるのを感じる。ええ……? 僕光ってるの……? 普通の人には見えないとしてもなんだかすごく恥ずかしいんだけど……。
「なあこの光なんとかならないか。昼間はとにかく夜になると気になって寝にくいんだよ。加護はそのままに光のオン・オフとかできないのか?」
「それは難しいですな。あれは神の御威光ですので……。消すとなるとご加護を捨てるしかありませんな」
「やっぱりそうか……。じゃあ今まで通りに我慢するしかないか……」
光はどうにもならないらしい。ていうかトラゾーにも見えてるんじゃん! それなら教えてくれてもいいのに……。
「あ、あの2人って昔からの知り合いらしいですけど一体どうやって知り合ったんですか? 僕気になるなあ!」
これ以上この話題を続けると僕の精神がもたないので強引に話を変える。法乗院さんは顎を手のひらで包みながら語り始める。
「出会いですかな。確かあれは今から200年ほど前のこと。まだ未熟だった拙僧がある部落につくと山の化け猫退治を頼まれましてな。話を聞くと『化け猫が山から毎日のように降りてきて食い物を要求してくる。子どもたちには俺に触れ、遊べと言ってくる。みんな怖がっている。どうかあの妖怪を退治してくれないか』と」
「トラゾー何やってんの」
どうやら昔からそういう態度だったらしい。僕は呆れてトラゾーを見る。トラゾーはおっぴろげてタマタマを見せつけてきた。やかましい。
「それで山に入るとトラゾー殿が降りましてな。邪念は感じませんでしたので退治するのもどうかと思い、また明らかに私よりも強大な存在でしたので対話にて別の場所に移っていただいたのです」
「俺もあちこち縄張りを変えていたからな。それから何度か旅の先で会って意気投合したってわけだ」
「ははは、トラゾー殿には化生の退治や荒御魂の鎮めで何度も手を貸していただきましてな。拙僧頭が上がらんのです」
トラゾーと法乗院さんは声を合わせて笑う。そういう関係なのか。僕は納得する。
「昔話はもういいだろ。そろそろお祓いやってくれ。ちゃちゃっとできるんだろ?」
「ああそうでしたな。トラゾー殿に会えた嬉しい気持ちで本来の目的を忘れておりました。では草太殿、上の服を脱ぎ、部屋の中央に座ってくださいますかな」
「分かりました」
僕はテーブルをどかし、シャツを脱いでその場に座った。僕の背後に法乗院さんが立つ。
「あの、お祓いってどうやるんですか? ぼくやったことなくて」
「宗派ごとに違いますなあ。必ずしも決まったやり方があるわけではありません。それに拙僧、長く生きすぎてもう宗派すら忘れてしまいました。ですので之からやるの拙僧なりのやり方です」
法乗院さんがはかがんで僕の背中に手のひらを押し付ける。
「私の気をぶつけ、草太殿の中の悪い気を体から押し出します。そうして体を良い気で満たすことでお祓いは終了します。では早速……」
法乗院さんは数珠を持った片方の手をかざしながらブツブツと念仏を唱える。まだ体に変化は起こらない。どうなるんだろうか? 少しの不安と大きな期待を感じながら僕はひたすら待つ。
「破ァ!」
法乗院さんが叫び僕の背中を強く叩いた。その瞬間僕の体から何かが出ていくような感覚を味わう。
同時に僕を中心として風が巻き起こる。部屋の中の者が大きく揺れ、神や書類が巻き上がる。ソファーの上のトラゾーの髭が揺れて、その体から抜け毛が飛び散っていく。突風が吹き荒れる中、僕は自分の中に強い力がみなぎっていくのを感じた。元気が溢れてくる。
風はだんだんと弱まり、やがて消えていった。法乗院さんがふうと息を吐き汗をぬぐう。
「どうですかな、草太殿。体の様子は」
「はい! なんかすごく体が軽いです!」
僕は軽くジャンプする。今なら何でもできそうだ。そんな確信が体中に行き渡っている。
「おお、なんか俺も体のこりが取れた気がするぞ。さっきの風のおかげか?」
どうやらトラゾーにも効果があったようで床に降りて体を伸ばす。僕はそれを見て法乗院さんにお礼を言う。
「ありがとうございました。法乗院さんのおかげで悪いものが取れた気がします」
「そうですか。なら良かった。拙僧の力も捨てたものじゃありませんなあ」
そう言って法乗院さんははっはっはっと笑うのだった。
「では拙僧はこれにて失礼いたします」
僕とトラゾーは法乗院さんを見送っていた。「役目は果たしました。これ以上の長居は迷惑になりますな」と法乗院さんはさっさと帰ろうとする。お礼をしようとすると「拙僧、金銭は受け取っていません。お気持ちだけで十分です」と断られてしまったのでせめてこれぐらいはと2人で玄関に立っていた。
「悪かったな。急にこんなこと頼んじまって」
「いえいえ、困っている人々を救済するのも拙僧の役目なれば……。しばらくこの街に滞在しておりますのでまた何かあれば連絡を」
「おう。時々会いに行くぞねお前も遊びに来いよ。待ってるぞ」
それだけ言うぞトラゾーはトコトコと部屋の中に戻ってしまった。最後まで見送ればいいのに……。僕は半眼でそれを見つめる。
「相変わらず自由なお方だ」
「す、すみません……。久しぶりに会ったのにアンナ感じで……」
「お気になさらず。昔からトラゾー殿はああですから。自由を愛し、気ままに生きる。そういう猫でありますからなあ」
そう言って法乗院さんは僕の顔をじっと見てくる。
「あ、あの僕の顔に何かついてますか……」
「いいや、そういうわけではありません。そういう性質のトラゾー殿が飼い猫になったと聞いて腰を抜かしましてな。さてでは飼い主の方はどんな御仁かと思い、その顔を見に来た次第なのです」
法乗院さんが訪れたのははトラゾーの頼みだけではなく、僕のことを確かめるという理由もあったらしい。
「その、どうですか、僕はトラゾーの飼い主として……」
「そうですな。トラゾー殿もだいぶ気を許しておられる様子。よろしい関係でしょう。トラゾー殿に振り回されるのは少々大変かもしれませんが、これからも仲良くしていただけると古くからの付き合いとしては嬉しい限りです」
「そうですか。僕もトラゾーとはこれからも仲良くしたいって思っています。だからそのことはあんまり心配しないでください」
「ええ、そうします。では拙僧はこれで。トラゾー殿のことよろしくお願いいたします」
法乗院さんは手を合わせて一礼してから帰っていった。その後ろ姿が見えなくなったあと僕も部屋に戻る。
「これどうするか……」
部屋に入るとトラゾーが呆然と立ち尽くしていた。僕も部屋の様子を見て「うっ」とうめく。部屋の中は風で巻き上がった物体でぐちゃぐちゃになっていた。さらに部屋中にトラゾーの抜け毛が散らばっていて、あちこちに張り付いている。
「これを片付けなきゃ寝れそうにないね……」
僕は肩を落とした。みなぎっていた不思議な力がしぼんでいく。こういう時に力が必要なのに抜けていっちゃうの? 僕は片膝をつきながら床に落ちたプリントを拾い集める。
「そう気を落とすなよ。俺も手伝ってやるから……」
「ありがとう……」
トラゾーも紙を口で咥えて持ってきてくれる。僕は力なくそれを受け取る。
僕たちは黙々と部屋を掃除し続けた。
その日の深夜。元通りになった部屋で寝ていたトラゾーがもぞりと動いた。
「なあ、その光本当にどうにかならないか。なんか前より光ってるんだが」
「どうにもできません……!」
僕は布団を頭から被った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます