秋の始まり

第27話 面談

 9月。ついに大学が再開した。久しぶりに訪れたキャンパスは学生たちで溢れかえっている。

 初日の今日は講義は行わい。今日1日はオリエンテーションだ。

 まずは全学科全学部の学生が集まり全体オリエンテーション。それが終わったら学部ごとに分かれ履修登録や連絡事項の伝達、課題の提出を行う。それが終わったら今度は学科ごとに分かれて講師との個人面談を行うのだ。ちなみは国際日本学部の民俗学科の所属となる。専攻は2年生からだ。1年生の間は基礎的な知識を学ぶための期間であるという大学の方針の都合上、何を専門的に研究するかを決めるのはそれが終わってからである。

 僕の番になった。民俗学科講師室と書かれたプレートが下がるドアを3回ノックすると「入れ」と低い声が返ってくる。

「失礼します」

 そう言ってから部屋に入る。その中はどこかから集められてきた置物や文献が大量に鎮座し、妙な圧迫感を醸し出している。

 その中心にははジーンズに薄手のパーカーというラフな格好の男がいた。少し地黒で40歳前半。この人が民俗学科の教授にしてこの部屋の主、八雲貴久やくもたかひさであった。

「来たな。天原、そこに座れ」

 八雲教授は僕の顔を見ると片側の口角をあげた。相変わらず物が多い講師室を見回しながら、言われたとおりに用意されたパイブ椅子に座り、床に荷物を下ろす。

「まああんまり固くなるな。就職試験の面接というわけじゃない。色々伝えることや聞いておかなきゃいけないことを話すだけだよ」

 緊張をほぐすように八雲教授は明るく言った。僕は「はい」と頷いた。

「まずは俺の出した課題のレポートについてだが、先ほど全員分ざっと読ませてもらった。なかなか面白い部分に焦点を当てたな。異類婚姻譚、その最後で残された者たちのその後か。基礎学習の1年生の見る視点としてはあまりないだろう」

「本当ですか?」

「ああ、ただ少々強引な結論の書き方が気になったな。そこがもう少し読む者を納得させられるならなお良かったな」

 喜んだのもつかの間、僕はうぐうと言葉に詰まる。個人の思想に偏った書き方をしたのは自覚があるので何も言えない。

「気になったのはそこぐらいだ。それ以外はきちんと書けていて面白いレポートだ。きちんと書いている分には単位を落としはない」

 僕はその言葉にホッとしていた。これで単位を取れなかったらどうしようと思っていたので一安心だ。

 そんな僕の様子に少し笑いながら八雲教授は話を続ける。

「次にだが、天原はもう卒業論文のテーマを決めているか?」

 僕の通う大学では2年生から卒業論文の研究を始める。教授の言っているのはそのことだ。

「いや……、まだ決めていません」

「うん、そうか」

 僕は素直に答える。八雲教授は深く頷いた。その様子に僕はまた不安になってしまう。

「論文のテーマはもう決めていたほうがいいんでしょうか?」

「ああいや、そんなことはない。ほとんどの学生が天原のように決まっていないのが普通だ。ただ中にはもうこの時期に具体的に決めている情熱のある学生もいてな。話を聞いてやることも多い」

 そうなのか。僕は軽く顎を引いた。かなり早い時期にもう自分が何を研究するか決めている人がいるのか。

「ただそれに安心してテーマ決めを後回しにするなよ。冬休みに入る前にもう一度面談をするからその時には答えられるようにしておけ。年が明けたら本格的に卒業論文の準備を行えるよう、全学科の学生を集めて1人ずつ研究テーマの発表をする時間を設ける事になっているからな。だから年末までには絶対に決めておけよ」

 教授は念押しするように言った。これからは何を研究するのか考えながら講義を受ける必要があるだろう。それによって専攻する分野も変わってくる。逆に何を専攻するかによって卒業論文の中身も変わってくるだろう。今まで楽しそうだからという曖昧な理由で学んでいた民俗学に、具体的な輪郭を見出さなければならない時がやってきたのだ。

「分かりました。何を研究したいのかきちんと考えて決めようと思います」

「そうした方がいい。就職するにしろ研究者の道に進むにしろ、卒業論文は長い時間をかけて行う研究だ。真剣に考えろよ。俺も講義以外ではほとんどここにいる。相談したいことがあったら話をしにこい」

 そう言ってから話は次に移る。学科ごとの連絡事項。履修登録の再確認。それらを淡々とこなしていく。

「よし、面談で伝える重要事項はここまでだ。ここからはフリースペース。なにか聞きたいことや伝えたいことがあったら言ってくれ」

 両腕を広げて「なにかあるか?」と言ってくる教授を前にして僕は考える。夏の間に妖怪にあって化けにゃんこと住んでいます!とは流石に言えない。とはいえここで打ち切ってしまうのもなんだか時間がもったいない気がする。なにかないかな。頭をひねって1つだけ話題を見つける。

「実は秋休みを使って免許を取ろうと思っています」

 7月の半ばのことである。日本中を車で縦横無尽に走り回る高橋先輩を見て、僕も車の免許を取ったほうがいいかもしれないと考えた。民俗学はフィールドワークの多い学問なので持っていて損はないように思えう。それで色々調べてみたら夏休みということもあってか近くの教習場はどこも予約が埋まっていた。さらに授業料を見て僕はうめいた。車の免許を取るのってこんなにお金がかかるんだ……。仕送りを断っている僕にとってはアルバイトしながら節約して生きるので精一杯である。免許を取るための貯金はない。

 仕方なく僕は祖父に相談することにした。。話を聞き終わったおじいちゃんは「それはとっといたほうがいいぞ。お金はじいちゃんが出してやるからの」と言ってくれた。ありがたい限りだ。

 とはいえ、祖父母にあまり負担をかけたくない僕としては全額出してもらうのは気が引ける。話し合いの結果、半額ずつお金を出すことになった。僕の自立心と祖父母の愛情の妥協点がそこであった。半分でも学生にとっては結構な金額だったが、それぐらいは自分で出したかった。

 お金の工面はなんとかなったので、僕は夏休みにも関わらず大学に残っていた生協の職員に相談を持ちかけた。大学生の学生生活を支えてくれる生協は教習場との窓口にもなっている。生協を通して申し込むと料金が割引されるサービスもあった。これに乗らない手はない。喜び勇んで僕は人の少ない構内に駆け込んだ。

 僕の話を聞いてくれた生協の職員は時期をかんがみて9月末にある2週間ほどの秋休み――言い忘れていたが僕の通う大学は3学期制だ――を利用して合宿で免許を取得してはどうかと提案してくれた。合宿だと普通に通うよりもさらに料金が安くなるらしい。僕はそれを聞いてその提案に乗ることにした。そうして申し込みの手続きを済ませたのである。ちなみにその間トラゾーは涼風さんに預かってもらうようにお願いしてある。

「そうか。天原はまだ免許をとっていなかったのか。うん、確かに免許は持っておいたほうがいいな。民俗学を研究しているとどうしてもフィールドワークに出ることが多い。そういう時は公共機関よりも小回りのきく移動手段があった方がいい。頑張ってこい」

「はい、頑張ってきます」

 僕がそう返事をすると八雲教授はニヤッと笑う。

「他にはなさそうだから、今度はこっちから聞いてもいいか。天原の故郷には三魂祭という祭事があるらしいな」

 どうしてそのことを? 僕は一瞬目を見開き……小さくため息を吐く。

「高橋先輩ですか?」

「ああ、高橋は日本に伝わる祭事を研究しているのはお前も知っているだろう? あいつは熱心な学生でな。俺に相談をよくしてくるんだよ」

「その時に僕や三魂祭のことを知ったんですね」

 僕と八雲教授は特別親しい間柄ではない。1生徒と講師という関係上のものは持っていない。実は閉鎖空間でこうして2人だけで話すのもこれが初めてだったりする。だから教授の方も僕のことが強く記憶が残っているということはないはずだ。

「いや、天原のことは以前から知っていたよ。高橋がよく話していてな。付き合っているのか?」

 前言撤回。教授は僕のことをよく知っていたようだ。

「違いますよ! そういう関係じゃありません!」

「そうなのか。いや高橋がお前のことを楽しそうに話すんでな。俺も2人が一緒に歩いているのをよく見ていたからな……。すまん、下世話だったな」

 僕と先輩は周囲からそう見られているのか……。先輩のことは嫌いじゃないが、互いにそういう対象としては見ていない。

「俺も資料を読ませてもらったが、珍しい祭事だな。神道は死者の弔いに関する祭事はあまり好まないんだが……。地方の信仰と習合したのかもしれんな」

「そうなんですね。小さい頃からやっていたから僕特に気にしてませんでした」

「身近にある風習に対してはそう思うのが普通だろう。距離が近すぎて疑問に思えないんだ。ただ民俗学はそういう風習や風俗を研究するものだからな。三魂祭を調べたのはお前にとってもいい体験になったんじゃないか」

「……そう、ですね。色々知れてよかったです」

 僕は図書館での1件を思い出して曖昧に笑った。

 ふとある考えが頭をよぎった。教授に実家に帰った時の体験を話してはどうかと。民族学科の教授としての視点からなにか有意義な言葉をもらえるかもしれない。みだりに話すなと刑事から言われたが、教授にはいいだろう。僕は唇を舐めて湿らせる。

「教授、実は僕、三魂祭にまつわることで不思議な体験をして……。聞いてもらってもいいですか」

「ほう? それはぜひ聞きたいな」

 八雲教授は蛇のように目を細めた。


「なるほどな。そんなことがあったとは……」

 僕がトラゾーのことはうまくぼかして話し終えると、それまで静かに聞いていた教授は目を閉じて椅子の背もたれに深く身を沈めた。ギシッと椅子のきしむ音がする。しばらくして教授は僕を見た。

「これはあまり言わないことだが、俺も似た経験をしたことがある」

「ええ!? 教授もですか!?」

 突然のカミングアウトに僕は驚き、大きな声を出してしまう。

「ああ、フィールドワークをしていると時々な。流石に悪霊に襲われたり両親の魂に助けてもらったりするようなおおきな事件に遭遇したことはないが……」

 教授は姿勢を正す。僕も椅子の上で背筋を伸ばした。

「実は民俗学を研究している知り合いの中にも数こそ少ないがそういう経験をした奴がいる」

「そうなんですか!?」

「お前みたいに学生の頃に怪奇な体験をして相談してくる人間も数年に一度はいる」

「僕以外にも!?」

 次々明かされる事実に僕はツッコミを入れる。同じ学問の先輩にも心霊体験や怪奇体験をした人がいるとは……。

「でもどうして民俗学を研究する人にそういった体験をする人が多いんでしょうか? 他の学科の人はないんですよね? そういう話」

「……これは俺の持論でしかないんだがな」

 僕の疑問に教授はペンを手で回しながら答える。

「日本における民俗学の成り立ちというのは近代化の際に切り捨てられた風俗や因習、伝統や習わしを後の世に伝えるためにそれらを研究しようという考えが大元だ。時が経つに連れ人間社会の変遷の中でそれらがどう変わっていくのかを調べる側面も増えたが、土台がそこにあるのは変わりない。

 そしてそうして忘れ去られたものの中には良くない話題もある」

 教授はデスクの上のお茶を飲み、額の汗を拭く。

「生贄や差別に迫害、凄惨な事件、根付いた邪教への信仰……。そういった血生臭く後ろ暗いものは、不合理的で非効率的なものを許さない近代化政策によって浄化されていったが、それでも探せばそれらの痕跡も見つかる。そして不思議な体験というのは大概それらを調べている時に多く遭遇する」

 教授はふう……と息を吐く。

「土地に残った怨念。流れた血。深く刻まれた残穢。それらの強い人の情念が、歴史に否定されても残留し、俺たちに過去の出来事を体験させてくるのかもしれない……。そういう消えていった者たちの叫びが民俗学を研究する者には届きやすいんじゃないかと俺は思っている」

 教授の話は妙な説得力があった。なんというか真に迫っている。目に宿る光は実際にいくつもの不可思議な経験をしてきたことを如実に語っている。もしかしたら今もその叫びを思い出しているのかもしれなかった。

「三魂祭が恐ろしい祭りだと言っているわけじゃないぞ。ただそういう時もあるというだけだ」

 教授は勘違いするなよと笑った。そのことで怒ってはいないが、こんな話を聞いてはどういう表情をすればいいかわからなかった。

「まあ時々変な体験をすることがあるというだけだ。お前みたいな大事件は稀だよ。ご両親にはよく感謝しないとな」

「は、はい。それは本当に」

 両親の話題を出されて僕は首を勢いよく立てに振る。教授はうんと頷いて腕時計を見た。

「おっと話し込んでしまったな。そろそろ次の面談だ。ここまでにしようか。もし俺の体験を聞きたかったら、さっきも言ったがここに来い。いつでも待ってるぞ」

 教授は次の面談相手の資料を取り出した。教授は僕にシンパシーを感じたらしい。これは気に入られたということだろうか? 僕は立ち上がりながらそんなことを考える。

「ああそうだ。1つ言い忘れていた」

 荷物を持って「ありがとうございました。失礼します」と一礼してからドアノブに手をかけると、教授が呼び止めてきた。

「なんですか?」

 僕が首だけで振り返ると……教授はとても不吉なことを言ってきた。

「これは俺の実体験だがな、1度そういう現象に遭遇するとな、しやすくなるんだ。似た体験をしやすくなる。

 同じ体験を持つ者としての忠告だが十分に気をつけろよ。人の心を蝕む恐怖は案外そこら辺に転がっている……」

 

 

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