第26話 夏の終わり
「まさかそんなことがあったとは……。すごい大変だったね……」
実家から帰って何日か経過したその日。先輩が部屋に遊びに来ていた。日差しが強い昼過ぎ。集めた三魂祭の資料とお土産を渡したかったのだが、まだ足の怪我は完治していなかったので先輩に来てもらう運びとなった。悪霊の1件が終わったあと、先輩や涼風さんには事情があって戻るのが遅くなるとだけ伝えてあった。先輩には話しておいたほうがいいと思って、一連の事件とその顛末を伝えたのであった。話を聞き終えた先輩は驚きと感心の両方がこもった言葉で感想を口にした。
「もう本当に大変でした……。山の中に連れて行かれた時はどうなることかと……」
長時間話し続けた僕はグラスの麦茶を一息にあおった。それからため息をつく。空になったグラスに先輩は麦茶をなみなみと注いだ。
「おうおう。飲みねえ飲みねえ。草太んちの麦茶だけどさ。
でもなんかごめんね。そんなことがあったのにわざわざお祭りのこと調べてもらっちゃって」
「気にしないでください。どちらにせよ資料はまとめるつもりだったので。それ、役に立ちそうですか」
「うん。さっき渡してくれたときにちらっと読んだけど参考になりそう。面白いお祭りだよね。来年は私も現地に行ってみたいな」
「ぜひそうしてください。地元のみんなも喜びます」
先輩も興味をそそられたらしい。そう思ってくれたならこちらも調べたかいがある。
「それでその足の怪我大丈夫なの。まだ包帯ぐるぐる巻きだけど」
先輩はテーブルの前であぐらをかく僕の足を指さした。両足にはいまだ真っ白い包帯が巻かれている。
「完治するまでまだ少し時間がかかると思ったんですけど、思ったよりも早く治りそうんです。というのも実は
僕は取り出した小さなケースをテーブルに置いてその蓋をはずす。その中には深緑色の軟膏が入っていた。
「これ河童の一族に伝わる軟膏らしいんです。切り傷、火傷、皮膚疾患……。色んな傷病に効果があるって言っていました」
僕の怪我のことを知った深蔓さんがわざわざこれを作って送ってくれたのだ。深蔓さんはかなり心配してくれて使い方も詳しく教えてくれた。僕はありがたく受け取り、使わせてもらっている。深蔓さんには感謝の気持でいっぱいだ。
「へえ、そうなんだ。じゃあもう怪我はほとんど治ってるの?」
「はい。もう傷口もほとんど塞がっていて、バイトもようやく復帰できそうです」
「良かったじゃん。足怪我してると不便だもんね」
「まったくだ。もっと感謝してほしいな」
その時、頭上から声がした。僕と先輩は声のした方を向く。
部屋の壁の一面には最近増築されたキャットタワーがあった。それに取り付けられた箱の中からトラゾーが頭だけをズボッと突き出してくる。
「よう、千夏。久しぶりだな」
「お邪魔してまーす。いないと思ったらそこにいたんだね」
「ああ、最近はここがお気に入りだ」
先輩が挨拶するとトラゾーはそのままの格好で僕をじろりと見下ろしてくる。
「俺がリキュウに怪我のことを教えて薬を作ってもらったんだからな。感謝しろよ」
「はい……」
「じゃあ感謝の気持ちを伝えてもらおうか……。おやつ」
「はい……」
僕は立ち上がり戸棚からおやつを取り出した。そしてトラゾーの真下まで行き、恭しくおやつを献上する。
「トラゾー様、今日のおやつです」
「おう。もらおうか」
トラゾーは僕の手から煮干しやドライされた貝柱などのおやつを貪る。明らかにいつもあげている量より多いのだが、僕は逆らえない。
「よし。モフれ」
「はい……」
次に僕はトラゾーの顔を撫でたりモフモフしたりする。トラゾーは気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らす。「いいぞ……。もっとこのあたりだ……」そう言いながら僕の手のひらに顔を擦り付けてくる。
「満足した。下がっていいぞ」
「はい……」
ようやく許しがでたので僕はテーブルの前に戻る。目の前の光景をなんとも言えない表情で見ていた先輩が顔を寄せて小さい声で聞いてくる。
「えっ? 何今の? いつからそんな関係になっちゃったの?」
「悪霊の1件をなんとかしたら何でも言うことを聞くって約束しちゃいまして……。あのキャットタワーもそれで買ったんですよ……」
僕は鎮座するキャットタワーを見る。複数の棒を床と天井の間に挟んで、その間ににゃんこの入る箱とか台とかが取り付けられたタイプだ。棒には爪とぎ用のマットが巻かれている。トラゾーが自分で選んで決めたものだ。値段を見た僕が「うっ」とうめく程度には高額なものだ。天井や床にネジとかで取り付けるタイプではないので傷がつかないのは良かった。
「あーそれでただでさえ大きい態度が5割増しででっかくなってるんだ。調子にのってるんだね。でも草太はそれでいいの?」
「まあ……大丈夫だと思いますよ。多分長くは続かないと思うので……」
僕は苦笑しながらトラゾーを横目で見る。
「トラゾーって普段はぐうたらで態度が偉そうですけど、なんだかんだ僕たちのこと助けてくれるじゃないですか。僕と先輩が河童を探しに行ったときもついてきてくれたし、涼風さんのときも師匠を買って出て特訓をしてましたし、今回もかなり頑張ってくれていたので……。トラゾーって根っこの部分はかなり世話焼きなんだと思うんですよ。だからこうやってしばらく言うことを聞いていれば、そのうち満足していつもの関係に戻ると思います。
それに約束したのは僕で、命を助けてもらったのも事実なので、トラゾーがもういいかなって思うまで付き合おうって思ってます」
「はは~ん、そういうこと」
「なんだ? お前らさっきから何の話をしてるんだ?」
僕と先輩の会話が気になったのだろう。トラゾーがこっちに顔を向けてくる。先輩はそんなトラゾーと僕を見ながらニヤニヤしながら見る。
「いやあ? やっぱり飼い主って飼いにゃんこのことよく理解してるんだなあって思ってさ。なんだかんだいいコンビだよねえ。2人はさ」
「はあ? 急に何言ってんだお前?」
「……」
トラゾーは怪訝そうな表情先輩を見た。僕は指の先で頬をかく。そういうことを言うのは僕も気恥ずかしくなるのでやめてほしい。
「それにしてももうお休みも終わりだねえ」
先輩は床に足を投げ出して体制を崩した。長かった夏季休暇もあと1週間で終わりだった。また忙しいキャンパスライフが始まるのだ。
「そうですね。最初はすごく長い休みなんだなと思ってたけど、あっという間でした」
「だねー。私も研究で色んなこと行ってたし、気づいたら終わっちゃってた感じ。
あー! 夏っぽいこと全然してない!」
「なんだ、夏っぽいことって……」
トラゾーはキャットタワーから飛び降りて床に着地する。ずっと箱の中にいて体が固くなったのか、床でうーんと伸ばす。
「そりゃ、友達と海行ったり遊んだり。あとキャンプ行ったり、肝試ししたり、お祭り行ったりさ。……お祭りは私ほぼ毎日行ってたな……。
まあとにかく夏にできる遊びとか楽しい事だよ!」
「ああいう感じのか?」
天を仰ぐ先輩を見て、トラゾーがテレビの方に顎をしゃくる。そこには昨日近くで行われたという花火大会の様子が映っていた。
「そうそうこういう感じの。これ昨日やってたみたいでさ。私の家の2階から見えたよ」
「そうなんですか。僕、やってた事自体知りませんでしたよ」
僕はそう言いながら考える。そういえば僕も今年の夏はあまり遊んでいない。学生なのだから勉強が1番大事だが、それでもたまには羽目を外すときがあってもいいだろう。
「花火大会かあ……。僕もあんまり遊べたりしなかったので行ってみたいですね」
「お前は心霊体験っていう夏の風物詩を味わっただろ」
「あれをそうだとは思いたくないかな……」
僕はトラゾーを持ち上げて足の間に下ろす。その間に先輩はスマートフォンを取り出し、周辺で花火大会がやらないか調べる。
「う~ん。やっぱりこのあたりの花火大会はもう終わっちゃってるね……」
「もう夏も終わりますからね……。さすがにもうやってないかあ……」
「よし! だったらさ。花火を買ってどこかでやろうよ。今日の夜にでも! ほらここの河川敷ならやってもいいみたい」
先輩はスマートフォンの画面を見せてきた。そこには『近く 花火 できる場所』と入力された検索結果が出ていた。相変わらず行動が早い。
「楽しそうですね。僕たちだけだと寂しいから他にも誰か誘いましょうか。涼風さんとか」
「えっ? 沙也加さんを? 私としてはすごく嬉しいけど予定空いてるかな……」
「じゃあ聞いてきてやるよ」
僕たちの話を聞いていたトラゾーがベッドの上に飛び乗った。そして涼風さんの部屋の方の壁に3回体当する。すると向こう側から小さいノックの音が返ってきた。「いるな。入るぞ」と言ってトラゾーは壁をすり抜けて涼風さんの部屋に侵入していった。
「えっ! トラゾーちゃんあんな事もできるの!」
僕はいつものことなので普通に見ていたが、先輩は見るのが初めてなので驚愕していた。僕は「できるんですよー」気の抜けた返事をする。
「聞いてきたぞ」
しばらくしてトラゾーが戻ってきた。ベッドの上で耳の裏をかきながら続ける。
「自分も行きたいってさ。花火をやるのは初めてだから楽しみだって言ってたぞ」
「そっか。じゃあ大丈夫そうだね」
「おう。それと今からリキュウも誘ってきてやるよ。あいつ最近有給消化中で暇なんだってよ。独身だし、誘えば来ると思うぞ。薬の礼もしなくちゃならんから、ついでに聞いてくる」
「……ごめん、ありがとう」
「気にすんな。もし来たら直接礼を言っとけ」
そう言い残すとトラゾーは化けにゃんこの姿になって窓をすり抜け空を飛んでいった。それを見送ってから先輩が立ち上がる。
「そうと決まったら帰って準備しなくちゃね! 花火は私が買ってくるよ!」
「じゃあ僕はなにか手軽に食べられそうなものを作って持っていきます」
「気が利くぅ!」
資料をバックに入れた先輩は部屋から出る。
「じゃあまた後でね。資料ほんとにありがと!」
「はい。お気をつけて」
先輩を見送って僕はキッチンの横の冷蔵庫を開く。食材はなにが残っていたかな……。そう考えながら中身を見ていると玄関のチャイムが鳴った。
忘れ物でもしたのかな? そう思って玄関のドアを開くとそこにはどこかワクワクした様子の涼風さんが立っていた。
「草太……! 花火は今すぐやるの……!?」
「早い早い早い! 早いですよ、涼風さん!」
僕はぶんぶんと首を横に振る。
「花火は今日の夜ですから! そんなに慌てなくて大丈夫です!」
「……そういえばさっき師匠がそう言ってた……。私花火やるの初めてだから……。つい焦っちゃった……」
涼風さんはしゅんと体を縮める。体のことがあったとはいえ、体験していないイベントが多すぎる! だからこそ楽しんでもらいたい! 僕は切に祈る。
「……草太、体の方は大丈夫……?」
すると涼風さんは真剣な表情になって僕を見た。涼風さんにはお土産を渡すときに一連の騒動について全て話していた。きっと僕のことを心配してくれているのだ。
「はい。もう足もほとんど痛くないし、呪われているってこともなさそうなので元気ですよ」
「良かった……。お父さんとお母さんのおかげだね……。これからもご両親のこと大切にしてあげてね……」
涼風さんは優しく微笑んでくれる。家族を亡くしている涼風さんだからこそ、僕の気持ちを理解してくれたのだろう。僕はその心遣いを嬉しく思いながらお礼をする。
「ありがとうございます。涼風さんはどうでしたか? ご家族のお墓参りに行って……」
「……色々話してきたよ。楽しかったこと嬉しかったこと。みんなも喜んでくれたと思う……」
「そっか。きっとご家族も涼風さんのこと見守ってくれていますよ」
「私もそう思う……」
僕と涼風さんは笑顔を交わし合う。しばし穏やかな時間が流れる。
「私も準備手伝いたいけど……、どうすればいいかな……。なにか手伝えそうなことある……?」
「あっ、だったら僕と買い物に行きませんか? みんなでつまめるものでも作ろうかと思っていたんですけど。材料が足りなくてスーパーに行こうと思ってたんですよ」
「分かった……。じゃあ準備してくるね……」
涼風さんはそう言うと自分の部屋に戻った。僕も財布やスマートフォンを取りに戻る。
「今帰ったぞ」
ちょうどトラゾーも部屋に帰ってきたところだった。普通のにゃんこに戻って床に降り立つ。
「あいつも来るってよ。お前は買い物か」
「うん。食べられるものも持っていこうと思ってさ。それで。……あれ? トラゾーも来るよね?」
「行くぞ。最近ぐうたらしすぎたからな。少し外出て運動する。それにお前たち人間の言う夏の風物詩ってやつを楽しみんで見ようかと思ってな」
トラゾーはベッドの上で丸くなる。
「とはいえ、俺は連絡をとったりしたから、あとの準備はお前らに任せる。時間になったら起こせ」
そう言ってトラゾーは目をつぶった。
「分かった。ありがとう。トラゾー」
僕はトラゾーの頭を撫でる。じきにトラゾーは寝息を立てはじめた。
「おーい! こっちこっち!」
僕とトラゾー、それと涼風さんが河川敷まで行くと、すでに先輩と深蔓さんは集まっていた。ニコニコ笑う深蔓さんの隣で先輩が大きく手を振る。太陽が今にも落ちそうな時間だったが、はっきりと姿を捉えることができた。土手の階段の横には古い看板が立っていて『使用は夜9時まで ゴミは持って帰りましょう』と書かれていた。ルールはちゃんと守りましょう。僕たちは階段を下っていく。
「こんばんは。遅かったですかね」
「いいや、私たちが早く来ちゃっただけかなあ。おかげで準備万端だけどね!」
そう笑う先輩の足元には花火の入った袋と火消し用の水がバケツに入って置かれていた。やる気満々だ。
「草太さん、トラゾーさんこんばんは。誘っていただいてありがとうございます」
「いや、こちらこそ。深蔓さんにはいつもお世話になっていますから。この前頂いた軟膏、ありがとうございました。まだ少し痛いけどすっごく早く治っちゃって」
僕がその場で軽く足踏みしてみせると深蔓さんは頷く。
「良かった。ちゃんと効いていますね。私たち河童秘伝の薬ですから効果は抜群でしょう。それでもきちんと完治するまで無理はしないでくださいね。……そしてそちらの方が……」
深蔓さんは僕に釘を差してから視線を涼風さんに向けた。そういえばこの2人は初対面だ。
「初めまして……。涼風沙也加です……。雪女の血を引いてます……。よろしくお願いします……」
「ええ、お噂はかねがね。私、深蔓リキュウと申します。河童です。製薬会社で部長をやっています。以後お見知りおきを」
深蔓さん懐から名刺を取り出して涼風さんに渡した。「お前、プライベートな時間でも名刺持ってんのかよ……」と足元でトラゾーがぼやいた。涼風さんも仕事柄名刺をもらうのは慣れているのか両手で丁寧に受け取った。
「あ……この会社の日焼け止めよく使ってます……」
「そうなんですか。いつもお買い上げありがとうございます。有名なモデルの方に使っていただけるとは。より一層の精進をしなければいけませんね」
「はい……。こちらこそいつもお世話になってます……」
「なんで遊びに来てんのにペコペコしてんだよ、お前たちは」
互いに頭を下げあう2人を見てトラゾーが呆れる。僕と先輩も顔を見合わせて苦笑した。
「じゃあ自己紹介も終わったことだし、早速やりますか」
パンと手を叩いて先輩が音頭を取る。深蔓さんが足元に置いてあったスイカを持ち上げた。
「実家から贈られて来たスイカです。みなさんが花火をやっている間に切っておくので後で食べましょう」
「大きい! ありがとうございます。」
深蔓さんの持つスイカは大きく、手で叩くとポンといい音がした。みんなでおおーと声を上げる。
「涼風さん、荷物は僕が置いてくるので、先に先輩と初めていてください」
「うん……。ありがとう……」
僕が涼風さんの荷物を持つと彼女は花火を広げる先輩の方へと歩いていった。「どうやるの……?」「じゃあ教えますね」と楽しげな声が背後から響く。
深蔓さんは持ち運びできる台を広げて、その上にまな板を置いてスイカを切っていた。ライトも持ってきたようで準備がいい。
「深蔓さん。僕、涼風さんと簡単な食事を作ったので後で食べましょう」
「いいですね。スイカはデザートにしましょう」
そんなふうに言葉をかわしてベンチの上に持ってきた荷物を置くと、その隣にトラゾーが飛び乗った。
「あれ、トラゾーはあっち行かないの?」
「俺はお前たちより頭が低いから煙と火がもろに来るんだよ。ここからお前たちがやってるのを見て楽しむさ」
トラゾーが言い終わるのと同時、先輩が「草太ー! 早くー!」と僕を手招きした。行ってこいよと視線で言ってくるので僕はキジトラ柄の頭を一度撫でてから先輩たちの方へと向かう。
2人はすでに手持ちの花火に火をつけているところだった。先輩が空いている片方の手で花火を手渡してくる。
「ほれほれ。私の花火で火をつけんしゃい」
「どこの言葉ですかそれは……。ついた」
先輩の花火に僕のを近づけると火がついた。色鮮やかな火花を散らしながら時間が経つに連れ色が変わっていく。涼風さんは初めての光景に興味しんしんト゚言った顔でそれを見ていた
「涼風さん体の方は大丈夫ですか?」
「うん……。ちゃんと体温を維持してるから大丈夫……。さすがに火に直接当たったら溶けちゃうと思うけど……」
「それは僕たちでも危ないので絶対にやらないから大丈夫です」
僕は断言した。
先輩と涼風さんの花火は僕より先に終わった。少しして僕のも消える。焼け焦げた残骸を見て鈴風が残念そうな表情を浮かべる。
「終わっちゃったね……」
「まだまだ花火はあるから大丈夫ですよ! 次はこれ! 打ち上げ花火!」
先輩は筒状の花火を地面において点火した。僕たちは少し離れる。しばらくして花火が空中へと発射された。僕たちの頭上へと飛んでいきパッと鮮やか閃光が闇を彩る。
「おー……。すごいね……」
「でしょ! よし、次は線香花火だ!」
「ええ!? それって普通最後じゃないですか?」
「いいじゃんいいじゃん。気にせずやろう」
先輩は線香花火を僕と涼風さんに渡す。僕は釈然としない何かを感じながら受け取った。
「これはどういう花火……?」
「小さい火の玉ができてそれが段階的に変わっていくんですよ。ただ火の玉が落ちやすいので最後まで見れないことが多いんですけど」
「そしてどれだけ長く続けられるかを競う熾烈な勝負でもあるのだ!」
「そういう遊びしますけど熾烈でもなんでもないですからね」
「そうなんだ……。負けない……!」
「もう勝手にして!」
僕たちはそれぞれに火をつける。小さい火の玉が先端にできた。パチパチと小さく火花を散らす。
数十秒静かそれを見ていた僕たちだが、先輩が体をぷるぷるさせて沈黙を破る。
「草太、どうしよう……。私じっとしているの苦手……」
「知ってますよ?」
「くっ、もう今すぐに動き出したい……」
「止まってると死んじゃうんですか?」
そうこうしている内に先輩の火の玉が落ちた。高橋千夏、脱落。
「あっ、落ちちゃった!」
「ちょっ! 引っ付かないでくださいよ! あっ、落ちた!」
天原草太、脱落。
僕と先輩がほぼ自滅に近い形で敗北したあとも涼風さんはじっと線香はを見つめていた。火の玉はどんどん終わりへと近づいていく。涼風さんは微動だにしない。モデル業で体の動きを止めるのは得意なのだろう。それが有利に働いたのだ。
やがて線香花火は燃え尽きた。最後まで線香花火が燃えているの初めて見た……! 僕たちが戦慄していると涼風さんは小首をかしげる。
「私の勝ち……?」
「「参りました!」」
勝者、涼風沙也加。
「みなさーん。スイカが切れましたよ。手を洗ってきてください」
「「「はーい」」」
深蔓さんの声で僕たちは遊ぶのを一旦やめて、近くの水道で手を洗う。
もうあたりは真っ暗になっていた。河川敷の光は深蔓さんの持参したライトしかなく、僕たちはそこに身を寄せ合うようにして集まる。
「お腹が空くと思ったのでおにぎりを作ってきました。どうぞ」
「私はサンドイッチ作ってきた……。食べて……」
僕と涼風さんがそれぞれ作ってきたものを取り出す。みんなで簡単な夕食の時間になる。トラゾーにはカリカリを出す。
「あっ、このおにぎりめっちゃ美味しい!」
「冷蔵庫に余っていた天かすと青のり、麺つゆを混ぜてみました」
「深夜に食べたら絶対に太るやつ! でもこういう時はいいよね!」
おにぎりを頬張る先輩を横目に僕はサンドイッチを取る。レタス、チーズハム、トマト。4つの具材を挟んだパンにはマスタードが塗られ味を引き締める。食材の水気はしっかり切ってあるようで味がボケたりしていない。ひと口食べて頷く。
「涼風さん、このサンドイッチすごく美味しいです。料理、本当に上手になりましたね」
「ありがとう……。草太が教えてくれたおかげだよ……」
涼風さんおにぎりを持ちながらもう片方の手でピースする。もう僕が教えることはないかもしれないな。ここまで基本がしっかりできればあとはレパートリーを増やすだけだ。僕はそう考える。
おにぎりとサンドイッチを食べたあとはみんなでスイカにかぶりつく。口の中にみずみずしさと甘さが広がる。
「このスイカ、すっごく甘いです!」
「あはは、そうですか。美味しかったなら良かった。両親も喜びますよ」
先輩の声に深蔓さんは朗らかに笑った。僕は深蔓さんに尋ねる。
「そういえば深蔓さんのご両親って農家やってるんでしたっけ?」
「はい。主にきゅうりとスイカを作っていますよ。夏限定の人間に向けた副業です。その時だけは父も母も人里に降りてくるんです」
「そうなんですね……」
僕は頷いてもう一口かぶりつく。
「なのでこの時期はきゅうりやスイカが送られてくるんですよ。河童はスイカやきゅうりが大好物なので嬉しい限りです。2人には感謝しています」
深蔓さんは人間の世界に来る前に両親と喧嘩したらしい。それをトラゾーが取り持ったとは聞いていたけど……この感じだとなんだかんだ仲良くしているようだ。家族は仲が良いほうがいい。僕は父さんや母さん、ハチの顔を思い浮かべた。
「よし、また花火やりましょ! 今度は手持ちの花火でハートマークを作りましょう!」
「楽しそう……」
先輩と涼風さんは花火を再開するらしい。僕は深蔓さんに話しかける。
「深蔓さん。後片付けは僕がやっておくので遊んできてください」
「おや、いいのですか?」
「少し足が痛くなっちゃって……。そのまま休むので気にせず深蔓さんも花火を楽しんでください。お仕事忙しいでしょうし、リフレッシュするつもりで」
「……そう言われてしまったらこのまま見ているわけにもいきませんね。少しの間童心に帰りましょう」
深蔓さんは少し申し訳無さそうな顔をしていたが、僕の言葉を聞いて2人に近づいていき輪に加わった。僕は食べたあとのゴミを片付ける。
「ふう……」
僕が片付けを終わらせてベンチに腰を下ろしても3人はまだ花火で遊んでいた。
不思議な光景だ。人間と妖怪の血を引く人間、そして妖怪そのもの。立場もあり方も違う存在が楽しそうに笑いあっている。
「なかなかない光景だな。あれは」
僕の隣でトラゾーがそう言った。僕はトラゾーの方を見る。
「やっぱりそう思う?」
「ああ、少し前までは考えられなかった景色だよ。これはなかなかどうして悪くない」
トラゾーの顔は少し笑っている気がした。僕は以前トラゾーが言っていたことを思い出す。
「寄り添う時間があってもいいってこういうことかな」
「共有する楽しい思い出はそれ以上でもなければそれ以下でもないからな。それはそれとして大切な記憶として持っておけばいいのさ」
トラゾーは3人をじっと見つめる。なるほど、トラゾーが見て楽しむと言ったのはこの光景だったのだなと僕は今さらながら気づく。
「なんだかんだ言ってな。お前との生活は楽しいよ。600年生きていても、まだ知らなかったことがあったんだなと思う」
「……なるべく楽しい思い出を作りたいね。僕たち
も」
「そうだな……」
僕とトラゾーは目の前の光景を見つめる。
夏が終わる。多くの出会いがあった夏が。けれども季節が移り変わってもその生活は続いていく。共にある間は、確かに。
「何度か言っているけど、これからもよろしくね。トラゾー」
「こちらこそだ」
清らなか川のせせらぎがただ流れていった。
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