第24話 魂は昇る(6)

 僕とトラゾーが帰ると家の前にパトカーが停まっていた。朝、僕がいないことには気づいたおじいちゃんとおばあちゃんが呼んだのだった。2人はボロボロの僕を見るとすぐに駆け寄ってきた。心配をかけてしまったな。

 事情を聞いていた刑事は家の状況から事件性ありと判断していたようで、僕の姿を見ると一瞬目を丸くした。僕にも詳しい事情を聞こうとしてきたが、怪我をしていることを知ると、病院で治療を受けてから改めてということになった。

「行ってこいよ。俺は少し寝る」

 トラゾーはそれだけ言って家の中へと消えていった。もう僕に護衛はいらないだろうし、今回1番頑張ったのはトラゾーなので休ませてあげたかった。おじいちゃんの運転する車で病院へと向かう。

 足の怪我は重症だった。岩で深く切った傷は縫わなければいけなかったし、泥だらけだったため感染症も疑われた。爪が剥げていなかったのは良かったかもしれない。検査と治療が終わる頃にはもう昼過ぎになっていた。両足は消毒されてから包帯を巻かれ、清潔さを保つために包帯は時々変えるようにと厳命された。それ以外にも体中傷だらけだったがそっちは湿布や薬をもらって終わりだった。大事には至らなかったことを知るとおじいちゃんはほっと一安心した様子だった。

「言わなくて正解でしたよ」

 見計らったかのように刑事が病院にやってきた。おじいちゃんに待ってもらって休憩スペースで聴取を受けた。細かく色々聞かれたが、目が覚めたら山の中にいて必死で降りてきたということで押し通した。あの経験を正直に言っても信じてもらえるとは思わなかったからだ。ショック状態でおかしくなっていると思われるのがオチだ。少々強引に話を通す僕に刑事は特にツッコミを入れてくることはなく静かに聞いていた。そして聴取はこれで終わりだと言ったあとにそう呟いたのだ。

「え?」

「私も長年この地域で刑事をやってきましたが、時々いるんですよ。忽然と姿を消した人間があの山から帰ってくることが」

「……そうなんですか」 

「そしてその人たちの証言は2つに分かれます。体験したことをそのまま喋るか。それとも隠し通すか」

 刑事は鋭い目で僕を見た。何人もの犯罪者とやりあってきたのであろうその目は本物の凄みがあった。

「あなたがあそこで何を見たのかはわかりませんが、あまり人に言いふらしていいものではないでしょう。黙っておいた方がいい。そういう意味です。さっきの言葉は……。では」

 それだけ言って刑事は去っていった。僕はその後ろ姿を見送るしかできなかった。


「そうかあ。そんなことがあったかあ。じいちゃんの言ったとおりだったなあ。お父さんとお母さんは草太のこと大切に思ってるんよお」

 おじいちゃんとおばあちゃんには隠せなかった。というか家中に貼ったり置いたりした塩や御札はもうバレていたため、話すしかなかった。僕はすべてを2人に話した――トラゾーのことはうまく誤魔化した――。2人は僕の話を疑うことなく信じてくれた。父さんと母さんが僕を助けてくれたことを話すと遺影の前で手を合わせて語りかける。

「ありがとうなあ。2人のおかげで草太は無事に帰ってきたからからなあ。本当にありがとうなあ」

「草太のことこれからも見守ってあげてね」

 2人は父さんと母さんに感謝の言葉を伝える。

 きっとその言葉は届いているだろう。

 

 そんなこんなで事態が終息に向かう中、僕は実家への滞在を数日伸ばすことに決めた。本当は送り盆の次の日にはマンションの部屋に戻るか予定だったが、そんなことを言っている状況じゃなかった。足の怪我がある程度治らなかったら帰れそうにないし、よく考えればこっちに来てから心の休まるときがほとんどなかった。改めてゆっくりしよう……。僕はそう思うのだった。


「普通に集まった……」

「集まったな」

 その日僕はどうしても確かめたいことがあったのでトラゾーと一緒に図書館に来ていた。自転車のペダルを漕ぐのは難しいが、ゆっくり歩くくらいならできる。

 今テーブルの上には三魂祭に関わる記述のある文献が集められていた。この前はほとんど集まらなかったのに今日はすぐに探し出すことが出来た。

「これってどういうこと?」

「お前に見えないようにしてたんだろうよ。今ここにある本だけ認識の外にするとかそんな方法を使ってな」

 僕が小声で尋ねるとトラゾーは自身の見解を述べる。トラゾーに話を聞きたかったので一緒に来てもらっていた。バックの中に入って、頭だけを出している。

「霊ってそういうことまでできるんだ……。でもどうして僕が三魂祭のことを調べられないようにしたんだろう?」

「さあな。そこまでは俺にも分からん。なにかお前に与えたくない情報でもあったんじゃないか」

 トラゾーの予想を聞きながら1冊の本を手に取る。風土記。先日唯一これだけ見つかったが、ページの一部が破られていた。開いてみると三魂祭のページはちゃんとあって、破られていた痕跡はどこにもなかった。

「……資料をまとめようか」

 高橋先輩の研究の助けになると思って三魂祭のことは調べるつもりだった。きちんと文献が戻ってきているなら、もうそれでいい。僕は作業を始めた。

「あなたこの前来た人よね」

 調べ物も終わり、文献を元の場所に戻して帰ろうとすると司書の女性に呼び止められた。この前来たときにもいた人だ。……そうだった。この前は風土記を広げたまま飛び出していったんだった。

「あ……。この前はすみませんでした」

「うん。ちゃんと取った本は元の場所に返すように。それと大きな音は出さないようにね。いきなり走って出ていくからびっくりしたわ」

「……すみません」

 重ね重ね申し訳ないことをした……。僕は反省してから、聞きたいことができたので尋ねてみる。

「あの、この前僕が来てた時、他に誰かいませんでしたか。僕の近くに……」

 司書の女性は質問の意図がよく理解できていないような表情を浮かべてから、あっけらかんと言った。

「いいえ。あなただけよ。他には誰もいなかったわ」


「これは俺の想像なんだけどな」

 図書館から帰って縁側でおばあちゃんの切ってくれたスイカを食べているとトラゾーがトコトコ歩いてきた。

「やっぱりあの悪霊は何十年も現世をさまよっていた存在なんだと思うぞ。そうじゃないとあれだけ強大な悪霊にはなり得ない」

「そうなんだ。でもどうしてそんなことになっちゃったんだろう?」

「理由はいくつか考えられるが……、現世に帰ってきたら帰る場所がなかったとかだな。家が壊されたり家族が全員死んでいたり。それで行き場を失って……ていうパターン。

 あとはあの世に戻る時や現世に帰る時に迷ってしまってどこにも行けなかった場合だな。そうやって行き場を失った魂が長い時間ウロウロしていると存在が劣化してああなっちまう。今回の奴みたいになるのはあまりないが……」

 僕は眉をひそめた。帰る場所を失い戻ることもできず、別の存在になりはてる。それはかなり悲しいことだろう。

 それにあの霊は僕をあの世に送り込むのではなく、連れて行こうとしていた。それも自分のいるべき場所へと戻りたい……そういう感情の現れだったのかもしれない。そう考えると今回遭遇した霊は哀れな存在のように思えた。

「あんまり同情はするなよ。そういう感情にもあいつらは寄ってくる。もう襲われたくなかったら余計なことは考えないようにしろ」

 僕の思考を呼んだのかトラゾーは僕の隣で寝そべりながらそう言ってきた。過度な哀れみは返って良くないということなのだろう。それに最後は山の神がどうにかしたはずだ。冥福を祈るだけにとどめておこう。

「そう言えば僕の方でも色々分かったんだけど……元々三魂祭には悪い霊や魂を鎮めるための側面もあったらしいんだ。今はもうその意味も薄れちゃって知っている人は殆どいないみたいだけど」

「ふうん。そうだったのか。あの霊があそこまで酷いことになったのはそれのせいもあるかもしれないな」

 トラゾーがゴロンとひっくり返る。

「うん。あと、悪霊が変なこと言ってたでしょ」

「ああ、まがるだとかなんだか……。それもわかったのか」

「うん。多分だけど禍あれって言葉じゃないかなって古文だと時々出てくる言い回しなんだけど」

「禍……。不幸とか災いとかそういう意味だったような。禍あれ、まがあれ、まがれ……。元はその言葉か。

 ……ていうか思いっきり呪いの言葉じゃねえか。ようはお前に不幸あれ、災いあれってことだろ」

「そうなるね……」

 僕は苦笑いするしかない。霊に呪詛をぶつけられるとは、人生何があるか分かったものではない。

「死んだあとまで他者を呪うような存在にはなりたくないもんだな。普段からいつ死んでもいいように未練のない生き方を心がけるこった……」

 トラゾーはそう締めくくると周りをきょろきょろ見回す。「……あいつどこ行ったんだよ……」と小さい声で呟いている。どうしたんだろう? なにかあったのかな。僕は首を傾げるのだった。


 それから2日後。僕はマンションの方へと帰ることになった。怪我の治りは順調だったし、バイトや大学のこともあった。そろそろ帰らないとみんなを心配させてしまう。おじいちゃんとおばあちゃんに見送られて僕は家を出る。

 最後に振り返って家を見る。今年のお盆は大変な目にあった。けれどそれと同時に大切な思い出も増えた。帰ってきた時は考え事で頭がいっぱいだったが、今はスッキリしている。肉体と精神の両方が成長したような気もする。

 次に帰ってこれるのは早くて年末。その時にはもっと成長した自分を見せられるといいな。そう思いながら僕は歩きだした。


「なんだかえらく疲れたような気がするな」

 俺はアスファルトの上を歩きながら隣を歩く草太に話しかける。「途中まで自分で歩くから出せ」と言って狭苦しいキャリーバックから脱出した。

「そうだね……。でも最後にはなんとかなったから良かったよ。それもトラゾーのおかげだよ。ありがとう」

 草太は俺に感謝の言葉を述べて笑顔を向けた。……普段なら素直に受け取るのだが、今はその気持ちになれなかった。

「俺に礼を述べるのは当然として、他にも言わなきちゃいけない相手がいるんじゃないのか?」

「え?」

 俺の問いかけに草太は頭の上に疑問符を浮かべた。こいつ本当に分からないのかよ。俺は我慢できなくなって言う。

「ハチのことだよ。あいつもお前のことめちゃくちゃ心配してたんだぞ」

 ハチは草太が山から帰ってきてから姿が見えなくなっていた。俺も家の中や外などあちこち探したのだが結局見つけられなかった。さっきもじいちゃんばあちゃんは玄関まで来てくれたが、あいつは出てこなかった。あいつのことが心配だったが無理を言ってこれ以上帰宅を延ばす訳にはいかない俺は後ろ髪を引かれる思いで帰路についたのだ。

 それなのに草太の奴はハチのことなどまったく意に介さない様子だ。思えばこいつはずっとハチを無視するような態度ばかり取っていた。あいつはあんなにこいつのことを考えて行動していたのにな。

 このままではあまりにもハチが不憫だ。草太にはあいつの頑張りを伝えなきゃならん。俺はそう思ってまくしたてる。

「あいつはなあ普通のにゃんこなのにお前を守るためにあの悪霊にだって立ち向かったんだぞ。それだけじゃない。お前のことをすごく心配して、山の神にお願いだってしてきたんだ。それなのにお前はあいつのことまるでいないみたいに扱いやがって。そりゃお前もいっぱいいっぱいだったのかもしれんが、体を撫でてやるとかそれぐらいはしてやれよ……。おい、どうした」

 突然草太が立ち止まってしまったので俺は振り向いた。草太の顔からは血の気が引いて青くなっていた。信じられないものを見る目で俺を見ている。

 そして震える唇を開きとんでもないことを言った。

「トラゾー、何言ってるの……?

 ハチはもう死んでるんだ。僕が大学生になる前に死んじゃってるんだよ」

 どこかから吹いた冷たい風が俺の髭を揺らした。


「良かった。これでまた元通りね」

 草太が帰ったあとの天原邸。草太の祖母は1つの遺影を息子夫婦の写真の隣に並べた。

 そこに写っていたのはハチワレの猫だった。草太が大学に行く直前に老衰で亡くなったハチというなの飼い猫であった。

 3つ並んだ家族の写真を見ているとそこに草太の祖父がやって来た。

「おお、ようやくサイズのあう写真立てが見つかったんかあ。ばあちゃんもおっちょこちょいだのお。ハチの写真立て、落として割ってしまうとは」

「ええ、本当に。そのせいでお盆から今日までハチちゃんだけ写真しまわなくちゃいけなくて……。ハチちゃんごめんね」

 祖母はハチの写真に向かって謝る。当然写真なので答えなど返ってはこない。

 祖母はくすりと笑みをこぼした。祖父は気になって尋ねる。

「ばあちゃんではどうしたあ?」

「いえね、今年はトラゾーちゃんも来てたでしょう。戻ってきたハチちゃん、どう思ってたかしらって」

祖父は豪快に笑った。

「ハチは優しい子じゃから喧嘩はしないわなあ。案外にゃん吉と仲良くしとったかもしれんぞお」


「は……?」

 俺は草太の言っていることが理解できなかった。草太は俺を心配そうに見つめながら続ける。

「いや、だからハチはもう死んでるんだ。そのことは帰ってきたときに話したでしょ。おばあちゃんが、昔はこの家でも猫を飼ってたのよって言って……。やっぱりトラゾー聞いていなかったんだね。あの時いきなり鳴き始めたから、どうしたんだろうって思ってたけど。初めて来た場所だから不安だったの?

 ……いや待って。それじゃあトラゾーはハチのことどこで知ったの? 写真はおばあちゃんが落として割っちゃったから置いてなかったはずだし……誰かから聞いたの?」

 俺は口をぽかんと開けて突っ立っていた。よく思い返してみればハチを無視していたのは草太だけでなくじいちゃんとばあちゃんもだ。一緒にいても声をかけなかったし、メシの用意をしていた様子もなかった。それは、つまり、ハチの姿は俺にしか見えていなかったということに……。

 今になって考えるとハチの言動はどこかおかしかった。ご馳走の感想を味は楽しめたと言ったり、思わぬところから突然現れたり……。つまりハチはそういう存在だったのであろう。

「……じいちゃんとばあちゃんが話してるのを偶然聞いてな。それで知ったんだ」

「ああ、そういうこと」

「そういう理由だ。変なこと言って悪かったな。今のは忘れろ」

 俺は再び歩き出す。草太は釈然としない様子でついてくる。

 ハチのことを話しても良かったが、あいつは最後まで自分の存在を草太に知らせようとはしなかった。最初から伝える気はなかったのだろう。それを俺が勝手に話してしまうのは気が引けた。

「そのハチってにゃんこはどんなやつだったんだ」

「……優しかったよ。父さんと母さんが死んで僕が泣いてるときもずっとそばにいてくれたんだ。トラゾーとも仲良くなれたんじゃないかな。会わせてあげたかったな……」

「そうか……」

 知ってるよ。山の神に頭を下げてまで帰る時間を送らせて草太を守ろうとしたんだ。そんな優しいにゃんこを嫌いになど、ならない。

 死者からの思いを伝えられたのは草太だけではなかったらしい。ハチは草太のことを頼むと俺に言っていた。ならその思いには応じてやるべきだろう。同じ飼い主を持つ飼いにゃんことしてな。

 だからお前も安心して草太を見守ってやれよ。俺もこいつのことをそばで見ててやるからな……。俺は心の中でハチにそう伝えた。そうしてから俺は明るい声で話を変える。

「話は変わるが、お前最近酷い目にあってばかりだよな。熱中症で倒れたり、悪霊に追いかけ回されたり、大怪我したり……」

「本当にね。僕なにかに憑かれているのかも。600年生きてきた化けにゃんことかに……」

 草太はにやりと笑った。何だと。

「俺を悪霊扱いするな。でもしばらくは大丈夫だろうよ。今のお前、山の神の加護があるし」

「はあ?」

 今度は草太が口をあんぐりと開ける番だった。

「だから加護だよ。加護。お前、例の神様から力をもらってるぞ」

 草太の体に神の力の一部が宿っているのは山の麓で再開したときに分かった。こいつは見えてないようだが、体が薄ぼんやりと白く光っているのだ。夜寝るときに気になって安眠できそうにないな。オン・オフできないのか?

「え、ええっ! なんで僕なんかに!?」

「知らね。結果的にとはいえ自分の不始末で生まれた悪霊を連れてきてくれたことへの感謝。それに巻き込んだことへの迷惑料……。そんなところだろ」

「そういえばそんなことを言ってた気がする……。どういう加護なんだろう?」

「山の中で迷わなくなるとかそういう感じだろ。見たところそこまで強い加護じゃなさそうだしな。ま、ラッキーだと思って受け取っとけよ。あって困るもんじゃないしな」

 俺がそう言ってやると、草太はまだなにか言いたそうだったが諦めたように頷いた。しかし、そこまで強大な神格ではないとはいえ加護を賜る人間が今の時代にいるとはな。やっぱこいつ変な運命に巻き込まれてるのかもしれないな。あの悪霊も呪詛をはいていたわけだし、その影響が後々出てしまう可能性もある。やっぱ知り合いに頼んで一度お祓いしてもらったほうがいいかもな。俺はそんなことを考える。

「まあそのことはもういいや……。それよりもトラゾー、僕帰る前に寄っておきたい場所があるんだけど……」

「ん、どこに行くんだ?」

 俺が聞き返すと草太は前を向いて答える。

「お墓参り。僕結局行けなかったからさ」

 穏やかな風が草太の頬を撫でる。わずかにだが笑みが浮かんでいる。どこか誇らしげな表情だった。

「そうか。それは行ったほうがいいな。よし。俺も手を合わせてやるよ。俺がどれだけもふもふでセクシーなにゃんこかちゃんと伝えてやる」

「それは父さんと母さんだけじゃなくてご先祖様みんな驚くからやめてね」

「何だと……」

 いつものように軽口を叩きながら俺たちは歩いていく。

 夏の空はどこまでも澄み切っていた。

 


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