第18話 帰郷

「人が多いな……」

 僕は旅行鞄とトラゾーの入ったキャリーバックを持ちながらぼやいた。駅のホームは人でごった返していて暑苦しい。トラゾーも中で「うにゃ……」と小さく鳴いた。

 お盆。亡くなったご先祖様の霊が帰ってくると言われる日本の風習。その期間は曜日の関係で前後で変わるが基本的に8月13日から16日までだ。その初日、俗に迎え盆と言われる日に僕は実家のあるN県T市へと帰郷しようとしていた。

 この時期、帰ってくるのは先祖の霊だけでなく、人間たちもである。僕と同じように生家や故郷に帰ろうとする人は多く、1年の中でも人の移動が激しい期間だ。僕の立つ駅のホームは新幹線を待つ大勢の人々でごった返していた。

「人が多すぎる……。いつの間にかこんなに増えやがって。にゃんこには去勢だの避妊だのさせるくせによ……」

「ちょっと、トラゾー。人のいるところでは喋らないって約束したでしょ」

「こんなに人が密集して騒がしかったら逆にばれん。ていうかなんだよこれは。うじゃうじゃと人がいすぎだろ」

「仕方ないよ。この時期はみんな実家に帰ったり遊びに行こうとする人が多いし……」

「これから新幹線に乗って電車に乗り継ぐんだろ? しかも5時間以上もかかるんだ。今からこれだと気が滅入る。お前も千夏や沙也加みたいに車の免許を取れよ。少なくともこんなふうに押しくら饅頭しなくても済む」

「……次帰るときはそうしたいな」

 僕とトラゾーのため息は人混みに溶けて消えていく。

 盆にも人それぞれに過ごし方がある。涼風さんは数日前に故郷である新潟に帰っていた。自分で車を運転して、混雑する前に出発するのだと言っていた。子供の頃に祖父母とご両親を不幸な事故和亡くしている涼風さんは親戚の家に引き取られた。その家に帰るのだという。体質のことも知っていて一人暮らしすると言ったときもとても心配してくれたらしい。

 その話の中で僕は亡くなった両親のことを話した。それを聞いた涼風さんは一瞬驚いたように目を見開いて、すぐに元の表情に戻って言った。

「そうなんだ……。草太も大変だったね……。

 私、亡くなったみんなに最近のこと報告するつもり……。草太もお父さんとお母さんに近況を伝えてあげて……。きっと喜ぶと思う……」

 自分の体質を克服したこと、家族に伝えるのだろう。きっと涼風さんのご家族も喜ぶはずだ。僕はお礼を言って彼女を見送った。

「そっかー。草太は帰る側かー。私は迎える側なんだよね」

 高橋先輩は実家暮らしであり帰省することはない。その代わりこの時期になると遠方から親戚が帰ってきて一同に集うのだという。そのため忙しくて大変らしい。

「子供とかの相手はいいんだけどね……。ほとんど顔も知らないおじさんとかおばさんの相手って結構疲れるんだよね……。こっちも相手も気を使うからさあ。

 ま、とりあえず気をつけてね。お土産よろしく!」

 それでも最後は笑いながら送り出してくれた。先輩が喜んでくれそうな物を買ってこよう。

 そうこうしているうちに新幹線が到着する。完全に停車すると乗り込み口が開く。僕たちは他の利用客と一緒に乗り込んだ。

「あった。ここだ」

 僕は事前に予約していた席を見つけて座った。旅行鞄は頭上の共用スペースに置いて、トラゾーの入ったキャリーバックを膝の上に置く。最近知ったのだが、新幹線に乗るときペットは手回り品切符を買うだけでいいらしい。色々制限はあるらしいが無事トラゾーはそれをクリアしていた。とはいえペット用の席は取れないのでこうしてその重みに耐えなければいけないわけだが。

 流石に新幹線の中ではトラゾーも無言だ。普通のにゃんことして振る舞っている。覗いてみると中で丸くなっていた。少し疲れたのだろう。僕は起こさないようにして窓の方に視線を向ける。やがて外の景色がゆっくりと動き出し、加速していった。

 流れていく風景を見ながら僕は両親のことを思い出す。

 僕の両親は普通の会社勤めの父親と専業主婦の母親というどこにでもいる平凡な夫婦だった。父方の祖父母と一緒に暮らし、やがて僕が生まれた。僕は両親の愛情を一身に受けて育った。5歳のあの日までは。

 その日両親は2人で買い物に出かけていた。父の運転する車で移動している途中、突然対向車が大きく中央線をはみ出してきた。突然のことで父は避けきれず、2台の車は正面衝突し、両親は帰らぬ人となった。2人はほぼ即死だったという。

 対向車に乗っていたのはどこかの大学生の集団だった。近くのキャンプ場からの帰りで、全員飲酒していた。判断力が低下しハンドル操作を誤った。それが事故の概要だった。奇跡的に無傷だった大学生たちはすぐに逮捕され警察の捜査のあと裁判で有罪判決がくだされた。それで両親の命を奪った事故は終わりになった。

 故郷へ帰ろうとするたび僕は否応なしにこのことを思い出す。両親との楽しい思い出。大好きだった家族を突然失ったことの悲しみ。それらだけでなく僕は1つの小さな後悔も抱えていた。

 事故の直前、僕は両親と喧嘩していた。両親からしてみれば些細な、僕からしてみれば重大なことだ。言ってしまえば子供の我儘である。それで拗ねた僕は約束していた両親との外出にはついていかず、布団の中で丸まっていた。両親は何度も僕の機嫌を取り戻すために呼びかけてくれたが、僕は耳を塞いで聞こえないふりをしていた。やがて両親は諦めて、二人だけで出かけてしまった。それでも自分が悪いことは分かっていたから……。帰ってきたら謝ろうとそう思っていた。

 だがその機会は永遠に失われた。父と母は火葬され、今は墓の下だ。

 15年たった今でもそのことが小さな後悔となって胸を締め付ける時がある。普段は思い出すことはない。それでも時には感情と記憶の底から泡のように浮びあがり、疼痛にも似た鈍い痛みを僕に与えるのだ。僕は息苦しさから逃れるために一度大きく深呼吸する。

 新幹線の車体がその速度を緩めていき停車した。車内アナウンスが流れる。ここで降りて電車に乗り換えなければならない。僕は立ち上がり、隣の席の利用客に「すみません」と断ってから荷物を降ろす。

「そんで今度は電車か。そろそろ足がつってきた」

「悪いけどあと2時間ぐらい我慢して。あっ、この電車だ」

 僕はホームに停車している電車を指差す。都会で使われていたものを使いまわしているのであろう。年季の入った3両編成の車両だ。ダイヤの関係で10分ほど停車するというアナウンスがあったので、僕は売店で駅弁と飲み物を買ってから乗り込む。

 地方の路線とはいえ、やはりこの時期は客も多い。あと5分ほど待ち時間があるというのに車両の中はもう満席状態だった。最悪立っていればいいか。それでも探すと1人分座れそうなスペースがあったのでそこに座る。窮屈そうに両隣の利用客がほんの少し身を捩る。

 電車は発車した。トラゾーがあくびをする。僕もつられてあくびした。

 最初は多かった利用客も駅に止まるたびその数を減らしていった。乗ってくる人間よりも下車する人間が多いので、1時間ほどした頃には車両内の客数は両手で数えられるほどまで減っていた。どうせならと思いボックス席に移動して空間を贅沢に使わせてもらう。

「そういや、興味なかったから今まで聞かなかったがお前の故郷ってどんなところなんだ? 何か有名な場所とか特産品とかあるのか?」

 駅弁を食べていると僕にしか聞こえない大きさの声でトラゾーがそう聞いてきた。周囲に人がほとんどいないからもう良いだろうと判断したようだ。僕は念のため小さい声で話す。

「僕の故郷? まあ普通のところだよ」

 口の中のものを飲み込んでから僕は口を開く。N県T市は物凄い田舎ではない。かと言って進んだ都会でもない。夜は星明かりしか光がないわけではないし、Wi-Fiだって普通に飛んでいる。田舎ではないが都会ほど発展はしていない、地方の土地にありがちな地域であった。

 それを聞くとトラゾーはとたんに興味をなくす。

「なんだよ。つまらんな。なんかもうちょっと面白そうなことないのかよ」

「人の生まれ育った場所をつまらないって……。あー、でも1つだけあるよ。お祭りがあるんだ」

 僕が辟易しながらそう言うとトラゾーはキャリーバックの中で「ほう?」と目を細めた。

「それはどういう祭りなんだ?」

「うん。僕の生まれた地域には山に神様が宿ってるって伝承や言い伝えがあるんだけど」

「山神への信仰か? この国山が多いからそこに神を見い出す人間たくさんいるよな。それで? お前の故郷の神はどんなやつなんだ」

「亡くなった人の魂を導く神様。死んでしまった人の魂をあの世に導いたり、悪い魂を浄化したりする神様だったかな」

「……そりゃ珍しいな。山の神にそういう在り方を見い出すことは殆どないはずだが……。まあそういう所もあるか。

 しかし、ははあん。だから盆に祭りなのか」

「うん。お盆はご先祖様の霊が戻ってきたり、帰ったりするでしょ。だから山の神様も普段より大変になってしまう。それを手伝って神様やご先祖様に感謝や労いを捧げるお祭りなんだ。山の魂って書いて山魂祭さんこんさい。どう面白そうじゃない?」

「おお、なんか興味湧いてきたぞ。その祭りいつからやるんだ」

「今日の夜にやるはずだよ。近くに小さい山があってね。そこでやるんだ。内容は自分で見てもらったほうが早いかな」

「なんだよ。もったいぶりやがって。まあいい。なんだか楽しそうじゃないか。その祭り俺も行くからな」

 そう言ってトラゾーは窮屈そうに体を伸ばした。どうやら僕がトラゾーを連れていくのは確定らしい。まあ高橋先輩にお祭りの様子を写真で送ろうと思っていたから別にいいけど。僕は一旦箸を止めて外の景色を見る。胸の息苦しさはいつの間にか消えていた。

「そういえばお前の両親も亡くなってるんだったか」

「うん。5歳の頃にね……」

 トラゾーには両親の詳しい事情は話していない。話してもあまり楽しいことでもない。その気持ちを感じ取ったのかトラゾーはそこを深く追求することなく続ける。

「そうか……。じゃあその山の神の力で父ちゃんと母ちゃんの魂が帰ってくるかもな」

 トラゾーは少しおかしなことを言う。僕は手を横に振って笑った。

「いやいや、魂が帰ってくるっていうのはあくまで物のたとえや宗教の教えであって、本当に魂や霊がいるわけじゃないんだよ?」

「何言ってんだ。魂や霊はいるぞ」

 その言葉で思考が一瞬止まった。僕はとてもぎこちなく首を無理やりにトラゾーの方へと向けた。

「え?」

「だからいるって言ってんだよ。

 普段は見えないだけで魂や霊はいる。ただあいつらは存在が希薄で不確定だから、よほど強い意志や念がないと俺たちには見えないんだよ。俺もこれまでのにゃん生で見たのは10回あるかないかだ。

 この時期になるとテレビの特番でそういうのやるだろ。あれはほとんど作りものだが本当にごく僅かだが本物が写ってる時がある。

 だから魂や霊は存在する。数が少なかったり、目に見えないってだけでな。ていうかお前、俺とかリキュウみたいな妖怪は信じて、そういうのは信じてなかったのかよ……。……おいどうした。顔色悪いぞ」

 僕ははっとする。慌てて首を横に振る。

「あ、ううん。なんでもないよ。なんでもない……」

 僕は再び外の景色に視線を向ける。風景はゆっくりと後ろへと流れていく。

 魂や霊はいる。お盆は死者の魂が帰ってくる。過去の後悔。それらが頭の中で渦を巻き、思考によって撹拌される。考えがうまくまとまらない。車体の速度は上がっていないはずなのに、景色が凄まじい勢いで視界の外へと流れていく。

 そこから電車を降りるまでの時間、何をしていたのかよく覚えていなかった。


 いったいこいつはどうしたんだ。俺は急に態度を変えた草太を見る。その表情は心ここにあらずといった様子だった。

 こいつなんか隠しているな。俺は狭苦しいバックの中で目を細める。

 何事も起きなきゃいいんだが……。一抹の不安とともに俺は小さく伸びをした。





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