第14話 交わりの顛末
「う~ん……」
僕はレポートを書く手を止めて唸った。窓の外は暗闇に包まれ、どこかから犬の遠吠えが聞こえる。
テーブルの上のレポートはもう結論を書くだけとなっていた。異類婚姻譚。その最後で残された者たちのその後。調べてみればそれを扱った資料は少ないがたしかにあった。人と人ならざるものの間に生まれた存在がその力で活躍し、祀り上げられたり幸福に暮らしたりする説話は存在していた。それらと各地の異類婚姻譚を結びつけて考察し、置いていかれた者たちは必ずしも不幸ではなく幸福になりえる可能性はあるのではないか。そう書くつもりだった。
悩んでいるのはその書き方だった。最近の僕は妖怪とそれに関係する人たちに出会ったせいか、フラットな視線で物事を見れていないような気がする。涼風さんへの対応が間違っていたとは思っていないが、研究をまとめる際はどちらかに偏った書き方をするのは研究者としてどうなのかとも考えている。道徳と倫理は違った考えなのだ。
しかし僕は最初に決めた視点を別の場所へとずらして資料集めを開始した。その理由は涼風さんとの出会いの影響が大きく、僕の私情バリバリの考えなのである。最初からそうならば、最後を締める文も私情の入ったもので良いのではないかと思ってしまう。どちらのやり方で出力すればより良いレポートになるのか……。僕は悩んでいた。
「少し外歩くか」
僕はそういって立ち上がった。部屋で考えていても答えは出ない。夜道で風にでも吹かれれば煮詰まった頭が冷やされて納得のいく答えが出るだろう。僕はずっと座りっぱなしで固くなっていた体を伸ばす。
「なんだ? こんな時間に外出るのか?」
床の上でぐでっとしていたトラゾーが立ち上がって僕を見た。
「うん。ちょっと夜風にでもあたって来ようかと思って」
「そうかじゃあ俺もついて行ってやるよ。お前この間倒れたばっかりだからな。飼い主になにかあったら困る」
「心配してくれるの? ありがとう」
「あと、ずっと部屋の中にいるのもつまらん。たまには外を歩きたい」
「そっちが本音じゃない? ていうかトラゾー、僕がいない間に勝手に外出てるよね。壁とか窓とかすり抜けて」
「なんのことやら」
そんなふうに話しながら僕たちは外に出た。部屋の電気を消し、鍵をしっかりかけてから出発する。
「で、どこに行くつもりなんだ」
「……近くのコンビニまで行こうか」
マンションの前の道に出て、トラゾーの言葉で行く先を決めてなかったことを思い出す。そういえばシャンプーがなくなっていたな。ついでにアイスでも買って帰ろう。僕たちは並んで歩き出す。
夜9時を回った住宅街は明かりが少ない。就寝していて殆どの家の明かりは消えている。月明かりだけが僕たちを照らす。
「色々悩んでいるみたいだな」
歩きはじめてからしばらくして、トラゾーがおもむろに口を開いた。狭い1Kの部屋じゃ隠すのは無理か。
「ああ、うん。まあちょっとね。書き方を悩んでて……」
「そうか。じゃあためになるか分からんが、少し話をしてやるよ」
トラゾーは一拍おいてから言葉を続ける。
「ま、たいがいはろくな事にならん」
何が、とは言わなかったが言いたいことはすぐ分かった。
「やっぱりそうなのかな……」
「そりゃな。人間と妖怪の間になんか半端なやつしか生まれない。妖怪からは嫌われて、人間からは排斥されるのがオチだ。そういう奴らを俺は嫌ってほど見てきたからな。まあたまたまうまくいって良いところに収まる奴もいる。お前が調べてたみたいにな」
そう言ってトラゾーは空を見上げる。……そのまま歩けるの器用だなあ。
「それに置いていった方もなかなか悲惨だぞ」
「え……?」
置いていかれた方。異類婚姻譚で言えば人ではない側ということだ。そういえば僕はそちらの方にはあまり目を向けていなかったかもしれない。
「それなりに長い時間いればどうしたって情がわくからな。子供を作った奴ならなおさらだ。それに人間に裏切られて正体がばれるってこともあるしな。人間側だけが一方的に辛いってわけじゃないだろ。
俺たちは寿命も長い。自分の末裔がどうなるかも全部見れちまう。子孫が悲惨な最後を迎えてみろよ。もうどうしようもないぞ」
「……トラゾーが普通のにゃんこと交尾しないのってそれが理由?」
「その一つだな。どんな子にゃんこが生まれるか分からんだろ? 責任のとれないことはできん。
まあ、何が言いたいかと言うとだな。違う生き物同士が末永く幸せに暮らしましたってのは難しいってことだ」
そうして歩いていると目の前にぼんやりとした光が見えた。コンビニについたらしい。
「でもそれが分かっているならどうしてトラゾーは飼いにゃんこになろうと思ったの?」
僕たちは悲劇的な別れをするかもしれないってこと? とは流石に聞けなかった。2つのうちの1つだけを僕は口に出す。
「……それは後で教えてやるよ。ほれ、待っててやるから買い物してこい」
「……分かった」
トラゾーはコンビニの前で立ち止まり、そう促す。僕は歯切れの悪さを感じながら、コンビニに入る。
冷房の冷たい風と「いらっしゃいませー」という気の抜けた店員の挨拶が僕を出迎える。僕は生活用品の売り場から詰替え用のシャンプーの袋を取る。その後、カップアイスも取って会計する。「あじゃりゃしたー」とこれまたやる気のない声に押し出されて僕はコンビニを出た。
「早かったな。どうする。しばらくこの辺ぶらぶらするか?」
「まっすぐ帰ろうか。アイスも買っちゃったし」
「そうか」
それだけ言うとトラゾーは踵を返して歩き出す。僕はその後を追いかけていく出して
「今も昔も妖怪ってのは基本人間を遠くから眺めて、時々からかったり脅かしたりするもんだ。いるだけだが、それでも変わり者ってのはいてな。人間と一緒に暮らそうってやつはどうしても出てくるんだ。理由は色々だが、俺は長いにゃん生で一度は飼われてもいいかもなって理由だ。リキュウのはもう知っているよな」
「さっきは色々言ったがな。俺はそういうのもたまにはいいもんだと思ってるよ」
「そういうの?」
「いつか必ず来る別れでも、人とそうじゃない存在の時間が重なり合う時はあっても良いだろってことだ。終わり方の問題を無視しちゃいけないってだけでな。過程の時間は俺も否定しないよ」
「そっか……」
「そうだ」
トラゾーはお尻を振りながら歩いていく。僕は一歩大きく踏み出して横に並んだ。
「じゃあ僕たちはどうなるのかな?」
「……お前は俺がどういう存在か少しは知っているだろ。なら、そこまで酷い終わり方はしないだろ。ちょっとはマシな別れになるさ」
それだけ言ってトラゾーはまた前を歩いて歩く。
「……お前が倒れたとき、結構焦ってな。千夏のところに行くのもかなり急いでた」
しばらく無言で歩いていると、トラゾーがポツリと呟いた。
「そう思えるぐらいには俺も今の生活を気に入ってはいるってことだ。
だからさっきの俺の話にちょっとでも思うところがあるんなら、自分の体は大事にしろ。つまらんことで死にかけるな」
それだけを言ってトラゾーは歩く速度を上げる。
「ほれ、さっさと帰るぞ。早くしないとアイスが溶けるぞ」
「はいはい」
僕は笑いながら答えた。
レポートは僕の感情が出るような書き方をした。いい内容になったと思うので後悔はしていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます