第10話 雪の蜃気楼(3)

「こんなところかな……」

 涼風さんとの同居が始まって数日後。僕はマンションから徒歩10分ほどの場所にある図書館にいた。集めた大量の資料に囲まれて僕はうーんと体を伸ばす。

 僕は民俗学科に属する大学一年生である。長い夏季休暇に入ったが、当然学科ごとの課題も出されており、今日はその資料集めをするために図書館へとやってきたのだった。

 教授から一年生に出された課題は複数提示されたテーマから1つ選びそれについて調査研究したことをレポートにまとめ、提出することだった。民俗学の研究対象は多岐にわたる。様々な情報媒体から人間社会の変遷を研究する側面がある以上、同じ対象でも見る視点や範囲が違えばまったく別の結論が出てくることが普通にありえるのだ。選択したテーマをどう捉えるのか、どの部分にフォーカスするのか、そしてそれをどうまとめるのか……。入学して半年近い学生の、物事を見る目がどれくらい養われたのかを評価する課題としては最適と言えよう。

 ちなみに2年生からは自分で選んだ対象をテーマを研究することになる。そして研究の集大成としてまとめた論文を同学科の全学生の前で発表することになるのだ。俗に言う卒業研究というやつである。高橋先輩は日本全国の様々な地域の祭事に参加し、土地に根付いた信仰、それによる住人の風俗の違いと共通点から分かる日本の変遷を研究するのだという。その都合中高橋先輩は日本中を飛び回っており、たしか今日北陸から帰ってくるはずだった。「テーマを決める時は慎重に! 中身のないヘボいのだと年単位の研究にもたないから!」「初動研究はめっちゃ重要! とにかく最初は色んなとこ行って資料や証言――研究に必要な材料をひたすら集めまくるの。考察とか結論とかはその後! これ後回しにすると痛い目見るから!」と、すでに非常にありがたいお言葉を高橋先輩からいただいている。精進しよう。

 話を戻す。今回僕がレポートの題材に決めたのは異類婚姻譚である。

 異類婚姻譚――。世界中に伝わる説話・伝承の中でも違う種類の存在と人間が結婚するという内容の総称だ。

 これに類型される物語は大抵6つの展開をなぞって進んでいく。援助・来訪・共生・労働・破局・別離の6段階。人が別存在を助け、それが恩を返すために現れ同居する。かいがいしく働くが正体を知られてしまい永遠の別れで幕は閉じる。大体がこんな流れである。

 地域によって程度の差はあれどほとんどが決まった流れに沿って進行する。僕はここに興味を持った。異類婚姻譚に属する話は日本中に存在する。それはすなわち風習や信仰、生活習慣の違う別地域の人間でも、人ならざるものとの交わりには完全に一致しなくともある程度共通の認識を持っていたということではないか? そう考えたのだ。当時はインターネットやSNSなどない時代である。情報の伝わりが今よりはるかに遅い世界で、1つの事柄に対して共通した考えを持つというのは珍しいのではないか? そこに焦点を当てて調査をすれば面白い考察が書けるのではないかと思った。思っていた。つい先日までは。

「このタイミングで涼風さんに会うっていうのは、色々出来すぎているよなあ……」

 僕は手元の資料に視線を落とす。そこには白い着物を身にまとい、口から白い息を吐き出す女の姿があった。

 雪女。河童と同様非常にメジャーな妖怪であり、やはり日本の様々な場所でその伝承が流布している。そしてその中には異類婚姻譚に類するものもまた多い。

 涼風さんの話を思い出す。雪女だった涼風さんのおばあさんは不幸な事故で家族とともに命を落としたという。涼風さんには申し訳ないのだが、この顛末は現代の異類婚姻譚と言えるのではないだろうか? 人間と結婚し、子供を作り、しかし最後は離別する。正体を隠していなかったことや、人間側も命を落としている部分は大きな違いだが、探せばそういう伝承もある。それは目の前の資料や文献の山が証拠だ。

 涼風さんのことである。早くに家族を亡くした涼風さんは受け継いだ雪女の体質と生きてきた。少し暑いと体が溶ける……。これまでの人生でかなりの苦労をしたことは想像に難くない。事実僕の目の前で死にかけている。

 ではこれからはどうだろうか? 僕とトラゾーに出会った。トラゾーから雪女の力の制御を教わっている。隣人である間は僕も力になれることがあるだろう。これから先の涼風さんの人生は少しは明るい方に向かっていくのではないだろうか?

 何が言いたいかというと、涼風さんに出会ったことで、僕は異類婚姻譚という概念をまったく別の見方をするようになったのである。物語の最後、残された者たちのことだ。物語のあと、彼らはどうなったのか? 別離の際は不幸でもその後もずっとそうだったのか? 人とそうでない存在の交流が生み出すのは不幸や悲劇ばかりではないのではないか? これらの疑問を調べ、レポートにしたいと思ったのだ。

 しかしこれがなかなか難しい。言ってしまえば、ストーリーが終わったあとの登場人物のその後を調べようとしているわけだ。そのことに言及している文献や資料は少ない。僕は偉大なる高橋先輩のアドバイスにのっとって異類婚姻譚に関する資料と文献を片っ端から集めているのだ。大学とここの図書館はもうあらかた調べ尽くしたはずだ。次は少し足を伸ばして国立図書館にも行こうと思っている。

「そろそろ帰るか……」

 腕時計を見る。閉館の時間だ。僕は立ち上がる。テーブルの上に広げた資料を元の場所に戻し、情報をまとめたノートや印刷した文献の紙束をバッグにしまう。最後に部屋に戻って読み込みたい文献の貸出手続きを済ましてから外に出る。

 夕方であるものの日は高く、照りつける日差しは厳しい。むわっとした湿度の高い空気が体を包む。

「涼風さんじゃなくても嫌になるな……」

 噴き出す額の汗を拭い僕はゆっくりと歩きだした。

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