第6話 河童の皿流れ(5)

「いや~、今日は色んなことがあったね」

 住宅街。僕の隣を歩く先輩はう~んと体を伸ばした。そんな僕たちの前をトラゾーはととと、と歩いている。

 ファミレスを出た時には空に星が瞬きはじめていた。深蔓みつるさんとはお互いに連絡先を交換してから分かれた。先輩とは途中まで帰り道が同じなのでこうして並んで歩いている。……お巡りさんに見つかる前にさっさと帰らないと職質されるな。今の格好だと……。

「まさか河童に遭遇するとは僕も思いませんでした……」

「しかも人間の会社で部長になってるんだもんね。めっちゃ驚いた! まあまさか後輩が化け猫を飼ってるとは思わなかったけど!」

「おっ? なんだ?」

 先輩はトラゾーを捕まえると「うりゃうりゃ」とその全身をモフりまくる。トラゾーも良い気になったようで地面の上にゴロンと寝そべり、嬉しそうに喉を鳴らす。体にゴミがついて、帰った時に大変だからそうやってゴロゴロするのはやめてほしい。

「その、すみませんでした。トラゾーのこと黙っていて……」

「あはは、別にいいって。他人にそうそう言えることじゃないでしょ。それでも妖怪と一緒に暮らそうと思うほど大胆だったとは思わなかったけどさ」

「脅されましたからね……」

 トラゾーのだらしないお腹を両手でこねるように撫でる先輩に、僕は苦笑いで返した。先輩は色々察してくれたようで「あー、なるほど……」と呟いた。

「ね、深蔓さんのことだけどさ……」

「誰にも言いませんよ。民俗学の研究者としてはそれが一番でしょう」

 民俗学――。口に出して言うと必ずと言っていいほど「民族学?」と返ってくるこの学問。その実態は風俗や習慣、伝承などといった有形無形問わない資料を調べ、それを通して人間が積み重ねてきた生活や文明を解き明かす。そういう学問なのだ。そのため研究対象は多岐にわたり、怪談や漫画といった様々な媒体で語られ続ける妖怪もその一つだ。

 であるならばやはり深蔓さんのように人間社会に順応し生きている妖怪のことを安易に言いふらすべきではない。なぜならそうした行いもまた長い時間をかけ積み上げてきた人間社会の営みの一つであり、観察し研究するべきことではあっても、否定したり破壊したりすることはしてはいけない。少なくとも僕と先輩はやってはいけない。研究対象として観察し、その変遷を見守る。民俗学者僕たちはそういう関係性を保つべきだ。僕はそう考える。

 また深蔓さんの憧れや努力を壊していいのかという問題もある。人間と同じ生活をするのは大変な努力が必要だったろうし、その結果が部長という肩書なはずだ。僕たちが深蔓さんの正体を安易に口にするのははそれを瓦解させる行為だ。学問がどうこう以前に人としてやってはいけないだろう。襲われたのも人間側に問題があったのだから、余計にしてはいけないだろう。

「だよね! 私もおんなじ。それにご飯をおごってくれた人にそんなことしたら人として最低だしね!」

 先輩は白い歯を出してニカッと笑った。人類社会に溶け込む人ならざる者たちの生活を見守る――。僕たちはそれでいい。僕たちはそうするべきだ。僕はそう結論を下した。

「あっ、そうだ。時々草太の家行っていい? トラゾーちゃんかわいいからさ。おやつ上げたり遊んだりしたい!」

「おういいぞ。千夏なら大歓迎だ」

「よっしゃ!」

「飼い主を無視して話を進めないでください……」

 偉そうな態度のトラゾーと小さくガッツポーズする先輩。僕は弱々しく突っ込んだ。嫌だと言ってもどうせ来るんだろうし、別にいいけれど。

「私、こっちだから。二人ともまた今度ね!」

 それからしばらく歩いて、先輩とも別れることになった。最後にそう言って手を振る先輩を見送ってから僕とトラゾーは我が家へと向かって歩みを再開する。

「トラゾー。聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

 僕がそう言うと前を歩くトラゾーは振り向くことなく返事をする。

「僕の話を聞いた時点で大体の事情は分かっていたんだよね?」

「ああ。ニュースで警察が押収した盗難品が映っててな。その中に明らかに河童の皿が混じってた。そこにお前の話だ。すぐにピンと来たよ。……人間に混じって暮らしてる河童には何人か心当たりがあったから、その時点では誰かまでかは分からなかったが」

「だったらそれを言ってくれたら良かったのに……」 

「お前一人ならともかく千夏がいたからな。馬鹿正直に話をして信じてもらえるとは思わなかったんだよ。それに皿をなくして暴走してる河童がいるのも事実だ。諸々の事情込みで考えて、俺が同行してお前らを守って、河童本人に事情を話してもらうのが一番いいと思ったんだよ」

「……そういうことか」

 どうやらトラゾーはトラゾーなりに考えてくれていたようだった。思い返せばファミレスで深蔓さんが話している間、トラゾーはほとんど口を挟まなかった。あれも本人に説明させた方が丸くおさまると思っての行動だったのだろう。

「じゃあもう一つ。深蔓さんが両親と対立したとき、間を取り持ったのってトラゾーだよね?」

「……さてな。昔のことだ。もう忘れたよ」

 僕がそう尋ねるとトラゾーは歩く速度を上げた。素直じゃない……。僕は思わず口元を緩める。

 この一週間トラゾーと一緒に暮らして分かったことがいくつかある。偉そうだし態度は大きい。モフれ。遊べ。メシ寄越せ。要求が多い。自分のモフモフでセクシーな体に自信を持ったナルシスト。けど自分なりに他人を思いやった行動ができる。そういう優しさも持っている。だから、どこか憎めない印象がある。

 そう思えるのも飼い主としてトラゾーを見てきたからだ。まだ日は浅いが飼い主と飼いにゃんことしての営みを続けてきたからだ。なら僕はその関係を保ったまま、トラゾーの生き方を見守ろう。人間と一緒に暮らすことを望んだ化けにゃんこを観察し続けよう。それが民俗学の扉を叩き、トラゾーの飼い主になると決めた僕のやるべきことだ。

「おい。何も立ち止まってるんだ。お前はいいかもしれないが、俺は夕飯がまだなんだ。早く帰るぞ」

「はいはい。今日は少し多めにカリカリをあげるよ」

「おっ、お前もようやく俺のモフモフさとセクシーが分かってきたか。もっと敬っていいぞ」

「態度が大きい……」

 月明かりに照らされて僕たちの影が伸びる。

 僕らの声は夏の夜にこだまして消えていった。

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