第5話 河童の皿流れ(4)
もう帰りたい……。僕はファミレスのボックス席で暗澹たる気持ちに襲われた。
「本当に申し訳ありませんでしたあっ! まさか人間を襲ってしまうなんて!」
その理由のひとつがテーブルを挟んで向かいの座席に座るスーツの中年男性だ。彼は先程の河童だ。今は完全に人間に擬態しており、背中の甲羅も頭の皿も特徴的なくちばしも今はない。身長が高く少し痩せている一般男性と言ったところだろう。
……問題なのはテーブルが陥没しそうなほど頭を深く下げてこすりつけているところだろう。場所が場所だったら土下座していたであろう勢いだ。つるつるした頭頂部が照明の光を反射して眩しい。
「あばっ。あばばばばば。河童が人間に変身した……。後輩が妖怪を飼ってた……。あばば! あばっ! こ、このままじゃだめ。ま、まずは気持ちを落ち着かせて……。ぶばばばば!」
僕の隣に座る先輩はトラゾーの正体を知り、河童が人間になる光景を見てからずっとこの調子だ。壊れた機械のように震えている。お冷を飲もうとするが、うまく飲めずに水や氷をぶちまけてしまう。何やってんのこの人!
「ちょっと! 先輩いい加減に気をしっかり持ってください! あなたももう謝るのはやめてください!」
「そうだな。二人とも一旦落ち着け。まずはなんか注文したらいいんじゃないか?」
「いいアイデアだね! でもトラゾーはあんまり声を出さないで!」
僕はテーブルの上を拭きながらトラゾーに小声で注意する。「ファミレス行くか」と提案した御本人は僕が持ってきたバッグの中に入り頭だけを出している。なんでこんな人の多い場所を指定したの! 僕は店員呼び出しのボタンを押す。
少ししてやってきた店員の笑顔は明らかに引きつっていた。スーツ姿の社会人がひたすら謝り倒し、奇妙な格好をした年若い男女に頭を下げ続けているのだ。僕だったら絶対に近づきたくない集団だ。周囲の客の視線も痛い。は、恥ずかしい……! 羞恥と周りへの申し訳なさで顔から火が吹き出そうだ。
「ああ、ごめんなさい。気が動転してしまって……。ようやく落ち着きました……」
「私もようやく飲み込めたよ。ありがとう草太」
「いえ、正気に戻ったなら何よりです……」
二人に注文を促すとそれでようやく気分がもとに戻ったようだった。注文をとった店員が去ると河童と先輩がそう言ってきた。疲れ果てた僕は背もたれに深く体を沈ませ、やる気のない返事をした。
「そんじゃお前、そろそろ今回の件の説明をしてやれよ。俺は大体見当がついてるがこっちの二人はそうじゃない」
「ええ、そうですね。ではまず自己紹介から……。私、この近くの製薬会社に勤めております。
((河童がめっちゃ丁寧に名刺渡してくる……!))
僕たちが受け取った名刺にはかなり有名な企業の名前が書いてあった。深蔓さんの役職は……部長。
((そこそこ高い地位に立ってる……!))
「河童は薬作りが得意でして……。時代のフォーマットに対応して人間の企業で薬品の研究をさせてもらってるんですよ」
「俺はこいつの父親の知り合いでな。小さい頃はよく遊んでやったもんだ。親父は今は田舎できゅうり作ってんだったか?」
「ええそうです。今も夫婦仲良く元気ですよ」
妖怪同士の昔を懐かしむ話に僕たちはついていけない。そんな気配を感じ取ったのか、深蔓さんは咳払いする。
「おっと、脱線してしまいましたね。話を元に戻しましょう。お二人は最近巷を賑わせる連続強盗を知っていますか?」
「確か留守中に高級な食器ばかり盗んでいくあの事件ですよね。あれでも確かついさっき捕まったって……」
先輩が答える横で僕も思い出す。そういえば一度部屋に戻ったときにトラゾーとそのニュースを見た気がする。
「はい、まさしくその事件です。頭の皿を外して洗って乾かしていたら、仕事に行っている間に被害にあってしまいまして……」
「「頭の皿って取れるんだ……」」
「河童は頭の皿を長時間外していると凶暴化してしまうんです……」
「「何それ、怖い……」」
「警察が犯人を捕まえてくれるまでは代わりの皿で代用していたんですが……」
「「体の一部に代わりが……?」」
淡々と語られる河童の生態に僕たちはドン引きしながら突っ込みを入れるのを抑えられない。……なんかすごく矛盾した表現だ。
「代わりの皿では完全に衝動を抑えきれず、時折あの池で発散していたんです。職場や家で暴れたら危険ですから……。そこに警察から犯人逮捕の知らせを受けて……。安心してしまったんです。気が緩んでしまって……。気がついたらお二人を襲ってしまっていて……」
「なるほど……」
そしてそこに運悪く子供や僕たちがやってきたということだ。
「本当に申し訳ありません。まさか知らない間に人間を襲っていたなんて露にも思わず……!」
「いや、深蔓さんのせいじゃないですよ。少なくとも周りのことを慮っての行動ですし、そもそもあの場所に立ち入ったのは僕たちなわけで……」
深蔓さんがまた頭を下げ始めたので僕は慌ててそれを止める。
河童、そうでなくとも不審者がいるかもしれない。そんな危険な場所に自分の意思で足を踏み入れたのは僕と先輩だ。深蔓さんだけをどうして責められようか。そもそも全ての元凶は強盗犯である。僕たちがとやかく言える立場ではない。先輩も同意見なようでうんうんと頷いている。
「そうですか……。とても怖い思いをしたのに私を許してくださるんですね……。お優しい方たちだ……。ああ、だから私は人間のそういうところを好きになったのだなあ」
「人間が好き、ですか?」
僕が聞き返すと深蔓さんは視線を虚空にさまよわせ語り始める。
「私はとある山奥の河童の一族として生を受けました。外の世界ともほとんど繋がりがなく、人もよほどのことがない限りやってくることのない場所です。そういう場所で私は育ちました。
そんなある日のことです。私が森の中で遊んでいると一人の男を見つけました。その男は私を見るなり驚いて逃げようとしましたが足を怪我をしていて動けない様子。かなり痛がっていたので私は河童の一族秘伝の軟膏を塗ってやりました。するとたちまちのうちに怪我は治りました。男はとても不思議そうにしていましたね。
それで私は人間に会うのが初めてだったので好奇心から色々話をしました。男は登山中に足を滑らせて山道から落ちて怪我をしてしまい途方に暮れていたと。私はなんだかそれがとても可哀想に思えて山の麓まで案内してあげました。
男は麓につくと『ありがとう。この恩は一生忘れない』と、そう言って帰って行きました」
深蔓さんはそこで一旦言葉を切ってお冷を飲んで唇を湿らせた。そうしてからまた喋りだす。
「その時の彼の顔は今でも忘れられません。あのとても嬉しそうな顔は……。
それ以来私は人間の世界への興味を持つようになりました。山を降りた世界にはどんな人間がいるのだろう。どんな生活をしているのだろう。そんな気持ちが抑えきれなくなって、私はとうとう人間の社会で暮らしていくことを決めました。
当然両親には猛反対されましたが、ある方が取り直してくれまして。そのおかげで両親をなんとか説得できて、私はこの世界にやってきました。
最初は慣れないことも多く大変でしたが、それでも頑張り続けて今の私がいます。その中でいろんな人と出会いました。良い人、悪い人。色んな人がいました。そうやって少しずつ人間のことを知って、理解をして……そうする中で私は人間のことを好きになっていったんですよ」
そう言って深蔓さんは僕と先輩に微笑んだ。僕たちはそれに何も言葉を返せない。人類とはまったく異なる存在に、純粋で真っ直ぐな好意を伝えられて、言葉を紡げる人間は世界にそう多くないだろう。
そうこうしているうちに注文した料理を店員が運んできた。配膳をして店員が去ったあと、深蔓さんがにっこりと笑う。
「せめてここの食事は私がお金を払わせてください。こう見えても部長ですから、それなりには裕福なんですよ」
「……分かりました。ご馳走になります」
ただそれでも――相手からの厚意を無下にするのはとても失礼だ。ここは深蔓さんの申し出に甘えよう。
「いただきます」
僕はそう言ってからハンバーグを食べ始めた。
いつの間にか眠っていたトラゾーの鼻がピスと鳴った。
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