第8話 過去①

 これは、とある者が中学校に入学して間もない頃の話。


「ママ、涼真さんがきてる。涼真さんがきてるよ。あにきのお部屋いってくる」

「はいはい。ノックはしなさいね」

「お菓子ある? ジュースある? 唯花が持ってく」

「もうお兄ちゃんが持っていったわよ」

「わかったー」

 遊び終わり、帰宅してすぐのこと。 

 間延びした返事をしたまま、パタパタと足音を響かせてリビングを出ていく唯花がいた。


 そんな制服姿の彼女がここに戻ってくるのは、たったの3分後のこと。


「母さん! コイツどうにかして! 勝手に部屋入ってきやがったって!」

「え、ええ……? ノックしなかったの?」

「ノックした瞬間に開けやがったんだよ。返事をする間もなく!」

「それはもう……ノックの意味がないわよね」

「そうなんだよ!」

「うー……」

 ずるずると妹の首根っこを引っ張ってきた兄の俊道と、ずるずる引っ張られながら、消沈したようにうなだれている唯花。

 脱力したような姿は捕らえられた猫のようである。


「てか、めちゃくちゃ勢いよくドア開けやがったもんだから、涼真の体にバチコンぶつかったって」

「ええっ!? それ大丈夫なの!?」

 肩をビクッとさせて声が裏返る母親。

 この家にきてもらっている以上——涼真は大切な預かりものなのだ。

 怪我をさせてしまうなんて、あってはならないこと。


「一応は『平気』って笑ってたから大丈夫だと思うけどさ。まあ、コイツの落ち込みようがその証拠」

「涼真さんそこいるの知らなかったの……」

「と、とにかくママも涼真さんの様子見に行くから! 唯花、あなたはそこで反省してなさい」


 そのやり取りからたった30分後のこと。


「母さん! コイツマジでどうにかして! 今度は勝手に虫カゴ置いていきやがったって! なんか変な匂いするって思ったらコレだよ!」

「変な匂いじゃない。クワガタムシ」

 またずるずると唯花を引っ張り、リビングに連れてくる俊道。

 もう見飽きた光景でもある。


「まったくもう……。勝手にお部屋を開けたらダメって言ってるでしょう?」

「だって唯花も遊びたい……。あにきだけズルい」

 ちょっかいをかける理由は誰しもにあることだろう。

 唯花の場合、どうにかして涼真の気を引こうとしているのだ。


「オレの友達なんだから、ズルいもなにもねえだろ」

「唯花も友達」

「今日はオレと遊ぶためにきてんだよ。はあ。母さん、とにかく見張っててくれ。あと30分もしたらモンスター狩れるから。そしたら仲間に入れるから」

「わかったわ」

「ゲーム見るだけでもいいのに……」

「お前はすぐ涼真の邪魔するだろうが」

 ビシッと言い切ってリビングのドアを閉めた俊道。ゲームのプレイ中なのだ。バタバタとした足音を立てて急ぐように部屋に戻っていく。


 そして、二人きりになった瞬間である。


「ね、ママ」

「なに?」

「唯花、お料理作れるようになりたい」

 ソファーの上にあるぬいぐるみを抱えながら、いきなりこう口にしたのだ。


「あら、随分といきなりじゃないの」

「さっきお部屋の中で涼真さんが話してた。『お料理作れる人かっこいいよね』って。だから教えて」

「なるほどねえ」

 子どもが料理に興味を持ってくれるというのは、親心としては嬉しいことであり、安心すること。

 でも——。


「今はまだダーメ」

「なんで」

「唯花に落ち着きがないからよ。落ち着きが出てきたらちゃんと教えるわ。もし一人暮らしをするってなった時には便利にもなるでしょうし」

「もう落ち着きあるよ」

「ノックをしてすぐにドアを開けるような人に落ち着きもなにもありません」

「……」

 いくらわんぱくな性格を持っていても、正論には黙るしかない。


「じゃあいつぐらいならいいの」

「唯花の場合、高校生になったくらいがちょうどいいかもしれないわね」

「長い……」

「お料理は刃物も火も使うから危ないの。最悪は指を縫わないといけないほどの怪我を負うし、火事になったら住む家がなくなるのよ?」

「ぁ……」

 詳細な説明を聞かされれば、尻込みもする。


「じゃあ今はなにをすればいい?」

「そうねえ。食材の選び方に栄養バランスのお勉強、お野菜の切り方にお魚の捌き方、調理器具の正しい洗い方、油の処理の仕方、味付けの方法。その他いろいろね」

「最初にそこをマスターすれば、お料理簡単になる?」

「ええ、必ず余裕が出るから上達はすぐよ」

「わかった」

 コク、と頷いて了承を示した。


「ママ、唯花は肉じゃが上手になりたい」

「それまたどうして?」

「涼真さんの好きな料理って聞いたことある」

「うーん。人に食べさせるってなったら、肉じゃがは結構難しい料理になるわよ? 煮崩れもあるし、味付けの好みに個人差があるし、出来不出来できふできがわかりやすいし」

「でも、作るの」

 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて。

 もう首が変な角度になっているほどキマっているが、それだけ強い覚悟があるのだろう。


「ふふ、わかったわ。じゃあ高校を卒業するまでには自信を持てるようにプランニングしていこうかしらね」

「んっ」

 そんな話をしたのが——6年も前のことである。

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