97、来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

 カチッ、カチッ。

 何度やっても上手く点かない。

 カチッ、カチッ、カチッ。

 少し点いたと思っても、すぐに消えてしまう。だから何度も何度もライターのレバーを押す。

「何してんの」

 声を掛けられて、顔を上げるともう夕陽は地平線に頭のてっぺんを残すばかりになっている。

「ああ、それ?」

 私の手元を見て合点した夫が、「貸してみ」とライターを受け取り、火を点ける。大きな手で風除けしながら着火すると、一発で火が点いた。

「やった!」

 声を上げると同時に、アパートの隣家のドアが開く。

「ちょっと、アンタ達何やってんの。こんなとこで火点けたら危ないでしょッ」

 隣人のブラジル人妻が言う。文化の違いを差引いても、至極尤もなご意見だ。アパートの建物から少し離れたアスファルトの上とはいえ、少し風も出てきた。

「すみません」

 頭を下げて、今点けたばかりの小さな欠片が燃え尽きるのを確認してから、大量に残ったおがらを掻き集めてすごすご自宅へ引上げる。

「こうして日本文化は廃れていくんだわ」

 夫相手にぼやいてみせる。冗談めかして言ったけれど、ほんとに泣きそうになる。

「公園も火気禁止だしなあ。海まで出るか」

 夫が言う。

「家の前でやらなきゃ意味ないじゃん。迎え火なんだから!」

 震える声に自分で驚く。親代わりに育ててくれた祖父の死に、自身で思っている以上に参っている。

 祖父の容態が急変したと連絡が入った時、私は間に合わなかった。

 すぐに仕事を切上げて早退したけれど、その日に限って電車が架線トラブルで運休したり、ようやくタクシーを捕まえても渋滞で遅々として進まず、走った方が早いとタクシーを降りたらどれ程も行かないうちに靴紐が切れた。

 ぼろぼろになってようやく病室に辿り着いた時には、「さっき息を引き取った」と先に到着していた夫が残念そうに言った。

「きっと孫娘にかなしい場面を見せたくなかったんだよ」

 夫はそう言って慰めてくれたけれど、私はただただ間に合わなかったことを悔いた。どれだけ後悔したって、もう取り戻せない。

 だからせめて初盆の迎え火で祖父の帰りを待ちたかったのに。

「そもそもおじいさんって迎え火とかやってたの? あんまりお盆とかまめに準備するイメージないけど」

「うるさい、もやしっ子!」

 一喝する。

「うわ、ひどっ」と夫は眉尻を下げる。

 背が高くて細身の夫のことを、祖父は「もやしっ子」と呼んだ。

 初めて紹介した時には、「こんなひょろひょろした優男やさおとこに大事な孫娘を任せられるのか」と詰め寄っていた。

「俺より飲めたら認めてやる」と言って、私が止めるのも聞かず、二人で夜通し酒を交わして、上戸の夫に祖父は完敗してべろべろになっていた。飲みながらどんな会話があったのか、以来「もやしっ子」と呼びながら祖父は夫をかわいがり信頼しているようだった。

 かといって、最期に孫娘の到着を待たなかったのはひどいよ。

 間に合った夫が、祖父に新しい命を授かったことを伝えてくれたけれど。それだけは良かった。と思う一方で、それを伝えて安心したせいで祖父はぽっくり逝ってしまったんじゃないか、なんてちらと考えたりする私はほんと性格が悪い。

「でもまじで、おじいさんはしんみりしたお盆より、祭りとか花火大会って感じだったじゃん。迎え火の代わりに海で花火ってのもありじゃない?」

 夫が言う。

 確かに、祖父は祭りや花火大会や海やテーマパークなんかによく連れて行ってくれた。派手好きな祖父らしいと思っていたけれど、今となっては幼い孫娘を楽しませるためだったのかもしれない。けど実際、迎え火よりも、花火の方が祖父と私には合っている気がする。

「分かった。でも、どうせやるなら派手にやろう」

 老眼の祖父が遠くからでもすぐに見つけられるように。

「よし。じゃあ花火買いに行くか」

「四尺玉を打ち上げよう」

「よっしゃ。……って、四尺玉って世界最大級のやつじゃん。消防と自治体に届出と、そもそも資格のある花火師に頼まないとだめだって」

 スマホ検索した夫が情けない声を上げる。

「気合いが足りないぞ、もやしっ子!」

 前向きに検索を続ける夫の背中をばしんと叩き、近所のスーパーへ向かう。売場で家庭用打上げ花火を買い込む。そのまま夫が海まで車を走らせてくれる。

 遅い時間のせいか到着した海岸は閑散としている。岩場の方は煙が上がってひと気がありそうだったので、離れた場所に位置取る。障害物もなく遥か沖まで見通せるくらい視界が広い。

 バケツいっぱいに海水を汲んで、打上げ花火を並べる。

 私を少し離れた安全な場所に立たせて、夫が導火線に火を点ける。

 慌ててこっちに駆けてくる途中で砂に足を取られて派手に転ぶ。眼鏡まで砂だらけで、二人して笑う。

 ドン!

 想像よりも派手な花火が打ち上がる。

 ドン!

 ドン!

 ドン!

 砂を払った夫が私の隣に立つ。触れた手を繋ぐ。火の粉から庇うようにそっと私の位置と代わる。

「もやしっ子。お前は一つだけ俺に似ているところがある」

 最期に祖父は夫に言ったそうだ。確かに夫は祖父に似ている。私は、私のことを一番大事にしてくれる愛しい人の大きくて温かい手をぎゅっと握り返す。

 ドン!

 ドン!

 ドン!

 おじいちゃん。この人とお腹の子と、私しあわせになるからね。おじいちゃんが与えてくれたのと同じくらいに。きっと見ていてね。

 ドーン!

 一際大きな花火が上がり、海上に反射して一面を明るく照らした。

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