77、瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ

「また会おうね」

 彼女は言った。

「うん、またね」

 私は答えた。

 けれど、実際は互いにまた会おうなんて考えてもいなかった。私たちは罪を共有しているから。

 なのに、私たちは再会した。罪を犯すほど馬鹿だからだ。

 校舎建替えに伴って、タイムカプセル開封の時期が早まったと連絡があり、のこのこやって来てしまった。こんな機会でもないと、もう小学校を訪ねることなんてないと思ったから。

 正門を入るとすぐに、自分たちの罪がまだ消えていないことを知った。

 校舎脇の蘇鉄の木の下に人が集まっている。その輪に加わると、たまたま隣に立つのが彼女だった。彼女は私立中学へ進学したから、会うのは四年ぶりだった。高校生になった彼女はうっすらメイクまでしていたけれど、切れ長の目は変わらない。相変わらず警戒心の強い猫みたいな雰囲気だ。

「……見た?」

「……見た」

 それだけで十分だった。

 小学六年のあの日、私たちは完成したばかりの校長先生の胸像を壊した。「百万円する」と噂されていた像を壊して、私たちは恐れ慄いた。

 誰が壊したのかと学級会でも全校集会でも問われたが、私たちは口を割らなかった。そのせいで、犯人不明のまま連帯責任として全員でグラウンド十周を走らされ、ますます言い出せなくなった。

「私、美術部に入ったんだ」

「へえ。私は国立大の法学部目指すから、相変わらず勉強だよ」

 簡単に近況報告しながら、二人で人の輪から抜ける。

 移動して、胸像の前に立つ。皆、タイムカプセルに夢中で、こちらに見向きもしない。私はリュックを下ろして、鞄から粘土を出した。

 折れた校長の人差指を象っていく。

「器用だね」

「美術部だから」

「なるほど。では、法曹志望者から言わせてもらうと、器物損壊の時効は三年です」

「なんだ、もう時効じゃん」

「が、加害者不明の場合は、不法行為の時から二十年」

「ひょえー、二十年?! 長いな」

 止めかけた手を、また動かす。人に見つかる前にさっさと片を付けなくては。

 四年前、結局犯人不明のまま事件は迷宮入りとなった。

 日頃真面目な私たちは疑われることさえなかった。代わりに、日頃よりやんちゃでいたずらばかりしていた男子が嫌疑を掛けられて、こってり聴取され半べそで校長室から出てきたのは、未だに申し訳ない。

「できた」

 作業を終えて、胸像を眺める。うむ、粘土で足したとは思えないくらい、付け足した指は像に馴染んでいる。一週間は晴天が続くようだから、それなりにしっかり固まるだろう。

「うそ、ちょっと何してんの。馬鹿じゃない」

 隣に立つ彼女が、私の手によって修復された像を見て言う。言葉とは裏腹に、その声は笑いを含んでいる。

「やー、興が乗っちゃって。時効二十年だって言うし、この方が映えるじゃん?」

「信じらんない。ふふふ」

 口では反対しながらも、彼女も修復し直す気はないようだ。

 校長先生の像は、もともと右手の指を一本立てていた。一番を目指しましょうという意味だとか、誰でも世界に一つだけの花だとか、はたまた校長先生が大きな賞を取った研究に関する数字だとか、色々噂された。たぶん全校集会の時に説明されたと思うけど、誰も覚えていやしなかった。胸像のくせに右腕まで作って追加料金が掛かったに違いないと噂されただけだ。

 正門から講堂へ抜ける目立たない場所に設置された像は、すぐに皆から忘れ去られた。小学生は忙しいのだ。

 ひっそりとしたその場所は、私と彼女の休憩時間の遊び場所だった。私たちだけが、その像を歓迎した。校長先生の指に縄の一端を掛ける。今まで二人きりだとできなかった遊びが、校長先生のお蔭でできるのだ。大縄跳びをしようと、もう一端を私が持つ。彼女が縄の中央で膝を屈める。「せーの」で縄を持つ腕を大きく回した。縄は一周もせずにあらぬ方向へ飛んでいった。校長先生の人差指とともに。

 その指を四年ぶりに復元した。せっかくだからピースサインにしておいた。彼女には大受けしたようでよかった。

 蘇鉄の木の方で歓声が上がる。タイムカプセルが掘り出されたらしい。

「さあ、戻ろうか」

「待って。これ」

 私はポケットから取り出して、彼女の目の前に差し出す。

「わ、まだ持ってたの」

 差し出された校長先生の人差指に、彼女が目を丸くする。

 二人で、人差指を校長先生の胸像の下に埋めた。新しいタイムカプセルだ。

 土をならして、蘇鉄の下の輪に戻る。出てきたタイムカプセルに、胸像のことは一言も書かれていなかった。集合写真を撮った後、ファミレスでちょっとした同窓会をして、解散した。誰一人、校長のピースサインには気付きもしなかった。

「また会おうね」

 彼女が言った。

「うん、またね」

 私は答えた。

 同級生の他の誰とももう会うことはないかもしれないけれど、彼女とは必ずまた会う。私たちは罪を共有しているから。

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