26、小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ

 突然知らない人が来て、無理矢理ボクを連れて行こうとする。

「いやだ! いやだ!」

 必死で抵抗するも、ボクの意見などまったく聞き入れられない。ボクが小さな体で暴れてもお構いなしに車に押し込もうとする。

「いやだ! やめて! ボクはここでミユキちゃんを待っているんだ!」

 大声で訴える。ボクはこの場所を離れるわけには行かないのだ。


 パパの車でドライブしたんだ。家族で出掛けるのは久々で、窓の隙間から鼻を出して新緑の空気をたっぷり吸った。

 ひと気のない山中で車は止まった。ボクとミユキちゃんは車から降りた。ここを散歩するのはすごく気持ち良さそうだ。そう思っていたのに、少し行ったところでミユキちゃんは急に踵を返して車まで走った。ボクは一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに反応した。かけっこだね! ミユキちゃんのあとを追った。ミユキちゃんはもう五年生で昔よりずいぶん足が速くなったけれど、それでもボクの方が早い。先に車に着いて振り返ると、ミユキちゃんはかなしそうな顔をした。

 それでまた二人で車から離れた場所まで歩いた。さっきより遠くまで。

 外灯の下まで来ると、ミユキちゃんがくるりと回れ右して車まで戻り始めた。だからボクもそれを追いかけようとした。

「だめ!」

 ミユキちゃんが言った。ボクはぴたりと立ち止まる。

「待て! タイヨウは、そこで待ってて。動いちゃだめ」

 いつもより声を張り上げてるせいか、その声は震えていた。大丈夫、ボクちゃんと待ってるよ。しっぽをぶんぶん振って返事すると、ミユキちゃんの顔がくしゃりと歪んだ。泣かないで。一歩踏み出そうとしたボクに、ミユキちゃんが言う。

「タイヨウ、待て! タイヨウは、そこで待ってて。……またね」

 そう言ってミユキちゃんは車に乗り込んで、まだボクが乗っていないのに行ってしまった。おやつを持ってくるのを忘れたから買いに行ったのかもしれない。時々スーパーの前でミユキちゃん達が買い物を済ませて出てくるのを待つ時みたいに、ボクは待つことにした。

 それからずっとミユキちゃんが戻ってくるのを待っている。戻ってきた時に、ボクがいなければきっとミユキちゃんは泣いちゃうから。


 なのに、ボクは無力で知らない人の車に乗せられて、山を下りてしまった。

 連れて行かれた部屋にはたくさんの檻があってたくさんの犬がいた。そこでボクはごはんを食べさせてもらって、風呂に入れられた。

 しばらくして、また知らない人の家に連れて行かれた。ボクはそこで「タイヨウ」じゃない名前を付けられた。たくさんごはんを貰って、たくさん散歩に連れていってもらって、毎晩一緒の布団に入れてもらった。ボクは幸せになってしまった。けど、ミユキちゃんのこと忘れたことはないよ。

 ごめんね、ミユキちゃん。約束したのに、あの場所で待っていなくてごめん。また泣いてるかもしれない。涙を舐めてあげられなくてごめん。体をくっつけてあげられなくてごめん。ミユキちゃんと一緒じゃないのに、幸せと思ってごめん。

「あら、ショコラ寝ちゃったみたい」

 新しいおかあさんとおとうさんが優しくボクの体を撫でる。二人の間ですやすや眠る。けど、ミユキちゃんのこと忘れてない。ちゃんと待てできなくて、ごめん。夢の中、あの場所でボクはずっとミユキちゃんを待っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る