91、きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む

 寒い。

 吹雪を逃れて、なんとか見つけた山小屋に避難した。朝までしのげば、悪天候も収まり下山できるはずだ。

 とはいえ、寒い。

 小屋の隅に積んであった筵や襤褸布を手当たり次第に掻き集めて身を包むも、甲斐がない。風を避けれるというだけで、小屋の中も氷点下の寒さである。

 巳之吉は身じろぎした。

 もう父に甘える齢でもないが、背に腹は変えられぬ。隣で眠る父の寝床に潜り込み少しでも暖を取ろうと考えた。

 しかし、そっと振り返った巳之吉はひゅっと息を詰めた。

 隣で眠る父の体の上に、何者かが跨っている。

 女だ。

 巳之吉は混乱する頭で考えた。自分も来年には若者組に入る年齢だ。男女のことは知っておる。一瞬そういうものかと想像した。巳之吉がうとうとしてる間に、父がどこぞの女を連れ込んだのかと。

 しかし、女の長い黒髪の隙間から覗く父の顔は、苦しげに歪んでいる。はあはあと息が漏れる。女の緩んだ襟元からは、人間とは思えぬ白い肌が覗く。

「お前、雪女だな!」

 ばっと立ち上がり、巳之吉は女に対峙した。

 女が父の上から身を起こす。

 少し驚いた顔をしてから、にたりと赤い唇の口角を吊り上げた。

「いかにも」

 白い着物の前を合わせて、巳之吉の方へ振り返る。

「おっとうを連れていかんでくれ。たった二人きりの親子なんだ」

 巳之吉が訴えると、女はふっと笑った。

「私は何もしませんよ。あなた方が勝手にここへ入ってきたのでしょう?」

「今、口から冷気を吐いておったろう」

 父は固く目を閉じたまま動かない。

 女が細い指でつんと父の体を突く。「あら本当、動かない」とくすくす笑う。

「化け物め」

 巳之吉が声を震わせる。

「ふふ、かわいい」

 女が巳之吉に向かって手を伸ばす。さっとそれをかわす。

「冷気なんて出ないわよ。お父さんを暖めてあげていたのよ。確かに熱いものを冷ます時にはふうふう息を吹きかけるけれど、凍えた手を温める時にははあはあ吐息を掛けるでしょう?」

 そう言いながら、するりと伸ばした手が巳之吉の体を捕える。女の腕が巳之吉の体に巻きつく。

「忘れなさい。あなたは今夜なにも見なかったのよ。これは夢。暖めてあげるからぐっすりお休み」

 耳元で聞きながら、いつの間にか意識を失っていた。


 朝になると、山小屋に女の姿はなかった。

 吹雪はすっかり収まり、太陽が射している。

「一人でぐっすり寝ておったな」

 すでに起床していた父が、何もなかったようにかっと笑う。

 渡された温かい握り飯を頬張って腹拵えする。かじかんだ体に染み渡り、ぼーっとしていた頭が覚める。夢だったのだ。父とともに無事に山を下りた。

 しばらくして父が連れてきた新しい母は、あの時の女にどこか似ている気がした。

 しかし、白い肌は野良仕事をするうちに日に灼けて黒くなり、その手もひやりとした感じはなくただ温かい。新しい母は献身的に父に尽くし、巳之吉を可愛がった。

 夢だったのだ。

 ぼんやりとその後ろ姿を眺める。ふいに母が振り返り、巳之吉と目が合うと赤い唇の端を吊り上げてにこりと笑った。

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