90、見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず

 しとしとしと。

 雨はずっと降り続いている。

 どれくらいの間降っているのかも分からない。僕は閉め切ったカーテンの内側で耳を塞ぐ。

 もうニュース番組で取り上げられることさえない。

 はじめはただの長雨だった。

 いっこうにやまない雨。とくに外出を要しない僕は、濡れることを厭い、部屋に籠もった。いつか雨はやんで日が射すものと信じて疑わず。

 しかし、雨は収まるどころか、ほんのり色付き始めた。赤い。

 当初、酸化した鉄分が含まれているせいではないかなど推測されたが、サンプル調査の結果、pHはじめ様々な数値に異状は見られないという。

 それでも人々は赤い雨を避けた。外出を控え、学校や仕事や用事で出なければならない時には傘を差し、レインコートや長靴、ゴム手袋などに身を包んだ。

 けれど、そんな非日常は長くは続かないもので、「人体に害なし」の調査結果が出てから徐々に、人々はゴム手袋を外し、レインコートと長靴を脱ぎ、ついには傘さえ差さなくなった。

 しとしとしと。

 まるで雨が赤いことなんてすっかり忘れたみたいに。

 しとしとしと。

 道行く人々は赤い雨に染められる。白いシャツは赤く染まり、靴も髪も肌さえも。気付いていないのだろうか、自分が赤いことに。テレビに映るのも赤い世界ばかりになり、しかも誰も異を唱えない。恐ろしくなって、テレビもネットも全部見ないようになった。

 カーテンの隙間からそっと往来を見下ろす。赤い。道も建物も人も何もかも。眼前の路地を歩く小学生、赤いランドセル、赤いワンピース、赤い靴、肌。

 ふいに顔を上げた少女と目が合った。

 白目が赤く染まっている。

 少女は赤い唇をにこっと開いた。

「はやく、はやく、でておいで」

 口を大きく動かす。ここまで声は届かないが、唇の動きがはっきりそう言っている。

 視線をずらすと、赤いサラリーマンも赤い老婆も赤い配達員も、皆がこちらを見上げている。

「はやく、はやく、でておいで」

「あかくなければ、たすからないよ」

 助かる? 一体何から?

 彼らは皆一様に僕を気遣う表情をしていた。異端の僕を、救ってやろうと。今やこの世界では彼らが「ふつう」で、僕が「異常」なのだ。

 分からない。果たして彼らは正気なのか。何が正しくて、何がおかしいのか。

 雨が降り始めてから、僕はもう十年間も部屋から出ていない。赤い目から逃れるように、白いカーテンを閉め切る。白い部屋の中、白い布団に包まって、小さな白い世界でたったひとり身を震わせる。

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