22、吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ

 彼女が入ってくると、教室がしんとなる。一瞬の静寂のあと、また何事もなかったみたいにあちこちでざわざわと雑談が始まる。彼女はずっと俯いたままだ。もごもごと小さく口を動かすけれど、何を言っているのだか全然聞こえない。聞こえないけれど、分かってる。ずっとこうだから。

 毎朝教室に入る時に「おはよう!」と彼女は元気に挨拶する。入口近くの席の奴らや、彼女と仲のいいグループの女子がおはようと返事する。

 それが、ある日突然ふつりと誰も返事をしなくなった。女子同士のことだから、僕には何があったのかまるで分からない。

 ただ、彼女が「おはよう」と言っても、誰も反応しなくなった。彼女は粘り強く毎日毎日挨拶したけれど、一瞬教室がしんとするだけで、誰の返事もないまま、すぐにまた何事もなかったように時が進む。誰にも彼女なんて見えていないみたいに。

 それでも彼女は毎朝「おはよう」と言って扉を開けたけれど、その声は日に日に小さく萎れていった。数ヶ月のうちにそれがうちのクラスの当たり前の光景になって、それは彼女が死んだ今も変わらない。

 彼女は自分が死んだことを分かっているのかいないのか、今も毎朝登校してくる。そして、彼女が教室に入った瞬間、一瞬だけしんとなり、すぐにいつもの日常に戻る。

 それは彼女が生きていた時とまるで同じ感じなので、クラスの皆にも彼女が見えているのか、それとも見えてはいないのか、僕には分からない。ただ、僕には彼女が見えている。見えているのに、見えないふりをしている。ずっと彼女の「おはよう」が聞こえていたのに、一度も返事しなかった。

 彼女は毎朝教室に入ってくる。小さく口を動かす。僕の席まで届いていた「おはよう」は、今はもう聞こえないくらい小さくなってしまった。僕は彼女に挨拶する機会を永遠に逃してしまったのだ。だからただ遠い席から彼女を眺める。クラスの皆に向けてもごもご動く唇、もしかしたら挨拶ではないのかもしれない。呪いの言葉を吐いているのかもしれない。

 彼女の声は聞こえない。けれど、ここから彼女はよく見える。

 在りし日に「おはよう!」と教室に飛び込んできた眩しい笑顔は、次第に引き攣った笑顔になり、怯えた瞳になり、白い無表情に変わっていった。そして今。俯いた髪の間からわずかに覗く表情、その瞳は赤く憎悪に燃えている。

 消え入る挨拶と裏腹に、日毎に増していくその憎悪。いつかそれが爆発するとどうなってしまうのだろうか。そう思うだけで何もできない。ただ、彼女がこのクラスをめちゃくちゃに壊してくれればいいのに。教室の隅の席で、ぼんやりそう思うだけだ。

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