20、わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ

 なんで。

 あの人は、こんなところまで追いかけてくる。もう来ないでって言ってるのに。どこまでも、あたしを追ってくる。 

 扉一枚隔てたすぐそこに、あの人がいる。「会いたい」と言う。「会わない」と答える。なのに、彼はそこから立ち去ってくれない。もう会えないなんてことは、あの人がいちばん分かっているはずなのに。あたしはもう死んじゃったんだから。

「一目だけでも会いたい」扉の向こうで彼が言う。「伝えたい言葉がある」熱のこもった声。きっと「ありがとう」とか「愛してる」とかそんな台詞だ。生きているうちに言ってくれればよかったのに。そう思うけれど、それはお互い様だ。突然の事故でなんの準備もできなかったから、あたしこそ彼に伝えられなかったことがたくさんある。前日に冷蔵庫のあたしのおやつを勝手に食べたとかくだらないことで喧嘩したことも後悔している。けれどもう仕方ないんだ。

 たぶんそういうのも全部ひっくるめて「生きる」ってことで、その後悔さえ互いを想うよすがの一つなんだ。

 あなたがあたしのことを想っているのはもう十分伝わっている。毎日祭壇に手を合わせてくれているし、好物の桃を供えてくれる。それに、こんな場所まであたしを追ってきて。もう十分だ。

 早く帰って。

「会えない」って答えるたびに、苦しくなるから。その言葉を、あなたを拒絶するものだと受け留められやしないか。嫌ってるって勘違いしやしないかって、不安になる。ことばを重ねるごとに、愛想を尽かされやしないかと怖くなる。

 あたしだって彼に会いたい。

 けれど、こちらへ来てみて、肉体をもった「生」がいかに特別であるかをいっそう実感している。その素晴らしいものを彼には目いっぱい享受してもらいたい。どうせいつかはこちらで会えるのだから。その時まであたしはずっと待っているから。

 帰って。

 いつまでもここにいると、鬼に捕えられてしまう。

「追いかけるから、先に行って。あたしはこちらの世界のものを口にしたから、それを吐いてからでないと戻れない」

 彼を帰すために嘘を吐き、罪を重ねる。

 彼は渋々納得して、地上へ踵を返す。振り返った時にあたしがいなければ、彼は怒るだろうか、悲しむだろうか、ついに嫌われてしまうだろうか。それでも構わない。

 じっと耳を澄ませて、扉の向こうで彼の足音が小さくなっていくのをいつまでもいつまでも聞いていた。

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