19、難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや

 時間がない。

 何としてもあの人を見つけなければならないのに、私に与えられた時間はわずかしかない。

 魔女の力で、私の尾鰭はみごとに人間の脚になった。これであの人を探しに地上に出ることができる。なのに、深海の魔法は短い時間で効果が切れてしまう。その間に願いを成就しなければ、私は海の泡となって消えてしまうのだという。まるで悪魔の契約だ。けれど、そうまでして会いたい人がいるのだ。

 陸に上がってすぐにあの人を探しに行こうとした。けれど、突然生えた二本の脚は思うように動かない。砂浜で何度も立ち上がっては転んだ。焦燥感で頭がどうかしてしまいそうだが、強いて落ち着き、歩けるようになるため慎重にバランスを体に覚えこませた。

 何とか歩けるようになるまでに半日近くかかってしまった。けれど、絶望している暇はない。ふらふらする体で浜辺を進む。

 当てなどない。

 彼を見たのは、満月の夜だった。私は岩礁に上がり歌をうたっていた。雲ひとつない海上は月光に明るく照らされる。

 遠くに一隻の舟が見えた。長い支柱にごく細いロープが架けられている。私は歌うのをやめて、そっと様子を見守った。はじめて見る人間だった。

 両親からは「人間に近付いてはいけない」と幼い頃より厳しく言われていた。かなしい昔話も聞かされたけれど、話半分にしか聞いていなかった。いま、月明かりの下で人間の男に出会い、それが遠い夢物語ではないことを知った。

 以来、寝ても醒めてもずっとあの人のことを考えていた私は、次の満月の夜に魔法で得た脚で彼に会いに行くことにしたのだ。両親にも誰にも相談しなかった。きっと心配すると思ったから。

 なのに、彼は見つからない。

 海を自在に泳いでいた時と比べて、海岸線は永遠とも感じられるほど果てしない。覚束ない足元だとなおさら。これでは運命を成就する前に、泡となって消えてしまう。何も成し遂げぬまま。

 道の先に明かりが見える。ずいぶん夜も遅い時間なのに、一軒ぽつんと灯が点っている。光を求める夜蛾のように、ふらふらとその店のドアを開けた。

 飲み屋のようで、こんな時間なのに店内は騒がしい。「女の子が来た」と顔を赤くした酔っ払いたちが振り返る。たくさんの人間。あの人がいないか、さっと店内を見回すも見つからない。

「お嬢さん、一緒に飲もう。酒でも肴でもご馳走してやろう」

 気のいい海の男たちが言う。

 彼らに促されて席に着いた私は、すぐにもうあの人を探す必要がなくなったことを悟る。あの人は特別ではなかったのだ。

 満月の夜、彼は長い釣竿で捕えた魚を舟の上で捌いて食べていた。その魚は私の幼馴染で将来を誓った相手だった。

 そして今、人間が魚を食べるのを知り、昔話が真実だったと知った。店内の卓の上にはいずれも無惨に披かれた仲間達のむくろが並べられている。なんとむごいことを。かつて人間は「不老長寿になれる」と信じて人魚の肉を食らったという。半分は同じ姿をしているのだ、そんなまさかと一笑していたが、この光景を見て納得した。深夜ニュースは他国での戦争の様子を報じていた。

 復讐の相手は「あの人」ではなく「人間」なのだと知った。

 人間を消す。それが私の願い。

 私には時間がない。人魚の歌声はひとを狂わせる。にこりと微笑みかけると、目の前の男たちはだらしなく目尻を下げる。店内は十数人といったところ、手始めに彼らにさよならすることにした。

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