13、筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる
――ぽちゃん。
「あー、田中くん今なに投げたの」
クラスメイトの吉沢が隣に並ぶ。放課後一人で学校を出た。誰もいないと思っていたのに、いつの間について来たのだか。
「なんでもないよ」
舌打ちを噛み殺し、ぶっきらぼうに返事する。が、彼女は気にする様子もなく柵に身を乗り出す。すでに波紋は消えている。
「なに投げたの?」
「……石だよ」
正直に答える。
ふうん、と口を尖らせながら吉沢は柵の向こうに目を凝らす。
「くさいね」
何も見つけられなかった彼女は、そんな感想を述べた。
「ああ」
俺も並んで沼を見つめながら相槌を打つ。確かに、くさい。ここはあまり人通りもない奥まった場所にあるから、どこの町会の清掃範囲からも外れているようで、沼の周辺には投棄されたゴミが溜まっている。沼もそこが見えないくらいどろどろと薄汚い。誰もこの沼に生物がいるとは思わない。
「行こうぜ」
促すと、嬉しそうについてきて、二人で駄菓子屋でアイスを半分こして食べて別れた。
次の日も、誘ってもいないのに吉沢はついてきた。
――ぽちゃん。
「なあんだ。ほんとに石投げてるだけなんだね」
手摺に凭れる彼女を無視して、じっと小石の行方を追う。沼のいっとう深い場所、他より水の色が暗くなっているその場所に向かって、石を投げる。
毎日。毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。小学校に上がりたてのあの日から、沼の前を通る時には欠かさず投げ込んでいる。十年近くも。数え切れないくらいの石があそこに沈んでいるはずだ。なのにいっこう底は見えない。だから、もっともっともっと石を積まねばならない。けっして浮かんでこないように。
「ねえ、もう行こ」
勝手に行けばいいのに、いちいち甘い声を出す。うるさい。この調子で毎日ついてこられたら迷惑だ。俺は、誰にも知られたくないのに。
「ねえってば」
しつこさに、思わず声を荒げる。
「うざい。もうついてくんな」
自分が思った以上の低い声が出た。吉沢は赤い目を向け、何か言い掛けたが唇をぎゅっと結んでばたばた走り去って行った。
以来、教室でも話し掛けてこないし、放課後もついて来ない。それでいい。沼に沈むこともない。
――ぽちゃん。
一人、沼に石を投げる。毎日、毎日。一体いつまで続ければいいのか。分からない。けれど、恐ろしくてやめることなどできない。
幼いあの日、沼から出てきた「何か」が野良猫を呑みこむのを見た。猫を取り込んだ「それ」は一回り大きくなり、今度は呆然と様子を眺めていた幼い少年に襲い掛かってきた。咄嗟に掴んだ石を投げつけると、「それ」が一瞬怯んだ隙に逃げ出した。翌日、近所の小柄なおばあさんが行方不明になった。きっと「あれ」が呑みこんだのだ。少年は正義の心で沼に石を投げ込んだ。「あれ」が消えた、いっとう深い淵に向かって。
以来、近所でおかしな事件はなく、俺は石を投げるのをやめられずにいる。
あれは、幼い子どもが見た
昔から汚い沼だが、以前はいくらか魚が泳いでいるのが見えた。それがいつの間にか一匹も見当たらない。もしも「あれ」が喰らったのだとしたら、いまやどれくらいの大きさになっているのか。
そう考えるとやめることなどできない。
俺は沼に石を投げる。毎日。毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。いっこう底は見えない。代わりに、恐怖心だけがどんどん膨らんでいく。
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