2、春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
青空に白い入道雲が浮かぶ。はたはたと洗いたての真っ白なシーツがはためいている。
私はそれを見ながら、ぼんやりと先日キャンセルしたウエディングドレスのことを思っていた。
八年付き合って婚約までした男が消えたのだった。三十半ばでちょっともう今から恋愛とか考えられないし、次に白い衣装を着るのは葬式の時かもしれないなあ。なんて考える。
うそ。本当は何も考えていない。
ミーンミンミンミンミンミンミンミー。どこかで蝉が鳴いている。うるさい。ベランダの手摺に載せた腕はじりじりと日に焼けるが、もうどれだけ黒くなったって構わない。湿度も妙に高くて息苦しい。じっと立っているだけなのに、止まらない汗でシャツも短パンもびしょびしょだ。このままタクシーに乗ったら「その女が消えたあとのシートは濡れていました」なんて怪談になるかもしれない。
「呪いのウエディングドレス」
ふと思い出した。ドレス試着の時に、元新郎がぼそりと言った。なぜそんなことを言ったのか。聞き返したけれど、無意識だったのか自分の発言も覚えていないようだった。折角決めたドレスにケチをつけられて、その日私は不機嫌なまま彼の家に泊まらなかった。
その翌日から、連絡が取れなくなった。
だから、式場からの連絡で呼び出された時も仕事帰りに一人で出向いた。
「別のドレスをお選びください」
ウェディングプランナーが申し訳なさそうに頭を下げる。責任者まで同席している。昨日選んだドレスは本来貸し出ししていないもので、昨日なぜかたまたまそこに置かれていたのだと。
しかし、私はあのドレスが気に入ったのだ。三時間掛けて何着ものドレスを試着したが、どれもしっくりこなかった。あのドレスに袖を通すまでは。是が非でもあのドレスでないと嫌だ。その時まだ式を挙げるつもりでいた私は頑なに訴えた。
一切妥協する様子のない私に、ついに責任者が口を開いた。あれは「呪いのドレス」なのだと。半信半疑で話を聞く。ちょうど西日が射して部屋が真っ赤に染まる中、あのドレスだけが純白に輝いていた。
彼に相談してから決めますと言ってその日は式場をあとにしたけれど、結局その後も彼と連絡はつかず、結婚式自体をキャンセルすることになった。
義両親や友人知人に連絡して回ったが、誰も行方を知らない。どこぞの女と駆け落ちでもしたのだろうと、無責任に噂する人もいる。遠くの街で彼を見掛けたという人もいた。隣に色白の髪の長い女を連れていたと。
なんとなく、その女はあの白いドレスがよく似合いそうだと思った。
だから。私以外の女がけっしてあのドレスを着ないよう、また新郎を消さねばならない。
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