嘘と狼2

「バカなガキが! 商品を縛る縄に失せ物防止の魔法を掛けてあるに決まってるだろうがよ」


「――――っ!」


 次の瞬間、前髪の付け根に鈍い痛みが走る。

 少し遅れて、私を見つけた人買い共が、私の前髪を後ろから掴んで引き倒したのだと把握した。


「ひっひっひ。逃げられると思ったかよ」


 舌舐めずりをしながら私の体に覆い被さってきた男からは、生臭い体臭とは別に鉄臭い匂いがした。


模様付きプドルは魔法を使えないだけで、魔力がないわけじゃねえ。魔法を仕込んだ縄で縛るだけで持ち主に勝手に居場所を教えてくれるってわけだ!」


「大人を舐めるんじゃねえぞガキが。舐めて良いのは女の肌と塩だけってなぁ! がはは」


 私の覆い被さっていた男から頬をべろりと舐められて全身に鳥肌が立つ。

 思いきり体を捻り、足をばたつかせてみたけれど男はビクともしない。

 バカ共だと思って侮りすぎた。こんな魔法があるなんて……。逃げてからさっさと縄を解いて捨てちまえばよかった。


「クソ! 離せよ」


 悪態をついて凄んでみるが、ヤツらは意に介していないようだった。そのまま私に跨がっている男が自分の腰紐に手を掛ける。


「ひっひっひ。大人しく口と股を開いてりゃすぐに済むからよぉ」


 悪あがきだと知りながらも地面の上でもがくと、もう一人の男が私の肩を上から抑えつけてきた。

 クソ。私が模様付きプドルじゃなければ魔法でこいつらを殺してやれたのに。

 目を閉じて湧き上がってくる涙を抑える。父もこいつらも、下衆なやつは女が泣いて「やめて」と叫ぶと喜びやがる。喜ばせてなんかやるもんか。

 睨み付けて唾を男の顔に吐きつきけてやった。


「クソガキが! 大人しくさせてやるよ」


 平手が頬をぶって、カッと熱を持つ。思いきり叩かれたからか、目の裏がチカチカするけれど私は体をまさぐろうとする男を睨むのをやめない。

 舌打ちをした男が、もう一度手を振りかぶった。


「濃い魔力の匂いがすると思ってきてみれば……俺の領域で何をしている」


 冷たく、よく通る声がすぐ近くで聞こえた。

 あいつらの仲間か? そう思ったけれどすぐに違うとわかった。私に覆い被さっていた男が慌てて腰紐を結んで、地面に落ちていた短剣に手を掛けているし、肩を抑えている方の男も鋭い目付きで辺りを睨み付けている。


祝福ギフト持ちの娘か」


 月明かりは生い茂った森の木々に遮られてこの森にはあまり落ちて来ない。そんな闇の中、少し離れた場所で闇よりも更に暗い影がぼんやりと形を結びはじめた。

 どうっと吹き抜けた風が木々を優しく撫でて、私が一瞬目を瞑った隙に現れたのは狼の頭をした男だった。

 漆黒の毛皮に包まれた細長い鼻先、天に向かって伸びている大きな三角の耳……それに、少し開いている口からは鋭い牙がチラチラと見えている。人狼ワーウルフという単語が脳裏に浮かんで、血の気が引いていく。

 この下卑た男どもと一緒に私はこの化け物に殺されてしまうのか……。


「俺を人狼ワーウルフなんていうケダモノと一緒にしないでくれよ。あいつらよりも話は通じるつもりだ」


 私の考えを読んだかのように、狼頭の男は鋭い牙の並んでいる口を開いた。

 そいつが身に付けているゆったりとしたローブは風もないのにふわりとなびき、袖から見えている手も漆黒の毛皮で覆われている。

 森の木々の間からわずかに降り注ぐ月の光が、鋭く尖った黒い鉤爪を冷たく光らせていた。


「……何者だ」


 張り詰めた空気の中、アニキと呼ばれていた男が口を開いた。私を襲おうとしたバカよりも頭は回るらしい。

 助けを求めるべきか、それとも今のうちに逃げるべきかを決めかねていると、優雅な所作で前肢を顎に当てた狼頭と目が合った。


「俺のことをあんたたちは知っているはずだ。魔法使いを凍らせて食った化け物だって話していたろう? もっとも、俺はそんなことをしていないがな」


「オレたちの話を盗み聞きしてやがったのか……。クソ。ただでやられるつもりはねえぞ」


「まあ、待て。あんたたちが俺とやり合っても傷一つ付けられないだろう。死にたいのなら願いを叶えてやるが、そうではないのならこちらの話を聞いた方がいい」


「ああ?」


「アニキ……どうする?」


 二人の下衆共は顔を見合わせて、それからアニキと呼ばれている方が狼頭の目をみてゆっくりと首を縦に振った。

 人買い共と言っても、誰彼構わず殺そうとするほどバカではないらしい。クソ。いっそのことこの化け物に人買い共だけでも殺されればよかったのに。


「俺にその娘を売ってくれ。 金ならこれで足りるだろう」


「あえ?」


 人買い共の不幸を願っている間に、狼頭から信じられない言葉が聞こえてきた。

 間抜けな声を出した人買いの男たちを無視して、胸元をごそごそと探ったそいつは、掌に収まりそうな大きさの革袋を放り投げる。

 見た目よりも重そうな音を立てて地面に落ちた革袋は、その衝撃でわずかに開いた口から中身を数枚外へ吐き出した。


「き、金貨だよアニキ!」


「いいからさっさと拾え!」


 地面に散らばっている数枚の金貨を見て、私にのし掛かっていた男がアニキ分に怒鳴られて慌てて革袋を拾いに行く。

 自由になったからって逃げようとするほど私もバカじゃない。私を譲る対価として金貨を手に入れた男どもはそれこそ私を傷付けないだろうが、無我夢中で追いかけてくるはずだ。

 革袋を拾い上げた男どもがなにやら小声で話をしているが、私の状況はきっと変わらない。

 唯一のチャンスを逃したバカな小娘の行く末なんざ、今嬲られるのか、少し後で嬲られるかの違いくらいしかないんだろう。


「文句がないようなら、こいつを貰っていく」


 獣の癖によく磨かれた革のブーツを履いて、魔法使いみたいな長いローブを着た気取った化け物は、いつのまにか目の前に近付いてきて私を抱き上げた。

 あの爪の鋭さを思い出して体が強ばったけれど、どうやら爪が当たらないように気をつけてくれているらしい。

 人買い共に連れられて売りに出されるよりも、こいつに取り入った方がいいのか? と損得勘定をしていると、狼頭の足下へ縋るように男どもが近寄ってきた。


「旦那ぁ! ちょっと待ってくださいよ。人間の女をお探しでしたら、模様付きプドルなんかよりも良い女を連れてきやす」


「このガキは凶暴で口も悪くてやせっぽちだ。愛玩用ペットにするにゃあ不向きですぜ」


 人買い共は揉み手をしながら、そんなことを言いやがる。クソ。このまま引き渡されたらどんな目に遭うかわからない。狼頭の気をなんとか引くしかないか?

 何か言おうとした時、狼頭が口を開いた。


「俺はこの娘に用がある。金が更に必要なら勝手に持っていけ」


 狼頭は自分の前に立ち塞がった男共にさっきと同じくらいの大きさの革袋をもう一つ放り投げた。

 たった金貨二枚で売られた私に、こんな大枚をはたくなんてどんな目的だ? 人間の子供がいくらで売れるかなんて相場が知らないが、人買い共の反応を見るにこれは相場よりもずっとずっと高いに違いない。

 思わず口から出そうになる悪態を耐えて、狼頭に抱き上げられることしか出来ない状況に歯噛みするしかない。


「ですが旦那……こいつは」


「いい話を聞かせてやろう」


 地面へ落ちた革袋をしっかりと拾いながら、男は狼男へ何か言おうとした。しかしその言葉は、狼頭が冷たい視線と共に放った一言によって遮られる。


「魔法使い共を氷漬けにして食ってはいないといっただろう? 凍らせた魔法使い共はな、食わずに粉々に砕いてやったんだ」


 ぐるるると小さく唸り、ずらりとならんだ鋭い牙を見せつけながら、狼頭はそういった。

 その言葉と同時にパキパキと妙な音がしたのでそっちへ目を向けると、真夏だというのに男達の足下に生えている草が真っ白に凍り付いていた。

 この狼頭は本当に魔法を使えるらしい。

 

「お前らがどうしてもここを去らないのなら、同じ目に遭わせてやってもいい」


 真っ白に凍り付いた足下を人買い共も見たらしい。慌てて後ろに飛び退きながらあいつらは口元を引きつらせながらも媚びたような笑顔を浮かべて揉み手をする。

 それから、懐から丸めた羊皮紙を出して狼頭へと手渡した。


「旦那ぁ、そんな怒らないでくださいよ。ひっひっひ、すぐオレたちは行きますんで」


 張り付けたような下卑た笑顔を浮かべた男達はぺこぺこと頭を下げ、狼頭は受け取った羊皮紙に目を通すためにわずかに視線を落とす。

 しばらくして、狼頭が手の甲をあいつらに向けて払うような仕草を見せると人買い共は私達に背中を向けて一目散に去って行った。

 人買い共の姿が見えなくなると、狼頭は私を地面へ下ろす。逃げるとは思っていないのか、それとも逃げてもすぐに捕まえられるからか……どっちにしても舐められているみたいで少しだけムカついた。


「おいあんた」


 声をかけると、狼頭の視線がこちらへ向いた。太陽の下にある枯草みたいな乾いた色をした瞳は、人買い共へ向けていたものと違って鋭い光が宿っていない気がした。


「なんで私なんかに大金を払ったんだ?」


「イスだ」


「は? 何が?」


「俺の名だ」


 質問に答えないまま、狼頭――イスはそう言いながら私の両腕を縛っている縄に黒い鉤爪の先端を突き刺した。

 縄はあっと言う間に真っ白な霜に包まれて、冷たさを感じる間もなく粉々に砕けて地面へと落ちていく。


「痕が少し残ってしまったな」


 驚いている私の掴んだイスはそう言葉を漏らした。ごわごわとした毛皮の感触と、少し硬い肉球の温かさが伝わってきて不思議な感じがする。

 間近でイスのことを見て見るけれど、どうやら人間が魔法で作られたお面を被って変装をしているわけではないらしい。

 私の質問には答えないまま、イスは空いている方の手で空中に模様を描いた。初めて見たけれど、これが魔法陣ってものだってのは私にもわかる。魔法陣からは青白い光の球がいくつも出てきて私の体に触れて弾けていく。

 弾けた球は白い霧になって私の体を包んでいった。霧は私の体についていた泥や血を洗い流して消えていく。


「ああ、君を買った理由だったか」


 手首を握ったまま、もう片方の手で私の髪を撫でたイスは口を開く。


「……君を妻に迎えようと思ってな」

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