出来損ないの魔法使いは森の狼に娶られる

こむらさき

赤髪少女と黒狼編

嘘と狼

嘘と狼1

「燃えさかる炎みたいに波打つ髪、夕陽みたいな瞳……君はきっと良い魔法使いになるよ」


 柔らかな声。手の甲で私の頬を撫でてくれる優しい感触。

 黒い髪と、私を見つめていた枯草色をした瞳をよく覚えている。


「でも、お母さんが言ってた。私は魔法使いになれないって」


「俺が君を魔法使いにしてあげよう」


 顔がぼやけていて良く思い出せない。でも、彼は優しい表情を浮かべているんだって私は知っている。


「本当に?」


「ああ、本当だ。君が大人になる頃に迎えに行くよ」


「約束だよ! でも、忘れちゃったらどうしよう」


「狼」


「え?」


「俺のことだよ。君が忘れても狼は君のことを忘れない」


 ゴトンという大きな音と振動で、体が大きく揺すられる。

 慌てて目を開いて辺りを見回すと、そこは小汚くて狭い荷馬車の幌の中だった。


「金貨二枚で娘を売り払うなんざバカな親だぜ。体を売らせりゃもっと稼げるのによお」


 人里から離れたからか悪路を走る馬車が立てるゴトゴトと言う荒い音に交じって下卑た話題が聞こえてくる。

 こんな状況でうとうとと眠っていた自分の図太さに嫌気が差す。

 一度だけ、私に優しくしてくれた人の顔は思い出せない。

 アレは夢で、本当はあんなことなかったのかもしれない。そんなことを思いながら、改めて今の状況を確かめる。

 私は、あのろくでなしの親共に売られて、今は両腕を縄で縛られてこのボロい馬車に乗っている。

 私を買い取りに来た男は二人。そのうち一人は御者席に座って馬を走らせていて、もう一人の男は短剣を片手に持ちながら私と一緒に荷台に載せられている。

 イスなんてものはなくて、たくさんある木箱の一つに座らされている。

 幸いなことに、幌の入口は降ろされているだけで鍵は付けられていない。


模様付きプドルなんて運ぶのは初めてだけどよぉ、ちゃんと売れるのか?」


「貴族様たちにゃあ四肢がないガキだって売れるんだ。魔法が使えない魔法使いくらい売れるだろ」


 ガタゴトと激しく揺れている中で、私が話を耳にして怯えていると思っているのだろうか。男たちは声をあげて、売られた女の末路や、売られた魔法使いの子供のことを楽しげに話している。


「なあ、魔法使いのガキは模様付きプドルでも金貨五枚はするって知ってたか?」


「半額以下で仕入れられてこっちは助かるけどなぁ! がはは」


 男達がこちらを見て、私を嘲笑っているのがわかる。でも泣いてなんてやらない。

 でも、ボロ布も同然な服の襟元から見える蜘蛛の巣に似た赤黒い模様へ目を向けた私を見て、あいつらはまた下品な笑い声を上げた。

 この忌々しい模様は、生まれた時から私に刻まれている魔法が使えない魔法使いの証。

 私は家からほとんど出なかったから、本当のことはわからない。だけど、模様付きプドルってやつが魔法を使えない落ちこぼれで、穀潰しだと言われることは、魔法使いのクソ親どもから耳にタコが出来るくらい繰り返し聞かされていたからよく知っている。

 あいつらは「両親私たちが魔法使いなのに、模様付きプドルが生まれるなんて恥ずかしい」だとか「前世で悪いことをしたからお前は不能の呪いをかけられたんだろう」と私を罵ってきた。

 罵倒や暴力は、六つ年下の妹が生まれてから更に酷くなった。妹は、私とは違って魔法の才に恵まれているみたいだったから……。

 役立たずプドルである私と、幼い頃から魔法で風を操り始めた妹……。かつては王宮に使える魔法使いだった一族らしいが、曾爺さんが王に逆らって爵位を奪われて国の果てにある沼地へと追われたらしい。だから、我が家は貧しいし、失った権威で威張り散らして魔法を使えない近隣の村人たちを見下していたから、周りからも疎まれていた。そんな私のクソ親は、妹を魔法を学ぶ学校に入れるために私を安い金で売りやがった。

 大人になることに迎えに来るなんて言われたこともあったが、結局誰もこなかったし、アレはきっと殴られすぎた私が見た優しい幻だったのかもしれないって現実を見始めたんだ。去年からこんな場所出て行くんだって計画を立てて、家族あいつらの目を盗んで、家から拝借した魔法薬を村のやつらに売ったりして路銀だって貯めていた。

 路銀は無駄になったけれど、家から離れられたんだ。だから、売られたって私は可哀想なんかじゃない。助けられなくても大丈夫。自分にそう言い聞かせて、改めて今の状況を確かめる。


「それでよぉ、王宮から来た魔法使い共は常冬の森の化け物に食われちまったって話だぜ」


「魔法を使えるガキを血統問わず探してるってのはそういうことかよ」


 バカな人買いどもは、相変わらずバカみたいに油断をしてべちゃくちゃと唾を飛ばしながら大きな声で話している。

 あいつらったら買われるときに私が抵抗をせずにしおらしく演技していたら、両手だけに縄を掛け、足も縛らずにそのまま荷馬車の幌に押し込んでくれた。

 両足を自由にさせるだなんて私が小娘だからって馬鹿にしているんだろう。その油断が命取りだと後悔させてやる。

 人買いに売られたら、どんな目に遭うかはわからない。運良く金持ちのペットにされればいいが、おかしなやつに体を切り刻まれたり、獣の餌にされたら大変だ。

 チャンスを見つけて、こいつらを油断させてがむしゃらに逃げよう。家から出るときにそう決めた。


「ここから常冬の森だ。噂の化け物には一応気をつけねえとな」


「アニキはビビリだな! 化け物は魔法使いを食うんだろ? ならオレらに関係ねえって」


 さっきまでじっとしててもうっすらと汗をかくほどだった幌の中が、少しだけひんやりとした気がした。夜が更けてきて温度が下がったのか、それとも本当にあいつらが話すような化け物がいるのかはわからない。

 私の見張りをしてるはずの男は、幌の窓越しに御者席に座っている男と馬鹿な話に花を咲かせている。

 兄貴分なのか、本当の兄弟なのかは知ったことではないし、興味も無い。図体だけがデカいバカな男二人だけなら、まだ逃げ切れる可能性はある。


模様付きプドルとはいえ、今日運んでるのは魔法使いだ。用心するにこしたことはねえ」


「ひっひっひ。それよりもアニキ、こいつがちゃんと売り物になるかどうか味見でもしてみねえか?」


「抜け駆けするなよ。こっちだって溜まってるんだ。森を抜けるまで待て」


 クソ親父と同じだ。下衆なやつってのは我が子でもそうじゃなくても若い女と見たら穴に棒をつっこんでみたくなるらしい。

 親父に髪をひっつかまれて、何度も殴られて学んだ。どうすればあいつらがしたくなるのかや、油断をするのかを。


「あの、私……」


 声を震わせて、足の両膝を擦りつけ、小汚い面をこちらに向けている男の顔を上目遣いで見る。

 あいつがこちらをじっと見ているのがわかったら、すぐに縛られている両手を太腿の上へ置いて、思わせぶりに目を伏せた。


「ロクに食ってねえからか鶏ガラみてえな体だけどよお、まだ十六成人かそこらだろ?」


 じっとりとした視線と共に大きくて骨張った手がこちらへ伸ばされる気配がする。まだだ。体を少しだけ捩らせ、形だけの抵抗を見せてやるとクソ親父が喜んでいたことを思い出し、腹の中身が逆流しそうになる。必死に吐きそうになるのを耐えながら、意識してか細い声を出す。


「や、やめてください」


 もっと引きつけろ。男のゴツゴツした手が私の肩を抱き寄せる。もう片方の手が私の顎に指を添えて、下げた視線を自分に合わせようと強引に持ち上げる。

 短剣は……と視界の隅で確かめてみると、さっきまで男が座っていた木箱の上に置き去りにされていた。

 乾いてがさがさな唇が眼前に迫ってきて、温かくて生臭い吐息が私の赤い前髪を揺らした。


「小娘だからって甘く見るなよ」


 思いきり首を伸ばして、男の鼻柱に自分の頭を力の限りぶつけて、走り出す。

 足がもつれそうになるけれど、下ろされているだけの幌の外へ転がるように飛び出した。不様に地面に叩き付けられたけれど骨は折れていない。


「クソガキが! ナメやがって」


 馬の嘶きと怒号が、少し離れた場所で響く。走る馬車から飛び降りたせいで地面に打ち付けた身体中が痛い。

 縛られている両手を砂利だらけの道に押し付けて無理矢理立ち上がった。

 両手が縛られているからか、体が思うように動かない。足も肩も全部痛いし、走るとすぐに息が上がる。人通りも少ない森を通る道だからか足の裏に尖った石や小枝が刺さるけれど気にしている場合じゃない。

 胸と横腹が張り裂けそうなくらい痛い。痛みが段々と増してきて頭もくらくらとしてくる。

 男たちの声が近付いてくるのを感じながら、私は道からそれて森の中へと逃げる。

 耳を澄ませると男達の声はさっきよりも近付いている気がした。再び走り出した私の髪が小枝に絡まり、張り出した木の根に何度もつまずきそうになりながら、隠れる場所を探す。

 道に沿って逃げれば良かったか? でも、まっすぐな道を逃げてもすぐに追いつかれるに決まっている。運良く他の人が通りかかって助けを求めたとしても、あいつらが売買証を見せてしまえば引き渡されておしまいだ。

 男二人の話し声と足音がさらに近付いてくる。

 立ち止まり息を顰めながら、必死に考える。木陰に隠れるか? それとも今からでも両手の縄を木にでも擦りつけて切ってから木の上に逃げるか?

 

「夜の森では嬢ちゃんのよたよたした足音がよく聞こえるぜ」


「赤毛ちゃんよぉー! 今ならたっぷりと可愛がるだけで許してやるぜえー」


 考えている間に、はっきりと男達の声が聞こえてきた。

 すぐそばまであいつらが来ている。

 とっさにその場にしゃがみ込んで口元を両手で覆う。体を低くしていれば、暗い森の中では姿が隠れるはずだ。

 男達が地面に落ちた葉や木々を踏みながらこちらへ近付いてきた。

 居場所がバレてしまうんじゃないかってくらい自分の心臓の音が大きく聞こえる。

 あいつらのでまかせで、本当は私の行方なんて見当がついてないんじゃないか?

 息を顰めれば、なんとかやりすごせるかもしれない。

 目を閉じて、呼吸を整えるために深く深く森の冷たい空気を吸い込んだ。

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