本当のこと 2
「あ、いらっしゃい」
「兎の獣人なんだが……」
「あ、はい、奥でお待ちです」
オーヘン独立種族共同体国家、辺境ブルースト。
町外れの小さなバー「猫髭亭」に、マーカスは来ていた。そして、店員に促されるまま、店舗の奥にある個室に入っていく。と、鼻をくすぐるいい匂いが。
そして、美しい兎の獣人がひとり。
「あ、マーカス、早かったね」
その名はマルグレート・エッセル。通称マリー。
北方地域の獣人国出身の没落騎士爵家の娘で、その可愛らしくも美しい見た目とは裏腹に、殺人兎として名の通っていた一流の冒険者であった女だ。そして同時に、マーカスの所属する弱小クラン『うさぎ亭』の創始者にしてクラン長でもある。
呑気に腸詰めをくわえている姿からは、想像もつかないが。
それなりに出来る女なのだ。
「早かったね、じゃないですよ、なんで先に食べてるんですか!」
「ツッコむとこそこ? てか別に時間で待ち合わせてたわけじゃないし」
「ったく、待っててくれてもいいじゃないですか」
マーカスはそう言うと、マリーの目の前に座りいきなり腸詰めを掴む。
「もう、お祈りくらいしなよ」
「無神論者なんで」
「魔学者で無神論者って、どんなかわりもんよ」
「ほっといて下さい」
マーカスはマリーの注意を適当にあしらい、つかんだ腸詰めを口に放り込む。
途端、口に広がる燻製の香り。
そこから、我慢出来ないとばかりに歯を立てれば、適度な抵抗のあとプツリと皮が音を立てて弾け、瞬間飛び出す溢れんばかりの肉汁。濃厚な獣肉の旨味と甘い脂が野趣を、混ぜ込んであるハーブや香辛料がそこに典雅な味わいと軽やかな爽やかさを、そしてそれらが口内で混ざり合わされば、咀嚼の勢いも止まらず、それはもう。
「ああ、旨い、やっぱりここまで我慢しててよかった!」
「なによおおげさね、ブロンドにだって腸詰屋あったでしょ」
「わかってませんね、マリーは」
「ああ、わかりませんよ」
そう言って不貞腐れた、まあその、不貞腐れてほっぺを膨らますマリーの姿は、マーカス以外のすべての男の注目の的になりそうなくらいに可愛いのだが、そんなマリーを喋る置物くらいの認識で放置して、マーカスはひとしきり腸詰めを口に放り込んでいく。
マーカスは食道楽。
マリーもそれを知っているので、口を挟まずにその姿を眺めていた。
「なんでモテないのかなぁ、マーカスは」
つぶやくも、マーカスは清々しいほどに無視。
「頭も切れて魔法も得意で、うちの仕事的にも有能で、年相応に大人っぽいかと思えば美味しいものを無邪気に頬張る子供っぽさもある」
もちろんマーカスは無視。
「やっぱ、わたしで手を打たない?マーカス」
「お断りです」
「って、そこには反応するのかよ!」
そう言って、マリーは頭を抱えて机に突っ伏す。
といっても、いまマリーがマーカスに一世一代のプロポーズをしたというわけではない。
マリーは兎獣人で年齢は二十二。
普通の人間ならまだまだ若さあふれる頃だが、獣人、特に兎獣人は結婚出産が早く、早い者なら十代前半で結婚し子をもうけ、二十代になるころには大家族を築いていてもおかしくない種族なのだ。
そう、つまりマリーは。
「ねぇ、いいじゃん、きまった人いないんでしょ」
「しつこいですね、腸詰めが不味くなるんでやめてもらえますか」
「いつにも増して酷いわね」
「行き遅れたからって、メンバーに手を出すリーダーよりはマシです」
焦っているのだ。
焦っているので、顔を合わせるたびにこうなのだ。
と、マーカスは思っている。
「なに言ってるの、マーカスがなびかないから行き遅れたんじゃない」
と、マリーは言っている。
「行き遅れの原因を僕にしないでくださいよ、ったく」
とりあえず、真相は誰にもわからない、のだが。
「あんた、ここまで来る間になんかあった?」
「むぐっっ!」
「わかりやすいわね、マーカスは」
マーカスをよく見ている鋭い女であることは、間違いない。
「どうしてわかりました?」
「付き合い長いからね……」
「食べるまで待ってもらっても?」
「おけー」
そう言ってマリーは手元のグラスに入っている砂糖水を煽る。
酒が飲めない人間が酒精のない飲み物を飲むのは珍しくはないのだが、マリーは果実水やお茶系の飲み物を飲むことさえなく、どこで食事をするときも砂糖水を飲む。その理由、この世で知っているのはマーカスだけ、らしい。
とりあえず二人の距離感はそれくらいだ。
雇用主と社員であり、クランのメンバーであり、友人。
そして、まあ、色々あった仲である。
「で、なにがあったの?」
マーカスが食事を追えて、ふうと一息ついた頃、マリーは間髪入れずに問いかけた。
どうにも
というわけで、努めて冷静に、しかし嬉々とした声色でマーカスは話す。
「話のわりには、嬉しそうね」
マリーが突っ込むも、これもまたマーカスの性分で、生きているうちにあった楽しいことも悲しいことも、またムカついて口にするだけでムカムカすることも、他人に楽しくエピソードトークすることで発散し小粋な話題に昇華させるのが彼の、ある意味趣味でもあるのだ。
そして、その標的となるのはだいたいマリー。
だからこそなれたもので、いつもであれば、「そう大変だったわね」なんて当たり障りのないことを言いつつ、嬉しそうに話をするマーカスを生暖かく見守っているのだ。が、しかし、今日は様子が違った。
というのもマーカスの話が終わるやいなや、共感するでも感想を言うでもなくマリーみずから話を始めたのである。
あまり、見ない光景にマーカスは戸惑いつつも、静かに耳を傾ける。
「いきなりで悪いんだけどさ、ちょっと聞いてよ。これはわたしの聞いた話なんだけどさ、戦争の後、帝国のせいで夫と息子を失ったエルフの貴婦人がいてね。その貴婦人は今もまだ帝国と戦っているって話、というのもね」
そう言うとマリーは、一気に砂糖水を飲み干した。
「その貴婦人の旦那は、戦争中息子を救出するべく帝国に潜入し、そこで捕縛。胸に着けていたエルフの秘宝に洗脳魔術を仕込まれたせいで、エルフ狩りの一翼を担う工作員になったらしいってね。結構確かな筋からの情報よ」
その事実にマーカスはビクリとした。
しかし、にわかには信じられない。
「ちょっと待ってください、これですよ、本物に見えますか?」
マーカスは慌てて懐から木の葉型にかたどられたハイロント・ヴェーダを取り出した。
それは、表面に葉脈のような銀の細工が施してある緑色の石。こうしてみても、そこに強大な魔力が込められているとは思えない。
「ハイロント・ヴェーダはたしかに高濃度の魔素を含む、国宝級の魔石。でもね、そんな高濃度の魔素を含む魔石、いくらすごくても普通に使えないと思わない?」
「え、まあそうですけど」
「だから、エルフはそこにエルフの秘技を施す」
「え……」
戸惑うマーカスに、マリーは続けた。
「採掘されたハイロント・ヴェーダはエルフの最高指導者たる族長によって各貴族家に一つづつ授けられ、そしてそこに、その血縁者でなければ利用できないように魔術を施すのよ」
言われて、マーカスは急いで木の葉がアタのペンダントをむしり取るとその表面を注意深く見聞した。そして、小さく「なんてこった」と呟いて頭をかいた。
「まさか。この銀細工……」
「ええ、今じゃエルフにしか作れない聖銀細工。ミスリル製のアーティファクトよ」
「じゃぁむしろこのペンダントの価値は」
一心不乱にペンダントを眺めるマーカス。
その横で、マリーは小声で続きを話す。とある貴婦人の人生の続きを。
「聞いてのとおり、エルフの貴族家に与えられたハイロント・ヴェーダは血縁者にしか使えないようになっている。わたしの言いたいこと、もう分かるわよね」
「え? すいません、どういうことですか?」
「貴婦人の夫は、ハイロント・ヴェーダによって洗脳魔術をかけられていたのよ、つまり」
マーカスは首を傾げる。そして、次の瞬間机を叩いて立ち上がった。
「まさか! じゃぁ洗脳魔術をかけたのは!」
「ええ、息子よ。戦争のドサクサで帝国に捉えられ、その豊富の魔力とエルフ貴族の血を買われて、帝国のエルフ狩りの責任者となった、息子」
「まさか、そんな」
マーカスは、ドサリと椅子に腰を落とす。
マリーはため息混じりに先を続けた。
「貴婦人の名は家名を廃してルルイェアート。帝国の虐殺により全滅したとされるリンハット貴族の最後の一人。たった一人の息子を殺すべく、今もレジスタンスとして森で戦う、老いた女戦士」
マーカスは、頭を抱えて目を閉じた。
そして、その脳裏に、ルルエの最後の言葉が蘇ってきた。
「マーカスさん、あなたは誠実で紳士的でそしてユーモアがあって、美味しいものを美味しいと言い楽しいことできちんと笑い、そして、間違ったことにはきちんと抵抗できる素敵な人ね」
ルルエは、笑っていた、優しい母の微笑みで。
「リンハット貴族の一人として、それをあなたに授けます」
マーカスは、そのとき、どんな顔をしていたのだろう。
「どうか受け取ってくださいね、マーカスさん、あなたは本当に素敵な貴族です」
どんな顔で、ルルエを見ていたのだろう。
「さようなら、マーカスさん」
ルルエは、微笑んだまま言った。
「そして、ありがとう。とっても素敵な旅でした」
どうやら今晩は。
「これで、わたしの旅も、やっと終わりそうだわ」
なかなか寝付けそうにない。
「ねえマーカスさん、覚えていてね、きっとあなたのような人を」
ルルエの緑の瞳を思い出しながら、マーカスはそう確信した。
――エルフというのよ。
やとわれギルド講師マーカスの日常 轟々(とどろき ごう) @todorokitodoroki
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