魔物の襲撃と怒り

「エルフに裏切り者がいる、もうそれは間違いのないことでした」


 ルルエは声を落として語る。


 この前フリとして息子の死を明らかにしたのだ、であれば、きっとこの話は息子の死に繋がる話なのだろう。それがわかっているからこそ、マーカスは口を挟まずに彼女の話を聞いた。


「そして、容疑者として名が上がった人物、それがフェーダという男」


 フェーダは先の大戦で顔に傷を負ったということで仮面をつけた男だったそうだ。そして、その仮面には命ある限り外れぬ呪いまでかけられていた。


 しかも、戦争で記憶を失ったということになっていた。


「怪しすぎるくらいに怪しい人物、でしたわ」


 エルフは、裏切りを許さない。しかし同時に、仲間を疑うことも嫌う。


 明らかに怪しい人物であるフェーダであっても、それがエルフである以上、彼を拘束するか否かを決するために何度も話し合いが持たれ、結果、彼は処刑を前提に拘束された。


「彼は、半狂乱で否定しました」


 裏切りを許さず、それでいて、滅多なことでは仲間を疑わないエルフ。


 だからこそ、そんなエルフが疑うと決めた以上、もうそれは彼がという見えない鎖に縛られたと言っても良かった。それは、まさに呪い。なんとも非効率で理不尽で、全く愚かなことだ。


 しかし、種族の特性とはそういうものなのだ。


「わかっています、愚かなことです。しかし、エルフはエルフでなくてはいけなかった」


 思った通りのルルエの言葉に、マーカスは視線を落として小さく息を吐く。


「そして、その結果が間違いであったとしても」


 ではないかな、とマーカスは思っていた。


 仮面をつけた記憶喪失の男。なぜその不自然さにエルフが気づけなかったのかマーカスにその真相はわからないが、疑いを持つ前でさえ、青磁を、いやそういう人間のやり口を少しでも知っていればわかったはずだ。


 その男は、利用されている第三者であるということが。


「あなたがあの時、あそこにいてくれればよかったかもしれませんね」


 マーカスの顔色を読んだのかルルエが悲しく微笑んだ。


「そんな察しのいいあなたです、仮面の男の正体に気づいてますでしょ」


 ルルエの言葉に、マーカスは瞳をそらす。


「おっしゃってご覧なさい、私は平気ですから」


 ルルエの執拗な言葉に、マーカスは渋々答えた。


「仮面の男は、あなたの……」


 ルルエの瞳を見つめるマーカス。


 ああ、この人の瞳はこんなにも美しい翠玉でったのか、と感心しながら。


「最初の旦那さんですね」

「え?!」


 ルルエは息を呑んだ。


 それもそのはずだ、最初に息子の遺品であるペンダントを見せた以上、普通の人間はここで息子の可能性を示唆するはずだからだ。なのに、マーカスは、申し訳無さそうに仮面の男を最初の夫だといい切った。


 ルルエは、震える声で尋ねる。


「どうして、そう思いましたか?」


 ルルエの問いに、一拍呼吸を挟んで、マーカスは答える。


「ペンダントを、見せたからですよ」


 言いながら、マーカスは、なにか苦い汁でも飲まされたかのような表情を浮かべる。


「息子さんの形見という触れ込みでハイロント・ヴァーダを見せ、そして、その流れでこの話をした。そこにはあなたの、仮面の男が息子だと勘違いしてほしい、いや、勘違いしてもらわなければ困るという作為が見え見えなんですよ」


 マーカスの言葉に、今度はルルエが青ざめる。


 しかし、マーカスは、ルルエを糾弾する言葉をゆるめることなく続けようとした。


「しかも、そのペンダントは」


 と、そのとき、ギィィと言う不快な声がして、直後馬車が急に止まった。


「旦那方!魔物だ!声が聞こえた!」

「ええ、私にも聞こえました。相手の種類はわかりますか?」

「わからねぇ、真っ暗だ」


 マーカスは馬車の中で中腰になり、声を潜めてあたりの気配を伺う。


 しかし、ルルエは、しごく冷静に言葉を発した。


「あれはボルドックです」

「確かですか?」

「エルフですよ、私は」


 ルルエはそう言うと、一度すっと腰を浮かせて、なんと再び背筋をピンと伸ばして、良く言えば優雅、悪く言えば呑気に座席についた。


「逃げないんですか?」

「エルフがボルドックから逃げるなどありえません」

「では戦いますか?」

「男が二人もいるのに、エルフの女貴族である私が戦うはずないでしょう」

「はぁぁ」


 もういいか、マーカスは気持ちを切り替えて気合を入れる。


「まずは、と」


 索敵の魔力をうつ。


 マーカスを中心に、薄い魔力の板がスーッと周囲に広がり、結果、意外と近い、ボルドックの足ならば数十秒で到達できそうなイチに七匹のボルドックの気配を感じた。


「御者さん、僕がでますのであなたは中に」

「へ、へい」


 マーカスはそう言うと、ルルエには声をかけずに馬車の外に出るとその屋根に登った。


<見えぬ物こそ、光明の軛>


夜目ナイトアイ


 暗視の魔法で、周りがクリアに見え、そしてもうほとんど眼前までボルドックが迫っているのが見えた。


「ふーむ、一撃では無理ですね。ま、馬車が傷つくのは勘弁してもらえるかな」


 そう言うと、マーカスは尻のポケットからハンカチを一枚取り出す。


 そして、そのハンカチに刻まれた魔法陣に魔力を通し、魔法を励起しようとした、その時だ。


「な、これは」


 不意に足元から魔法の波動を感じ、そして、次の瞬間、緑色の魔力の光、魔晄に包まれたマーカスの魔力が跳ね上がったではないか。  


「ったく、エルフというやつは」


 マーカスはそう毒づきながらもニヤリと微笑んでハンカチを翻す。


「棘葉旋風」


 声とともに、マーカスの周囲に風が起こり、ハンカチの魔法陣から無数の木の葉が飛び出してボルドックに迫った。


 鋼の硬度を持つ棘だらけの葉が。


「ははは、予定の三倍は威力が出ましたね」


 マーカスは楽しそうだ。


 というのも、基本的マーカスはここ十数年、誰かとともに戦買うことをやめていた。ずっとひとり、冒険者としてダンジョンにこもることに専念していた時代も含めて、ずっとソロとしてやって来たのだ。


 だからこそ、久しぶりにバフのついた状態ではなった魔術の威力に思わず頬が緩む。


 で、この楽しい時間の被害にあったのは誰か問えば、言うまでもなくボルドックだ。


「はぁ、食材になったあとの姿は見たことはありましたが、話で聞いたよりも雄々しい姿なんですね、ボルドックは」


 細切れで飛ぶ肉片の、どの辺が雄々しいのか。


 それでも、まだ、マーカスは魔術のもとである魔法陣に魔力を送る事をやめず、馬車の屋根の上で踊るように白いハンカチを翻す。途端、空の雲がすっと晴れ、マーカスの身体を銀色の光が包んだ。


 肉片と踊る、月明かりに照らされた男。


「ああ、さっきまではうんざりでしたが、今日はなんて素敵な夜なんだ」


 と、その時だ、マーカスは突然足元から衝撃波を食らった。


「うおっ」


 それは、別に怪我をするような激しいものではなかったが、明確な魔力による攻撃。


 そして、そんな事ができる人物と言えば。


「まったく、台無しだよ」


 マーカスはそう呟いて馬車の室内に戻る。


 と、そこには、不機嫌な表情で腕を組んでいるルルエの姿があった。


「いつまで遊んでいるのですか?」

「遊んでいる?」


 確かに、後半少し羽目を外しすぎたことは間違いない。


 しかし、言うまでもなくそれは遊びでなどではなく、この馬車と御者、そしてなにより、優雅に座っているそこのルルエを守るための戦いだった。マーカスの実力がボルドックを上回っていたからこそ難を逃れたが、そうでなければ、命がけのものだ。


「酷い言い草ですね」

「おかしいかしら、高貴なエルフの貴族と国家を買えるほどの秘宝を守る栄誉を与えられたのです。喜んで戦い、いち早く戻って報告するものでしょう」

「はぁ、本気で言ってるんですかね、この人は」


 マーカスはため息を付き、そしてとうとう、いい人であることをやめた。


「ふざけないでくださいよ。なにが国家が買える秘宝ですか。そんなガラス玉」

「な、何を言うのです」

「言葉通りですよ、それは偽物です」

「なっ」


 慌てるルルエを無視して、マーカスは言い切った。


「そしてあなたは」


 マーカスは、ルルエを睨む。


「エルフですら、ない」


 マーカスは悲しそうに首を振って、頭をかいた。


「少なくとも、僕はエルフとは認めない」


 馬車は止まっている。


 ガタゴトとうるさい車輪の音はない。


 ただそこには、気まずい静寂だけが、横たわっていた。

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