憂鬱にして奇妙な旅路
「で、あなた伴侶は?」
「あ、残念ながらいません」
「まあ、大人の男として情けないわね」
「は、はぁ」
ブルーストに続く長い旅路。
八人乗りの乗合馬車に乗っているのは、それが夜行であったためか、マーカスとルルエの二人のみ。普段であれば混まない乗合馬車は喜びでしかないのだが、今日のマーカスは隣に座るルルエの存在が面倒で仕方がなかった。
「ルルエ様はどうなんですか?」
「それ、本当に聞いて良いとでも」
「……すいません」
さっきからずっとこれだ。
ルルエは、馬車の揺れに合わせてそうしているのかと思うほど矢継ぎ早に質問を繰り返してくるのだが、それに答えてマーカスが質問をすると不機嫌そうにその質問を押し留めてくる。こうなると、貴族の女性だから、というレベルではない。
普通に、失礼な女だ。
「すぐに謝らないことです。心の余裕を疑われますよ」
「……」
「まあ、良いでしょう少しだけ昔話をしましょうか」
本当にマイペースな人だな。
基本的にマーカスは他人に対して怒りを覚えることは少ない。と言っても、元々そういう性格だったわけではなく、長年の訓練によりアンガーマネージメントが完璧にできているのだが、ある程度レベルを超えてくると怒りは興味に変わってくる。
そして、マーカスは今、そう言う意味でこのルルエという女性に夢中になりはじめていた。
「よろしくお願いします」
「いいでしょう」
ルルエは語る、その過酷にして数奇な半生を。
「わたしは、今年でもう二百歳を超えます」
おお、飯屋の親父の言う通りだ。と、マーカスはその慧眼に人知れず賛辞を送る。
「生まれは、先程言いましたが、リンハット貴族階位第三位アーネス伯爵家。自分で令嬢などと言うつもりはありませんが、まあ、一般的にはそうですね」
幼少期、ルルエは何不自由なく育ったそうだ。
そして、貴族として当たり前のように成長し当たり前のように教養を蓄え、そしてある日、当たり前のように会ったこともない某貴族の男性と結婚した。
「幸せでしたよ、それでも。運良く素敵な男性でしたから」
そしてルルエは、一人の子を産んだ。
「男子でした。そう、貴族家において男子を産むことは最も重要なことです。しかし、そんなことどうでも良くなるくらいに、わたしの宝でした」
全て過去形で綴られるルルエの歴史。
もしかしたら、踏み込んではいけないところに踏み込んだのでは?と思いながらも、マーカスは適度な相槌を打ちながら話を聞いた。
「そして、息子が十三になった頃。リンハットは戦乱の炎に包まれました」
そこまで聞いて、マーカスはハッとする。
今から百五十年ほど前、ギバイヤート歴で言えば七百年代後半。
人間種絶対主義を唱えるヴィエンナ帝国は、森林地帯のエルフの根絶とそんな森林地帯に隣接していた様々な種族の少国家を蹂躙すべく、リンハットに攻め込んだのである。
「夫はその時に戦死、息子は生きながらえましたが、寡婦となった私が再婚を果たした豪商の男と折り合いがつかず、成人前に姿をくらましました」
ルルエはそう言うと「再婚とはいえほとんど売られたようなもの、息子の気持ちもよく分かるのですよ」と、寂しそうに付け加えて長く大きなため息をついた。
「今でも、赤く燃える森を思い出さない日はありません」
馬車は、ゴトゴトと音を立てて進む。
ルルエのひとり語りは、止まらない。
「帝国は、大森林辺縁の諸種族国家が団結してオーヘン独立種族共同体国家を建国、種族の垣根を超えて徹底抗戦したことで、森から追い出されました。しかし、その後も大森林やその辺縁において帝国による他種族狩りが横行し、中でもエルフ狩りは」
マーカスもよく知っている。
エルフの奴隷は、帝国では宝石の価値だ。
「苛烈を極めました」
いたるところで消息を絶つエルフたち。
その行く末は良くて労働奴隷、試し切りや生体部品の売買用でもまだ幸せな方で、見目麗しいエルフの奴隷たちは、一生辱められ虐げられ、自ら泣いて死を願うほどに使い潰されながら死んで行くこととなった。
だが、それをエルフたちも黙って見過ごしていたわけではない。
帝国の暴挙に対し、各地のエルフたちは自警団を組織。特に貴族階級のエルフたちは、その強い魔の力を背景に財力と領民の忠誠を後ろ盾にして、むしろ、リンハット紛争の最中よりもなお強く、抵抗運動を始めた。
「私も、弓をとって戦ったのですわよ」
貴族の女性として恥ずかしながらといった風情で、ルルエはうつむいいて頬を染める。
まるでその姿は、童女のように、マーカスには見えた。
「戦って、戦って、戦って、戦い続けても、帝国は私達の目を難なくかいくぐり、まるでそう、ボルドッグのように狡猾に、エルフ狩りを続けたのです」
その現実に、エルフは焦りを感じ始めていた。
これが正面切っての戦争であれば、たしかに帝国は強く、エルフが全力を尽くした所で勝つ見込みはほとんど無いだろう。しかし、誘拐犯の犯行を阻止するというのであれば話は別だ。それは極秘行動部隊と阻止部隊との戦い。
いわば、ハンター対ハンターの戦い。
しかも、戦場は森の中。
「あまりの出来事に、エルフは誇りを失い始めていました」
エルフは森の狩人。
すべてにおいて優位を保っていなければならないはずの戦いに、どうやってもエルフが勝てない。裏をかかれ、狙いを外され、陽動に引っかかり、騙し討に合い、木の陰からひとりずつ間引くように殺されるという屈辱を味わった。
その結果。
「エルフに裏切り者がいる。私達は、それに違いないと結論づけたのです」
そこまで話すとルルエは「少し休憩しましょう」とつぶやきフーっと息を吐いておもむろに胸元に手を突っ込んだ。そして、その山つきがささやかであることを宿命づけられているエルフにしては、ややふくよかな胸の谷間から植物の葉をかたどったペンダントを引き出した。
そして、マーカスの眼前にかざす。
「ハイロント・ヴァーダ。ご存知?」
「え、ええ、エルフの聖樹アクシャヤヴァダの緑を映すと言われる魔鉱石って、まさか!」
「ふふ、そうよ、これがそのハイロント・ヴァーダ」
それは、本物であれば数千億リルになるだろうお宝中のお宝。
東方世界と西方世界にそれぞれ一本づつ存在するという世界樹、ユグダルシアとアクシャヤヴァダ。そのうち、アクシャヤヴァダの根本に存在するという魔鉱床からのみ産出されるのがエルフきっての翠玉の至宝、ハイロント・ヴァーダ。
それが、今、目の前に……。
「あなたが信頼できそうだから見せたのよ、変な気を起こさないでくださいましね」
「え、ええ、もちろんです」
マーカスの声は、震えていた。
今はしがないやとわれ講師でも、マーカスの本業は魔術の研究者。そんな研究者にとって、ハイロント・ヴァーダは一度はお目にかかりたいものの一生かかっても目にかかれない魔鉱石として知られている。
もちろん、宝石として、その静寂さえ感じる落ち着いた緑色の美しさも素晴らしい。
しかし、それに心を奪われるのは宝石商か目の肥えた貴婦人のみ。
そうではなく魔の研究者にとって、それは。
「賢者の石に最も近い魔鉱石」
「まあ、怖い。しまっておきますわね」
つい漏らしたマーカスの言葉にルルエは慌ててペンダントを谷間にしまう。
「す、すいません」
「あやまらない!」
「あ、はい」
マーカスは頭をかく。
そんなマーカスを見て、ルルエは嬉しそうに微笑んで続けた。
「これは、私の生家である伯爵家の家宝。そして、結婚の時、私が夫に捧げた貞淑の印でもあり、同時に」
ルルエは、一旦そこで言葉を切った。
そして慈しむように服の上からペンダントを撫で、かすれた声でつぶやくように言った。
「息子の、ギランの形見」
その言葉に、再び馬車を静寂が包む。
ゴトゴトと揺れながら音を立てる車輪の音だけを残して。
この奇妙な旅は、まだ、終わらない。
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