不躾な貴婦人
「そう、講師のお仕事を」
「はい、まあ、中途半端なやとわれものですが」
「何をおっしゃいますの、雇いたい人がいるのですから恥じることではありません」
「はぁ」
エルフの御婦人、ルルエに連れてこられたボルドックスープの専門店。
石造りの建物ながら内装は年季の入った飴色の木材で構成されている、歴史と品格を感じさせる店だった。きっと、あの柱を削いで湯に浸したら、さぞかし美味しいボルドックの出汁が取れるに違いない。そう思わせるほどに。
「ああ、しかし本当にうまいですね、ここのボルドックスープは」
「当然ですわ、私のお気に入りですから」
「そうですね、さすがは森の番人」
ボルドックは森に住む鹿に似た魔物。
そして同時に、とてつもなく希少生物でもある。少なくとも、ここブロンド要塞都市以外でこのボルドッグを名物としている都市はないだろう。
ちなみに、ボルドックとはエルフの古語で犬殺し。
戦闘力も、相当高い。
「はい、ボルドックを仕留めることが出来るのは我らエルフのみ」
「だからこそ、ボルドックをエルフの賜物と呼ぶ。ですね」
「ふふ、あなた、まるでエルフみたいに素敵な人ね」
「これは、誇り高いエルフに比肩するなんてもったいない」
二人は顔を見合わせてほほえみ合う。
しかし、ボルドックがエルフの賜物というのは、だいぶ昔の話だ。
かつて、エルフは森のハンターとして絶対的な地位を確立していた。
しかし、戦争と厳しい掟による個体数の激減と異種間交雑による種族特性の減衰。なにより、冒険者ギルドの発達による他種族の技量向上で、今やその優位性はエルフには存在しない。
今では多くの冒険者が当たり前のようにボルドックをハントし、結果、ボルドックは「エルフしか獲れないから希少」という価値ではなく「どれでも取れるが故の個体数減少により希少」という悲しい現状に甘んじることになっているのである。
そしてその現状は。
エルフにとっては不快極まりないものだ、とマーカスは聞いていた。
だからこそ、ルルエのその美しい容姿もあって、マーカスは少しおだててみせる。
「この様に美味しいボルドックをいただけるなんて、エルフの皆様に感謝ですね」
「まあ、お世辞だったとしても、嬉しいわ」
このやり取りで、マーカスは、この御婦人は相当身分の高い、もしくは、気位の高い女性であろうと値踏みをしていた。というのも、マーカスも身を持って知っている貴族女性の持って回った言い回し、それをそこはかとなく感じるからだ。
美味しいそうにスープを啜る姿も、やはり、どこか気品がある。
「ファウラ(御婦人)はどちらのご出身で?」
「かしこまらなくて構いません、ルルエとお呼びください」
「ではルルエ様はどちらのご出身なのですか」
「マーカス様はどう思われますか?」
そうですね。
マーカスは、ルルエをじっと見る。
名のりの時、ルルエは『ハダの森ゴルエの娘、ルルエ』と名乗った。
これは、父の名を冠して身分を表明するエルフ独特の名のりだが流石にその名前だけではどこの誰だかマーカスにはわからない。しかもゴルエの森とは、国境の大森林地帯のこと。
その広大さは、一国の広さに匹敵する。
いや、そうではなく、その森こそが元々エルフの国だったところだ。
「ふうむ、難しいですね」
「そう?マーカス様ならわかりそうなものですわ」
ルルエはそういうと、むき出しの白い腕をそっとさすった。
そしてマーカスは、それで気づいた。
広大な大森林地帯は、北方の針葉樹林から南方の熱帯樹林までをカバーする植生変化の宝庫のような場所なのだ。よって、一口に大森林地帯のエルフと言っても育むその文化には大きな差が生じる。特に着ているものなどは大きく違う。
北方エルフは厚着で南方エルフは薄着、と言った具合に。
そして、エルフは気位の高さから気温がどうあれ種族の伝統服を変えたりはしない。例えばの話、南方の一族で伝統服が薄着でも、寒い地域に行ったときは魔法で温度を調節しつつ薄着で通すのだ。
そう考えてみれば、ルルエの服装は、まだ肌寒い春先の街には不釣り合いの薄着。
しかも、森の最南部はダークエルフの支配域。
となれば。
「南方中域、メルデの民、でしょうか」
「……おしいですね、私は同じ南方中域でもリンハットの民の長老一族の末端、七カ国同盟風に言えばリンハット貴族階位第三位、アーネス伯爵家のものです」
「ほぉこれはまた」
マーカスはその返答に、一瞬声を失った。
というのも、リンハットの民とは、ある意味エルフの悲劇を体現すると言ってもいい歴史の中心に存在する部族。このオーヘン独立種族共同体国家が成立するきっかけともなったリンハット紛争の第一当事者だからだ。
それだけに、マーカスは少し訝しげに眉をひそめる。
「そのお顔、リンハットの歴史におくわしいの?」
「あ、いや、なんとなく噂程度で」
「そうなのですか」
そう言うとルルエは少し顔を曇らせて、ゆっくりと匙を食卓においた。
「出ましょう」
「はい?」
「店を出ましょう」
「し、しかし、私はまだ」
見れば、マーカスのスープ皿には、まだ三分ほどのボルドックスープが残っている。
「婦人をまたせるほうが悪いのです」
「え、はぁ、まぁ、たしかに」
別にそう言うルールが存在するわけではない。しかし、たしかに貴族の世界では、男は女よりも先に食べ終わり、その終了を待って席を立つ慣習が存在する。とはいえ。
こんな町の食堂で、そんなことを言わなくても。
マーカスは心の中で不平を漏らしつつも、目の前にいるリンカス貴族のご令嬢と名乗る御婦人の意向に沿うことにした。
貴族の女性に逆らっても、ろくなことはない。
それは、マーカスが人生で身につけた処世だ。
「そうですね、では」
「お先に失礼しますわ」
「え?」
「おさきに、しつれい、しますわ」
「ああ、ああ、は、はい」
食事をした後、ご婦人がそういえばそれは。
おごりなさい。という意味だ。
これもまた、貴族の女性であれば当たり前の作法であろう。しかし、だ、ここに引き込むように連れ込んだのはルルエ。そう考えれば、貴族の女性であるとしても、やや行き過ぎている感はぬぐえない。のだが。
「それでは、外でお待ち下さい」
「ええ、ありがとう」
マーカスは、貴族的な言い回しで、ルルエを先に店から出した。
と、ルルエが店から出たのを確認して、この店の店主と思われる髭面の親父がマーカスに小声で囁いた。
「すげえばあさんだな」
「ばあさん?」
「何だあんちゃん目が効きそうだと思ったけど、エルフの年齢はわかんないのかい」
「え、ええまぁ」
マーカスの返事に、髭面の親父は金額を伝えながら続ける。
「エルフの年齢は髪の色で見るんだ」
「髪の色?」
「ああ、若いエルフの髪はホルフの実のように黄色く、年が経つに連れ、それは銀色に変わる」
言われて思い出せば、たしかにルルエの髪は金髪ではあるがプラチナブロンドに近い色合い。元々寿命の長いエルフ、髭の親父の言うことが正しければ相当な年齢であると考えられる。
となれば。
いや、ま、いいか。
「ごちそうさま、美味しかったです」
「おう、またきな!」
髭の親父の声に見送られて外にでる。
外はもう闇の神に抱かれた夜、暖かい店内から出てきた頬に、冷たい風が少し痛い。
「お待たせいたしました」
「ええ、待ちました」
マーカスは少しムッとするも、やはりそれも貴族の振る舞い。
言葉を足して解説するならば「あなたはわたしを待たせるだけの時間を提供できましたよ」という褒め言葉であり感謝の言葉でもあるのだ、が。
そこに、おごってあげたことへの感謝はない。
貴族の女性として、それは当然のことだからだ。
とはいえ、それでなくても懐が寒いところに予定外の散財。マーカスは、ルルエには聞こえないように少し小さなため息をついて、今日のこの夜の奇妙な出会いをなるだけ早々に締めくくろうとした。
「さて、私はこれから夜行馬車に乗って旅立ちます」
「あら、どちらへ?」
「ブルーストまで。なので、お別れですファウラ」
マーカスはうやうやしく頭を下げる。
面倒臭くもあり、また予定外の散財はしてしまったものの、少し理不尽で貴族的傲慢さを持つこのエルフの(見た目にはとてもそうは見えないが)老貴婦人との邂逅は、旅の思い出として決して悪くないものだったと、マーカスは思っていた。
そして、この自然でスマートな別れ。
ある意味完璧だった。
次の、ルルエの一言さえなければ。
「あら、ひどい人ね」
「え?」
戸惑うマーカスに、ルルエは口をとがらせてこういったのだ。
「こんな夜中に女性をひとりにするなんて、エルフだったら絶対にありえないことですわ」
「は、はぁ」
「私も行先はブルーストですの」
ルルエの言葉が、マーカスには飲み込めない。
「だからブルーストですの!」
苛立たしげに声を荒らげたルルエを見て、マーカスはその意味を悟った。
そして、この不運を嘆く。
しかし、貴族の女には逆らわないのがこのマーカスの信念であるからして、その答えはと言えば。まあ、言わずもがなで。
「……では、お供いたします」
「善きにはからいなさいまし、それと」
こうしてマーカスの受難は、もう少し続くこととなったのだ。
「あと、私はルルエ、そう呼びなさいって言いましたわよね?」
月が中天にて静かに輝く夜。
「あと、荷物、もってくださる?」
マーカスには、少しばかり面倒な夜になりそうだった。
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