第一章 マーカス・ミモリ・ファイネマン
第一話 森の貴婦人
黄昏の出会い
「困りますよファイネマン先生」
「はぁ」
オーヘン独立種族共同体国家、ブロンド要塞都市、冒険者ギルド支部。
そんな、取り立てて名前の知れているわけでもない小さなギルド支部で、その男、契約講師のマーカス・ミモリ・ファイネマンは若いギルド職員の男に今月何度目になるかわからない叱責を受けていた。
「教室で魔法行使しちゃいけないって言ったじゃないですか」
「はぁ、でも、生徒に質問されましたので」
「ああもう、百歩譲って教育熱心を認めたとしても、講堂の天井、修理タダじゃないんですよ」
「いや、まあ、その、すいません」
謝るマーカスに、職員は苛立たしげに頭をかきながら、一枚の紙を出した。
「これ、天井修理の請求書ね」
「え、ギルドが建て替えてくれないんですか?」
「三度目ですよ、三度目!嫌ならクランに請求しますけど?!」
「あ、それは、その、すいません払います」
マーカスは必死でとりなすと、ヘコヘコと謝りながらその紙を受取る。
あちゃぁ、四千リルか。
紙に書いてある額面、それを見てマーカスがガクリと肩を落とした。
四千リルは銀貨3枚。その気になれば高級ホテルに一泊できる値段で、やとわれ講師である契約講師の一ヶ月の給金とほぼ変わらない。
マーカスは深くため息を付き、それでも、用を思い出して事務員に問いかけた。
「あ、あのそれで」
「
「いや、そうじゃなくて、私宛に手紙が来てませんでしたか?」
「あ、そうだ、そうだった」
ギルド職員はそう言うと、一通の封書をマーカスに手渡した。
「私信をこちらに送られると困るんですけどね」
「あ、その、すいません」
またしてもヘコヘコと頭を下げながら、マーカスはその封書を受け取って逃げるように足早に事務室をあとにした。
と、それを待っていたかのように、後ろから中年のギルド職員が話しかけてきた。
「なぁ、マーカス先生このままバックレるんじゃないか」
「まさか、今請求書渡したばっかりですよ」
「いやその件じゃなくてね」
若いギルド職員に話しかけた中年の職員は、したり顔でそう言うと小声でささやく。
「今の封書、黒鷹の爪牙からだろ」
「え、そうでした?」
「ああ、間違いないよ、あの蝋封は間違いなく黒鷹の爪牙のものだった」
黒鷹の爪牙。
それは、この世界の冒険者業界、いやこの世界の人間であれば聞いたことのないものはいないと言える、現在クランランキング一位の巨大クランの名だ。
「でも、あの先生『うさぎ亭』とかいう宿屋みたいな名前の弱小クランの人ですよね」
「だからだよ、知らないのか黒鷹の爪牙の別名」
「なんですか。別名って」
ドヤ顔の先輩に対し、少しムッとした表情で聞き返す若い職員。
そんな若い職員の顔を見て、さらに誇らしげに、先輩職員は続けた。
「禿鷹クラン」
「禿鷹?」
「ああ、そうさ、用心棒、交渉請負、賠償請求に借金取り立てまで。あらゆる揉め事を請け負ってその対象を骨の髄までしゃぶり尽くして再起不能にまで追い込む、別に悪事を働いているわけじゃないにせよ、確実に裏社会に根を張る変則クラン。それが黒鷹の爪牙のもう一つの顔だよ」
「へぇ、じゃぁ」
「ああ、そうさ、もしかしたらあの先生」
先輩職員は、マーカスの出ていった扉を見つめていった。
「やばい借金でも抱えてんじゃないかな、ってな」
「はぁ、でもあのひとなら」
若い職員もまた、扉を見つめて続ける。
「ありえますね」
「だろ」
そしてマーカスは。
この日を最期に、二人の予想通り、そのギルドから姿を消した。
ただ、天井の修理費は、きっちりと耳を揃えて郵送されてきたらしい。
「まったく、マリーにも困ったもんです」
夕刻。
ブロンド要塞都市の冒険者ギルドを出てすこし歩いた場所にある、小さな公園。
その公園の噴水のよく見えるベンチに腰掛けながら、封書の裏表を神経質に確認していたマーカスは、小さく独り言を呟いた。
「職場に仕事依頼を送るなってあれほど……」
言いながら、鷹の横顔がモチーフの蝋封を睨む。
「世間の評判最悪なんですからね、黒鷹の爪牙は」
実際、この封書のおかげで面倒なことになった経験が、マーカスには二度ほどある。
表立ったダンジョン攻略やスタンピード対策以外のいわゆる裏仕事に関して全くの秘密主義を貫く黒鷹の爪牙。その実、やっていることと言えば、ほんの少し危険なだけの便利屋家業なのだが、世間の評判では良くて非合法暴力組織、悪くて世界の黒幕のように言われている。
本当は、少々強引な側面はあるものの、悪の組織ではない。
「僕もあの組織は嫌いなんですけどね」
そんな、悪評高い黒鷹の爪牙は、マーカスの所属クランではない。
「ま、うちみたいな弱小クランじゃ、手紙一枚拒否できませんしね」
独り言を漏らしつつ頭に思い浮かべるのは、所属クランである『うさぎ亭』のこと。
ひょんなことから悪縁を結んだそのクランは、冒険者ランクCというクランを開くには最低ランクのウサギ獣人、マリーことマルグレート・エッセルが創立しクラン長を務めている弱小クランだ。しかも、マーカスが所属した当初は十二人ほどいたクランメンバーも今では三人と最低人員ギリギリでやっている。
まあ、いわゆる、吹けば飛ぶようなクランだ。
そして、そんな弱小クランの主な収入源が、黒鷹の爪牙からのもらい仕事。
さらに、もうひとつ、マーカスにとって重要な理由のため、どんなに彼が黒鷹の爪牙を嫌っていても、仕事を断ることは出来ない。
「さて、今回の依頼は、と」
言いながらマーカスは蝋封の上に指をかざす。
するとその蝋封の鷹の目から光がさし、マーカスの指をゆっくりとなぞったかと思うと、途端まばゆい光を発して蝋封は消え失せた。
いわゆる指紋認証。
最近流行りのやり方だ。
「えっと、何々……はっはぁブルーストかぁ」
封書の中の高級な便箋に書いてあった指令の目的地は、ブルースト。
ここブロンド要塞都市と同じオーヘン独立種族共同体国家の国境付近の都市で、その先にあるヴィエンナ帝国との間に横たわる大森林地帯に寄り添うように存在する、風光明媚な街である。
「ブルーストと言えば、腸詰めだよなぁ」
マーカスは、口角を上げてゴクリとつばを飲み込む。
「茹で腸詰めに強めのハデイ焼酎もよし、炭火でパリッと焼いて酸味の効いたサワーエールでキューッとでもイケる」
言いながらマーカスは、公園の周りをざっと見渡す。
そしてその目は、一心不乱に食堂を探していた。と、通りの向こうに、腸詰めと書いた木看板を下げた酒場を見つけた。
マーカスは、自らの膝小僧を睨んで悩む。
言うまでもなく、ここは腸詰めの本場ブルーストではない。しかし、離れているとは言え、同じ国の都市であることもまた真実だ。そういう意味で、他国から見れば、このオーヘン独立種族共同体国家そのものもまた、腸詰めの名産地と言える。
味も、きっと、劣るまい。
満足も、きっと、出来るだろう。
「いいやダメだ、名物はその土地で食べてこそだ」
「ならば、ボルドックスープを食べればよいのです」
「ああ、たしかにボルドックスープはブロンドの名物ですよね」
「ええ、ボルドックは数の少ない魔物ですから」
「そうでした、そうでした、って」
いつの間にか独り言が会話に発展していたのに気づき、マーカスは顔を上げた。
「どちら様です……あっ」
と、マーカスの目にサラサラと音を立てて風になびく金髪がとびこんできた、そして、全種族で最も美形だと言われる整った顔立ち、そしてなりより尖った耳も、また。
マーカスは、急いで立ち上がって丁寧に腰を折る。
「カヒラ・エラ・マフーワ(悠久の時の紡ぎに感謝を)」
「まあ、エルフ語の挨拶なんて久しぶりに聞きましたわ」
そう、エルフ。
「カヒラ・エンテ・ヒラヒク(悠久の時の紡ぎは我らとともに)」
「ご丁寧にありがとうございます。私の名は、マーカス・ミモリ・ファイネマン」
「こちらこそ、私の名は、ハダの森ゴルエの娘、ルルエ」
その女性はそう言うと、右手で左胸を覆いその場に屈伸して礼を捧げた。
それは、マーカスの生まれ故郷の貴族礼だ。
どうやら、マーカスの見た目や言葉からそれを割り出したようだ。
「これはこれは、ルルエさんは目も耳もいいみたいですね?」
「もですの?」
「ええ、外見も、です」
「まぁ」
そう答えて頬を赤く染めるルルエ。
そして、零れそうな笑みを浮かべたまま、突然にルルエはマーカスの腕を掴んだ。
「では、いきましょう」
「ど、どこにですか」
流石のマーカスも、初対面の美人のエルフに腕を掴まれては照れる他ない。
珍しく口ごもりながらも、努めて冷静に質問した。
「ボルドックスープを食べに、ですわ」
「ああ、いいですね!」
こうして、二人は、連れ立って歩き出した。
空が赤く染まり、じきに紫の尾を引いて、闇の神の到来を待とうかという刻限。
そんな、石造りの街が最もきれいになる時間には。
こういう二人連れが、最も似つかわしい。
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