やとわれギルド講師マーカスの日常 

轟々(とどろき ごう)

プロローグ

契約講師

「聖銀、つまりミスリルは魔力を吸収すると言われています。しかし実際は、聖銀が行っているのは魔力の拡散と無効化。つまり消し去ってしまうという方が正しく、魔鉱石などと違って聖銀に魔力は含まれません」


 その男は突然やって来た。


 わたしの住むモーリス王国辺境都市バリアに。


 モーリス王国は中央大陸の辺縁部にある小さな島国で、バリアは国土の広さのわりには発展しているモーリス王国の南の外れにある中規模都市。そして、その男は、そんなバリアの冒険者ギルドへ契約講師としてやって来たのだ。


「でも、ミスリルの魔法剣とか聞くじゃねぇかよ、やとわれ」

「はい、それは魔法陣を用いた魔術であれば可能です。ですからほとんど同じようなものでも、魔法と魔術は明確に区別しなければいけません」


 ただ、もちろんそれ自体は、なにも珍しいことじゃない。


 冒険者ギルドは国家の権威によらない世界組織。


 そして、そんな冒険者ギルドには、初心者の早死にを防ぐための制度として、二年間の就学が義務付けられている。男は、その講師として派遣されてきたのだ。なので、世の中的にはちっとも珍しくない、ただ、モーリス王国にとって見れば、少しだけ奇妙ではあった。


 それは、彼が契約講師だったからだ。


 普通、講師として派遣されるのは、中央ギルドからの正規講師と各冒険者クランが依頼に応じて派遣する契約講師の二種類。


 一般に、前者は優秀で、後者は、まあ、お飾りのようなものだ。


 というのも、ダンジョン探索や高級依頼を中心に稼いでいる冒険者クラン、そんなクランからの契約講師は専業ではなく小遣い稼ぎ、もしくは副業。懐寂しい子沢山の冒険者か傷病冒険者、まあ、とりあえず暇な人間の仕事。と、相場は決まっている。


 そんな契約講師が、ここモーリス王国にやって来たのだ。


「ご存知のように魔力の行使形態には、魔法と魔術の二種類があり、前者は詠唱を中心として自らの体内の魔力を使い、後者は魔法陣や聖印を用いて自らの魔力と大気中の魔力を混合して行使します」


 世界一の冒険者国家、モーリス王国に、だ。


 この国、モーリス王国は海という広大な城壁に囲まれているおかげで、ありがたいことに周辺国との戦争や紛争とは縁遠く、平和な国として知られている。ただ、そのせいで、この国に生まれた戦いに才を持つ人間に公の仕事、つまり軍隊などの勤め口がない。


 ならば、戦いに才のある人間はどうするのか。


 その答えとしてこの国は冒険者国家となり、それは、周辺国だけではなく、遠くの国々に至るまで冒険者を人材として輸出する国となったのだ。そう、むしろ、優秀な正規講師を派遣する国なのだ、モーリス王国は。


 それだけに、今までは正規講師の派遣すら珍しかった。


 なのに、派遣講師がやって来た。


「おい、やとわれ!」

「はい?」


 おかげで、受講するのが義務とは言え、そんな契約講師の講義をすすんで受けたいと感じる新人冒険者は少なく、まあ、平たく言えば、講義の雰囲気は最悪だった。


 誇りあるモーリス王国の冒険者としては、プライド的に許せない存在なのだ。


「そんな基礎的なことをうだうだ教えてねぇで、もっとバーっとした事教えろよ」

「バー、ですか?」

「そうだよ、理屈じゃなくて実演してみろってんだ」

「はぁ」

「ったく、この国のギルドはな、やとわれに講師が務まるようなな場所じゃねぇんだよ」

「はぁ」

「はぁ、はぁ、って覇気のねぇやつだな。どこのクランからきたか知らねぇけど、一応クランに入ってるような冒険者だろ、なんかこう派手な技とかそういうのを教えろってつってんだよ」


 確かに、やとわれ、いや契約講師であればクランに入っていることは間違いない。


 クランとは、つまりは冒険者の互助組織のようなもので、もちろんそのクランの大きさや名前の大きさにもよるけど、まったくのど素人や新人、もしくは一生底辺のドブさらいたちが入れるような組織ではない。


 少なくともランクはD、クランによればCはないと入れないはずだ。


 ただ、どう見てもこの男、冴えないんだよね。


「では、その、この中で攻撃魔法を使える人はいますか」


 うん、ちょっと試して、みようか。


「はい、わたし使えるわ」

「お名前は?」

「ハリ・ア・ソレア」

「へぇ、珍しい、ネーデレア貴族ですか」

「な、ちょっと、余計なことは言わないで」

「これは、すいません」


 まさか、名前だけでネーデレア貴族だとバレるなんてね。


 別に隠しているわけではないけど、見破られたのは初めてだ。


「魔法、なんでも良いんですか?」

「ええ、教室を破壊出来るわけでもないでしょうから」

「そう、ですか、じゃぁ」


 教室を破壊出来るわけない、か。


 バカにされたもんね。


「いきますよ、死なないでくださいね」

「ええ、どうぞ」


 ちょっとだけ痛い目見てもらうわよ。


 わたしは、おおよそ冒険者に似つかわしくないヨレヨレの白シャツでボーッと立っている男に向けて、自分が放つことのできる最大魔法を放とうと決めた。その、よく見れば結構女にモテそうな顔立ちをしている、それでいてまったく履きのない、表情をピクリとも動かさないあの顔を恐怖で歪めたくて。


 体に魔力をため、そして練り上げ、濃く、熱く、高めていく。


 喰らいなさい。


<我は乞い願う、火龍の眷属サラマンドラの導きにて、我の敵を駆逐するに能う、生命の業火を此処に顕現させよ>


「ほう、火の中級魔法ですか」

「焼き尽くせ。獄炎!」


 わたしの手のひらに炎が集まり、そして、それは人間の顔ほどの大きさの火球となってその男めがけて疾駆する。


 しかし、待ち構えるその男の顔は、歪むどころか少し微笑んだように見えた。


 そして、指をピンと立て、小さく声を発する。


「ではこちらは」


<燃やせ>


「種火」

「う、うそ!」

 

 火の中級魔法、獄炎。

 

 ゴブリン程度の下級魔物であれば一撃で、オークやハイゴブリンのような中級の魔物であっても数発で灰にしてしまう、わたしの得意な攻撃魔法。その、全力で、教室の壁を破壊してもおかしくない威力で放たれた魔法を。


――ドンッ


 薪に火を灯すための生活魔法、種火で、打ち消した。


「相殺した?!種火で?」

「う、嘘だろ、種火は生活魔法だぞ!」


 焦げ臭い空気の中、ざわつく教室。


「次は僕から行きましょう」


 そんな教室を見て、少し微笑んでそう言ったその男は、ヨレヨレの白シャツの胸ポケットから白いハンカチを取り出し、それを、優雅に翻した。


 次の瞬間。


「獄炎」

「えっ」


 翻したハンカチから、わたしの獄炎とは桁の違う、濃密で、邪悪で、凶悪な魔をまとった密度の高い炎の塊が生成され、息つく暇もなく、それは鋭くこちらに向かって飛んできた。


「お、おい、あれやばくねえか!」


 死ぬ。


 それは絶対的な死の予感。

  

「きゃぁぁぁ!!」


 教室に誰かの悲鳴が満ちる。


 しかし、わたしは動けない。


 獄炎という魔法の威力を、きっとこの教室の誰より知っているわたしだから、同じ魔法の、それでいて、同じ魔法とは言えないほど強力なその火球が持つ絶望的な威力を、きちんとわかっていたから。


 不幸にも、しっかりとわかってしまったから。


 身体が硬直して、言う事を聞かなかった。


「逃げろ!ハリ!」


 誰かが叫んだ。


 わたしは恐怖で目を閉じそうになった。


 その時だ。 


 眼の前に迫った獄炎の火球は、今にもわたしの身体を焼こうと鼻先まで迫った瞬間、少しだけわたしの前髪とまつげを焼いて、フッとかき消えた。


「これが、魔法と魔術の違いです」

「え、あ、は、はい」


 男はそう言うと、ハンカチを広げて魔法陣を見せつつ説明をはじめた。


「魔法は詠唱が長く、また個人の魔力に依存するため、戦いの中では即応力と威力において魔術に大きく劣ります。一方魔術は、威力や即応力では魔法より優れますが、なにがしかの媒介に予め印や魔法陣を記しておく必要があるため準備したものしか発動できません」


 そんな事はわかってる、そうじゃなくて、なんでわたしの獄炎が。


 種火ごときに消し飛ばされたのよ。


「あ、あの、その……」

「マーカス・ミモリ・ファイネマン」

「失礼しました。ファイネマン先生は、ど、どうやって獄炎を種火で消し飛ばしたのですか」

「いいですね、良い質問だと思います」


 そこまで言うとその男、いやファイネマン先生はニコリと微笑んで時計を見た。


「思いますが、そろそろ」


 と、その言葉と同時に『リンゴーン』と授業終了のチャイムがなった。


「授業は終わりですね」

「ちょっとまって」


 そう言うと、わたしが引き止めるのも無視してファイネマン先生は講堂を後にして、そして、煙のように姿を消した。その後をすぐに追いかけて講堂の外に出たのに、廊下のどこを見ても、そのくたびれた白シャツの姿かたちもなかった。


「一体何者なのよ、あいつ」


 そして、それからわたしは。


 まだファイネマン先生に会うことができずにいる。


 あれから三年。


 あの一件以来、とっさの瞬間に身体が硬直するという失態を犯したことで冒険者になるのを諦めたわたしは、今、もう一度あの冴えない契約講師に会いたいがためにギルド職員として働いている。もう魔法の発動も怪しくなったわたしだけど、もう一度あの先生にあって、そして、なんでもいいから話をしたい、そう思って、彼を探している。


 しかし、まだ、会えずにいる。


 ギルド職員のわたしですら、消息を追えない、男。


 マーカス・ミモリ・ファイネマン。


 彼は今、一体どこで、何をしているのだろうか。

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