第3話 一番大切な記憶
半年がたった。
衿倉ミースのいた屋敷はあれからすぐ解体工事が始まり、そのうち塀も柵も全て取り払われてきれいな更地になった。
俺がいつも行くスーパーや書店、アパレルショップにも、彼女の姿は見当たらない。会いたくなくてもどこかで顔を合わせていた彼女の姿は、まるで最初から存在しなかったかのように完全にこの町から消えてしまっていた。
あの日ミースと別れた後すぐ、俺はゲーセンに戻った。ゲーム機を破壊したこと、そして逃げ出してしまったことを謝罪するために。
だけど店の店長は俺の姿を見とめると、全て解決しているからとだけ告げた。俺はとても信じられず、店長に何度も謝ろうとしたが、大丈夫だからの一点張り。器物損壊や銃弾所持の疑いまでかけられる覚悟だった俺は拍子抜けして店から去るしかなかった。
ミースとは、いったい何者だったのだろう。
ゲーセンの一件からミースのことをほんの少しだけど理解して、付き合い方も分かるようになったばかりだったのに。だからこそ余計に、また会いたい、もっとミースのことを知りたいという気持ちが俺の中で大きくなっていた。
アンドロイドなのに、人間じゃないのに、どうして俺はこんな思いを抱くのだろう。でも俺の目から見た彼女は、どこからどうみても人間だった。世間知らずの思考回路や中世貴族の服装、物騒な武器を装備していることでかすんでいるが、顔つきや体の動き、会話のやりとりですら、ロボットというより人間味を、俺はどこかしら彼女に感じていた。
ミースは言っていた。「人間のことを勉強するために作られた」と。なら、彼女は極めて人間に似せて作られた――そういう設計思想で作られていたのではないか。その最終目的は、ミースを人間として人間社会に違和感なく生きさせることだとしたら、俺が人間に抱く思いと同じものを彼女に抱いても不思議はないのかもしれない。でもそれは、何のために?
そんな考えがここ半年間、俺は家でも学校でもずっと頭の中でグルグルと駆け巡っていた。だけど結論はどこにも行きつかず、もやもやとした思いを胸の中に残すだけ。ミースのいた屋敷が消え、ミースの痕跡が無くなったこの町で、俺が見たミースは幻だったのかもしれない。そんな気にすらなっている。
今日もいつものように専門学校の授業が始まり、いつものように席につく。目の前のパソコンに表示されたゲーム開発やプログラミングについての教材を見やりながら、俺は集中力を欠いた頭でまた一日を過ごすのだろう。
ミースとの出会いから別れまでは、非日常で刺激的だった。でも、ミースに再会することはもう叶わないのかもしれない。なんとなく、そんな気がしていた。でももし、これからの人生で俺がミースと遭遇することがあったとしたら、そのときは――
そのときは、今度は俺の方から声をかけよう。そして、古い友人のようにゲーセンで一緒に遊ぼう。人間のことについて学びたいと言ったミースに、俺もミースのことが知りたいと伝えよう。ぼんやりとした頭で、俺はそう考えていた。
変わり映えのない平凡な一日がまた、始まる。
(本鈴が鳴り、先生ともう一人が入室する)
「本日からこちらのクラスに編入することになりました、衿倉ミースと申します。みなさまと早く仲良くなりたいと思っておりますので、これからよろしくお願いいたしますわ」
「ズコーーーーーーーーーッ!!!」
(盛大にズッコケる御堂に、教室中がざわつく)
「あら、どうされました?」
「な、なんでミースが俺の学校に……」
「急に倒れられましたけど……そちらの方、お体は大丈夫でしょうか?」
「俺だよ俺! 見りゃわかるだろ!」
「あの、すみません。どちらさまでしょうか……?」
「えっ?」
「わたくし、この半年間で体の部品を全てアップデートしていたのです。その際に記憶を保存するメモリーも入れ替えてしまったため、以前の記憶がございませんの」
昼休み。
突如俺の学校に入学してきたミースは、話を聞くため連れ出した学校の中庭で、さらに俺を驚かせる事実を告げた。
「記憶がないって……。よく知らないけど、そういうのって載せ替えた新しい媒体に記憶データを移し替えればいいんじゃないのか」
「新しいタイプの頭部に、以前の媒体がどうしても収まらなかったと聞いています。わたくしの体の最大の問題点はバッテリーで、電源につながなければ前の体では五時間程度で動きが止まってしまいましたの。だからなるべく全ての部位を軽くする必要がございまして――。半年間かけて記憶データのアウトプットまではできたのですが、新しいメモリーにそれをうまく入れられず、以前の記憶はあきらめることになったのです」
「やっぱりわたくしでは、人間のことを学ぶ資格が無いようですね」というミースの言葉を、なぜか俺は思い出していた。
「じゃあなんで……なんでミースは俺の学校にきたんだ。俺との記憶が無いのに、偶然入ってきたなんてことあり得ないだろ」
「御堂光一さん。あなたが、本当に御堂さんなのですね」
「え? あ、ああ」
「御堂さんのいるこの学校に編入できた理由。それは、旧バージョンのミースからの伝言です」
「伝言……?」
「記憶を引き継ぐことはできない。そのことを知った前のミースは、自分にとって最も大切な記憶、御堂光一さんという人間の情報だけをお母様に口で伝えたのです。この専門学校に通っていることも、その際に伝えられたのかと」
「最も大切な、って……俺のことが? 俺、ミースにたいしたことしてやれてない。それなのに」
「(笑顔で)自分と一番話してくれた人間は御堂さんだと、前のミースはおっしゃっていたそうですよ。御堂さんは自分の知らなかった色んなことを教えてくれた。チャーシューメン、セルフレジ、ライトノベル、コスプレショップ、そして『遊ぶ』ということ。人間にしか知り得ない、感じることができないことを、わたくし、衿倉ミースは学習するためにここにいるのです。御堂さんはわたくしの、かけがえのない恩人です」
そう言いながら、ミースはにっこりと笑顔を見せた。以前と変わらない、端整な顔立ちに大きなブルーの瞳をたたえた、かわいい人形のような笑顔を。
「ミース、俺にそこまで感謝してくれていたのか……。俺はミースから逃げようとしていたのに……」
「でもどうして御堂さんの顔画像データが無かったのでしょう。わたくし、御堂さんの情報は記憶しておりますけれど、顔が分からず困っていたのです」
「そういう抜けたところも前のミースらしいよ」
「そうなんですか?」
「そう。ほんと、バカなヤツ……」
「――御堂さん。もしかして泣いて」
「泣いてない泣いてない! お、俺がミースのことで泣くわけないだろ!」
「目じりの水分比率が75%に上昇しておりますわ。これは泣いていると判定してよろしいのでは」
「あーもううるさいうるさい!」
「(気がついたように)そうですわ。前のミースから御堂さんへの感謝のしるしとして、差し上げたいと言付かっているものがあるのです。受け取ってくださいますか?」
「えっ、ミースからのプレゼント? な、なんか嫌な予感がするんだけど……」
「では、いまからお渡しいたしますね」
「あ、ああ」
「動かないでくださいね」
「え?」
「絶対に動かないでくださいね」
「は、はあ」
「では、どうぞ」
(ミース、御堂の頬にキスをする)
「えっ!? は!?」
「前のミースからの感謝のしるしですわ。いかがでしたか?」
「(顔を真っ赤にして)なんでき、急に、ほっぺにキスとか!」
「あら。前のミースからは、御堂さんの大好きなラノベ『ツンデレ幼なじみとデレデレ妹がボッチで陰キャな俺を巡って毎日抱きついてくるんだが』の最終シーンでこうした場面があったため、きっとお喜びになると伺っておりましたが」
「なんでミースがそのラノベの最終シーンを知ってるんだよ……!」
「書店で御堂さんにお会いしてから、同じものを電子書籍で購入し全文章を暗記したそうですわ。そのときのセリフ『お兄ちゃん、大大だあああい好き』もお付けしたほうがよろしかったかしら?」
「いいですもういいです勘弁してください校内だから見てる人が少なからずいるので!」
以前のミースはもういない。けど、俺の記憶の中には残っている。俺の記憶の中で、彼女は生きている。俺とのことを「最も大切な記憶」だと話してくれた、彼女が。
これからは、新しいミースと新しい思い出をつむいでいけばいい。そうすることが、前のミースへの弔いになるのだと思う。――アンドロイドにも、弔いという言葉が当てはまるのであれば。
「ミース」
「はい」
「おかえり」
休日。
俺はいつものゲームセンターに足を運んだ。そこに前のミースがまだいることを思い出したからだ。
レースゲームの筐体へ一直線に向かい、席に座る。コインを入れ、一人でレースを始める。しばらく走り、ゴール。そこそこのタイム。最後に、これまで全国でプレイした人のタイムレコードのランキングが表示される。
一位は「MEASE」。ミース。ジャパンレコードのままだった。
思えばこのゲーセンでミースと仲良くなれたのだった。画面を全く見ずにハンドルを回し、アクセルとブレーキを自在に操作する、そんなミースの姿ももう懐かしい。
彼女の名前をながめながらしばらく感傷に浸っていた俺に、後ろから彼女が声をかけた。
「御堂さん、プログラム解析完了、ですわ」
「よし、ミース。ジャパンレコードの記録、塗り替えてくれよ!」
「はい! ニューミースの実力、見せてあげますわ!」
前のミースの名を残したままにしようかとも思った。でも、記録はいつか破られる。それなら、ミース自身に破ってもらう方がいい。それに旧ミースと新ミースの対決。面白くなりそうだ。
ミースと遊ぶ時間は、これからもかけがえのないものになるだろう。
彼女にとっても。そして、俺にとっても。
アンドロイドプリンセス!~メカメカお嬢様は機嫌が悪いとこめかみで俺を撃つ~ 七村 圭(Kei Nanamura) @kestnel
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